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リタイアーのよもやま話

三谷幸喜と小林聡美が離婚

2011-06-09 10:17:59 | 人生

アエラにあった記事である。

わたしとしては、かなり、ミーハーな話しであるが。

なんとも不思議な話しである。

 

記事の抜粋。


三谷幸喜と小林聡美が離婚


コミュ下手作家の距離感

夫婦のことは他人には分からない。が16年も続いたのに
なぜ?

女性問題も取り沙汰されたが、話しはそう単純でないら
しい。

 

 おりしも、今年は劇作家・脚本家の三谷幸喜(49)が
50歳になる節目。

生誕50周年企画「大感謝祭」の真っ最中だ。

舞台4本にドラマ、映画、そして20年ぶりの小説と、計7本
の新作を発表する。

舞台やドラマは脚本だけでなく演出も手掛け、映画では監督
も務める。

まさに三谷幸喜づくしの年なのだ。

 ある演劇ライターが言う。

「全部自分で手掛けるわけですから、さすがに最近はかなり、
疲れちゃっていますね」


人とかかわりたくない


 三谷は宣伝活動にも熱心で、2008年の映画「ザ・マジッ
クアワー」では、自らテレビや雑誌のインタビューなどに出ま
くっていた。

露出が多すぎて、週刊誌にたたかれたほど。

 「裏を返せば、人に任せられないんです」
 と先のライターは解説する。

 「大感謝祭」でも、脚本を書きおろすだけでなく、演出も人
任せにしていない。

 以前は気心の知れた演出家とコンビを組んでいたこともあっ
たのだが、ここ7、8年は「単独行動」が目立つ。

舞台関係者の間では、「三谷は人とかかわりたくない性格」と
いうのが定説のようだ。

 「作家として目指す完成形があるので、自分が全部やるべきだ
という責任感が強いのと、自分しかできないという自負がある
ようです。最近、特にそうですね」(ある舞台関係者)

三谷が女優の小林聡美(46)と結婚したのは1995年10月。
その会見でも三谷は、 「友達が決して寄りつかないような家庭
にしたい」

 との〝名言〟を残している。


共演者と食事することはほとんどなく、「小林の留守中に彼女
の父親が訪ねてきても家に入れなかった」という話は語り継が
れている。


 離婚の理由として、週刊誌や夕刊紙が「バツイチ美人舞台女
優」の存在を噂しているが、 

「こういう報道は、舞台人としての三谷を知らない人の発想。
ありえない」 と前出の舞台関係者。

「三谷は、役者を起用して大丈夫だと確証を得ないと安心でき
ない。

逆に戸田恵子のように信頼する女優はとことん起用する。
それはコミュニケーション下手のため。

気に入ったら何度も使うのは、無駄なコミュニケーションを取ら
なくて済むから」

 だとしたら、16年も続いた小林との離婚はなぜ?

「妻は留守」ばかりに三谷と小林が5月23目に連名でマスコミ
各社に送ったファクスには、こうあった。

 「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな
違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまったよう
です」

 三谷が長年連載している朝日新聞夕刊のエッセー「三谷幸喜の
ありふれた生活」(5月26日付)には、「生き方」の違いのわか
りやすい例として連載そのものを挙げた。

 「僕としては身辺雑記のつもりで始めたので、家庭生活を
題材にすることに抵抗はありませんでした。でも彼女はそれを
嫌がりました」

 「僕は、身の回りに起きた面白い話を書きたい。でもそれは、
彼女にしてみれば、プライベートを切り売りするような気がした
のでしょう」

 たしかに、以前はこのエッセー、「おのろけか」と思うほど、
「妻」の文字が躍っていたが、08年ごろから「妻」の描写は激
減した。

たまに出てくるのは「妻は長期出張中」「妻は留守」といった
不在の事実だ。

 人とかかわりたくない。でも、妻のことは書きたい。

それを嫌がられた……。コミュニケーション下手ゆえの悩まし
さが、この離婚劇からは見え隠れする。

以上。


非常に不思議な話しでした。


三谷が女優の小林聡美(46)と結婚したのは1995年10月。
その会見でも三谷は、 「友達が決して寄りつかないような家庭
にしたい」
 との〝名言〟を残している。


共演者と食事することはほとんどなく、「小林の留守中に彼女
の父親が訪ねてきても家に入れなかった」という話は語り継が
れている。

ようだが、そのような人間でも結婚できるのが不思議でならない。

このような性格の人間が、社会において、ちゃんと仕事をして、
評価される。

平凡な人間には理解できない世界。

非社交的な私自身、自分の性格で強いられる不条理なことの数々
に自分自身でうんざりしている。

いつも疑心暗鬼に生きているし、心の中のどこかで、戦闘体制の
ままでいる。なんかの拍子に想定外の判断や行動をしてしまう。

若干PTSDぎみであると思っている。

だから、今回の三谷氏のように、普通では考えられない思考の持ち
主が、社会的に通用していることが不思議でならない。

才能のある人は、ちゃんと仕事も得て、取り敢えず結婚もできる
んだ。

そして、それなりに社会的に成功することができる。

なんとも、羨ましい。


それにしても、

人とかかわりたくない。でも、妻のことは書きたい。

なんで、このような自分勝手な考えが、筋の通らない話しだと、
理解できないのか、わたしはまた全く理解できない。

このような身勝手な考え方の人間と、結婚してくれる女性がいる
だけでも有り難いことなのに、なぜ理解できないのだろう。


「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな
違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまったよう
です」と言っているが、それは、嘘だ。

考え方や価値観の大きな違いがあったのに、「小さな違い」
と思っていたことが、問題ではと思ったりするのである。

三谷氏が、自分自身の偏った性格に折り合ってもらえる女性
がいることに、感謝する気持ちがあれば、違うものになって
いたと思うのである。

人の事をとやかく言うのも、寂しくなるが、有名税だと
思ってもらうしかない。

しかし、今回の結末、そうだから、凡愚は救われるかもしれない。

100%も200%も自分の思うがままに生きられ、望むものが全て
手にいれて生きていけたら、平凡な人間は可哀相だ。

それにしても、不思議な話しである。

人と関わりたくない性格でも、人生をやっていけるということ
は、可能だということのようで、羨ましく感じられて止まない。

あやかれたら、あやかりたいものだ。

あとは、やっていけることに感謝する気持ちを持てれば、最強だ。


幼児虐待

2011-05-23 22:36:04 | 人生


新聞にあったコラムである。

大弦小弦

「親であるということは一つの重要な職業だ。しかし、
いまだかつて、子供のために、この職業の適性検査が
行われたことはない」

▼英国の劇作家が残した言葉である。

 なるほど、生まれてくる子は親を道べない。

ならば親になる人は「適性検査」をパスし、親らしい人で
あってほしい。

子どもの切実な訴えを聞くようでもある。

▼大阪府で生後3ヵ月の長男に暴力をふるい、大けがを
負わせたとして両親が傷害の容疑で逮捕されたニュースに、
先の言葉を浮かべた。

長男は今年1月、搬送先の両院で死亡している。

▼両親とも容疑を否認しているが、21歳の父親は「子どもが
こんなにうざいとは思わなかった」
 
「俺より子どもの方が大事なのか」とのメールを妻に送るなど、
わが子を疎ましく思っていたとも報じられている。

▼作家の芥川龍之介は「人生の悲劇の第一幕は親子となったこと
に始まっている」(『洗脳の言葉』)

と皮肉を込めた言葉を残したが、わずか3ヵ月で人生の幕を下ろ
された乳児のことを思うとあまりにも不憫でならない。

▼親として一番大切な適性とは何だろう。

一定の年齢や分別ある態度、それとも安定した経済力だろうか。

いや違う。

わが子を愛おしいと思える気持ちさえあればいいのだろう。

悲しい事件がそれを教えてくれる。(稲嶺幸弘)


以上。


かつて、幼児虐待がアメリカで、ニュースになった。

アメリカであったことは、日本でも起こるということでは
あったが、まさかと思ったことが、日常的になった。

ところで、わたしたちの時代からすれば、全ての子どもは、
王子様、お姫様になった。

いや、そのような育て方が当然のようになってしまった。

その上、平等という概念は、それを生み出したヨーロッパ
の文化では、理解しがたい歪なほどに、拡大解釈が進み、
まさに、子どもと大人が対等というまでに、病的なほど
エスカレートしてしまった。

昔、王権神授説というのを世界史で習ったが、日本におい
ては、国民主権神授説かのごとく、国民の義務はさておき、
信仰に近いものがあったのではなかろうか。

国民主権は、戦前の軍国主義への回帰という恐怖から
逃れんと、極端に肥大化した信仰になった。

暴走した国民主権は、対価を払うことなく、誰もが、心の
どこかで、王様になった。

また、需要に怯え、リストラに恐怖する労働者でありな
がら、消費者という権力者に、誰もがなっていった。

内需の時代が消え去った頃、モラトリアムという言葉が、
流行ったが、国民誰もが、ピーターパン症候群になって、
もはや、その言葉も死語となったきらいがある。

猛烈な時代の進歩は、誰もが、常にバージョンアップを
強いられてやまない時代になり、留まるところを知らず、
だれも、大人になりたがらない。

少子化と個性の尊重なる思想は、現実の社会においては、
根拠のない尊大なプライドを社会に充満させ、バカに
刃物をもたせてしまった

分をわきまえず、尊大になり、根拠のない自我は、簡単に
きれるようになった。

そして、誰しも自分自身を持て余すようになった。

ネオテニー(幼形成熟)になってしまった。

際限ない自分探しで、誰もが自縄自縛に陥っている。

誰もが自分自身のことで、精一杯で、そのことで、
気が狂いそうである。

「わが子を愛おしいと思える気持ち」より、自分自身
が愛おしくてたまらない。

どこで、間違ったのだろう。

どのような国家も、ある時期を超えると、このような傾向
になるようにも思われる。

いわゆる、少子化の時代である。


「親であるということは一つの重要な職業だ。しかし、
いまだかつて、子供のために、この職業の適性検査が
行われたことはない」

わたしも、何時の頃からか、このような思いをする
ようになった。

そのことを、ストレートに、かつて語った人がいた
とは、驚きである。

残念ながら、わたしは、親になる自信がなかったので、
結婚しなくて正解だったが、それでも、この歳になると、
どうして、子どもをもつという人生が選択できなかった
のだろうと、堂々巡りの答えの出ない問いに、際限なく
悩まされる。


ところで、「じぶん・この不思議な存在」
鷲田清一=著 講談社現代新書

このような部分があった。

 

自他関係の発生

 さてそこでつぎに、レインがあげているもう一つの挿話をみて
みたい。

 学校から駆け出してくる幼い男の子を、母親が腕を広げて待って
いるという場面である。

レインはこの出会いかたに四つのタイプがあるという。

1 彼は母親に駆け寄り、彼女にしっかり抱きつく。
  彼女は彼を抱き返していう。〈お前はお母ちやんがすき?〉。
  そして彼は彼女をもう1 度抱きしめる。

2 彼は学校を駆け出す。お母さんは彼を抱きしめようと腕を
  ひらくが、彼は少し離れて立っている。
  彼女はいうくお前はお母さんが好きでないの?〉。
  彼はいうくうん〉。
 〈そう、いいわ、おうちへ帰りましょう〉。

9 彼は学校を駆け出す。母親は彼を抱きしめようと腕をひらく。
   が、彼は近寄らない。
   彼女はいうくお前はお母さんが好きでないの?〉。
   彼はいう〈うん〉。 
   彼女は彼に平手打ちを一発くわせていう〈生意気いうんじゃ
 ないよ〉。

4 彼は学校を駆け出す。母親は彼を抱きしめようと腕をひらく。
 が、彼は少し離れて近寄らない。
 彼女はいうくお前はお母さんが好きでないの?〉。
 彼はいう〈うん〉。
 彼女はいう〈だけどお母さんはお前がお母さんを好きなんだって
 こと、わかっているわ〉。そして、彼をしっかり抱きしめる。

  男の子と母親との関係の四つのタイプ。
 以前に大学のゼミで学生だちといっしょに、これら四つの関係の
 なかでどれが一番いい関係か、どれが一番あぶない関係か、考え
 てみたことがある。 
  最初はたいていの学生がI、4はいい関係、2はすこしあぶない
 関係、3はひどい関係だといっていた。ところが議論している
 うちに、逆に4が一番あぶない関係、3はけっこういい関係だと
 いうふうにみんなの意見が変わってきた。
  それは、表面的な関係のプラス・マイナスから、二項間の関係の
 構造そのものに目を向け変えたからである。

 1においては、母と子のふたりがたがいに相手のうちに自己を
確認するという、過不足のない関係が、融合の関係がなりたって
いる。
そのあいだに曖昧なところはすこしもない。

これに対して2、3、4では、対立という否定的な関係が発生して
いる。

男の子が「〔母親から〕分離した存在」としてじぶんを主張しはじ
めるからである。

そしてその処理のしかたが、それぞれの母親によって異なっている。

 2では、今後この関係がどのように展開するかは別として、とも
かく男の子は母親によって、別の存在、分離した存在として承認さ
れている。

 3では、男の子の拒絶が母親をひどく苛立たせ、母親のさらなる
対抗行為を引きずりだす。
つまり、男の子と母親とは明確に分離した存在としてたがいにより
強い対立関係に入りこむ。

しかしこのとき男の子は、じぶんの存在がはっきりと母親という
他者に影響を及ぼしている事実を肌で確認できている。

 ところが4では、「母親は、彼が自分はこう感じているという
ことに対して開く耳を持たず、彼自身の証言を無効化する感情を
彼のものだとすることによって巻き返す。

このような型の属性付与は、当の〈犠牲者〉が現実だと経験する
感情を、非現実的だとするのである。

このような仕方では、真の背離が闇に葬られ、にせの結合がつくり
だされる」。

ここでは、男の子が母親とは別の存在としておそるおそる首を
もたげたとたん、「それはほんとうのおまえではない」というふう
に、母親のなかで彼が占めるべき位置へと没収され、そうして母親
に対する他者としての彼の位置が消去される。

彼の存在が母親の解釈体系に呑み込まれ、分離した存在としての
彼の位置が消去されるので、二人のあいだに自他とという関係が
発生しようがない。

以上。

このような文章に出くわすと、親になるということは、
やはり、容易ではないようだし、子どもが子どもらしく
育つことも容易でないようだ。

いずにせよ。

運転免許の更新で、適正チエックをして、車の運転への注意を
喚起するのだが、結婚に際して、親としての資質のチエックを
する機会があっても不思議ではない。

そして、自分の性格を見極め、それ相応の覚悟のできるよう
促し、親になるようにできたら、いいのかもしれない。

わたしたちは、「年貢の納め時」という言葉で、人生に節目を
設けることを忘れている。


困った世代? それともパワフル世代?

2011-05-15 00:37:01 | 人生

60歳からの暮らしの処方箋

西和彦著

幻冬舎ネルサンス新書


にあった話である。


以下、その内容である。

 

困った世代? それともパワフル世代?


 「団塊の世代はダメよ」とある財団で長年活動をしている
Tさんが言います。

「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが話して
いる途中で発言し、自分の考え方を先に言う」「彼らは自分の
やりたいことしかやらない。それも各人バラバラで」と手厳
しい評価です。

「女性も?」と聞くと、「男も女もそう」とにべもありません。

「彼らはずっと生存競争してきたので自分意識が強いのよ。

そのためにコミュニケーションする力が低いんじゃないかし
ら」というご託宣でした。

 ある新聞の特集で、シニアが地域活動に加わるためには
「紳士力」が必要だと書かれていました。

いわく「違う意見に耳を傾け、否定しない」「他人に指示し
たり、演説したりしない」「プロセスを大事にする」などなど。

特に「くだらないと思われる話もすべて聞く」「みんなで
やるスタイルに慣れる」「謙虚に、結論を急がずに」という
のが受け入れられるうえで大切なことと書かれていました。

Tさんの言う通りだと団塊の世代は全部ダメです。みんなが
みんなではないでしょうが、団塊の世代は地域ではまったく
「困った世代」になってしまいそうです。

 確かにそういう団塊の世代はこれまでの地域活動には向か
ないかもしれません。

しかし誤解を恐れずに言えば、これまでの「仲良しクラブ」
的な地域活動の裏面には、お互いを尊重するという中で、
それこそ困った人の意見を大事にし、話がなかなか進まず、
結局これまでと同じか似たような活動しかできないという
面があるのではないでしょうか。

団塊の世代が同じ価値観を待った仲間で集まり、お互いの
意見を率直に交わし、それを行動力に変えることができれば、
これまでとは違った地域での活動が生まれると考えられます。

 しかも、それは地域を越える力も持ちそうです。

もっとプロフェッショナルでもっと経済性を追求した、コミュ
ニティビジネスのような、ダイナミックな活動が生まれ育つの
ではないでしょうか。

大学紛争の「現状否定」から始まった力は、それまでの価値
観や仕組みやらを根本から変えるということにチャレンジし
たいのではないでしょうか。

会社ではどちらかというと妥協を余儀なくされたことが多かっ
たかもしれませんが、その枠から離れた世界ではさまざまな可
能性がありそうです。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

 

以上。


わたしたちの団塊の世代が、社会に出たあと、時に、何かと
期待する向きがあったが、実質的には、社会の期待にそえる
ような事態は、一度も起こったことがあったとは、思えない。

そして、いつしか、学生時代のあの大騒ぎが、過大評価され
すぎだという感じがした。

そして、何かと後輩たちからも叱責されるようになり、ただ
の老いぼれと揶揄されるようになった。


「団塊の世代はダメよ」とある財団で長年活動をしているT
さんが言います。

「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが話して
いる途中で発言し、自分の考え方を先に言う」「彼らは自分の
やりたいことしかやらない。それも各人バラバラで」と手厳
しい評価です。

とういうが、残念ながらこの叱責については、わたしは反論
できないでいる。

西和彦氏は、こう言っている。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

である。

彼は、わたしたち団塊の世代に期待している。有り難いことで
ある。そして、感謝したい。

しかし、残念ながら、彼の好意に対して、応えるだけの能力
が基本的にはあると思っていない。

ネットにある話である。ちょっと寄り道であるが。

こういうのがあった。

学生時代さんざん国に迷惑をかけておきながら、社会人になる
と今度は高度経済成長の恩恵を受け、今の就職氷河期やリス
トラなど とは全く無縁の苦労知らずのリーマン時代を謳歌する、
ただ相変わらず主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ
覚え。
そして定年に なる今は散々批判してきた日本国に年金で老後の
面倒はしっかり見て くれと平気でのたまう。

これである。

主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ覚え。

これを言われると辛い。


「学生時代さんざん国に迷惑をかけておきながら」
ただ、この点については、この発言者の無知である。

学生運動で何があったかというのをまったく調べていない。

浅間山の事件だけが、学生運動ではないのである。

逆にわたしたちの世代は、被害者である。これが、
何十年もあの時代を振り返っての結論である。

共産主義運動家に、残念ながら学生はのせられて
しまった。

 


「社会人になる と今度は高度経済成長の恩恵を受け、
今の就職氷河期やリストラなど とは全く無縁の苦労知
らずのリーマン時代を謳歌する」

と言っているが、これも無知である。

わたしたちの世代が社会人になった頃は、高度経済成長は、
終わった時期である。

「全く無縁の苦労知らずのサラリーマン時代を謳歌する」
これも無知である。

ちょうど、わたしたちの世代が社会に出た頃は、内需が行
き詰まり、輸出に経済の活路を見出さんとしていたはずで
ある。

働きバチという言葉が、わたしたちの世代で生まれたことを
分かっていない。
だから、われわれの世代から、熟年離婚というのが起こって
きた。

そして、最初にリストラされたのも、わたしたちの世代だ。
わたしの記憶では、パイオニアのわたしたちの世代がニュース
になってショックを覚えて記憶がある。


こういうのもある。


団塊が社会に入ってきて高度経済成長が終わった
団塊が社会で影響力を持ち始めて不景気が始まった
団塊が原因の氷河期のせいで団塊Jrは未だに無職
日本をめちゃくちゃに食い荒らして何ひとつ責任を
取らず逃げるつもりの団塊

以上。

はっきり言って、無知である。

わたしたちの世代を、こき下ろしているのであるが、
それでは何も問題は、解決しないのである。

この程度の頭脳で、わたしたちの世代をやり込めたと
思っているから、日本はおかしくなったのである。

大事なことは、自分たち自身で生き残る努力をする
のが喫緊の課題であって


「主義主張は、国が悪い政府が悪いの馬鹿の一つ覚え」
を彼ら自身も言っているようで、笑えてならない。

なんにも論理性がない。論争と喧嘩は、わたしたちの
世代の専売特許だ。

理論武装という言葉は、わたしたちの学生時代に、
日常的に使った言葉だ。

わたしたちの時代は、言葉尻で、自分の身に危険が
降りかかるという経験をしている。

残念ながら、あの70年代の大騒ぎ以降、若者は
論争という言葉を死語にしてきている。

ネットで、わたしたちの世代をやり込めたと自己満足
していては、わたしたちの世代をやり込めたことには
ならない。

ちょっと、話がまとまらなくなってきた。

ということで、わたしたちの世代の時代の刻印は、
そう簡単に抜けるとは思えない。

50歳まで、生きたら、人間なんて変わらないと
言われてる。

だから、


「どういうところがダメなの?」と聞くと、「こちらが
話している途中で発言し、自分の考え方を先に言う」
「彼らは自分のやりたいことしかやらない。それも各人
バラバラで」と手厳しい評価です。

という指摘は、本当にわたし自身も深酷に受けめている。

どうしたらいいんだろう。

西和彦氏は、こう言っている。

 私自身は団塊の少し前の世代ですが、気分的には彼らの大
きな波のさきがけを担ってきたという感覚を持っています。

「そういう感覚」からすると、早く彼らが会社から卒業して
地域などに入って活動してほしいと心待ちにしています。

である。

残念ながら、おそらくわたしたちは、世代として、彼の期待に
応えるのはできないだろう。

理由は、わたしたちが自身がよく分かる。

でも、個人的には寂しいね。なんとかならんだろうか?

どうしたらいいんだろうね?


中卒の組立工、NYの億万長者になる

2011-05-05 11:08:31 | 人生

中卒の組立工、NYの億万長者になる。

大根田勝美

角川書店

という本を読み終えた。

本の帯びに書かれた内容が、気にかかった。
若い頃は、金儲けなんてと、思ったが。
金儲けに縁のない年齢になって、儲け話が面白くてならない。

いつの頃からか、中国の范蠡の生き方に、何かしら、感ずる
ものがあったからでもある。

 

本の帯びに書かれた文章である。


夢を叶えた日本人の痛快大逆転人生!
「アメリカで彼ほどの成功を収めた日本人ビジネスマンを
私はほかに知らない」新谷引実

長野県の工場で汗まみれになって働いていた中卒入社の組立工が、
アメリカに渡り、誰もが羨む資産家に成り上がる。
噂では、資産総額は100億円に上るという。そんな「夢物語」
が本当にありうるのだろうか。

ありうるとするなら、一体どうすれば実現できるのか。これから
始まるのは、大根田勝美という人物の波瀾に満ちた人生ドラマだ。
それは、現代日本人が渇望してやまない「成功をつかむための法則」
であり、「誰でも億万長者になれる究極の教えに」他ならない。
ー「はじめに」より

 

本の著者紹介より、

大根田勝美(おおねだ かつみ)
1937年、東京生まれ。戦時中は長野県に疎開。中学卒業後、組立工
としてオリンパスに入社。独学で英語を猛勉強し、組立工出身とし
ては初の海外駐在員に抜擢される。ニューョークで内視鏡ビジネス
の基礎を作るも、学歴が低いため出世できないことに失望し、フリ
一の営業マンへの道を選択する。そして歩合給により億単位の収入
を得る。しかし成功への嫉妬から歩合を下げられるなどすると、
これに怒り、オリンパスのライバルとなる会社を設立。顧客の支持
を受け、成功を収める。同時に、ユダヤ人のビジネスパートナーと
組み、ベンチャービジネスに乗り出す。医療機器関連の最新技術を
製品化する会社の立ち上げをサポートし、事業が起動に乗ったとこ
ろで売却するという手法を繰り返し、巨額の資産を築いた。 2006年
に引退。


以上。


特別寄稿 新谷弘美 より

たしかオリンパスのセールスレップ時代には、最高で100万ドル
以上のコミッションを受け取っていたようです。
当時、オリンパスの社長が受け取っていた年俸が1万5000ドル
程度でしたから、いろいろと揉め事が起きて最後はオリンパスと
喧嘩わかれのような形になるわけですけど、

と、大根田氏について紹介している。

ところで、新谷氏本人も、「最初の5年間、ほとんど1日2時間以上
寝たことがなかった。」と語っている。世界を制覇できる人は、パワー
も情熱も尋常ではないようだ。

 


大根田氏は、あとがきにこう書いている。


自伝の出版を最終的に決断した理由は他にもある。こちらのほうが
動機としては大きいかもしれない。

たとえ一人でも二人でもいい、かつて私が置かれたいたのと同じ
ような恵まれない環境にある若い人が、私の本から何かを感じ、
将来に対して勇気や希望を抱き、人生を良い方向に変えていく
ための活力を得てくれればと考えたからである。

努力と挑戦というものは必ず報われる。若い人たちにそう思って
もらえることは、非常に大きな意義がある。

以上。

 

ということで、本の紹介をしたい。

とても、真似られるものではないが、多いに触発されて止まない。
この本を中学の2年生くらいに、読んでいたらと思われてなら
ない。

そしたら、わたしの人生も、全く違うものになっていたのかも
しれない。


未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ

2011-05-04 07:14:58 | 人生

知的幸福の技術
自由な人生のための40の物語

橘玲

幻冬舎文庫


にあった話である。

以下、抜粋。


誕生から死までがすべて予測可能なら、人生に何の不安も
生じない。

そればかりか、将来のことを考える必要もない。

かつての社会主義諸国が、その理想をある程度まで実現した。

「不安のない社会」とは、実は、グロテスクな世界なのだ。

21世紀を迎え、時代は大きく動き、将来はますます予測
不可能になっている。

私たちは破滅の予感に怯え、見知らぬ世界を恐れている。

だが未知の海への航海は、目の前に続く、安全だけれども
単調な一本の道を歩むよりも、ずっと魅力的ではないだろ
うか?

人生の設計とは、冒険のための海図とコンパスを準備する
ことだ。

核シェルターの中で恐怖の大王の到来を待つことではない。

未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。


以上。


未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。

かっこいい言葉である。

とある事で、人生の歯車が狂いだし、不当人事を食らい、
10年以上も不条理な思いで過ごし、くたびれた40代の
最後の頃。

明日も今日とは変わらない日になってくれ、明日と同じ
ような明後日がくるように、新しいことは、何一つ起こっ
てくれるな。と、心が悲鳴をあげた。

ところが、退職して5年目にはいり、今日と同じ日が、
いつの日か、迎えるであろう死の日まで、尻すぼみで続き、
朽ちていくのかと思うと、明日という日を待つ必要がある
のかと、不健康な思いが胸の内に、充満してくる。

我ながら、勝手なものだ。
これで、歳を重ねたら、どういうことになるのだろう。
情けない。

病院の行き帰り、わたしより高齢の男性や女性が道端や
コンビニのごみ箱から、空き缶を拾い集めて日がな歩き回る
姿を見たりすると、このような人生もあるのだと、複雑な
思いがしてならない。

朝、不承不承、ベッドから起きる自分に、情けない思いが
してならないが、この年代になって、地震、津波で家族を
失い、財産を失い、原発、風評被害で追い打ちをかけられ、
積み上げた人生が目茶苦茶になった人たちの胸の内を思うと、
言葉にならない。

「私たちは破滅の予感に怯え、見知らぬ世界を恐れている。」
時代にあって、未曾有の大災害に打ちのめされ、消費期限の
きれた人生に絶望している。

かといって、「核シェルターの中で恐怖の大王の到来を待つ」
ことを良しとするわけでもない。

未来への言いしれぬ不安。それを人は「希望」と呼ぶ。

このかっこいい言葉を、自分の言葉とする力が、わたしの
体のどこかに残っているのだろうか。