沖縄の普天間基地移設問題は二転三転した後に、辺野古周辺に落ち着く
ようになったようだ。今のところ、この方法以外に解決の手段はなかった
のではなかろうか。基地機能を沖縄県以外にと願っていた人達にとっては
がっかりさせるような結論になってしまった。誠に残念な事である。
一度約束してしまったことを撤回することが如何に難しいかと言うことを
まざまざと感じさせる一連の出来事ではあった。ましてや相手はしたたかな
アメリカ政府である。オバマ大統領に期待するのは人が良すぎると言うもの
であろう。
マスコミも世論もこぞって鳩山さんを責めているが、本当に鳩山さん
一人の責任にして良いのだろうか。今までの自民党政権下で基地問題に
対し真正面から向き合って、精力的に働いてくれた人がいただろうか。
民主党政権になって初めて実現したことである。
私達は新政権に多くを期待するあまり新政権を自らの手でつぶすような
ことをしてはいないだろうか。新政権になって全てが順調に推移している
とは言い難い。しかし、長く手を付けることが出来なかったことが次々に
実現し、多くとは言えないまでも、新しいことが現実のものとなっている。
素晴らしいことではないだろうか。
さて、韓国観光旅行三日目、朝食後、世界遺産である水原城に向かった。
お城だけでなく町全体を城壁で囲ったところである。その城壁がとても長く
韓国の万里の長城と呼ばれている。
しかし、現実は万里の長城と較べるべくもない。私達が見学したのは
その一部分であった。一周すれば5.7㎞とかなりな距離らしいが、一般の
観光客が散策できるのは、わずかな場所に限られている。
水原城を後にして向かったのは李王朝の王墓である隆陵、健陵であった。
親子二代の陵墓である。韓国特有の饅頭型の円墳である。閑静な松林を
抜けると一気に開ける空間がある。そこに見上げるような小高い丘があって
これがお墓である。
なかなか静かで落ち着いた雰囲気の場所である。この静寂を一瞬に破る
ような大音響がして上空をジェット戦闘機が飛んでいく。機影が確認できる
ほどの低空飛行である。誠に無粋な飛行と言わざるを得ない。
私達が訪れた時、南北間の緊張は全く感じられなかった。この国での
戦時体制は日常茶飯事のことで、沈没した哨戒鑑のことなども、その範疇
でのことなのかも知れない。ガイドさんの話題にもならなかった。
聞けば主要都市全てに米軍基地があり、それも沖縄県と同じように
一等地とも言うべき土地を占有しているとのことであった。この国に
米軍の駐留がなかったら、南北間の和解はもっと早く進んでいたかも
知れない。そう思うのである。
余談になるがアメリカという国は軍需産業に大きく依存した国である。
国民の何割かが何らかの形で軍需産業に関わりながら生活をしている。
従って、この国から軍をなくし、あるいは縮小することは産業基盤を失う
ことになるのかも知れない。
そして、日本は基地を提供しているだけでなく、アメリカの国債を買う
ことによって米軍を間接的に支援してきた。この韓国はどうなのであろうか。
いずれにせよ、この国も間違いなく米軍の基地問題を抱え続けている国
である。
そう言えば水原城に向かうときに通り抜けた長い直線道路はセンター
ポールを取り除けば滑走路になるのだとの説明があった。非常時のためで
あろう。
午後は南大門市場、北村韓屋村と言った買い物エリアへと向かった。
東京のアメ横や大阪の黒門市場を思わせるような賑やかな場所である。
国内、国外を問わず私が好むような場所である。この雑然さと騒々しさが
良い。人が生きていることを実感させる場所である。
経済的な危機を完全に乗り切ったとは言えない韓国経済ではあるが
この場所にそれを感じることは出来なかった。驚いたのは日本の若者が
たくさん働いていることである。何故ここで働くようになったのか経緯は
分からないが、日本国内では飽きたらずこの国に渡ってきたのだろうか。
彼らが違和感なくこの国で働くことが出来るのも、この国が日本人を
受け入れることが出来るほど大きく変わってきたこと、それなりに成熟
社会になってきたことの証ではないかと思うのである。
最終日はオプショナルツアーであった。李王朝の最後の宮殿となった
ところを見学した。李王朝の最後となった人は、対馬藩から嫁いできた
という日本女性であった。晩年を過ごしたという質素な建物が王宮の脇に
あった。日本と朝鮮の関係は、ごく最近まで続いていたのだ。
王宮はチャングムでもお馴染みの建物である。公式行事に使ったという
建物の前には百官が集い国王に拝謁した広い広場があった。居並ぶ百官を
前に、王は何を語ったのであろうか。今はただの石畳が残るだけである。
つい最近まで近くて遠かった国、韓国は急速に変わろうとしている。
国境という境目などない線によって画された国が韓国の隣にある。未だ
未知の国である。閉鎖された国の中にも分断された民衆が残されている。
主義や主張という壁に阻まれて行き来は許されていない。同胞と言う
だけでなく家族でさえ南北に引き裂かれて住んでいる。そして、日本から
理由なく拉致され、望郷の念にかられながら過ごしている人がいると思えば
観光で喜んでばかりはいられないような気がするのである。
ようになったようだ。今のところ、この方法以外に解決の手段はなかった
のではなかろうか。基地機能を沖縄県以外にと願っていた人達にとっては
がっかりさせるような結論になってしまった。誠に残念な事である。
一度約束してしまったことを撤回することが如何に難しいかと言うことを
まざまざと感じさせる一連の出来事ではあった。ましてや相手はしたたかな
アメリカ政府である。オバマ大統領に期待するのは人が良すぎると言うもの
であろう。
マスコミも世論もこぞって鳩山さんを責めているが、本当に鳩山さん
一人の責任にして良いのだろうか。今までの自民党政権下で基地問題に
対し真正面から向き合って、精力的に働いてくれた人がいただろうか。
民主党政権になって初めて実現したことである。
私達は新政権に多くを期待するあまり新政権を自らの手でつぶすような
ことをしてはいないだろうか。新政権になって全てが順調に推移している
とは言い難い。しかし、長く手を付けることが出来なかったことが次々に
実現し、多くとは言えないまでも、新しいことが現実のものとなっている。
素晴らしいことではないだろうか。
さて、韓国観光旅行三日目、朝食後、世界遺産である水原城に向かった。
お城だけでなく町全体を城壁で囲ったところである。その城壁がとても長く
韓国の万里の長城と呼ばれている。
しかし、現実は万里の長城と較べるべくもない。私達が見学したのは
その一部分であった。一周すれば5.7㎞とかなりな距離らしいが、一般の
観光客が散策できるのは、わずかな場所に限られている。
水原城を後にして向かったのは李王朝の王墓である隆陵、健陵であった。
親子二代の陵墓である。韓国特有の饅頭型の円墳である。閑静な松林を
抜けると一気に開ける空間がある。そこに見上げるような小高い丘があって
これがお墓である。
なかなか静かで落ち着いた雰囲気の場所である。この静寂を一瞬に破る
ような大音響がして上空をジェット戦闘機が飛んでいく。機影が確認できる
ほどの低空飛行である。誠に無粋な飛行と言わざるを得ない。
私達が訪れた時、南北間の緊張は全く感じられなかった。この国での
戦時体制は日常茶飯事のことで、沈没した哨戒鑑のことなども、その範疇
でのことなのかも知れない。ガイドさんの話題にもならなかった。
聞けば主要都市全てに米軍基地があり、それも沖縄県と同じように
一等地とも言うべき土地を占有しているとのことであった。この国に
米軍の駐留がなかったら、南北間の和解はもっと早く進んでいたかも
知れない。そう思うのである。
余談になるがアメリカという国は軍需産業に大きく依存した国である。
国民の何割かが何らかの形で軍需産業に関わりながら生活をしている。
従って、この国から軍をなくし、あるいは縮小することは産業基盤を失う
ことになるのかも知れない。
そして、日本は基地を提供しているだけでなく、アメリカの国債を買う
ことによって米軍を間接的に支援してきた。この韓国はどうなのであろうか。
いずれにせよ、この国も間違いなく米軍の基地問題を抱え続けている国
である。
そう言えば水原城に向かうときに通り抜けた長い直線道路はセンター
ポールを取り除けば滑走路になるのだとの説明があった。非常時のためで
あろう。
午後は南大門市場、北村韓屋村と言った買い物エリアへと向かった。
東京のアメ横や大阪の黒門市場を思わせるような賑やかな場所である。
国内、国外を問わず私が好むような場所である。この雑然さと騒々しさが
良い。人が生きていることを実感させる場所である。
経済的な危機を完全に乗り切ったとは言えない韓国経済ではあるが
この場所にそれを感じることは出来なかった。驚いたのは日本の若者が
たくさん働いていることである。何故ここで働くようになったのか経緯は
分からないが、日本国内では飽きたらずこの国に渡ってきたのだろうか。
彼らが違和感なくこの国で働くことが出来るのも、この国が日本人を
受け入れることが出来るほど大きく変わってきたこと、それなりに成熟
社会になってきたことの証ではないかと思うのである。
最終日はオプショナルツアーであった。李王朝の最後の宮殿となった
ところを見学した。李王朝の最後となった人は、対馬藩から嫁いできた
という日本女性であった。晩年を過ごしたという質素な建物が王宮の脇に
あった。日本と朝鮮の関係は、ごく最近まで続いていたのだ。
王宮はチャングムでもお馴染みの建物である。公式行事に使ったという
建物の前には百官が集い国王に拝謁した広い広場があった。居並ぶ百官を
前に、王は何を語ったのであろうか。今はただの石畳が残るだけである。
つい最近まで近くて遠かった国、韓国は急速に変わろうとしている。
国境という境目などない線によって画された国が韓国の隣にある。未だ
未知の国である。閉鎖された国の中にも分断された民衆が残されている。
主義や主張という壁に阻まれて行き来は許されていない。同胞と言う
だけでなく家族でさえ南北に引き裂かれて住んでいる。そして、日本から
理由なく拉致され、望郷の念にかられながら過ごしている人がいると思えば
観光で喜んでばかりはいられないような気がするのである。