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リタイアーのよもやま話

年を重ねた者の才覚

2015-11-28 22:24:30 | 読書

 とある本にあった内容であ
る。 

 年を重ねた者の才覚

 老人になってからも、昔の
ように前面に出たがる人とい
うのも困りものです。

 前向きでいい生き方かもし
れませんが、人には育てられ
る時期と育てる時期がありま
す。

若い頃は、能がなくても年
上の人が押し出してくれまし
た。

 年をとったら、今度は自分
たちがそういう立場だとわか
らなくてはいけない。大局に
立って、その時その時の自分
の位置を確認しながら、若い
人の出る幕を作ってあげるべ
きでしょう。

 それが、年を重ねた者の才
覚です。

 老人になってからも、昔の
ように前面に出たがる大とい
うのも困りものです。

 前向きでいい生き方かもし
れませんが、人には育てられ
る時期と育てる時期がありま
す。

 若い頃は、能がなくても年
上の人が押し出してくれまし
た。年をとったら、今度は自
分たちがそういう立場だとわ
からなくてはいけない。大局
に立って、その時その時の自
分の位置を確認しながら、若
い人の出る幕を作ってあげる
べきでしょう。それが、年を
重ねた者の才覚です。

 後進に道を譲ったからとい
って、自分の道が閉ざされる
わけではない。むしろ自由な
境涯で、自分の時間を持った
り、より健康になる仕事に邁
進すればいいと思います。

以上。

恐らく、戦後教育で育った世
代は、極めて個人主義的な人
間として、育ったのではない
か。

私達の親の世代は、戦前は勿
論のこと、終戦の混乱期・高
度成長期を地縁・血縁の者同
志で助け合ってきた。

わたしは、父親の世代との価
値観のギャップに愕然として
いる。

我が自治会も、親父たちの世
代を基準にして考えると、都
会的な限界集落化をしている
のではと、暗い気分になって
いる。

人が死んだ後に残るものは
集めたものではない。
与えたものである

ジェラール・シャンデリ

という言葉があったが、若い
頃、かなり、父親に反発した
ものの、集める人生のように
も見えたが、実は、多くのも
のを与えた人生ではなかった
かと、感じ入るようになり、
遅まきながら、不肖の息子だ
ったと己の愚かさを、寝たき
りの父親を前にして、成り立
たない後悔をしている日々で
ある。

思えば、私は、集めるばかり
の人生に終始していた。

才能もたいした野心をなかっ
たわたしの、手元には、今何
が残ったのだろう。

年金生活、残ったのは、ただ
それだけなのでは。

と思うが。

わたしの分際かも知れぬ。

それはそうと、わたしは、送
別会の時、小説は、上巻より、
下巻の方が面白いはずだと、

第二の人生をと、労って送り
出す後輩達に見栄を切った。

そうは言ったものの、下巻の
人生は、まだ面白くはなって
いない。

筆者は、

若い頃は、能がなくても年上の
人が押し出してくれました。

と語った。

今、わたしが後輩を押し出す立
場にあるが、そう達観できるも
のではない。

著者は、語っている。

後進に道を譲ったからとい
って、自分の道が閉ざされる
わけではない。むしろ自由な
境涯で、自分の時間を持った
り、より健康になる仕事に邁
進すればいいと思います。

以上。

後進に道をゆずるためには、そ
の後の何かを持っているかとい
うことが問われるのだが、その
問いに答えるのは、容易ではな
い。

最近、読んで本に次の言葉が
あった。

舞台に上がりさえすれば、8割
成功したに等しい。

というのがあって、救われる思い
をしている。

人が死んだ後に残るものは
集めたものではない。
与えたものである。

というが、わたしが与える側に
立てる日は、来るのだろうか。

今、わたしが、気の向くままに
本を読み、気の向くままにコー
ヒーを楽しみ、気の向くままに
バイクに興じている。

この生活、全て、父母、祖父母
高祖父母達が与えたくれたもの
の上に成り立っている。

この事実に思いを寄せると、彼
らの人生を賭けて、与えられた
ことに、身震いするものがある。

小説は、上巻より、下巻の方が
面白いはずだと、言ったが、私
の人生の下巻が面白くなるのは、
いつのことだろう?