急に土倉庄三郎のことが気になり出した。
どくら・しょうさぶろう、である。吉野林業の父とも呼ばれる奈良県の偉人だ。
もともと今夏、久しぶりに川上村を訪れて、吉野林業の歴史をちゃんと追いかけてみたいなあ、と感じた。
すると土倉が登場する。幕末から明治、大正に生きた人物だ。この人が密植とか弱度の間伐を何度も繰り返した超伐期などを確立した。それが現代の高級材としての吉野の木を生み出している。造林だけでなく、木材の利用法とか養蚕など山村振興にも尽くした。 それを全国、台湾にまで広げた。
ここまで読んで、疑問はなかった?吉野林業は500年もの歴史を誇っているのに、現代の吉野林業を作り出したのは明治時代だなんて。
しかも、彼の生み出した 吉野式の林業は、今や壊滅状態。つまり吉野が栄華を誇ったのは、数十年ということになる。
そんな疑問を持ったのである。
もちろん土倉の偉さはよくわかっている。しかし、別の角度から土倉、そして現在に続く吉野林業を追えば、日本の林業史が見えて、さらに現代林業の問題点がわかるかもしれない。