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リタイアーのよもやま話

死ぬときに人はどうなる10の質問

2011-01-29 22:57:36 | 若い時に読みたかった本

あなたは考えたことがありますか?

死ぬときに人はどうなる10の質問

緩和医療医 大津秀一著

致知出版

 

この人の著書に、「死ぬときに後悔すること25」
というのがあって、いい本だな。と印象を受けた。

それで、今回彼の著書ということで、読んだ。


その中で、引用された部分があったが、それが、大変
印象深く思われならない部分があった。

以下、その本に紹介された部分である。

 

―病気が重くなると日本人の中には、「こういうとき
家族がいないと困るでしょう」という人が多い。

だが私は、こういうときこそ、「家族がいなくてよかった」
という思いを強める。

私のこれまでの人生を振り返って「成功だった」といえる
ことは、そんなに多くないけれど、家庭を築かなかったのは、
そのうちの重要なひとつだ。(略)

友人であれば、それぞれの得手な分野で、それぞれの時間の
つごうがいいときに助けてもらえる。

もし、私に同居している家族がいたなら、こうした支援にも
限度があるだろう。

困ったときに助けを求めるのは、恥ずかしいことでも何でもない。

私も随分人助けをしてきたから、病気のときにはありがたく
支援を受けることにしている。

私が助けてきた人と、いま助けてもらっている人とは大方一致
しない。

つまり世話になる人には、なりっぱなしになることもあるのだが、
これは巡り合わせがそうなっているのだと考える。

たまたま人生の巡り合わせで私が世話をすることになる人もいれば、
私が世話を受けることになる人もいるのだ。

トータルで帳尻が合っていれば、それでいいのだと思い、世話を
受ける人には深く感謝をするけれど罪悪感はない。

千葉敦子 『よく死ぬことは、よく生きることだ』


以上。


千葉氏は、「成功だった」といえることは、そんなに多くない
けれど、家庭を築かなかったのは、そのうちの重要なひとつだ。」

死に至って、このようなことを語っている。

わたしには、このようなことを自分の死を前にして、言える
ことが信じられない。

と同時に、本気にそう思えることが羨ましくてしようがない。                 

わたしは、父親と反りが合わなかったから、20代の後半
には、結婚することを諦めていた。

結局、老いて、いつの日か、孤独死するものだとずーっと
覚悟してきた。

しかし、実際に老いてみると、そのような死について、いさ
さか自信がなくなってきた。

今頃になって、そのような孤独死を残念ながら、素直に受け
入れがたくなったのは、なんとも情けない話である。

わたしは、自分の弟に、父親の遺産を引き渡して、気ままに
生きていくのだと、静かに意気込んでいた。

しかし、想定外のことに、弟は、30代にはいってすぐ、
自殺をしてしまった。

結局、この問題をあいまいにしたまま、年月を重ねてしまった。

それが、大きな失敗であったかも知れない。

今頃になって、父親の財産をもてあましている。

どんなに、一生懸命管理しても、その仕事を引きついで
もらう子孫を絶ってしまったのだから。

だから、時折、でかけるスーパーなどで、子連れを見ると
居たたまれなくなってしまう。

もっもと、自分が家庭を持ち、子どもをちゃんと育てる
ことができたろうか。なんて、考えると、これまた、
見事に自信がないものだから、やっかいなのである。

どのように、自分の人生を振り返ってみても、わたしが
ちゃんとした父親になれたかについては、全く自信が
ないのである。

わたしと結婚した女性にも、生まれた子どもたちにも
大きな不幸を招いたかも知れないと思っているので
ある。

結局は、いつもの通り、考えることは、堂々巡りの繰り返し
であり、そのようにしながら、また、日々が過ぎていく
のだからやっかいである。


「困ったときに助けを求めるのは、恥ずかしいことでも何で
もない。
私も随分人助けをしてきたから、病気のときにはありがたく
支援を受けることにしている。」

ということがあるが、家族を持たなかったことが、人生での
成功の一つであると、死ぬ前に言い切ることができる人は、
それ相応のポリシーを持っている人なのだと、ただただ羨望の
念がわき出るばかりである。

このような本を、30代の半ばで、読む機会があったら、
今のような見苦しいうろたえ方は、しなかったかも。

なんて思えてならない。




青春の影


※いろいろな「青春の影」があったが、このモノッぽいサウンドの
方が、わたしの心情に迫るものがある。不思議である。

 

ところで、「青春の影」は、1974年の曲である。

そして、作曲した財津 和夫、1948年生まれとなって
いる。

わたしの一つ上である。今になって不思議だが、同じ
団塊の世代でこのような曲を作っていたのだとびっくり
している。

もっとも、オフコースの小田 和正が1947年生だから、
不思議がるのは、当たらないことなのだが。


この曲が発表された時、わたしは25歳である。遠回り
して、大学に入学したので、大学の4年には、街に流れ
ていたはずだが。

この曲を聴いたのは、大分後になってからのことである。
ただ、いつ頃聴いたのかは定かでない。

この曲を最近、You Tubeで見つけ、MDにコピーして時折
聴いている。

そして、聴きながら、思うのだ。

かつて、時代は、このような心情に充分に同感できる余裕
があったはずだが、いつのまにか、仕事に埋没する日々に
あって大事なものを振りほどくようにして、今日に至った
ようだと、驚愕しているのである。

「自分の大きな夢を追うことが、今までの僕の仕事
だったけど、君を幸せにすることが」と歌い。

そして、「今日から僕はただの男」と、自分のキャリア
を二の次にした歌詞で終わるが。

今や、これらの心情は、この日本のどこを探しても、
見当たりそうにない。

そう、わたしの心の中にも、充分にこのような心情が
潜んでいたはずだが、人生を振り返る段になって、
このような心情を圧殺してきたかのように、思われて
ならないのは、なんとも、痛恨のかぎりだ。

いずれにせよ、独りで死にゆくのは、そうだれしも
できることではない。

残念ながら。

 


ブルーゾーン(世界の100歳人に学ぶ健康と長寿のルール)

2011-01-25 07:21:01 | 若い時に読みたかった本

ブルーゾーン

世界の100歳人に学ぶ健康と長寿のルール


ダン・ビュイトナー=著
仙名 紀=訳


を読み終えた。

帯びには、このようなことが書かれている。

 


ルール1 適度な運動を続ける

ルール2 腹八分で摂取カロリーを抑える

ルール3 植物性食品を食べる

ルール4 適度に赤ワインを飲む

ルール5 はっきりした目的意識を持つ

ルール6 人生をスローダウンする

ルール7 信仰心を持つ

ルール8 家族を最優先にする

ルール9 人つながる

 

毎日の生活習慣を変えれば、健康と長寿、最良の人生が
手に入る!


坪田一男氏絶賛!
「この本はまさにわれわれが今必要としているアンチ
エイジングと健康の知恵を教えてくれる」


以上。


この本では、世界の4カ所の地域を取り上げている。

イタリア・サルデーニヤ島

日本・沖縄

アメリカ・ロマリンダ

中米コスタリカ・ニコジャ半島

大方は、田舎である。

おそらく沖縄を除いて、他の地域は都市社会と
隔離された地域である。

極端なことを言えば、現代社会から遠くと離れた
場所である。

だから、長生きが羨ましいからと言って、彼らと
同じ生活をすることは、現代文明にどっぷり浸った
わたしたちが真似することは、厳しいところがある。

ただ、この事例から、伺えることは、わたしたちの
進歩したと思われる社会を反省することにはなると
思う。


わたしたちは、進歩・発展を合い言葉に、都市化した
生活を希求してきた。

その結果が、就職難、ホームレス、孤独死、自殺、
幼児虐待、高齢者の寝たきり等の想定外の事態に
遭遇し、戸惑っている。

(動物でも、狭い空間で数が多くなると、衰弱して
いくというが、どうだろう?

もしかして、これって、昔あった現代版間引きか?)

これらの長寿の地域とわたしたちの住んでいる社会
とを比較した場合に、わたしたちの住んでいる社会
がいったいなんであろうかと考えることにもなると
思っている。

わたしたちの是とする社会は、ヨーロッパの近代
国家の理念を前提としていたのではなかろうか。

わたしは、歴史の専門ではないし、文化人類学等の
専門でもない。

しかし、素人の浅はかな推察でしかないが、どうも
わたしたちの社会は、資本主義と侵略主義等を前提
とした個人の欲望の自由・平等を民族国家を通して
の飽くなき追求あったのかも知れない。

つまり頂点捕食者のいない世界の被捕食者の暴走
した自然と同じ状況である。

自由・平等等の美しき装いをした資本主義のシステム
を伴ったヨーロッパ民族国家の理念が、他の理念を食い
つぶして、行き着いた末が、われわれの世紀末
的な社会だというように考えられてやまない。

わたしたちは、地球のほとんどの地域を「ソドムと
ゴモラ」の街に変えてしまったのだろう。

そして、地球上で、現代の「バベルの塔」を建てて
競い合っている。


聖書では、わたしが確かめたのではないが、
「神はこの塔を見て、言葉が同じことが原因であると考え、
人々に違う言葉を話させるようにした。
このため、彼らは混乱し、世界各地へ散っていった。」
のようである。

現実のわたしたちは、自分の欲望の追求のあまりに
自らの親しい者も省みないようになり、自分の子ども
は殺す、老いた親の年金さへも掠めるようになった。

無縁社会化はますます進行し、国家さへも限界集落化し
ていこうとしている。

自由・平等を追求する「手づる」としての繁茂しすぎた
近代国家は通貨戦争という名の共食いを始めている。

ということを考えてしまったのだが。

それはそうとして、アンチエイジングについては、
50代にはいった頃から、関心があったので、
10年近くは、本等をけっこう読みあさって
きたが、今回の「9つのルール」多いに、健康な
高齢者になるに、まとまった研究成果だと思えて
ならない。

この手の本は、成人の教養書として、大学生くらい
からは、読んでみても、なんて思えてならない。

 

 


仕事のアマ 仕事のプロ

2011-01-19 23:31:01 | 若い時に読みたかった本

仕事のアマ 仕事のプロ

長谷川和廣著

頭ひとつ抜け出す人の思考法

祥伝社


を読み終えた。

退職している人間が、このような本を読むのは奇異に
感じられる方が、多いかと思うのだが、どうしてか、
いまだに、これらの本には、興味がわいてやまない。


中に、こういうのがある。

会社を背負う「5パーセント社員」の法則

5パーセント社員:会社を背負っている社員。できる社員。
        「仕事のプロ」。
         他の組織に出ていっても、「仕事のプロ」
         として通用する人材です。

 

40パーセントの社員:あと一歩の社員。「5パーセント社員」の
           予備軍。「仕事のアマ」。
           

55パーセントの社員:その他の社員。ぶら下がり社員。


「40パーセント社員」をいかにして「5パーセント社員」に
引き上げるかが、「人の再建」の肝要だ。


以上。

わたしは、自分の商品としての労働力の生産性を、あがって
いく給料に見合うように、高めなければという考えをずっと
もってきた。

そのために、ハウツウものながら、サラリーマンの啓発系の
本をよく読んできたである。

そういうこともあって、この手の本には、興味がわくので
ある。

たとえば、

仕事のアマ  イベントが盛り上がってよかった。
仕事のプロ  イベントが顧客獲得に結びついてよかった。


仕事のアマ  給料や役職に見合う仕事をする
仕事のプロ  感謝される仕事をする

等の要領で、本が書き進められている。

わたし自身の過去を振り返ってみたが、いろいろと
及ばないことが多くて、反省のしきりである。

今更でもあるが。

この手の本を若い時に、読む機会があれば、良かった
のにと思われてならない。

ただ、「5パーセント社員」の法則については、
ショックな法則でもある。

この法則に、どれだけ耐えられる人がいる
のか、気になるところである。

この手の法則に、パレートの法則があった。
(他にもいろいろとあったが)

このパレートの法則で考えると、
職場の80%近くの仕事は、20%の職員で行われて
おり、残りの80%の職員は、職場の20%の仕事を
行っているという解釈もできるのではと、
思ったりしたものだ。

結局、一部の必死になって働く人の働きに、
一部の人間がおんぶされて生きている。と
いう解釈が成り立ったりしたものだ。

だから、なんで、自分が必死になって、働いて
人の給料を稼がなければならないのだろう。

なんて、いう考えがよぎったりして、不条理
な気分になったものだ。

久しぶりに、思い出した。

しかし、思い出したついでに、今回は、いろいろ
と考えがわきだしてきて、この不条理が論理的に
整理ができそうな気がしてきたのは、なんとなく
救われる気分がしてきている。

不条理性の止揚ができそうな気分である。

閑話休題

就活という言葉も流行るところだが、大学生に
ぜひこのような本も読んでもらいたいものだと
思った。

 


自由、幸せ

2011-01-11 20:18:45 | 若い時に読みたかった本

お金と人生の真実

幸せと豊かさを手に入れるために

本田健

サンマーク出版

定年にもなって、どういうわけか「金」についての
本を読んでいる。

この手の本は、わたしが若い頃に比べれば、多くなった
ように思う。

最近、子どもの頃から株を教えようという話があったり、
また、金銭教育をうたったりする本もでるようになった。

なんとなく、いい歳をして、ハウツウものに、うつつを
ぬかしているようで、気恥ずかしいが、子どもの頃、
金について、忌まわしくおもようなきっかけがあって、
金については、疎ましく思うようになった。

が、どういうわけか、歳をとると共に、金儲けのできる
人に畏敬の念がわくようになり、金の話には、興味が
でてきた。

この本は、金についての概論的なものとして、わたしは、
気に入っている。

ちょっと、恥ずかしいので、あからさまに言うのは、気が
ひける。

しかし、わたしたちは、金とは、ということでは、ちゃんと
した躾けもされなかったし、教育もされた覚えはない。

そのようなことで、大事な素養を欠いていると思っている。

ということで、わたしは、この本を中学3年くらいに、
是非、読んで貰えたらと思っている。

そうすれば、高校生活がしっかりとしたものとなり、
将来につながるものを身につけることができるのでは
なんて、思ったりしている。

もちろん、わたしに、子どもがいれば、中学の3年に
もなれば、ぜひ読ませたい本である。

 

ところで、本の中にこういう箇所があった。


以下、抜粋。


私自身、お金を稼いできましたし、自分の父親からお金を
相続したり、妻が父親からお金や不動産を相続したことも
ありました。

そのために、相続財産が夫婦に与える感情的影響や自分の
労働観に与えるインパクトの大きさについても、実体験で
よくわかっているつもりです。

たとえば、私の場合ですが、自力で経済自由を果たしたかった
のに、道の途中で遺産相続を受けたため、なんだかインチキを
したような気分になりました。

マラソンで、順調にトップ集団の中にうまく溶け込んで走って
いたのに、途中で4人ぐらいの肋っ人に運ばれて、無理やり
ゴールさせられたようなものです。

いち早くゴールしたものの、自分の足で走りたかった、これだ
とマラソンでは、ルール違反になり、ゴールしたことにならない
じゃないか! 

というような苛立ちを感じました。

人生の目的を奪われて、しばらく鬱っぽくなったのを覚えて
います。

お金をもらうということは、たとえそれが家族からでも、独特な
遠慮を感じるものです。

特に相続の場合は、身内の死の結果やってくるお金なので、気持ち
よく受け取るのが難しいと思います。

以上。


この箇所を読んで、肯いてしまった。

というのは、この著者の感情、私自身の思いでも
あったからだ。

父親が寝たきりになったために、ささやかな資産であるが、
わたしが管理することになった。

突然、確定申告をすることになって、大いに慌てたり、
リフォームで気苦労したりしてきたが、どうしても、
自分の気持ちの中に、言いようのない、不快感がわいて
しようがないのである。

その正体が、実は、この本で書かれていることでもある
ということがわかり、「そういうもんなんだ」とひとり、
肯いているのである。

普通に考えて、わたしが相続することになるが、気が
晴れないのである。

気持ちの中に、「預かっていることにしよう」なんて
いう言葉を選んでしまう。

たいした資産ではない。厚生年金が余分に入ってくる
と考えた方が無難だろう。

しかし、それでも、国民年金や一人分の厚生年金と
比較すれば、独身の退職生活の精神的ゆとりという
のは相当なもののはずだと、棚ぼた式の運命に、気
が引けるのである。

とにかく、この財産を作るのに、わたしは何一つ
協力したわけではないからだ。

いくら親子でも、虫が良すぎるような気がしてなら
ない。


よくある話だが、大企業の2代目とか、地方の名家の
何十代目とかという人たちの話がでるが、そのプレッ
シャーたるもの、大変だろう。

それとも、道楽息子になって、その手のことなんて
考えないのだろうか?

いずれにせよ。面白い本に出会ったと思っている。

 

ところで、もう一カ所、子どもたちに読ませたい文章
があった。


以下、抜粋。


ここまで読んできて、「ああ、ウチはお金持ちじゃなくて
よかった!」と安心している人もいるかもしれません。

お金持ちになったものの、お金がもたらすマイナスのエネルギ
ーに負けて不幸になっている人はたくさんいます。

お金持ちになっても、マイナスに影響されないためには、それ
に負けないお金の器をつくっておくことです。

富豪の遺産を相続した子供たちの人生がめちゃくちゃになる
ことが多いのは、お金を扱う知識や知恵、そして人間的な器が、
子供たちになかったからです。

莫大な資産を相続しても大丈夫なのは、自分でお金持ちになる
才覚があったり、お金のパワーに動じない子供だけなのです。

これは、宝くじに当たって、不幸になる人とならない人にも
当ては圭ります。

ある統計によると、宝くじに当たった人の95%が友人、家族関係、
仕事が変わったと答えているそうです。

残りの5%は、変わらなかったと答えているのですが、どんな
人たちなのでしょう? 

彼らはもともとお金持ちだったので、1億円ぐらい当たっても、
あまり影響がなかったのです。

人間には、お金の器というものがあります。

それを大きく超えると、どうもその器が壊れてしまって、都合の
悪いことがいっぱい起きるようなのです。

お金を扱えるキャパシティーといってもいいかもしれません。

自分の器より大きなお金が入ってくると、お金のもっている
エネルギーをうまく使いこなせずに、その人が負けてしまう
のだと思います。

以上。


他の本で、書かれていたことであったが。


貧乏な人は、1億円もらっても、いくらもらっても、
5年以内に、また元の貧乏になってしまう。

金持ちは、何度貧乏になって、また金持ちになってしまう。

ということもあったが、「人間には、お金の器というもの
があります。」という話は、子どもたちに教えたい話である。


以下は、この本の著者が言っていたことである。

自由
好きなことを好きなときに、好きな人と一緒に、
好きな場所でできること。


あなたには、どれだけ自由があるでしょうか?

好きなときに、好きなことをやる、時間的自由はあります?

好きな場所にずっといるという場所的自由はありますか?

 

幸せとは、「自分の置かれている状況に感謝できる心理状態」
です。

この定義、けっこう気に入っている。

 

 

 

 


五分五分ではダメ、九割ではもう遅い

2011-01-10 11:08:20 | 若い時に読みたかった本

カンブリア宮殿(特別版)村上龍×孫正義

テレビ東京報道局編

日経プレミアシリーズ

の本の中の話である。


以下抜粋。


五分五分ではダメ、九割ではもう遅い


村上 新しい事業を始める時とか、おっしゃったような
  崖っぷちに追い込まれた時というのは、どのくらい
  の勝算があるものですか。

孫  僕が目安としているのは、七という数字です。

      新規事業に参入するという時には、七割以上勝つ
    確率がないと参入しません。

   五分五分だったら、僕は絶対にやらないです。

      七割以上勝つ確率が読めたな、自分の中できちっと
    計算できたな、ということで参入します。

   ではそれが九割ならいいのかというと、そうではない。

    七より九の方がいいとは思っていません。

   九割になるまで待つのは、手遅れになる場合が多い
    からです。

      勝つ確率が七割ぐらいまでの間にいろいろな準備が
   できて固まったら、もう参入しないと、世界中の戦う人
   たちがどんどん来てしまうわけです。

小池 遅いんですね、それでは。


新規事業は、七割以上勝つ確率がないと参入しない。

五分五分だったら、絶対にやらない。

九割になるまで待つと、手遅れになる。

 

孫  どちらかというと目本の大企業は九割まで待つ場合が多い
  んですよ。

   それでいつも後手、後手に回っている。

   ですから、九の方が七よりいいのではないということを
  理解すべきだと思います。

   また、僕の中では三ぐらいの失敗の確率だったら挽回できる
  というのがあります。

   残りのグループの全体によって、トカゲの尻尾が切れても、
  三割ぐらいならまた生えてくる。

   ただし五割ぐらいになると、はらわたまで壊してしまって、
  これはもう倒れるということですね。 

   確率論で、僕は七割を一つの目安にしています。

村上 以前、出ていただいたユニクロの柳井さんには、「一勝九敗」
  という有名な言葉があるのですが、その時に年表を見ながら
  「ここの時点と、ここの時点では絶対、負けられなかったで 
  しょう?」と聞いたら、「いや、それは、そうです」とおっしゃ
  っていました。

  孫さんの場合はほとんど負けられないものばかりですね。

孫  そうですね。


以上、抜粋。


こういう話は、けっこう聞く話である。

孫氏も、やはり、同様の考え方をもたれている。

わたしたちは、学校の授業では、常に、できる見込みの
あることを前提として、取りかかるようどこかで、教えら
れている。

高校入試でも、大学入試でも、合格する可能性の高いことが
前提で、不合格になる可能性のある進路選択は、通常しない。

そこで、わたしたちは、そこそこの目標で、日常折り合って
生きる癖を身につけてしまう。

ところで、学校の勉強なるもの、すべて、答えのある問題に
取り組んでいる。

わたしたちは、100%答えがあるものを学習してきている。

学習は学期単位で学習するし、長くても、1年単位のサイクルで
学習している。

中学も高校も3年で完結する。大学だって4年では完結する。

学校では、答えのない問題に寄り道する習慣はない。


ところが、現実の社会で、事をなし遂げることは、自ら
オリジナルの課題を発見し、答えのない課題に取り組み
解決するということである。

課題によっては、10年もかかるし、20年もかかる。
場合によっては、一生の仕事となる。

現状維持は、現実の社会では、後退であり、退歩であり、
そして、没落することであるとされる。

リスクを負わないことが、最大のリスクであるとされて
いる。

わたしたちが、学校教育で、善とされていたことが、
現実の社会生活では、リスクとなることであり、この
ことからの飛躍を人生のどこかで、行わなければ
ならないが、これが、実に容易でない。

一番体力のある時に、非常時の事態に備えて、準備
せよなんていう内容の諺があったが、大体全盛期の
時なんて、浮かれた生活にうつつを抜かし、余力
がなくなってから、あわてだす。

惜福の工夫をし、ビジネスモデルが激変する事態
に備えて、次ぎのビジネスモデルへのチャレンジ
の準備なんて、大概の人間にはおよびもつかない
状態だ。

現実の社会で、生き残るって、なんて厳しいことなん
だろう!