人生の旋律
神田昌典著
講談社+α文庫
とある本の中に、この本の話が出てきたので、
注文して読んでみた。
「事実 は 小説 より 奇 なり」とか「数奇な運命」
という言葉があったが、まさに、この本の主人公
近藤藤太のことであろう。
やはり、この手の本は、若い時に読んでおくべき
だったと思っている。
ちまちました人生が、もう少しは、変わったかも
知れない。
わたしが、彼の人生の何十分の一かを体験する
ようなことがあったとして、生きていることが
できたか、まったく自信はないが、それでも、
何かしら、触発されるものがあったのではなか
ろうか。
この本を読んで、ふと思うことがあった。
それは、宮本武蔵のことである。
宮本武蔵に関する本を読んでいるうちに、気づいた
ことがあった。
それは、才能と時代とのミスマッチである。
ウィキペディアによると、以下のようになっている。
宮本 武蔵(みやもと むさし、天正12年(1584年)? -
正保2年5月19日(1645年6月13日))は、新免武蔵
藤原玄信のことであり、江戸時代初期の剣豪。
兵法者であり、また書画でも優れた作品を残している。
以上。
彼に関する本を読んで、何を思ったかということで
あるが。
上記の資料の通り、「江戸時代初期の剣豪」となって
いるが、彼の野心を知る限り、彼のような兵法者は
江戸時代初期にあっては、時代とのミスマッチ
であったということである。
生まれてくるのが、遅すぎたということである。
何かの本に書いてあったことだが、もう時代は
変わりつつあり、武術をたしなむ者でも、柳生
宗矩のように官僚の務まる者の時代に変わり
つつあったと記されていた。
宮本武蔵は時代の波に乗ることができなかった。と
いうことであり、彼の出自、野心からすれば、彼の
生まれてくるタイミングが遅すぎたということかと
思ったのである。
もしかして、豊臣秀吉と行動を共にするような
ことがあったれば、武蔵の違う人生になったかも
知れぬ。
というようなことを、この本を読んだ後、近藤藤太
の人生についても感じたのである。
それはさておき、この本の中で、気にかかったことが
あったので、抜粋してみた。
以下、抜粋。
トウタの人生はあきれるほど、金ですべてが解決
できる人生だった。
離婚という重大事件も、トウタにとってはヤブ蚊に
刺されたようなものであった。
二歳の息子も母親が面倒をみてくれるので、何も
問題がない。
会社も、事務所を日本郵船ビルの中に構えることが
決まって、本格的に稼動しなければならない。
これから忙しくなるから、かえって面倒なヤツは
いないほうが都合よかった、とさえ思った。
トウタは、のちにリトル・ヒトラーと呼ばれるよう
になる。
独裁者のようだったから、そうあだ名がついたのだが、
その独裁者の芽はこのときから出始めていた。
いったい、何かトウタの中で起きているのだろうか。
なぜ、朴さんをはじめとした朝鮮義勇兵を可愛がる
ような優しさを持っているトウタが、独裁者になっ
てしまうのか。
なぜ、愛していた妻を水の中に突き落とすような卑
劣な男になってしまうのか。
人は、変わる。とくに成功し始めると、変わってしま
うことが多い。
しかも恐ろしいのは、本人が変わってしまったことに
気づかないことだ。
大成功をなした経営者が、晩年、犯罪者となることが
あるように、成功者と犯罪者の差は、統一重なのだ。
このように成功に向かって突き進む過程で、不幸に
なってしまうことが起こる。
そこで転ばぬ先の杖として、トウタの心の中で何が
起きているのか、そのメカニズムを説明しておこう。
すると、あなたも人間関係で不可解な出来事が起こ
ったときに、その背景にある意味、そこから得ら
れる学びを受け取りやすくなるはずだ。
人間はひとつではなく、多数の人格でできている。
ボクらは、一生を通じて、自分の人格は基本的に
はあまり変わらないと思っている。
自分は「こういう人である」と思い込んでいるの
だが、それは幻想でしかない。
あなたの中には、何人もの別人格が棲んでいるのだ。
たとえば、あなたの中には優しい「世話役」がいた
り、闘争好きな「戦士」がいたり、理性的な「賢人」
がいたり、自由奔放の「愚者」がいたりする。
この基本的な核になる人格を、心理学者のユングは
アーキタイプ(元型)と呼んでいる。
人生の流れの中で、ある時期にはあるアーキタイプ
が強くなり、別の時期には、また別のアーキタイプ
が強くなる。
たとえば「戦士」というアーキタイプが強くなった
ときには、ふだんどんなに優しい人であったとしても、
その優しさが抑圧され、横暴になりがちになる。
言いかえれば、優しい資質は持っているのだが、
それが押さえつけられ、闘争的な資質が前面に
出てきてしまうのである。
トウタが、奥さんをお堀の中にぶち込んでしまうと
いう馬鹿なことをしてしまったのは、自分の中で
強くなる「戦士」をコントロールできなかったか
らとも解釈できるのだ。
なにも「戦士」の資質自体が悪いわけではない。
「戦士」が特つ闘争心-言いかえれば、「やって
やるぞ」と障害を打ち砕いて突き進もうとする強引
さ―は、独立して会社をゼロからスタートする場合
には、とても大切なエネルギーなのである。
しかし、事業の成長にとって有効な闘争心も、その
まま家庭に持ち込んでしまうと厄介なものとなる。
とても有能な経営者の中に、トウタのように何回も
結婚と離婚を繰り返す人がいるのは、ビジネスを
成長させるために活性化された「戦士」のエネルギ
ーをコントロールできず、家庭でも突き進もうと
した結果であるという見方もできよう。
さてトウタは、妻のヒロミをお堀に放り込んで、
目の前から消し去った。
すると、その後、どうなるだろうか?
「目障りなものがいなくなって、ああ、よかった」
とトウタは思ったかもしれないが、そうは問屋が
卸さない。
臆病の社員のクビを切って追い出すと、同じ部署で、
別の社員が臆病になることが多いように、目障りな
人物を消し去ったら、また別の目障りな人物が、
突如としてトウタの目の前に現れる。
あたかも偶然かのように思えるが、けっして偶然で
はない。
それは、なぜかといえば、内面で抑え込まれた人格
は、外面で実在の人物ー嫌いであったり、目障り
であったりする人物ーとなって現れるからだ。
「あんな人と一緒にしないで」と互いに毛嫌いする
二人が、まわりから見れば、ほとんど同じ性格をし
ていることがあるだろう。
嫌いな人は、自分の内面を映す鏡。
だから、もっとも嫌いな人から、もっとも貴重な学び
ー次の段階へ行くための突破口-が得られるのであ
る。
トウタの場合、「強く」「自立」した男性を演じる
ために、自分の「優しさ」という女性的な資質を内面
で抑え込んでいた。
「優しさ」を「女々しい」と考え、否定してしまった
のだ。
こうして心の内面で、自分のイヤな面を否定すれば
するほど、それは消えるどころか、逆に、そちらに
意識がいってしまう。
内面では見えないようにするので、外面で、つまり、
まわりにいる同僚や家族に、自分が抑え込んだイヤな
面を見出してしまうのである。
目障りな人物が登場したときに、トウタが気づくべ
きだったのは、その人物のイヤな面を切って捨てる
ことではなく、逆に解放して活用することだった。
「優しさ」を「女々しさ」「弱々しさ」と否定する
のではなく、認めることで、歯止めがかからなくな
っている「戦士」をコントロールする。
すると、あるときには思い切って「戦士」となって
突撃し、あるときには「優しさ」で周囲をねぎらう
という柔軟な行動ができるようになるのである。
このように両者をぶつけ合うのではなく統合する
ことができれば、経営者として器が大きくなる。
多くの人は、イヤな人の出現を、心理的メカニズム
による現象ではなく、たんなる偶然と切り捨ててし
まう。
そのため、貴重な学びを受け取ることができない。
そして学びを得ることができるまで、呪わしい現象が
目の前で起こりつづけるようになるのである。
そうした不愉快な出来事は、いつも予期していない
ときに起こる。
以上。
近藤藤太についての話であるが、仕事人間であった
わたしたちの世代にも、思い当たる人がいるのでは
なかろうか。
わたし自身も、結局この体質だったと思っている。
ただ、結婚しなかったので、このような不幸が
実現することはなかったのだが。
何かの本にあったが、公の時間とプライペートな
時間は、厳密に分けるべきで、公の時間は、効率的・
効果的を最優先する時間であり、プライペートな
時間はそれと相反する概念で対応すべき時間だと、
提言している本があったが、わたしは、プライペ
ートな時間より、公な時間を最優先すべきなんて、
思い込んで生きてきたので、どこかで、この報い
を受けるかも知れない。
いやもう、受けているのだろう。
これだけの人生でありながら、歴史の表舞台にその
人となりが、残らないのは、不思議であるが、それ
にしても、このような人生もあり得るということで、
多いに学べるものがあるような気がする。
ところで、この本の中で、思いがけないことが分
かった。
セレンディピティーである。
以下、抜粋である。
1987年、トウタの人生の師であった岸信介は、
90年の人生の幕を閉じた。
岸は以前よりも格段に日本に有利な新日米安保条約
の締結に成功したが、左翼マスコミに歪んだ報道
され、批判の矢面に立たされた。
そのため「昭和の妖怪」とのイメージが定着し、
その悔しさを亡くなるまでトウタに嘆いて
いた。
ここである。
わたしは、若い頃は、左に多いにかぶれたので、
「昭和の妖怪」の話が、記憶に残っている。
だから、彼が亡くなった時に、これで、右傾化
は無くなるなんて、ほっとしたことがあったが、
「『昭和の妖怪』とのイメージが定着し、
その悔しさを亡くなるまでトウタに嘆いて
いた。」ということの中に、本当は、真実
があったかも知れないなんて、思って
しまった。
今になってみれば、岸の選択は、当時の置かれた
状況にあって、可能な限りの現実的な処理であっ
たのだろう。
彼としては、国民への最大の善意だったかも
知れない。
今、メア発言でゆれている。
「沖縄の人は怠惰でゴーヤーも栽培できない」
これを言われた沖縄県民、どんなにか悔しかろう。
沖縄県民が、日常的に食する野菜であり、沖縄の
特産物である。
生産高ももちろん日本一である。
ゴーヤーなんて、家庭菜園でも作るし、夏場は、
日除けがわりにも植えるし、子どもの教材にも
なりうる。
2006年~09年まで駐沖縄米総領事だった
彼は、沖縄の何を見たのだろう。
等々の騒ぎの原因となる沖縄の基地を残すという
不条理も生み出しはしたが。
「『昭和の妖怪』とのイメージが定着し、
その悔しさを亡くなるまでトウタに嘆いて
いた。」ということを、あれほどまでに
歴史に残った人物が語っていたとは、何
かしら、思われてならない。
「もちろん、歴史が単純であったためしは
ない。」と誰かが言ったが、なんとも神妙
な気分になった。