消費期限終了

リタイアーのよもやま話

あとひとつ」症候群

2011-03-08 06:17:33 | 社会

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〈共有〉からビジネスを
生み出す新戦略

レイチェル・ボッツマン
ルー・ロジャース

小林引人=監修・解説
関美和=訳

NHK出版


にあった話である。

 

 

 「あとひとつ」症候群

現代の多くの家庭にとっては、テレビが一家に1台だけ
というのは、まるで靴が一家に1足しかないような感じ
だろう。


2004年にアメリカとイギリスは、ある大事な一線を
越えた。

一世帯あたりの平均テレビ保有数が、世帯人数を上回
ったのだ(平均世帯人数2・55人に対してテレビは3台
ある)。

ひとりが同時に2台のテレビを見るとは思えない。

それなのに、家の中にひとり一台以上のテレビがある
のはなぜだろう?


1950年代も終盤にさしかかる頃、産業界は不安を
抱えていた。

だれもがみなそれなりの生活水準に達していた。

中流層が拡大し、平均的なアメリカ家庭は(ヨーロッパの
家庭の大半も)家屋や家電、自動車などがある今の
暮らしに満足していた。

ほとんどのものが家庭にゆきわたり、消費者の需要は
頭打ちになりつつあった。

社会評論家のヴァンス・パッカードはこの現象を簡潔に
こう表現した。

「満腹にさせないコツは、大食いにさせること」製造
メーカーにとっては、消費者が他の家庭と同じものを
望むだけでは足りなかった。

グレッグ・イースターブルックが『進行の逆説)』に
描いたように、「隣人に追いつけ追い越せ」という気
にさせる必要があった。

ほとんどの人はだいたいのものをひとつは持っている。

ということは、すでにあるものを「もうひとつ」買わ
せるための言い訳がいる。

こうして「過剰な選択肢の原則]が生まれた。

心理学者のジョナサン・ハイドは、私たちにもできる
簡単な実験を行った。

次に挙げる言葉のなかて、いちばんピンとくるものを
ひとつ選んてみよう。

その言葉とは、制約、制限、障壁、選択の4つだ。

たぶん、被験者と同じく、あなたも「選択]を選ぶ
だろう。

最初の3つはネガティブなイメージがあるからだ。

消費者なら、だれしもたくさんのなかから選ぶ方が
いい。

たとえ選択肢にそれほど違いがないとしても。

この気持ちは、何千何万という日常の生活必需品に
ついてだけでなく、車やテレビ、電話やトイレに
ついても、同じことが言える。

心理学者のバリー・シュヮルツが『なぜ選ぶたびに
後悔するのかー「選択の自由」の落とし穴』で述べた
ように、選択肢があることで、逆にどうすれば欲求が
満たされるかわからなくなる。

そればかりか、そもそも何が欲しいのかわからなくなる。

こうしてけむにまくことこそ、製造者の意図するとこ
ろだ。

気持ちが満たされなければ、もうひとつ買ってみれば
満足できるかもしれないと思うからだ。

ボストン大学の社会学教授、ジュリエット・B・シュ
ローダーによると、2005年までには、消費者は新
しい服を5・5日に1枚買うようになっていたという。

家や生活がモノであふれればあふれるほど、私たちの
気持ちは重くなり、身動きとれなくなる。

ニール・ローソンが『オール・コンシューミング』で
言うように、「消費しつづけることで、ますます
消費者以外の何ものにもなれなくなる」のだ。

それだけではない。

人生でものを溜め込むことに時間と空間を使えば、その分
だけ他者のために使う余裕がなくなる。

物質的豊かさの追求は、人間のもっとも基本的な社会的
欲求、つまり家族や地域の絆、個人の情熱、社会的責任
と本質的に相反する。

それなのに私たちは、モノを次から次に手に入れて
溜め込むことで、こうした欲求を満たせると考えて
いた。

ハイパー消費の時代を「自閉的資本土義」と表現する
評諭家もいる。

難しい呼び名はともかく、このハイパー消費という
病気について2つだけはっきりしていることがある。

まず、お金ーそしてお金で替えるものを手あたり次第
溜め込むことーイコール幸福だという考えが、ハイパー
消費の原因だということ。

そして、この病気は洽せるということ。

コンシューマリズムのシステムは、現代の生活において
動かしがたい現実のように見える。

でも、そうではない。

このシステムが人口的につくられたということは、その
力を別の形に変えれば、より健全で持続可能なシステム
ができ、モノを買う以上に満足できるゴールをもてると
いうことだ。


以上。

 

「あとひとつ」症候群

これって、思いあたることがある。

時計をいくつも買わせたり、指輪をいくつも買わせたり、
携帯だってそうだ。どこかで、コマーシャルで煽って
いたようだ。

決算期の売り上げ確保のために、売れなくなった商品を、
営業マンが自腹で買うようなものだ。

 


前記の資料の中で、


中流層が拡大し、平均的なアメリカ家庭は(ヨーロッパの
家庭の大半も)家屋や家電、自動車などがある今の
暮らしに満足していた。

ほとんどのものが家庭にゆきわたり、消費者の需要は
頭打ちになりつつあった。

社会評論家のヴァンス・パッカードはこの現象を簡潔に
こう表現した。

「満腹にさせないコツは、大食いにさせること」製造
メーカーにとっては、消費者が他の家庭と同じものを
望むだけでは足りなかった。

グレッグ・イースターブルックが『進行の逆説)』に
描いたように、「隣人に追いつけ追い越せ」という気
にさせる必要があった。

ほとんどの人はだいたいのものをひとつは持っている。

ということは、すでにあるものを「もうひとつ」買わ
せるための言い訳がいる。

こうして「過剰な選択肢の原則]が生まれた。

のようなことであるが、


「あとひとつ」という雰囲気があったのを覚えているが、
その根拠が、このようなことであったとはね。

自分自身でも、若干の違和感を感じたものだが、あまり
詮索しなかった。

自分自身について、消費者という視点で考えた場合、                    
どこまでが、自分の本当の人生であったのかという
ことに、大いに疑問符がついてきてしまう。

アダム・スミスやカール・ハインリヒ・マルクス
が、今の社会状況を見た場合、どんな言葉を発する
のかなんて、思ってしまう。

とにもかくにも、このような状況からすれば、いずれ、
サブプライムローンという商法は、遅かれ早かれ
出てくることになっていたのかも知れない。

それにしても、自由・平等、そして、個人主義の
象徴のアメリカが、こと消費者としては、これほど
までに、国民をなぶりものにするような、仕打ちを
していたとはね。

結局、自由・平等、そして、個人主義という「から
くり」をあてがってでも、国民から収奪できるという
恐ろしいシステムが可能だということだ。

マルクスの搾取は、労賃からの搾取だったと思うが、
消費者という立場に身を置かせた労働者から商品を
購入させるという方法で、搾取ができるということ
を示しているようにも思える。

自由・平等、そして、個人主義、アメリカンドリーム
の国という綺麗な衣装をまとった収奪の国、アメリカ
ということか。


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