アエラにあった記事である。
わたしとしては、かなり、ミーハーな話しであるが。
なんとも不思議な話しである。
記事の抜粋。
三谷幸喜と小林聡美が離婚
コミュ下手作家の距離感
夫婦のことは他人には分からない。が16年も続いたのに
なぜ?
女性問題も取り沙汰されたが、話しはそう単純でないら
しい。
おりしも、今年は劇作家・脚本家の三谷幸喜(49)が
50歳になる節目。
生誕50周年企画「大感謝祭」の真っ最中だ。
舞台4本にドラマ、映画、そして20年ぶりの小説と、計7本
の新作を発表する。
舞台やドラマは脚本だけでなく演出も手掛け、映画では監督
も務める。
まさに三谷幸喜づくしの年なのだ。
ある演劇ライターが言う。
「全部自分で手掛けるわけですから、さすがに最近はかなり、
疲れちゃっていますね」
人とかかわりたくない
三谷は宣伝活動にも熱心で、2008年の映画「ザ・マジッ
クアワー」では、自らテレビや雑誌のインタビューなどに出ま
くっていた。
露出が多すぎて、週刊誌にたたかれたほど。
「裏を返せば、人に任せられないんです」
と先のライターは解説する。
「大感謝祭」でも、脚本を書きおろすだけでなく、演出も人
任せにしていない。
以前は気心の知れた演出家とコンビを組んでいたこともあっ
たのだが、ここ7、8年は「単独行動」が目立つ。
舞台関係者の間では、「三谷は人とかかわりたくない性格」と
いうのが定説のようだ。
「作家として目指す完成形があるので、自分が全部やるべきだ
という責任感が強いのと、自分しかできないという自負がある
ようです。最近、特にそうですね」(ある舞台関係者)
三谷が女優の小林聡美(46)と結婚したのは1995年10月。
その会見でも三谷は、 「友達が決して寄りつかないような家庭
にしたい」
との〝名言〟を残している。
共演者と食事することはほとんどなく、「小林の留守中に彼女
の父親が訪ねてきても家に入れなかった」という話は語り継が
れている。
離婚の理由として、週刊誌や夕刊紙が「バツイチ美人舞台女
優」の存在を噂しているが、
「こういう報道は、舞台人としての三谷を知らない人の発想。
ありえない」 と前出の舞台関係者。
「三谷は、役者を起用して大丈夫だと確証を得ないと安心でき
ない。
逆に戸田恵子のように信頼する女優はとことん起用する。
それはコミュニケーション下手のため。
気に入ったら何度も使うのは、無駄なコミュニケーションを取ら
なくて済むから」
だとしたら、16年も続いた小林との離婚はなぜ?
「妻は留守」ばかりに三谷と小林が5月23目に連名でマスコミ
各社に送ったファクスには、こうあった。
「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな
違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまったよう
です」
三谷が長年連載している朝日新聞夕刊のエッセー「三谷幸喜の
ありふれた生活」(5月26日付)には、「生き方」の違いのわか
りやすい例として連載そのものを挙げた。
「僕としては身辺雑記のつもりで始めたので、家庭生活を
題材にすることに抵抗はありませんでした。でも彼女はそれを
嫌がりました」
「僕は、身の回りに起きた面白い話を書きたい。でもそれは、
彼女にしてみれば、プライベートを切り売りするような気がした
のでしょう」
たしかに、以前はこのエッセー、「おのろけか」と思うほど、
「妻」の文字が躍っていたが、08年ごろから「妻」の描写は激
減した。
たまに出てくるのは「妻は長期出張中」「妻は留守」といった
不在の事実だ。
人とかかわりたくない。でも、妻のことは書きたい。
それを嫌がられた……。コミュニケーション下手ゆえの悩まし
さが、この離婚劇からは見え隠れする。
以上。
非常に不思議な話しでした。
三谷が女優の小林聡美(46)と結婚したのは1995年10月。
その会見でも三谷は、 「友達が決して寄りつかないような家庭
にしたい」
との〝名言〟を残している。
共演者と食事することはほとんどなく、「小林の留守中に彼女
の父親が訪ねてきても家に入れなかった」という話は語り継が
れている。
ようだが、そのような人間でも結婚できるのが不思議でならない。
このような性格の人間が、社会において、ちゃんと仕事をして、
評価される。
平凡な人間には理解できない世界。
非社交的な私自身、自分の性格で強いられる不条理なことの数々
に自分自身でうんざりしている。
いつも疑心暗鬼に生きているし、心の中のどこかで、戦闘体制の
ままでいる。なんかの拍子に想定外の判断や行動をしてしまう。
若干PTSDぎみであると思っている。
だから、今回の三谷氏のように、普通では考えられない思考の持ち
主が、社会的に通用していることが不思議でならない。
才能のある人は、ちゃんと仕事も得て、取り敢えず結婚もできる
んだ。
そして、それなりに社会的に成功することができる。
なんとも、羨ましい。
それにしても、
人とかかわりたくない。でも、妻のことは書きたい。
なんで、このような自分勝手な考えが、筋の通らない話しだと、
理解できないのか、わたしはまた全く理解できない。
このような身勝手な考え方の人間と、結婚してくれる女性がいる
だけでも有り難いことなのに、なぜ理解できないのだろう。
「長く生活をともにしている間に、考え方や価値観の小さな
違いが積み重なり、それがだんだん大きくなってしまったよう
です」と言っているが、それは、嘘だ。
考え方や価値観の大きな違いがあったのに、「小さな違い」
と思っていたことが、問題ではと思ったりするのである。
三谷氏が、自分自身の偏った性格に折り合ってもらえる女性
がいることに、感謝する気持ちがあれば、違うものになって
いたと思うのである。
人の事をとやかく言うのも、寂しくなるが、有名税だと
思ってもらうしかない。
しかし、今回の結末、そうだから、凡愚は救われるかもしれない。
100%も200%も自分の思うがままに生きられ、望むものが全て
手にいれて生きていけたら、平凡な人間は可哀相だ。
それにしても、不思議な話しである。
人と関わりたくない性格でも、人生をやっていけるということ
は、可能だということのようで、羨ましく感じられて止まない。
あやかれたら、あやかりたいものだ。
あとは、やっていけることに感謝する気持ちを持てれば、最強だ。