熱帯雨林伐採反対運動について調べている中で、「割り箸不要論」についても調べてみた。
割り箸は資源の無駄遣い、という主張は、これまで幾度も起きている。有名かつ大規模だったのが、90年前後の熱帯雨林問題と連動したものだが、決してこれだけではない。
古くは戦時中。「ぜいたくは敵だ!」の掛け声の中で、割り箸が取り上げられている。
その後も何度も起こるのだが、私が把握できたのは、
1978年
1984年
1989年~91年(熱帯雨林伐採反対運動)
2000年
2000年に論争が起きたことを覚えている人はいるだろうか。結構、局地的ではあるが、割り箸産地の吉野と、塗り箸産地の輪島がぶつかったものだ。
そして今年2006年。これは不要論というより、割り箸が輸入できなくなる→割り箸がなくなる→割り箸に代わるものを……という流れか。
いずれにしても、マスコミが火をつけて、賛否の論争が起きた後に、否定報道が出て消えるという、マッチポンプ(^^;)。
実は2006年版の論争も、早くも消えつつある。今では、中国が本気で割り箸輸出をストップすると信じている人は少ないのではないか。
さて、私はどうしたもんかなあ。
使い捨ての宿命から逃れられない割り箸は、使い終えたときどこへ行くのか,ゴミとしての評価が一番重要ではないかと思います。
現代社会では多くの生ゴミを燃やしていますが、これには重油が使われます。でもそこに割り箸などが混ざっていると、温度が上がって重油の量が少なくて済むそうです。熱源としても割り箸は優秀かも。
昨日聞いた話ですが、あるNPOの会合に、「マイ箸」を持ってきてくださいと言われたので、吉野の割り箸を持っていったら、みんなから「割り箸はどんなものでもけしからん!」と糾弾されたそうです。
こうなりゃ、「マイ箸撲滅運動」でもしようかな。
そこで割れていない状態の箸を「割り箸」で割ってしまっても捨てずに使うのを「割れ箸」と便宜的に考えるようにしました。
田中さん!!早く 割り箸論をまとめてください。マイ箸論者は、論理的な話より視覚的な訴えの方が理解してくれそうな気がするのは私だけでしょうか。
割り箸を持ち歩くことをかっこいいとデザインできるだけでも十分のような気がします。
最初は腰が引けたまま割り箸のことを調べ始めたのですが、どうやら割り箸の海にどっぷり浸かってしまったようです。ここまで来ると書かねばならないと思い出しました。(もっとも出版できるかどうかわからないけど…。)
割り箸論というより、割り箸の起源と進化、そして割り箸不要論や、マイ箸との戦いの歴史を書きたい。壮大な叙事詩になりそうだ(笑)。果たしてマイ割り箸がカッコイイと思わせることができるかな。
とっても大きなイベントなのですが、かなりゴミの分別が細かかったです。
ペットボトル・空き缶はもちろん、割り箸専用のゴミ箱もあるんですよ。
で、割り箸2膳で○○が○個分になりますって書いてありました。
パンフレットが家にあるんで覚えてなくてすみません・・・
でも、今駅やコンビニやパーキングエリアのゴミ箱で
空き缶、ペットボトル、雑誌類などと分かれているのが当たり前になっているように
割り箸も分別されて、再利用できたら!!!!!
そうしたら割り箸不要論も、資源の無駄論も、
ちょっと変化していくんじゃないかと思います。
実践できる機会、ないかなぁ・・・
まずは職場で割り箸専用ゴミ箱をつくって、再利用ルートも確保できないかなあ。
吉野町でも、使用済割り箸を集めているそうです。そして製紙会社に送っている。ただ、その送るコストが馬鹿にならない。結局ボランティア的であって、採算は度外視しているわけです。
本になったら2冊は買いますよぉ
まあ相手は感情(宗教)なんでビシッと
エビデンスとロジックで堅牢な城を、よろしく。
ではでは
割り箸批判を突き崩すロジックはさほど難しくないのですが、おそらくのれんに腕押しでしょうから、むしろ割り箸の魅力をどこまで描けるか、を考えてしまいますね。
タイトルは何がいいかな。
ということで、タイトル案
エコロジカルな割り箸ライフ
~ロハスな方はやっぱ割り箸でしょ!~
かなりチャライけど、田中さんの本のタイトル、強そう(笑)なのが多いから、こうした軽~いのもいいでしょ。
ではまた
だからロハスという言葉を使うのはいいかも。
「ロハスな割り箸」
「割り箸でロハス・ライフ!」
なんていいかも(^o^)。「割り箸戦記」よりは売れそうな気がしてきた。いっそ
「割り箸は世界を救う」
ぐらい言ってみたい。