ネットにあった話である。
塩野七生氏は、その著書「ローマ人物語」
で、カエサルの言葉として、紹介している。
人間ならば誰にでも、現実のすべてが見える
わけではない。 多くの人は、見たいと欲す
る現実しか見ていない*1。
である。
調べてみると、この文章に対応する原典
がないそうだ。
ただ、典拠と想定される文章は次のようで
あるそうだ。
fere libenter homines id, quod volunt,
credunt.
ほとんどの場合、人間たちは、自分が望ん
でいることを喜んで信じる*3
ところで、
塩野氏の文章とカエサルの文章の違いを
どう評価していいのかは、素人としては、
意見を呈しがたい。
しかし、塩野氏の文章について、このよう
な分析をする人がいるのは、彼女の才能
に圧倒されるわたしには、驚きで学問的
な深みの意味において感謝を評したい。
この二つの文章のニュアンスの違いを
わたしはどう評価していいかは分からな
いが、素人として、どちらの文章も活か
して、人間の理解を深める一助としたい。
余談だが
今、ローマ人物語の23巻を半分ほど、読
み終えている。
そのなかに、次のような文章があった。
カエサルの言葉である。
「上に立てば立つほど、言行の自由は
制限されざるを得ない」
このような言葉を舛添氏に捧げたいものだ。
舛添氏は、自分が望んでいることを喜んで
信じる。
そして、それが、庶民の感覚と如何に、ず
れているか、理解できなかった。