森村誠一氏は、とある本で、こう語って
いる。
定年後、第二の人生のスタートラインに
立って、「これから自由にしなさい」とい
われたとき、そこには、「何をしてもいい
自由」と、「何もしなくてもいい自由」が
ある。
「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を
実現したり、新しいことに挑戦することで
ある。
会社、組織での人生のしがらみを捨てて、
未知の分野に進む覚悟である。
以上。
「何をしてもいい自由」と言われて、その気
になろうとしたものの、高度情報化社会は、
あらゆるものが概知のものになってしまった。
先日などは、テレビで、バツイチの女性が整
形手術で、バンパイアそっくりになり、子連れ
再婚して、幸せになった。なんて、あった。
まったく理解のできない価値観もあるものだ
と驚愕した。
ネットをこまめに、歩き回れば、どこにもタ
ブーは存在しない。とんでもない情報の暴発
である。
多すぎて選べないという話しがあったが、あ
まりもの多様さに、全てのものが矮小化して
その存在意義は、光速で無意味化している。
そのような状況にあって、人はどこに向かっ
て走るのか判断もしようもない。
はてさて、あと20年ほどの猶予があるので
はと、勝手に決め込んでいるが、何ができる
のか。
増えすぎて、大きくなりすぎたわたしたちは、
カタストロフィを引き起し、死の行進をはじ
めているのか。
絶望的なほどに、すべてがもうスピード
拡散している。
「何をしてもいい自由」、はてさて何ができる
のだろう?