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リタイアーのよもやま話

織田信長のマネー革命

2011-09-10 22:23:40 | 若い時に読みたかった本

織田信長のマネー革命
経済戦争としての戦国時代

竹田智弘

ソフトバンク社


を読み終えた。


コペルニクス的転回という言葉があったが、信長に
ついて、まさに、そのような思いのする本であった。


その本を紹介したいのだが、本の「まえがき」、その
「目次」、そして「あとがき」を紹介したほうが、
手っとり早いと思い、下に引用した。

 

まえがき

織田信長というと「天下布武」に象徴されるように、
武力で天下を手中に収めかけた人物として知られてい
る。

必然的に「桶狭間の戦い」や「長篠の合戦」などその
華々しい軍事的成功ばかり目につきがちである。

 しかし実は信長は、日本の経済史、金融史において
非常に大きな功績を残しているのである。

信長以前と信長以降では、日本の経済社会は明らかに
違う。

信長は、ある意味「マネー革命」とさえ言えるような
大改革を実施しているのだ。

 江戸時代、日本は欧米に負けないほど貨幣経済が発達
していた。

この貨幣経済の発達は、信長が大きく関係しているので
ある。

信長は、中央政権としては初めて体系的な貨幣制度を
作り、物量単位の統一や関所の撤廃などで、日本の商
経済に大変革をもたらした。

 この信長の経済政策が、世界に冠たる。〝経済大国
日本〟のベースを作ったとも言えるのだ。

 また現代の日本では、津々浦々によく整備された都市
が存在する。

この都市の存在も、もとをたどれば信長に由来するので
ある。
信長は岐阜や安土に、「政庁」と「交通の拠点」を融合
させた〝新しい城下町〟を作った。

この新しい都市政策は、すぐに全国に波及した。今、
日本の各地にある中小都市のほとんどは、もともとは
岐阜や安土をモデルとしているのである。

つまり、信長は日本の都市の形を作り上げたといえる
のだ。

このように、信長は日本経済社会の礎を作ったといえる
のだ。

 歴史というものは、[出来事」[事件」を中心に論
じられることが多い。

 しかし「出来事」ではなく[経済視点」で歴史を検
すると、今まで見えなかったものが見えてきたりする
ことがある。

 信長の生涯についてもそうである。

 経済視点から信長を眺めれば、今まで語られてきた
信長像とは別のものが見えてくる。

彼は冷酷なだけの為政者ではなく、むしろ民衆には非常
に優しかったのである。

筆者は特にそれを紹介したくて、本書を執筆した次第で
ある。

本書を読まれた後、おそらく信長の意外な姿に驚かれる
はずである。


以下は、「目次」より


序章  信長はいかにして軍資金を調達していたか? ‥9
    鉄甲船に秘められた信長の経済力/
   錬金術のキーワードは「寺」「城」「港」/
   寺社の持っていた莫大な利権を奪う/
   築城するたびに富が集まるという謎/
   信長の城は巨大な税務署だった/
   太閤検地のモデルとなった信長の検地/
   日本最初の不動産デベロッパー/
  〝竹中工務店〟の創業者は信長の重臣だった/
   楽市楽座は信長に何のメリットがあったのか?/
   信長は領地より港を欲した/
   港を押さえれば、莫大な収益が上がる/
   「桶狭間の戦い」は商業地をめぐっての戦いだった/
   信長の作った戦争税とは/
   キリスト教容認に隠された信長の海外戦略

第1章 日本の経済システムは信長が作った!?‥ 47
    楽市楽座だけじゃない!経済史上に残る偉業の数々/
       日本の金融システムは信長が作った/
       信長の作った金銀本位制/
       金銀の通貨流通を促進させる/
       金銀は大量生産さえすれば貨幣として流通するわけ
       ではない/
       遠隔地の物流を促進する/
       史上初の公定〝金貨〟の鋳造/
       信長はどうやって大量の金を集めたのか?/
     「名物狩り」で大量の金を市中に放出した/
       武田信玄の甲州金はなぜ流通しなかったのか?/
       枡の大きさの統一/
      関所の撤廃/
      日本全土の道路網整備計画/
      価格破壊・をもたらした楽市楽座

ここまで

 

第2章 長篠の戦いは〝経済戦争〟だった‥‥ 79
   「長篠の戦い」の真実/
    実は武田信玄は鉄砲の権威者だった/
    15歳で鉄砲5〇〇挺を入手した信長/
    信長が目をつけた国際港「堺」/
    堺は日本最大の軍需都市だった/
    堺を手に入れることは有力大名になることと同じ
    だった/
    堺商人をなびかせた信長の手腕/
    死の商人「今井宗久」とは/
    武田信玄を経済封鎖せよ/
    鉄砲はあっても弾薬がなかった武田軍/
    信玄の西上作戦……追い詰められていたのは信玄の
    方だった

第3章 延暦寺の焼き討ちは〝大財閥〟解体だった‥ 101
    強大な〝支配階級〟としての寺社/
    比叡山は、戦国時代最大の財閥だった/
    延暦寺は全国に領地(荘園)を持っていた/
    悪徳金融業者の横顔を持った比叡山/
    商業、物流も支配していた比叡山/
    実は平安時代から比叡山は社会の悩みの種だった/
    信長の140年前にも比叡山は焼き討ちされていた/
   〝楽市楽座〟を最初に行った石山本願寺/
    本願寺は畿内の流通拠点を押さえていた/
    海外貿易まで企んでいた本願寺/
    京都、堺を占領していた法華経/
    寺院は要塞都市だった/
    武器の製造基地としての寺社/
    現代日本が宗教の弊害を被っていないのは、信長の
    おかげ

第4章 安土城〝テクノポリス〟構想‥‥ 131
    現在の都市の形を作った信長/
    商都と軍都を融合させた複合都市/
    極彩色の東南アジア的な〝安土城〟
   〝お城〟の原形は安土城/
   〝都市計画〟の走り/
    安土~京都間に造られたハイウェイ/
    安土で本格的な兵農分離をはじめる/
    当時、最高の技術を集めて造られた安土城/
    遊び心満載の安土城/
    サービス精神旺盛な為政者/
    安土城は日本で最初のテーマパークだった/
    安土城は大相撲の聖地/
    近江商人を育てた信長

第5章 信長の〝理想国家〟行方‥‥ 161
    実は領民に優しかった信長/
    信長以前、農民は重税に苦しんでいた/
    石高制の採用/
    信長の減税政策の意図/
    弱者救済政策と庶民への配慮/
    罰金で徴収した黄金を庶民のために使う/
    中間搾取を極力減らす/
    朝廷の立て直し/
   「茶会を開く権利」を褒美として与える/
    日本の首都は大坂になっていただろう/
   〝信長安土大社〟計画

 


あとがき

信長は天才だった」と言われることがある。
信長は確かに常人がなしえないことを次々にやり
遂げている。
そういう意味から言えば、天才だと言えなくもない。

しかし信長は常人がまったく理解しえない発想を
持っていた人だとは、筆者は思わない。

信長の行ったことは、当時としては画期的なこと
ばかりだった。

 が、その所業の一つひとつを洗い出してみると、
決して突飛な思い付きを実行したわけではない
ことがわかる。

信長の数々の大事業のほとんどは、実は「だれも
やろうとしていたこと、やりたいと思っていたこと
を、きっちりやり遂げたもの」だと言える。

たとえば、鉄砲を大掛かりに導入することは、多く
の戦国武将にとっても念願だった。
しかし、資材や火薬の調達には大きな手間や財力が
かかることから、だれもが二の足を踏んでいたので
ある。
 
それを信長は港を制することから始めて、最終的には
数千挺単位(もしくはそれ以上)の鉄砲導人にこぎ
つけたのである。

また当時、「寺社の力が強すぎて社会に悪影響を与
ている」ということは皆が思っていたが、だれもが
寺社を恐れこの問題には手をつけなかった。

しかし、信長に対して寺社を臆することなく、粘り
強く彼らの力を削いだのである。

現状の問題点を直視し、〝前例にこだわらず〟に解決策
を探りだし、粘り強く実行する。

それが信長のやり方だった。

「事業を成す」とは、つまりそういうことなのだろう。

 未曽有の大災害に見舞われた現代日本にもっとも必要
なものは、この信長の〝事業精神〟なのかもしれない。

本書を通じてそれを少しでも伝えることができれば、筆者
としてこの上もない喜びである。
(あと、省略)


以上。


わたしがこの本を読んだ感想は、まさに、「まえがき」と
「あとがき」に著者が書かれた通りである。

これまで、わたしは、信長は、本能寺で謀反にあい、全国
統一を目前にして、どのような思いで死んでいったのだろう。

ということに興味がわいていた。


信長は、伝統芸能の
『人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。
一度生を享け滅せぬもののあるべきか』
を好み。出陣の際に、踊ったといわれる。

それだけに、どのように思ったのか、悔しかったのか、
絶望したのか、なんてである。

しかし、今回、この本を読んで、結局、わたしの興味は、
「下衆の勘繰り」でしかなかったと思い知った。

結局、信長は、シーザーと同じ視点で、自分の歴史的立ち
位置を理解していたのでは。ということだった。

信長は、時代が今後、どのような方向に向かうことになって
いるか、向かわざるを得ないかということを理解して、その
歴史の向かう方向に、どれだけ、自分の力で、時代の流れを
進捗させることができるかというとに、大きな興味をもち、

彼は「どうせ人生は五十年しかないのだから、死ぬ気になって
思い切ってやってやろう」といった心情で、日々生きていた
のではなかろうかと、思えてきた。

だから、本能寺で死ぬ間際でも、きっと、どうせ、おれが、
いろいろと目論んだ方向に国も時代も向かうにきまっている。

おれの出番は、ここまでと言って、死んでいったのではな
かろうか。

きっと、充分に、自分の才能を試せたと、思ったのでは。

なんて、思われてならなかった。

今回も思った。

できれば、このような本を10代で、読んでおきたかったと。

今、思うに、できれば、高校生以上の日本人の多くの人が
この本を読んでもらえたらという気持がいっぱいである。

日本も閉息しているが、世界も閉息しているこの時代に。


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