goo blog サービス終了のお知らせ 

消費期限終了

リタイアーのよもやま話

第二の人生は延長線ではない

2011-09-06 23:01:30 | 人生

川北義則氏の「みっともない老い方」にあった
話しである。


「第二の人生は延長線ではない」

の中から、抜粋してみた。

 

リタイアすれば「ただの人」。それがわかって
いない輩がけっこういる。

そのまま気づかなければ、こういう人の第二の人生は、
つらくなるだけだろう。

 お金持ちの有名人とレストランにまつわる実話を、一つ
紹介しよう。

ロックフェラー一世がいつものレストランヘ行くと、
「混んでいるから」と断られた。

ロックフェラーにすれば、「おれを誰だと思っているんだ」と
いう心境だったのだろう。激怒した彼は即座に会社に連絡し、
あっという間にその店を買い取ってしまい、悠然と食事をし
たという。

 「おれを誰だと……」という場面でいばりたい人は、この
くらいのことができなければいけない。

 第二の人生は、第一の人生の延長戦にはあらず。

まったく新しい人生なのだ、と肝に銘じよう。そうでないと
人格を疑われるか、大恥をかいてバカにされるのがオチだ。

第二の人生は、肩書も何もない、「素」のままの人間なので
ある。

会社勤めの現役時代は、①社会的地位、②肩書、③人間関係
-この三つがあった。

それがリタイアと同時にあっさりなくなってしまうのだから、
この格差は大きい。

現役のときに想像していたよりも、現実はよりショッキングな
出来事なのだ。この自覚がないと、第二の人生は生きていけ
ない。


以上。抜粋である。


文章の中に、次の文章がある。

会社勤めの現役時代は、①社会的地位、②肩書、③人間関係
-この三つがあった。

それがリタイアと同時にあっさりなくなってしまうのだから、
この格差は大きい。(大事なの抜けている。給料である。)


退職生活について、書かれた本が多くなった。その本の中では、
このような記述が何度も出てきた。

しかし、定年前に、このようなことを教示してくれる人は、いない。

何しろ、現役の生活に、かつての退職先輩の生活が交差することは
ない。

たとえ、偶然に出会うことがあっても、このような話しの内容
まで、深く話し込むことはない。

何しろ、そのようなことをあらためて意識する退職者は、そう
多くはないし、意識してもあえて語る人は、これまた稀で
あろう。

いろいろと退職生活の説明会があっても、当の説明者が現役バリ
バリであって、退職者でないのであるからして、退職後の心構え
なんて、指導できるわけがない。

ここんところは、皮肉だ。

 


もっとも、現役時代は、退職して無くなってしまう「①社会的
地位、②肩書、③人間関係」をいかに確保するかということが
日々の大きな課題である。

それが、就職するということであり、生活することであり、
家庭を営む根源でもある。

であるからして、そのよう日々にあって、退職したら無意味
になるなんて知識を得ても、現実の生活の足かせになるだけ
である。

結局、①社会的地位、②肩書、③人間関係に振り回される
生活になる。

そして、自ずと、アイデンティティーの確立もこれらの
ことが、前提となっている。

それだけに、

リタイアすれば「ただの人」。それがわかって
いない輩がけっこういる。

ということだが、別の言葉で言い換えれば、「何者でもない」
という現実を強いられるということであり、アイデンティテ
ィーの崩壊でもある。

ある意味で、人生前半、アイデンティティーの確立が、至上
命題であったはずだが、それとは、真逆の現実が到来すると
いうことでは、そんな馬鹿なであり、いわゆる想定外の現実に
直面することになる。


森村誠一氏は、語った。

定年後、第二の人生のスタートラインに立って、「これから
自由にしなさい」といわれたとき、そこには、「何をしても
いい自由」と、「何もしなくてもいい自由」がある。

「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現したり、新しい
ことに挑戦することである。

会社、組織での人生のしがらみを捨てて、未知の分野に進む
覚悟である。

以上。

「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現したり、新しい
ことに挑戦することである。

これが、容易ではない。


ところで、森村誠一氏

老後が存在し、余生を過ごすためには条件がある。

それは、社会構造の中に組み込まれて人生をおくって
きたか、そうでないかだろう。

自分からその日暮らしの職業を選んだ人や、あるいは
自分の意志で定職につかなかった人、自由と引き換えに
社会構造の中に組み込まれることを拒んだ人などの場合は、
余生はない。

こういう人たちは、年金を払わず、健康保険も未加入、
貯蓄もない人が多いので、病気になっても簡単に医者に
診てもらえない。

終の棲家もないわけである。住所不定の場合もる。

この人たちは、余生の心配をすりも 日々の糧を得る
ことを考えざるを得ない。

別の意昧での、覚悟ある生涯現役かもしれない。 
                  
大多数の人は学校を出て、就職をして、人生のスタート
ラインに立つ。

組織の中で仕事と責任を分担し、使命感を持って働いた人、
十代のうちから手に職をつけるために厳しい修行をして
きた人、親の家業を継いだ自営業の人、各方面のプロ
フェッショナル、スペシャリスト。


何十年も働き、その途上で結婚をしたり、赤ん坊が生まれ
たり、家を買ったり、子供が自立したり、そして再び夫婦
ふたりで暮らしていく頃には、多少の蓄えもできる。

そこで、やっと会社での現役の定年を迎える。

そんな人たちが、第二の人生を新たな覚悟を持って生きて
いく。

それを余生というのであろう。

と語ったが、

このことを踏まえると、

リタイアすれば「ただの人」。それは、大きな贅沢
でもあることに、気づかされる。

ある意味で、貴族的生活の到来なのも知れない。


「何をしてもいい自由」とは、自分の夢を実現したり、新しい
ことに挑戦することである。

会社、組織での人生のしがらみを捨てて、未知の分野に進む
覚悟である。

というが、いつも社会的評価を前提とした生活をしてきたので、
他者の評価を想定しない生き方なんて、意味があるかなんて
考えてしまうから、やっかいだ。

純粋に自分自身の評価だけで、行動する勇気も自信も培った
経験なんてないから、お先真っ暗の気分になってしまう。

それにしても、なんとかしなくては。

である。

浮浪雲のようになれたら、いいのだが、残念ながら、あそこ
まで、達観はできない。


徳永英明 -ハナミズキ-

2011-09-05 00:04:59 | 人生

徳永英明 -ハナミズキ-

 

今日は、朝からだるかった。

昨日は、更地の隣の境界の草刈りをやったせいかと
思ったがたいした量ではない。

となりとの東側の境界に二軒ほど家がたっている。
一軒分は先に済んでいるが、昨日はその残りを
片づけた。

ただ、一昨日は、就寝が遅れた。12時をすぎて
しまった。

だから、昨日は、あまりすっきりしない気分で
作業をした。

ちょっと無理したのは、曇り加減の日に、作業しない
と疲れが倍以上になるからだ。

もしかすると、一昨日は、夜の7時から、二輪の
教習で、シュミレーターで一対一の指導を受けた
ので、緊張して疲れたのもあったとおもうが。

昼食前、昼食後、ベットで横になるが、どうも
すっきりしない。

ということだが、父親のリハビリをやるために、
今日も出かけていった。

いつもやっているスケジュールをこなす。帰宅時
に、父親が機嫌よく思えることが救いだ。

病院の玄関は北向きである。その玄関を出ると、
北部の山々が立ち並んでいる。

この山々は、高校生の頃、校舎の3階からいつも
眺めていた。

だから、この山を眺めるたびに、えも言われぬ想
いが、わきおこる。


今日は、日曜日だ。一人で、病院にやってくる日だ。

ふらっと旅に出たい気分になる。

先週の日曜日も立ち寄ったのだが、その山々の手前に
ある街まで、出かけたくなった。

だいぶ前だが、この街を久しぶりに訪れた時は、その
凋落ぶりに、愕然としたのだが、小さな町並みがで
ていて、その雰囲気になんともいえない親しみが
わくようになった。

わたしの地元の街の様子とは違うなんとも言えない
のどかさが漂っている。

実は、この新しい町並みに、小さい本屋がある。
たいした量ではない。

しかし、見知らぬ街でも、本屋に入るのは、小さくても
ワクワクした気分になる。

何かあるんじゃないかと?

だから、本を買うわけでもないが、なんとなく
この本屋で、プラプラするのが、好きだ。

それで、今日もこの本屋にはいった。

すると、しばらくして、ギターでBGMが流れてきた。

その、切々と歌うギターのメロディーに、魅了
された。聞き覚えのある曲であった。

それは、ハナミズキであった。

しばし、流れてくるBGMにあわせて、ハミングで
口ずさんでしまった。

この演奏がコンピューターなのか、実演なのか
定かでないが、楽器で切々と歌いかけてくる
のには、しばし、今日の疲れを忘れてしまった。

名演と思った。

ということで、今日は、家に帰り、You Tubeに
お出かけである。

徳永英明の演奏で、忘我の一時を。

実は、今日は帰りながら、苛立ちを覚えてしまった。

わたしたちは、人生前半で、何者かになろうとする
人生だったような気がする。

そして、大概の人は、目の前にある何かになろうとする
人生だったよう気がする。そして、なれたような気が
して、過ごしてきたようだ。

いや、それなりに何者かになったはずだ。


ところで、

森村誠一氏は、その著書で、定年後は、「何もしなくて
もいい自由」ではなく、 「何をしても いい自由」をと、
言ったが。


何をしても いい自由」を追求しても、大方の定年組に
おいては何者にもなれないのではということに、気づい
てしまった。

どうしたら、何者でない現実に、耐えられるか?

ふと、考えこんでしまった。

そうこうしているうちに、今日も12時を過ぎてしまった。

そう、もう、寝ましょう。

 

 


二輪

2011-08-18 22:58:34 | 人生

 最近、二輪に興味がわいている。

自分でも突然で、びっくりしている。

実は、昔、40代の頃、やはり、二輪に憧れた時が
あった。

その頃は、400のバイク、4気筒、4サイクルエンジン
の静かで涼しげな「シャカシャカシャカ」という音が
たまらなく気持ちよくて、乗りたくなってしまった。

しかし、小柄な私には大きく、何しろその重量にびっ
くりした。いや、恐怖に近いくらい重たかった。

足はとどきにくいし、走行中にその重量をコントロール
する自信はなかった。

何しろ、野牛みたいなマシンだ。

ということで、身の危険を感じて、諦めることに
なったことがある。


現在、250のスクーターに憧れているが、病院への通院
の途中、ちょっと寄り道しながら、市街地や農道を散歩
気分で風景を楽しむためなので、250ではどうしても、
小回りがきかない。

行き止まりの道でも、右往左往せず、車で入って
いけない路地なども、スクーターでどんどん入って
いきたいのである。

ということで、憧れのかっこいい250と実用的小回り
のきく150で、葛藤してばっかしである。

どうして、バイクではなく、スクーターかというと
ATだからである。

自家用車がマニュアルからATに変わって長くなった。
マニュアルの5速で、車のない郊外を静かに走る80
km/hは、静けさとゆったりとしたスピード感が
心地よく、楽しくて、大変好きだった。

しかし、もうマニュアルのギアチェンジがうっとう
しいのである。

それに、ギアチェンジに気をつかっていては、風景が
楽しめそうにない。

それで、125になるのだが、ただ残念なことに、この
ランクでは自動車専用道路を通行できない。

遠距離を手っとり早く移動できないのは、歯がゆい
思いがする。

125のサイズで、いい150のスクーターがあればいいのだ
が、今のところ、期待するほどの効果のあるものがない。

メーカーが本腰をいれて、作ってくれたらいいのだが。

それはそうと、わたしの背丈が低いので、「シート高」
がネックになってしまう。

ここが問題だ。車種選びで、歯がゆい。


ところで、ネットで、遊んでいたら、次のような
記事があった。


ホンダ CBR1100XX スーパーブラックバード


についてである。


以下、その記事の抜粋である。


ブラックバード

次に、高速道路を走る者にとって気になるのが防風性でしょう。
通常の姿勢での防風性はどうかというと、

身長167cm・座高87cmにおいて、姿勢は伏せずに前傾。

60km/h・・・無風。

80km/h・・・そよ風。

100km/h・・・微風。まったく辛くない。

120km/h・・・頭と肩に風を受ける。辛くはない。

140km/h・・・ヘルメットシールドと肩に強く受ける。
慣れないと少し辛い。

160km/h・・・それなりに強風を受ける。伏せれば快適。

 

60km/h:2500rpm・・・一般道でも走れる回転数。
高速で巡航することはないが「苦痛」と思われる。

80km/h:3000rpm・・・無風のようでぬるすぎる
。時間が長く感じる。逆に「苦痛」。

100km/h:3500rpm・・・これも「若干きつい」。
しかし首都高速では快適かも。

120km/h:4000rpm・・・やっと快適な感じを受ける。
一番気(他車・法等)を使わず長く走れる。

140km/h:4500rpm・・・やっと速いかなと感じる。
この位が「楽に遠くへ行ける」を感じる。

160km/h:5000rpm・・・「楽しい」と感じる速度域。

180km/h:5500rpm・・・未経験。メーターは188
km/hまで。恐らく180km/h台でリミッター作動。


以上。


この記事を読んで、目眩がしてまった。


140km/h:4500rpm・・・やっと速いかなと感じる。
この位が「楽に遠くへ行ける」を感じる。

160km/h:5000rpm・・・「楽しい」と感じる
速度域。

このスピード、とてもじゃないが、ついていけない。

わたしの歳では、二輪なら、60km/hで走るのが、精一杯
である。

高速にはいって、バイクで走ることを想定してみたが、80
km/hで、自動車の流れにのって、走るなんて、とてもじゃ
ないがついていけないなんて思ったからだ。

いわゆる生きた心地がしないという世界の話だ。

自家用車でさえ、140km/hは経験がない。

どうしても、このスピードでバイクにトラブルなく、走れる
のか理解できない。

とは言うものの、テレビの帰省ラッシュの映像を見ていたら、
二輪がけっこう走っていて、四輪をばんばん追い抜いていた。

それに、今まで、高速道路での二輪の事故の話は、個人的
には、一度も聞いたことがないので、不思議に思う。

野球で、ボールのスピードを見極める視力は、先天的
ような感じがしたので、二輪で高速道路を猛スピードで
走れるのも天賦の才ではあるまいか。

なんて、思ったら、いたずらに羨ましがることはない
かも知らん。


実は、大分長い間、実は、二輪をバカにしていた。

夏は、太陽に照らされ、クーラーもなく暑い。
冬の寒さは、ヒーターもなく辛い。
雨には濡れる。

なにしろ、排気ガスは吸うし、前をゆく車の巻き上げる
粉塵を全身に浴びる。雨上がりは最低だ。

四輪では、疲れても車で休める。

なにしろ、四輪に比べて、二輪は気を抜くことができない。
ちょっと油断して、急ブレーキをかけたりして、こけると
怪我につながる。運が悪ければ、身体障害者になってしま
う。

等々文句を述べていたのだが、どういうわけか、二輪に
わくわくしてきた。

おそらくその理由は、、最近自家用車に乗っていて、苛立ちを
覚えてきたからだ。

車が多くなりすぎ、どこを走っても、気軽に駐停車できない。
だから、いったん車に乗ったら、目的地の駐車場まで、走り
っぱなしになる。

そのため、車に乗っている以上は、毎日同じ風景を見る
ことにならざるを得ないことに、気付くようになった。

あと、20年近く病院通いが続くと思うと、あと20年毎日
同じ風景を見ているうちに、人生が終わってしまうかと思うと
焦りが出てきてしまうのだ。

四輪のフロントガラス越しに見る風景に物凄い束縛感を感じて
しまう。

車で走っている以上、見ている風景はフロントガラスの枠越し
の閉じられた風景を覗くしかないが、そのことに、苛立ちを
覚えるのだ。

実は、二輪を運転して見る風景は、自分の足で歩いて見て
いる風景に近いことに気付くようになった。

横に360度、縦に180度の風景である。

自分の身の回りの風景を一番自然に見ている乗り物が二輪で
あることに気付いてしまった。

風景の中の一部になる快感である。

ということで、二輪の免許に挑戦しようかと、浮足立って
いる。

今日は、早速、車の定期点検の日取りをした後、自動車教習所
に出かけ、二輪の講習の申し込みをしてきた。

すると、教習所もコンピューター化が進んで、講習の日程も
教習生各自が、コンピューターで、予定をとることになって
いた。

そして、実際の講習までの段取りを説明してくれたが、なんと
その話しが、まったく呑み込めない。

なんと、職場で、ランも経験したし、毎日インターネットが
生活化しているのに、まったく理解できない。

さすがに、びっくりである。

実は、同じことを病院でも感じた。

自分で、コンピューターに個人のカードを差し込んで、受け
付けするようになっていて、とても、戸惑った経験をした。

ほんと、これだけ、時代は進んだんだ。

軟派な高校生が、これをクリアしているのに、なんとも
情けない話だと思った。

しかし、二輪の免許をとろうとしたことで、この時代の
流れが理解できたのは、ある意味でラッキーだった
かもしれない。

森村誠一氏は、その著書で、定年後は、「何もしなくてもいい
自由」ではなく、 「何をしても いい自由」をと、言ったが。

退職の時に、第二の人生をと言った後輩に、わたしは、上下
2巻ものの小説は、下巻の方に、盛り上がりがある。

わたしの今後の人生は、その下巻のようにありたい。なんて、
挨拶したが、森村氏の「何をしても いい自由」をなんとして
も見習いたいものだ。

 


「元気おじいちゃん」が語る健康の秘訣とは?

2011-08-14 12:09:25 | 人生

ヤフーのニュースである。

長寿のまち小鹿野 「元気おじいちゃん」が語る健康の
秘訣とは?
産経新聞 8月12日(金)16時0分配信

 
拡大写真
歌舞伎を演じる自身の写真を手に笑顔を見せる石川竹次
さん=7日、埼玉県小鹿野町(写真:産経新聞)

 高齢化率が高いのに1人当たりの医療費負担が少ない-。
そんな高齢社会の模範となっているのが、豊かな自然に恵
まれた西秩父の山里、埼玉県小鹿野町だ。県ではその要因
を分析し、「小鹿野モデル」の都市部への拡大を試みてい
る。

そんな町に、地元でも有名な95歳の「元気おじいちゃん」
がいると聞き、健康の秘訣などをうかがいに行ってみた。
(市岡豊大)

 人口約1万4000人、周囲を山に囲まれた小鹿野町。
平成17年国勢調査では65歳以上の高齢者は3945人。
高齢化率は約27%で、県全体の17%を10ポイントも
上回る。


一方、県によると、小鹿野町の17年度の1人当たり老人
医療費は55万円で、県平均の77万円を大幅に下回り、
県内市町村で最も少ない。

つまり、「元気なお年寄りがたくさんいる」ということ
だ。

 なぜ、健康長寿が実現できているのか-。町で有名な
元気おじいちゃん、石川竹次さん(95)が、そのヒント
を握っていた。

 石川さんは旧日本専売公社に勤務。定年退職後、小鹿野町
に戻った。今は独りで年金暮らしだが、毎朝1時間グランド
ゴルフをし、週1回子供たちに書道を教えている。

 約220年の歴史を持つ「小鹿野歌舞伎」の保存会員で、
昨年4月には約8分間の演目に出演、飛んだり跳ねたりの
激しい立ち回りをこなした。

町内20団体を束ねる老人クラブ連合会の会長でもある。

年数回の会合や社会奉仕活動などを取り仕切っているとい
う。

 「健康の秘訣は?」と聞くと、「あちこちに出かけて人と
つながること」と即答。今日の献立に悩んだら、近所に
出かけて独り暮らしの人に聞き回る。

すると「みんな一生懸命教えてくれる」という。

 最近は「百歳まで生きよう会」と銘打ち、80代前後の
高齢者約25人を月1回集め、お互いの話に耳を傾けてい
る。

「たわいないお茶飲み話をして過ごす。

そしたら、今日も一日生きられたと思えるじゃない?」と
笑う。

 こうした地域の密接なつながりが、健康長寿の基盤になっ
ているようだ。小鹿野町保健福祉課の浅香章課長は「見守り、
見守られることが当たり前のように残っている」と説明する。

 地域で過ごす習慣が根付いているから医療や介護は在宅が
基本。

病院は入院時から退院を前提に治療を検討し、介護事業は
在宅をメーンに進める。小鹿野町は市街地から離れた土地柄
のため、歴史的に町行政を中心とした医療福祉を展開。

町を挙げて介護予防や健康増進に取り組んできた。

 県はこの「小鹿野モデル」を平成21年度から鳩山、とき
がわ両町で導入。

保健師による高齢者宅の訪問や、民間ボランティアを活用した

見守り活動などを集中的に行ってきた。今年度からは桶川、

坂戸、朝霞、吉川の4市にも拡大し、都市部での定着を試み
ている。

 石川さんにこうした県の取り組みを話すと、「お茶飲み話が
できる環境があれば、都会の孤独死なんて考えられない。

そうなったら高齢社会は楽しいもんだ」とアドバイスをくれた。

都市住民が忘れてしまった地域のつながりを、改めて小鹿野町
の人々から学ぶときが来ている。

以上。


大変参考になる話である。

無為で浅ましく都合よく生きて、成仏できるのだろうか?

なんて、死後揶揄されるような人生は、おくりたくないもの
だ。

見習わなくては。

ささやかな人生であっても、死して、思い起こされるに値する
人生でありたいものだ。

 


長寿の秘密は「遺伝子」

2011-08-14 12:00:23 | 人生

「健康そのもの」104歳女性、長寿の秘密は「遺伝子」
の説も

CNN.co.jp 8月9日(火)19時3分配信

(CNN) 「ハッピーバースデー」の歌声に囲まれて好物の
チキン料理を味わい、あわただしくボランティアの仕事へ
――。米フロリダ州ハリウッドに住むドリー・エイバー
ノイエクさんはこの日、104歳の誕生日を迎えた。

最近の研究によると、ドリーさんの長寿の秘密は食生活
でも運動でもなく、持って生まれた遺伝子かもしれない。

ドリーさんは地元の大病院で37年間、院内で配達ボラン
ティアを続けている。

病院のカフェテリアでスタッフらが誕生日を祝い、シェフが
クリームソースたっぷりのチキンを用意した。

1時からは仕事の時間だ。カートを押して広い院内を歩き回り、

「ゆっくり歩いたほうがよければ言ってね」と取材カメラ
マンを気遣う。

ドリーさんは1人暮らし。軽いリウマチや視力、聴力が多少
衰えたことを除けば健康そのものだというが、長生きの
秘訣を尋ねても肩をすくめるばかりだ。

食生活に気をつけているわけではない。大好きなクリーム
ソースは脂肪たっぷりだし、毎日ケーキかクッキー(一番
好きな種類はチョコレートチップだ)を1~2個食べる。

運動といっても、昔から歩くのは好きだが、スポーツジム
に入会したり定期的にエクササイズに通ったりしたことは
ない。

米国の老年学専門誌JAGSに最近掲載された研究によると、
ドリーさんのような超高齢者は長寿につながる遺伝子を
持っている可能性が高いという。

米アルバート・アインシュタイン医科大学のニール・バー
ジライ博士らの研究では、95―112歳の健康な東方ユダヤ人
477人を対象に70歳当時の生活習慣を尋ねたところ、40%
以上が太りすぎや肥満、35%がたばこを吸っていて、
ほとんどの人が運動をしていなかった。

この割合は一般人口と比べてもまったく違いがない。

同研究によれば、長生きする人は「善玉」と呼ばれるHDL
コレステロールを増やす遺伝子や、循環器疾患やアルツ
ハイマー病を防ぐとみられる遺伝子を持っている場合が
多い。

別の研究では、長生きする人は地域社会とのつながりが強く、
うつ状態に陥りにくい傾向があるとも報告されている。

ドリーさんには遺伝子説と環境説のどちらも当てはまる
ようだ。母親は99歳まで長生きしたし、ドリーさん自身は
周囲の人々とのつながりが強い。「人が好き。おしゃべりを
して相手のことを色々聞くのが楽しい」と、ドリーさんは
言う。

長寿にはわれながら驚いていると語り、「こんな年になる
まで生きようという野心を抱いたことはなかった。自分でも
時々、いったいどうやってここまで来たのだろうと思って
しまいます」と笑った。

以上。


「健康そのもの」104歳女性、長寿の秘密は「遺伝子」
の説も

ということだが、わたしも、個人的にはそのようなことが
あるのではと思っている。

わたしの家の近くに住んでいた高齢の女性が96歳で
亡くなった。

大方の高齢者が、なんらかの健康法について、努力を
しているが、

この女性が、自宅から外に出たことは、数えるくらいの
回数しか見た事がない。

ほとんど仕事らしい仕事をせず、とりたてて地域との
交流もせず、そして宗教に凝った様子もなく、日々何を
していたんだろうと不思議に思わざるを得ない。

悪く言うと、人生を無為に過ごしたとしか思えない一生に
あって、96歳の天寿を全うしたことがわたしには理解
しがたいことであった。

早世する人の中に、生き急ぎの人も多々あるように思える
のだが、このような人がいるとなると、個人の努力とか
意志を超えて、長寿の秘密は「遺伝子」ではと思いたく
なったりする。

周囲から見て、無為に過ごしている人生に疑問を持たない
ということ、若干羨ましくもあるが、とても、真似ら
れるものではない。

地域とも社会とも時代とも歴史とも全く関係ない人生
って、何なんだろう。

ただし、彼女のやったことは、男を取っかえ引っかえの
人生と、人の財産を掠める人生ではあったが┄。

あまりにも都合のいい人生。

長生きはしたが、成仏できるのだろうか?