さる自然環境教育などを行う施設を訪れた時のことである。
その日訪れているイベントの参加者は、地元の小学生だという。山の中の小学生も、改めて教育として木の枝やドングリと遊んでいるのだなあ、思った。
「意外と田舎の子供たちも、自然の中で遊びませんね」
私は、話のとば口にそんな感想をもらした。
「田舎の子供たちというよりは、グローバリズムの影響です」
校長だという若い女性は言った。「都会と田舎の差をなくしてしまったことが、子供の世界にも波及した問題なのです」
目が点になりそうだった。その後も、貨幣経済の行き過ぎだとか現代社会の矛盾だとか、なんだか落ち着かない言葉が次々と発せられた。
その内容について議論をするつもりはないのだけど、山村の自然を触れ合うことを仕事をしている人から聞く言葉としては、意外感がある。そんな意見の元に自然教室を開いていたのか? それに貨幣経済の弊害というけれど、ここも民間団体で稼ぐことでスタッフは食べているのではないのか。
「もっとたくさんの参加者が呼び込んで、儲けたいと思いませんか? もし申込があったら断りますか」
思わず意地悪な質問をしてみた。
それに対して明確な返答はなかったが、人が多くなると環境負荷が高まるというほど、フィールドが狭いわけではなさそうだ。どうも、金という言葉が出ると、忌避感が生まれるらしい。自給自足生活はできないと言っていたから、完全に貨幣経済を否定しているわけではないようだが……。
足るを知る、という言葉があるが、それは十分に豊かな生活を経験した人がいうと、わかりやすい。しかし、貧乏人がいうと、負け惜しみに聞こえる(⌒ー⌒)