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リタイアーのよもやま話

幸福が続くと信じていた

2011-05-03 06:53:22 | 人生

知的幸福の技術
自由な人生のための40の物語

橘玲

幻冬舎文庫

 

にあった話である。


以下、抜粋。

 

私たちはいつもこの店で待ち合わせ、夜の街へ出かけ
ていった。

彼は誰よりも輝いて見えた。みんな幸福だった。それが
いつまでも続くと信じていた。

バブルの時代を通り抜けてきた世代には、共通の喪失
体験がある。

この十年の間に、私の周りから多くの友人たちが消えて
いった。

憧れていた人物の生活が荒廃し、破滅していく様を見る
のはつらいものだ。

どんなに魅力的で、才能に溢れ、人生を謳歌する術を
知っていても、時代を超えて輝き続けられる人はごく
わずかしかいない。

以上。


この話に、いろいろと思われることがあった。

実は、わたしの後輩について、思い出してしまった。

彼は、時代が浮かれた時に、それを本物と思い込み、自らの
才能を試してみようと、つい飛び上がってみようとしたのだ。

先のない単調な公務員生活に、見切りをつけて、自分の才能
を試そうとしたのだ。

しかし、それは、大きな誤算だった。

事前にその冒険を聞いていれば、踏みとどまらせることも
できたのにと、思ったのだが。

しかし、彼は、わたしなどより、ずっと才能があった。

そのような助言の必要性なんて、考えなかったのかも知れない。

わたしは、彼のその後の話を、数年前に友人から聞いた。

その冒険は、行き詰まり、奥さんの自殺として最悪な結果と
なった。

彼女は、気心もよく、美人であった。その美しさにわたしも
魅了されたものだったが。

周りを見渡しても、彼女のような美貌に出会うとことは、
そうできることではない。

その彼女が、憧れの先輩でもあった後輩と結婚し、彼女
友人たちを羨ましがらせて止まない人生のスタートを
きったのだが、その結果は、痛ましい結果となった。

彼は、自分の冒険で、最愛の女性を自殺に追いやったと
思っている。

だからこそ、公の場に出てこず、引きこもりっぱなしに
しているのだろう。

彼が、現実的な判断のもとに、自分の才能を試す工夫が
できれば、このような悲しい人生にならずに、すんだのが。

若気の至りにしては、代償が大きすぎた。

取り返すことのできない失敗である。
なんとも残念でならない。

多くの夢をみ、周囲の賞賛を受け、人生をスタートしたのだが、
その夢が、次から次と破られ、生活さえもままならなくなると
いう絶望。

結果、自殺という形で、人生を終えた彼女の胸の内を思うと、
不憫でならない。

もしかして、彼女を先に、わたしの方で口説きおとす勇気が
あったらならと、時折、考えたりしながらも、切ない想いが
わき起こる。

もし、彼に、それほどの才能がなければ、このような不幸は
訪れなかったのにと思うと、凡愚のわたしが人生を取りあえず
走り終えたことに、人生の不思議さを感じ入ってしまう。

あの時代、街は浮かれていた。

そう、幸福が続くと信じていたのだ。誰しも。


死は人生の終焉ではなく、人生の完成である

2011-04-26 23:34:50 | 人生

すでに、マスコミで、報じられている田中好子さんの
話である。

テレビで、その肉声を聞いたのであるが、その内容に、
深いものがあり、感じ入るものがあった。



田中好子さん肉声全文


 こんにちは。田中好子です。

今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災さ
れた皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただた
だ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。

 私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負け
てしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災され
た方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思ってい
ます。

 今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、こ
のテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本
当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。
心の底から感謝しています。

 特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。

 映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。も
っともっと女優を続けたかった。

 お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆さまに伝えたいのです
が、息苦しくなってきました。

 いつの日か、妹(義妹)の夏目雅子のように、支えてくださ
った皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活し
たいと思っています。かずさん(夫の小達一雄さん)、よろし
くね。その日までさようなら。


以上。


大分前の話である。

【キャンディーズ】ファンと元スタッフによる大同窓会!30年前
“涙の後楽園球場”をライブで再現という催しがあった。

その時分、自民党の石破茂氏が、キャンディーズのファンだった
ということを語っていて、ちょっとばかり、びっくりした記憶
がある。

意外だったからである。

彼は、昭和32年2月4日生まれ、田中好子さんは、昭和31年
生まれだから、同世代である。

そういう意味では、そう不思議なことではない。

彼にとっては、大学生生活というのは、すごく楽しかったよう
である。

大学から、学生運動が消え去り、時代は大量消費時代に向かった
ようにも思われた。

それは、ちょうど、わたしの大学の後輩たちの世界であり、さも
ありなんと、思われもする。


1972年(昭和47年)4月: NHK「歌謡グランドショー」のマスコット
ガール兼アシスタント(椅子・マイク運び・代理音合わせ)として
「キャンディーズ」誕生

私が、23歳の時のデビューである。

私は、年齢的には、3浪して大学に入学しているので、ちょうど、
大学3年生の頃に彼女たちはデビューしたことになる。

だが、大学生活は、学生運動の余波が残る環境で過ごしたので、
フォークギターでポピュラー音楽にはまった。
反戦フォークの世代で、岡林信康のレコードを聴いて、ぶっ飛んだ
方である。

こんな音楽を歌う人間がいるのかと、大きな衝撃をうけた。
反戦歌の雰囲気が消えたあと、いわゆるニューミュージックと言わ
れる時代なり、井上陽水の『氷の世界』を池袋のヤマハで聴いて
その張りつめた音楽に、ショックを覚えた記憶は、まだ、残って
いる。

というのが、わたしの若い頃の、音楽の嗜好であるので、残念な
がら、キャンディーズの音楽は聴いたことがあるくらいの話で、
石破茂氏が、キャンディーズのファンだったという話は、全く
別世界のように思われる。

そのようなキャンディーズの彼女について、何かしら書いてみた
くなったのは、少しばかり訳がある。

キャンディーズの若いころの写真を見て、残念ながら、好子さん
は私の「好み」ではない。

ところが、遺影にもなった数年前に取った写真が、あまりにも
綺麗なのに、ショックを覚えたのである。

20代の若い頃の写真より、50代の頃の写真の方が美しく
見えたのに、驚いたのである。

なんで、こんなにも綺麗に年がとれるのだろう。である。

ため息が出るほどの美しさ。

この美しさ、人の奥さんに対して、失礼だが。である。

そういう意味で、亡くなられたことは、本人にとっても、
主人にとっても、そして、多くの皆さんにとっても、大きな
悲しみではあるが、このような生き方ができる女性がいる
ことが分かったのは、一男として、幸運でもある。


そして、もう一つ、彼女について、思うことがあったのは、
彼女の肉声全文の内容である。

わたしなどは、いつも、当面遭遇することは考えられない
自分の「死」について、何かと、気にかかってやまない。

だから、果たして、わたしは、自分の死を目前にした時に
うろたえずに、対峙することができるか、心もとない。

取り乱したくはないが、なってみないと分からない。

そういみ意味で、彼女の肉声全文の内容を読んで、そのような
境地に至ることのできる彼女に対して、多いに敬意が湧いて
止まないのである。

自分の死に狼狽することなく、自分の死を不条理と憤るわけ
でもなく、死にゆく者が生きている者を励ますような心情なんて、
とうてい、わたしが、あと何十年かかっても到達しようもない
世界の話である。

若いころに、革命だなんて生意気なことを抜かした己は、老いに
戸惑い、自分の死に狼狽しそうだ。

かたや、タレントで人生をスタートした女の子が、長い人生航路
を病気と戦い、目の覚めるような辞世の文で、人生を総括する。
なんという格差であろう。

完敗である。

「死は人生の終焉ではなく、人生の完成である」と、言ったのは
ドイツの宗教家ルターのようである。

彼女は、自らの死を通して、いかに、彼女の人生が凄いもので
あったかを知らしめたようだ。

「美しく死ぬことは簡単だ。
だが、美しく年をとることは至難の業だ。」と言ったのは、
フランスの小説家、アンドレ・ジッドのようである。

彼女は、美しく年とり、そして、美しく死んだ。

このような生き方のできた女性がいた時代に、居合わせたことに
感謝である。

 


伊能忠敬にあやかれることを

2011-04-22 22:36:27 | 人生

保坂隆氏の「老いを愉しむ言葉」という本の中の話で
ある。


その中で、興味深い話があった。


以下、その内容である。

 

古代のインドでは、人生を四つの時期に分けて考えていた
という。

生まれてから25歳までが「学生(がくしょう)期」。

学問・学習をして、体験を積む時期である。


25歳から50歳までが「家住(かじゅう)期」。仕事を持ち、
結婚をして家庭を築く時期になる。

50歳から75歳が「林住(りんじゅう)期」。

もはや金のために仕事をする必要はなく、本当にしたいことをする、
人生でもっとも充実した
時期。

その後は、旅に出て、自分が何者かを見極める「遊行(ゆぎょ
う)期」となる。

古代インドと現代では人の寿命が格段に違い、この年齢軸がその
ままあてはまらないと考える人もいるかもしれない。

確かに古代インドでは、伝染病などで年若くして命果てる人は
少なくなかったが、そうした難を逃れて生き長らえた場合は、
寿命はかなり長かったようだ。

たとえば、釈迦は過酷な修行を重ねた人生だったが、入滅は
80歳。

長寿時代といわれる現在とほとんど同じ長さの人生を生き切
っている。

いまの日本でも、50歳を超えるころになると、仕事をして
いる人なら定年の影が視界にちらつくようになってきて、老後
の二文字を思い浮かべることもあるだろう。

50代早々で一次定年を迎え、その後のコースを選ぶように
なっている組織も少なくないそうだ。

そう考えると、古代インドの人生四区分け、現代日本にもだいたい
あてはまると考えられるだろう。

だが、現代の50代や60代は、心身ともにまだまだ若い。

そのうえ、日本人の寿命の長さは世界一だ。最近では、90歳
は軽く、なかには100歳を過ぎても矍鑠としている人も珍しく
はない。

本当にしたいことをしたいようにする「林任期」がかぎりなく
長いのだ。

この「林住期」の生き方を、私は、幼子に学べばいいと考えて
いる。


以上。


この話は、大分昔に、なんかの本で読んだことがあった。

しかし、今回、久しぶりに、この文章を読んで、気づいた
のだが、全く、見落としていたところがあった。

ここである。

50歳から75歳が「林住(りんじゅう)期」。

もはや金のために仕事をする必要はなく、本当にしたいことをする、
人生でもっとも充実した時期。

その後は、旅に出て、自分が何者かを見極める「遊行(ゆぎょう)期」
となる。

この部分である。

実は、この部分がまったく記憶にないのである。

それにしても、わたしの現実となんと、乖離していることだろう。

いや、大方の定年組という方がいいのかもしれない。

現役の時は、毎年増えっぱなしで、次々と舞い込んでくる仕事に、
歯ぎしりをしながら、過ごしていた。

なにしろ、自分たちの職場以外で、自分たちの日々の本質的な
業務に関係のない仕事を次から次へと作ってくれるのだから、
不条理感、極まりない。

退職がどんなにか、羨ましかったことだろう。

しかし、退職してみれば、それは、それは「隣の芝生は青くみえる」
ことであるなんて、誰が想定していただろう。


定年は、労働力の消費期限が終了したための、合法的、強制的解雇
であるなんてね。年金と引き換えの。

その本質的な意味が、まったく理解できてなかったとはね。

それが、かつては、なんの勘違いか、とても眩しく見えたという
ことか。

今や、木枯らしが吹きまくる、荒れ野を彷徨い歩いているよう
なものだ。

結局、定年があんなに、青くみえたのは、自分の労働力の消費期限
が迫りつつあったという警告だったのだということに、気づかなか
っただけだったということだろう。

よくよく考えてみれば、自分の才能を持て余していれば、自分の
才能を試すのに、忙しくて、定年なんて考えている暇なんてないし、
それがちらつくことなんてないはずであるからだ。

それにしても、麻薬中毒患者が、その中毒からなかなか抜け出せ
ないように、仕事中毒もやはり、なかなか抜け出せないようで、
やっかいだ。

問題は、大した仕事をしてない凡愚が、その中毒から抜け出せ
ないのはことやっかいだ。

もしかして、凡愚であることを直視するのが怖く、自分自身を
誤魔化すために、仕事に執着していたのだろうか。

もしかして、自分自身も自分の周りも騙していたかもしれない。
自分の現実、自分の正体を見ることが怖くて。

時折、思いだすことに、こういうことがある。

どの本で、いつ読んだのか、記憶は定かでない。

昔、アメリカの南北戦争で、奴隷が解放されて、自由になったの
だが自由になったものの、どうしていいか分からなくて、もとの
奴隷主の所に帰ってきた。という話である。

この話の言わんとするところは、人は自由になったからといって、
自由を享受するのは、なかなかできないことである。というふうに
とらえたのだが。

このエピソード、自分のことかと、思ったりせんこともない。

いよいよもって、伊能忠敬の偉さに敬服するばかりである。


ところで、この古代インドの「古代のインドでは、人生を四つの
時期に分けて考えていたという。」話であるが、

「学生(がくしょう)期」。学問・学習をして、体験を積む時期
である。

これである。

この話を現代的に解釈してしまうと、大きな誤解をするのではと、
ふと思ってしまった。

古代インドで、庶民が学問や学習をしていたとは、想定しがたい
のではないか。

この話は、バラモン階級(インドのカースト制度の頂点に位置する
バラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の総称。)の人たちの話では
ないかと思ったからである。

ということで、この人生観は、支配階級の人生観だったということを
念頭におかないと、安請け合いでは、真に受けた人間に、大きなスト
レスを強いるだろうと思ったりしているのである。

何しろ、真似たくても、経済的な裏付けがないという現実があるから
である。

年金生活、もらえるのは、有り難いが、金額的には、生かさず殺さずの
生活しかできないのが現実である。

このような現実に、

50歳から75歳が「林住(りんじゅう)期」。もはや金のために仕事
をする必要はなく、本当にしたいことをする、人生でもっとも充実した
時期。

その後は、旅に出て、自分が何者かを見極める「遊行(ゆぎょう)期」
となる。

このようなことを、試みるなんて、とてもとてもである。

であるが、現実に自分が金があったとしても、試みるだけの資質に
欠けている現実が、なんとも冷酷に横たわっているのが、辛い。

本当にしたいことをする。まったく見当がつかない。

情けない話である。

ところで、話は、また、一転。

このインドの人生観を久しぶりに、出会って思うことが、もう一つ
あった。

それは、古代インドの人生観からすると、なんと、わたしたちの
現代人の考え方と乖離することである。


「金のために仕事をする必要性」よりも、給料に見合う労働力を身
につけないうちから、より理想的な福利厚生の要求と、「生きがい」
とか「自分らしさ」とかが、優先される現代、なんとまあ、こんなに
も逆であることよ。

さて、東日本大震災で、孫正義氏のニュースがあった。

ソフトバンクの孫正義社長は3日、東日本大震災での被災者支援のため、
個人資産から 100億円を寄付すると発表した。

ソフトバンクの孫正義社長は20日、10億円程度の私財を投じ、太陽光や地熱、
風力発電など自然エネルギーの利用について政策提言する財団法人を設立
する意向を明らかにした。

これだけの社会のためにできるだけの富みを蓄える仕事の才能と情熱が
羨ましいものだ。

せめて、その1000分の1の才能と情熱でも、あやかりたかったものだ。

とはいえ、現実は、退職組の身分だ。

勝ち組でない者の現実は、なんとも荒涼たる世界の到来だこと。

いつも、自分の人生に懐疑する毎日だ。

もはや金のために仕事をする必要はなく、本当にしたいことをする、
人生でもっとも充実した時期。

その後は、旅に出て、自分が何者かを見極める「遊行(ゆぎょう)期」
となる。

伊能忠敬にあやかれることを、祈りたいものだ。

 


死は祝福かもしれない

2011-04-21 11:55:34 | 人生

保坂隆氏の「老いを愉しむ言葉」という本の中の話で
ある。


その中で、興味深い話があった。


以下、その内容である。


死は祝福かもしれない

ある本にこんな話が紹介されていた。
ある女流作家のお姑さんの話である。そのお姑さんは、
夜、床に入るととてもいい表情をするのだそうだ。

なんともいえないほど澄んだ明るい表情なので、思わず
尋ねた。

「お母さま。おやすみになるとき、どうしてあんなによい
お顔をなさるのですか」

すると、お姑さんは、こう答えたという。

「私も年ですから、いつ、どんな死に方をするかわかり
ません。『おやすみなさい』といって寝たまま、亡くなって
しまう人もあるでしょう? 

だけど、私は、仮にそのまま死んでしまっても、あちらへ
行って、たくさんの人に会えると思うと、死ぬことはちっとも
怖くないの」

お姑さんはさらに言葉を続けたそうだ。朝、目が覚めて、
こっちの世にいることに気づくと、また今日も孫と遊べると
思って、それも楽しい。

だから、私はあの世に行っても、この世にいても、どっち
でも楽しいのよ、と。

こんなふうに達観できたら、死も生も「苦」ではなく「喜」
になるのではないか。

また、80歳近くになってから、突然、社交ダンスのレッ
スンを受け始めた女性がいる。

若くしてご主人に先立たれ、苦労の末に4人の子どもを育て
あげた人だ。

晩年になってふと、若いときにご主人にダンスを申し込まれ
たことを思い出した。

当時は自分かダンスができなかったばかりに、一緒に踊るこ
とはできなかったそうだが、今度会ったときにはぜひ一緒に
ダンスを楽しみたい。

そのために、レッスンを始めたというのである。

「でも、相手は40前にあの世に行ってしまったのよ。80歳
のおばあさんを見て、私だとわかってくれるかしら」と底抜け
に楽しそうな顔で笑っていた。

なぜ、この女性は、こんなにもあの世に行くことを楽しみに
しているのだろうか。

「あの世はよほど素晴らしいところに違いないわ。これまで、
あの世に行った人で、この世に戻ってきた人はだれもいな
のよ」

彼女の言葉に思わず笑ってしまったが、その後、考えさせら
れた。

釈尊は、「生老病死」を四苦といっている。死はこの四苫から
解放されて、永遠の喜びに満たされる、新たな生を生きる入り口
なのかもしれない。

古代ギリシャの哲人ソクラテス(紀元前470または469~前
399)に次のような言葉もある。

「死を嫌い、恐れるのは、死は悪いことだと思っているからだ。
いったい、だれが、どのようにして、そのようなことを知った
のか」
 
ソクラテスの昔から、だれも死の真相を知らないのだ。

アメリカの小説家・ホーソン(1804~1864)は「死の
その瞬間を、自ら祝福することだろう」という言葉さえ残して
いる。

生あるものは必ず死ぬ。どうせ死ぬなら、いっそ、あの世に行く
ことを楽しみにするというそえ方をしてみるのもいいのではないか。


以上。


「死は祝福かもしれない」ということだが、なんとも羨ましい考え
方だ。

少しでも、このような考え方にあやかりたいものだ。


Long and Winding Roadは、流れてくる

2011-03-16 10:26:45 | 人生

Long and Winding Roadを久しぶりに聴いている。

昔、この曲は、レコードで聴いた。

今、You Tubeで聴いている。

今、この曲を映像と共に、聴いているのだが、
モノトーンの雰囲気で、粛々と演奏している
場面は、何かしらそれだけで、迫るものがある。

若き日の彼らの姿に、人は誰しも皆、その昔、
どこかで、自分の何かを歌っている時代が
あったんだよね。

なんて。

レンズを通して、聴いている者を見つめるような
若き日のポール・マッカートニーの視線には、
ノスタルジーの世界へ、引きずり込まれる。

全ては、遠い昔の話だ。

今は、歌うことを忘れてしまっている。

歌いたいことも、思いつかない。

それでも、何かしら、歌っていたのではと、
心もとない思いがよぎる。


ヤフーでは、このようなニュースが入った。


<東日本大震災>在沖海兵隊、仙台空港復旧へ
毎日新聞 3月16日(水)2時30分配信

日米両政府は15日、東日本大震災で使用不能と
なった仙台空港の早期復旧のため、沖縄の第3
海兵機動展開部隊を投入する方針を決めた。

海兵隊員は米海軍強襲揚陸艦「エセックス」で
17日にも仙台沖に到着。

滑走路のがれき除去など空港施設の復旧活動を
週内にも始める方向で調整している。

復興に米軍普天間飛行場移設問題で揺れる在沖縄
米海兵隊が参画することで日米連携をアピールする
狙いがある。防衛省関係者が明らかにした。

岩手、宮城、福島県などの被災地では、交通機関や
ライフラインへの被害が甚大で、生活必需品の不足
も深刻化している。

このため日本政府は、物資や被災者の輸送を少しでも
円滑に進めるため、仙台空港の速やかな復旧が必要と
判断。

米国からの支援の申し出を受け、協議を進めていた。

また、これに伴い、飛行機の離着陸ができる山形空港
(山形県)を、米軍の活動に必要な物資や機材を一時
的に蓄える「後方補給センター」として活用する。

15日夕までに山形県知事が米軍の使用許可要請を受
け入れた。

一方、海外からのレスキューチームは15日現在、15
の国・地域と1国際機関から計約800人に上る。

救援活動にあたっているが、福島原発の放射能漏れに
ついてフランスなどは情勢変化を気にかけているといい、
「今後の状況次第で退避する可能性はある」(外務省
関係者)という。

以上。


Long and Winding Roadは、流れてくる。

日本の1000年に一度の天災と有史以来の未だかつて
なく、しかも、今後もまずありえない事故に、失われた
20年からの脱却も夢また夢の話。

このような国難にあって、普天間の戦後65年の夢も、
これまた、夢また夢の話となりそうだ。

すべては、Long and Winding Roadだ。