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リタイアーのよもやま話

牧神の午後への前奏曲

2015-11-14 20:24:53 | 音楽

 

ドビュッシー:牧神の午後への
前奏曲

カラヤン/ベルリン・フィル1964

久しぶりに、牧神の午後への
前奏曲を聴いている。

ホルンのパートが出てくるあたり、
オーケストラの伴奏で、フルート
のソロが出てくるあたり背筋にゾ
クッとしたものを感ずる。

気の遠くなりそうな官能的なもの
が、体をよぎる。 

わたしは、印象派の音楽を1989
年あたりに初めて聴いている。

その時、こんな音楽が世の中にあ
るということで、ショックを覚え
た。

久しぶりに聴いて、よりこの曲に
共感するようになって、聴く力に
深みを感じている。

品川の下宿で、オンキョウの安ス
テレオで、FM東京で聴いていたは
ずだ。

 

学校には、セパレートステレオが
あって、大方次のようなステレオで、



この写真は、ネットからの借用
で、形は違うがこういう型の
ステレオだった。

このようなステレオを初めて
目の前で見たので、興奮した。
大きな音をだして、感心しきっ
ていたのを覚えている。

曲は、ドボルザークの新世界
だった。

今、わたしは、You Tubeで、
聴いている。

コンピューターに取り付けたMM-1
のスピーカーで。

あの昔聴いたセパレートステレオ
の音を凌駕する音で。

今まで、多くのステレオセットを
を購入したが、どのステレオより
目の前で、コンピュータにつけた
MM-1が、豊かになり響く。

なんとも、贅沢な時間を過ごす
ことになったのだろう。

あの雑音の多いオンキョウの
真空管のステレオで、聴いて
いた時代からすれば、完璧な
音を聴く時代がきている。

なんとも凄い時代に出くわせた
ものだ。

 


子分のためなら私は死ねる

2015-11-14 19:34:48 | 読書

昨日は、北野武と松本人志の
友情論について、書いたのだ
が、後で、昔読んだ本のこと
を思いだした。

それは、清水の次郎長の逸話
である。

次のがそれである。

私のために死ぬ子分など一人
もおらぬ。 だが、子分のた
めなら私は死ねる。

以上。

昔、この逸話を読んだ時は、

あの有名な次郎長の胸の内を
知ることになって、何かしら、
複雑な気分になったのを今で
も覚えている。

このような人間関係というの
は、知らなかったからだ。
長い間、忘れていた。

しかし、思ったのだが、もし
かして、恋愛もそのようなと
ころがあるかも知れない。

今の時代、えてして、自分の
ことを差し置いて、計算高い
恋愛観の横行する時代だ。
 
 こんな時代って何なんだろう。