わたしが、20代の頃、まだ学生だったような気がするが、どういうわけか、45歳くらいに退職したいと思っていた。
はっきりした理由は、分からないが、労働を厭う気が、どこかにあったかも知れない。いや、人見知りをする性格だったからかも知れない。
実際に仕事についても、どこかで、退職の日を待ちわびている自分があった。
ところが、不当人事を食らって、あまりの忙しさで、眼がおかしくなった。
光が、眩しくて、裸眼で生活できない。サングラスをかけて、日夜生活をしていた。
時折、ゆとりができると良くなったりしていたが、ある日、それが慢性になった。
さすがに、このままでは、目が潰れて、仕事を止める日がくるのではと思ったら、焦った。
今まで、何度もいざとなれば、仕事を止めたってかまわないと思ったが、いざ仕事を止めるのではないかと、思ったら、仕事にしがみつく自分に、びっくりしてしまった。
情けなくなってしまった。
それ以来、自嘲し、自重するようになった。
わたしが54歳の時、父親が、突然寝たきりになった。そのため、仕事の合間をぬって、父親のリハビリをするために、病院に通うことになった。
この両立が厳しく、退職を考えていたが、躊躇するものがあった。
しかし、この職場に5年ということで、転勤の年を迎え、これ以上、厳しい生活をしていると、身内の誰かが、病気になって、不思議でないと思い勧奨退職することにした。
病人が増えると、本当に最悪の事態になってしまうからだ。
この最悪の事態だけは、避けたいと思った。
客観的にみると、退職してから、父親の代わりにいろいろと仕事をしてきたので、良かったかも知れない。
仕事と両立できる内容ではないからだ。
しかしである。
どうしても、自分の現状に苛立ちがわく。
最近、現役時代の夢を見る。
実は、今日も明け方にそのような夢を見て、途中で、覚めた。
若干、のぼせて頭痛がする。不快感を感じる。
このような体調の時は、ストレッチをして、筋肉の緊張をほぐし、血液循環をよくしなければならない。
着替えをしながら、頭によぎったことがあった。
昨日、夜、本屋で立ち読みした文章だ。
それは、とある実業家の著書である。
彼の友人が、若くして、大金を稼ぎ、リゾートにひっこみ、遊び三昧の生活に入ったが、すぐに飽きて、仕事に復帰したそうだ。
そして、エピソードが追加された。
アメリカで、若くして大金を得て、退職生活に入った人は、早々と死んでしまうそうだ。という文章であった。
このエピソードは、他の著者の本でも、読んでおり、読むのは二度目である。
このブログでも、ずっと前に書いた記憶がある。
そのことを思いだしながら、突然、頭をよぎったことがあった。
「わたしは、仕事がしたいのだ。」ということであった。
それは、昔の現場に戻りたいと言うこととは、違うものだ。
昔の職場、わたしの力量を超えるほど、厳しい職場になってしまっている。
わたしたちの世代の古い体質では、ついていけないくらいの状況になってしまっている。
どのような職場でも、時代と共に、変化していく、だから、キャリアを積めば積むほど、現実は、自分の持っていた体質と、職場の状況とが乖離していく。
だから、再度、古巣に立ち戻ることは、不可能だ。無理すれば、今度は、その乖離のストレスで、身も心もボロボロになってしまう。
「仕事をしたい。古巣にもどるということではなく。」というのが、どうもわたしの今の本音のようだ。
その方が、何かしら、自分の今の気持がすっきりする。
わたしは、いよいよ退職を意識する歳に近づくにつれて、定年退職した後、タクシーの運転手でも、警備員でもいいから、仕事を続けたいという気持があった。
あまり、背伸びをしなくてすむ仕事であると思ったからである。
現実は、父親の病気で、勧奨退職をし、リハビリのため、病院通いの生活となった。
経済的には、父親のささやかな資産があるので、その管理をしながら、生活をしている。
だから、およそ、退職した同僚の中では、金銭的には、ゆとりがある生活だろう。
しかしである。面白くないのである。
ところで、「仕事をしたい」という希望は、どうなるだろう。
現実は、午後から病院通いの生活だ。今の生活でも、午前中に、日々の雑用をするだけで、精一杯だ。病院の行き帰りの途中、車で仮眠をしている。
仮に病院通いから開放されたとしても、一端退職した人間が、再就職するなんて、現在の社会情勢からして、とても、不可能だ。
自分の本音は、分かったが、如何せん身動きがとれない。
もしかして、退職した人の中に、何%か、わたしと同じく、仕事はしたいものだと思っている人がいるかも知れない。
するとなると、悠々自適の老後は、軟禁状態の生活と変わらない。
なんと、不健康な第二の人生だろう。
どこかしら、病んでしまいそうだ。
はっきりした理由は、分からないが、労働を厭う気が、どこかにあったかも知れない。いや、人見知りをする性格だったからかも知れない。
実際に仕事についても、どこかで、退職の日を待ちわびている自分があった。
ところが、不当人事を食らって、あまりの忙しさで、眼がおかしくなった。
光が、眩しくて、裸眼で生活できない。サングラスをかけて、日夜生活をしていた。
時折、ゆとりができると良くなったりしていたが、ある日、それが慢性になった。
さすがに、このままでは、目が潰れて、仕事を止める日がくるのではと思ったら、焦った。
今まで、何度もいざとなれば、仕事を止めたってかまわないと思ったが、いざ仕事を止めるのではないかと、思ったら、仕事にしがみつく自分に、びっくりしてしまった。
情けなくなってしまった。
それ以来、自嘲し、自重するようになった。
わたしが54歳の時、父親が、突然寝たきりになった。そのため、仕事の合間をぬって、父親のリハビリをするために、病院に通うことになった。
この両立が厳しく、退職を考えていたが、躊躇するものがあった。
しかし、この職場に5年ということで、転勤の年を迎え、これ以上、厳しい生活をしていると、身内の誰かが、病気になって、不思議でないと思い勧奨退職することにした。
病人が増えると、本当に最悪の事態になってしまうからだ。
この最悪の事態だけは、避けたいと思った。
客観的にみると、退職してから、父親の代わりにいろいろと仕事をしてきたので、良かったかも知れない。
仕事と両立できる内容ではないからだ。
しかしである。
どうしても、自分の現状に苛立ちがわく。
最近、現役時代の夢を見る。
実は、今日も明け方にそのような夢を見て、途中で、覚めた。
若干、のぼせて頭痛がする。不快感を感じる。
このような体調の時は、ストレッチをして、筋肉の緊張をほぐし、血液循環をよくしなければならない。
着替えをしながら、頭によぎったことがあった。
昨日、夜、本屋で立ち読みした文章だ。
それは、とある実業家の著書である。
彼の友人が、若くして、大金を稼ぎ、リゾートにひっこみ、遊び三昧の生活に入ったが、すぐに飽きて、仕事に復帰したそうだ。
そして、エピソードが追加された。
アメリカで、若くして大金を得て、退職生活に入った人は、早々と死んでしまうそうだ。という文章であった。
このエピソードは、他の著者の本でも、読んでおり、読むのは二度目である。
このブログでも、ずっと前に書いた記憶がある。
そのことを思いだしながら、突然、頭をよぎったことがあった。
「わたしは、仕事がしたいのだ。」ということであった。
それは、昔の現場に戻りたいと言うこととは、違うものだ。
昔の職場、わたしの力量を超えるほど、厳しい職場になってしまっている。
わたしたちの世代の古い体質では、ついていけないくらいの状況になってしまっている。
どのような職場でも、時代と共に、変化していく、だから、キャリアを積めば積むほど、現実は、自分の持っていた体質と、職場の状況とが乖離していく。
だから、再度、古巣に立ち戻ることは、不可能だ。無理すれば、今度は、その乖離のストレスで、身も心もボロボロになってしまう。
「仕事をしたい。古巣にもどるということではなく。」というのが、どうもわたしの今の本音のようだ。
その方が、何かしら、自分の今の気持がすっきりする。
わたしは、いよいよ退職を意識する歳に近づくにつれて、定年退職した後、タクシーの運転手でも、警備員でもいいから、仕事を続けたいという気持があった。
あまり、背伸びをしなくてすむ仕事であると思ったからである。
現実は、父親の病気で、勧奨退職をし、リハビリのため、病院通いの生活となった。
経済的には、父親のささやかな資産があるので、その管理をしながら、生活をしている。
だから、およそ、退職した同僚の中では、金銭的には、ゆとりがある生活だろう。
しかしである。面白くないのである。
ところで、「仕事をしたい」という希望は、どうなるだろう。
現実は、午後から病院通いの生活だ。今の生活でも、午前中に、日々の雑用をするだけで、精一杯だ。病院の行き帰りの途中、車で仮眠をしている。
仮に病院通いから開放されたとしても、一端退職した人間が、再就職するなんて、現在の社会情勢からして、とても、不可能だ。
自分の本音は、分かったが、如何せん身動きがとれない。
もしかして、退職した人の中に、何%か、わたしと同じく、仕事はしたいものだと思っている人がいるかも知れない。
するとなると、悠々自適の老後は、軟禁状態の生活と変わらない。
なんと、不健康な第二の人生だろう。
どこかしら、病んでしまいそうだ。