富山で訪れたのが、南砺市の井波にある瑞泉寺。
後小松天皇勅願所とやらいうのだが、山門や本堂、太子堂などにすごい彫刻が施されていることで知られている。が、それだけでなく目を引いたのが、建物に使われている木材だ。そのほとんどがケヤキなのだ。直径60センチを越す柱だけでも80数本。そのほか梁にも軒にも随所にケヤキの大材が使われている。
これだけなら、豪華なお寺だねえ、と思ってすむのだが、気になったのはこの寺は何度も火事で焼け落ち建て直しているという点だ。現在の建物は、明治18年に再建されたもの。
これが不思議なのである。明治というのは、実は日本史上でも極めて木材が枯渇していた時代だからだ。この時代に、ケヤキに限らず巨大建築物を建てる木材はどうして調達したのだろう。
富山には、隠された森林資源があったか、と考えてしまう。
もっとも、同時期に京都の東西本願寺の大伽藍を初め、多くの巨大建築物が建てられているのも事実だ。本当にどこから木材を調達したのだろう。
当時の森林資源がどれくらいあったか詳しいデータを私は持たないが、たとえば昭和20年代の日本は、これまた森林を伐りすぎた時代で、当時の蓄積は幹比材積がヘクタール当たり8立米だったという記録がある。これは森林というよりサバンナ並である。
つまり、日本の山は禿山と草原ばかりだったということだ。この瑞泉寺を再建したことが、明治の日本から森林を奪ったかもしれない…。
せっかくの名刹を見ながら、こんなこと考えている私は不純かしらん。
このお寺へは,数年前名前につられて見に行きました.
で,建物なんかろくに見ないで~というよりそもそも(現在の)境内に入らず~井戸(白浪水)だけ見て帰ってきたあがたしも,やっぱり不純なのかなぁ まぁ瑞泉寺草創の地で寺名のおこりの井戸に行ったんだからいいとしますか.
でも年に1回は行くというのはうらやましい。次はぜひ彫刻見てきてください。私も春に行って、砺波のチューリップとともに雪のない(笑)彫刻を見たい。