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リタイアーのよもやま話

友情論

2015-11-13 21:40:38 | 読書

 北野武の本にあったことだ。 

 友情は金じゃ買えないと
いう話も同じことだ。

 金で買おうとする根性が間違
っているという話ではなく、そ
もそも友情の意味がわかってい
ない。

 友情が金で買えないのは当た
りまえだ。何故かといえば、そ
んなものハナっから存在しない
からだ。ないものを買おうとし
ちゃいけない。

「お前に困ったことがあったら、
必ず俺が助けてやる。俺が困っ
たときはお前が助けてくれ。俺
たち友達だよな」

こんなもの友情なんかじゃない。

ヤクザ兄弟杯と一緒で、単なる
保険の掛け合いでしかないわけ
だ。保険は大きく、たくさんあ
った方がいいから、ヤクザは兄
弟分をできるだけ増やそうとす
る。

 だけど2、3人の仲間内で掛
け合う保険は、おろしようがな
い。というか、誰かが損をしな
けりゃいけなくなる。というこ
とは、誰かと友人になるという
ことは、最初から損をする覚悟
をしておかなきゃいけない。い
い思いをするというのは、相手
に確実に迷惑をかけることにな
るのだ。

 「お前が困ったら、俺はいつ
でも助ける。だけど、俺が困っ
たときは、俺は絶対にお前の前
には現れない」

 これが正しい。お互いにそう
思っているところに、初めて友
情は成立する。

 昔助けてやったのに、なんで
今度は俺のこと助けてくれない
んだ? なんて思うとしたら、
そんなもの初めから友情じゃな
いのだ。自分が本当に困ってい
るとき、友達に迷惑はかけたく
ないと思うのがほんとうだろう。

 要するに友情というのは、こ
っちから向こうヘー方的に与え
るもので、向こうから得られる
何かではない。友情とは、自分
の相手に対する気持ちだ。

 友情から何かを得ようと考え
ることが、そもそも間違ってい
る。

 損得尽くで考えるなら、友情
は損するだけのもの。

 だけど、アイツが好きだ。困
っているのを知ったら、助けて
やりたい。

 そういう自分の気持ちを、買
えるとか買えないとか言ってい
ること自体がおかしな話なのだ。

 ふっと周りを見回して、そう
いう風に思える友達が一人でも
いたら幸せだ。

 変な言い方だけど、自分のた
めに死んでくれる人問が何人い
るよりも、そいつのためなら命
を賭けられるって友達が一人で
もいる方が、人間としては幸せ
だと思う。

 友情が大切だっていうのは、
本当はそういう意味だろう。

 そう考えると、自分には何
人の友達がいるのか……。

 芸人同士は、友達になるの
が難しい。

以上。

島田紳助の本にあったことだ。

友達同士は助け合わない、とい
うことを教えてくれたのも友達
だった

 僕の周りには友達がいてくれ
て、楽しいし、ありがたいと思
っている。

 友人の条件を挙げるとしたら、
各自、仕事を一所懸命する、と
いうことだ。友人とは、一人で
遊ぶよりも二人で遊んだ方がお
もしろいから、ちゃんと仕事し
て、その余った時問を楽しく共
有する相手だ。仕事で儲かって
いてもいなくても、それは問題
じゃない。とにかくちゃんと仕
事している奴でなければ僕は友
達になれない。

友達見失切られたことはない。
一緒に遊ぶこと以外は、何も期
待しないから。

 そして、仕事のことでは、
おたがいに助け合わない。

 僕の友達に花屋をやってる
奴がいる。どこもそうだろう
が、今は売れなくて大変なと
きらしい。

 でも、大変だからといって、
「こいつのところで花買うた
ろ」とはみんな思わない。

 むしろ、知り合いだから「ま
けろ」という。

 僕は、それでいいと思う。

 友達同士は助け合わない、
ということを教えてくれたの
も友達だ。

 昔のことだが、ある友達が
商売でピンチに陥って、かな
りの金の段取りがつかなくな
ったことがある。でも、そい
つは僕らに金を貸してくれと
は決していわなかった。

 「ちょっとヤバイんや。
あと二、三ヵ月が勝負やわ。
危なくなったら、悪いけどし
ばらく山に逃げるから。その
かわり、帰ってきたらまた遊
んでくれよ。俺は、お前らに
金借りたりせえへんから」と
いうのだ。

「僕らに借りないで、誰泣か
すねん」って聞いたら、こう
答える。

「いや、それは取引先や。そ
れはしゃあない、商売上のこ
とやから。むこうも儲かった
ことあるし、儲かると思って
やってきてんやから。みんな
それなりのリスク負ってやっ
てはるのやし、取引上のこと
やから。でも、お前らには借
りんから、戻ってきたらまた
遊んでくれよ」つて。

 結局は、なんとか乗り切って、
山に隠れずにすんだが、このと
きのあの男の姿は立派だったと
つくづく感心した。

 こういう奴もいた。身内が病
気になって、莫大な治療費をサ
ラ金や親戚から借金したけど、
やはり友達である僕らからは決
して借りようとしなかった。

 「そういう場合じゃないんだ
から、貸すから」つて、僕らが
どれだけいっても、「お前らは
あかん。友達からは借りられな
い。友達じゃない奴から借りる
んだ」といい続けた。

 どうしてだって聞くと、そい
つはこんなことをいった。

「俺は借りた金は返す。絶対に、
返す。でも返す自信はあっても、
明日事故で死んでしまうかもし
れない。そのとき、他の人なら
いい、俺のことボロクソいうて
も。でも、お前らがいうたらあ
かんねん、友達なんやから」

 そうはいっても最悪のとき
は来いよっていったのだが、
「うん、気持ちだけ貰っとく」
っていって、絶対に来なかった。

 「僕らだって博打の金やった
ら貸さへん。でも病気はしょう
がないやろ。みんなから香典集
めて、その香典ということで先
に渡すわ。それで五年経って生
きてたら返してくれや。そうい
う形なら受け取れるやろ」とま
でいったのに、受け取らなかっ
た。

 そんなことがあった後、金を
貸してくれっていってくる人も
いた。悪いけど僕はその人のこ
とを友達だとは思っていなかっ
た。内心「あいつがしんどかっ
たとき、金を貸せなかったのに、
お前に貸せるかい」と思った。

 友達はいろんなことを教えて
くれる。

以上。

 

すごい友情論ではないか。

これほど、厳しい友情論には、
出会えないかもしれない。

脱帽である。