人生いろは坂

人生は山あり谷あり、そんなしんどい人生だから面白い。あの坂を登りきったら新しい景色が見えてくる。

隣国から見た日本・その1

2010-05-24 09:35:13 | Weblog
 5月としては記録的な大雨だという。確かに、この時期としては異例の
荒れたお天気になった。我が家の庭にある花梨はたくさんの実を付けた
まま折れてしまった。空洞になっていたとは言え太い幹である。かなり
強い風だったに違いない。

 天気予報では、これから北日本は暴風雨に注意となっている。春先の
長雨と低温、そして、この時期の大雨、異常気象はまだ続いているようだ。

 荒れたお天気と同様にお隣の国、韓国が揺れている。どうやら先に沈没
した哨戒鑑は北朝鮮が発射した魚雷によるものだったようだ。北朝鮮は
韓国やアメリカの言いがかりだとして、いつでも受けて立つ構えを見せて
いる。評論家に言わせれば北朝鮮はプチ戦争をしたいのではないかと延べて
いる。

 その理由は二つ。一つは北朝鮮の経済問題。国内の経済の混乱から国民
の目を反らせたいという思惑。もう一つは金正日氏の後継者問題。三男の
正雲氏が後継者と目されているようだが、後継者としての彼のカリスマ性
と軍事的な天才としての権威を高めるためだと言われている。さあ、実態は
どうなっているのだろう。
 

 私はつい先日、初めての韓国旅行へ行った。ほんの一時間半余りで行ける
隣国でありながら、ついぞ訪れる機会のなかった国である。主要目的は観光、
それも単なる名所旧跡を巡るだけでなく、韓国の人達の生活や経済状態を
知りたいと思ったからである。

 岡山空港からは直行便が行き来している。ほんの一時間半という近距離は
国内旅行と変わりはない。岡山空港を飛び立ち、飛行機が水平飛行に入って
から、慌ただしく簡易食が出され、食べ終わった頃には既に朝鮮半島上空
であった。

 岡山が吉備の国であった頃から朝鮮半島と人の行き来があったと聞いて
いる。その頃はごく当たり前に半島から離島である日本列島へ人が行き来
していたことは間違いないようだ。

 韓国の円墳から出土したという馬具や曲玉などの装飾品には日本で発掘
されたものと多くの共通点がある。韓国人のガイドさんは、ごく普通に日本
との濃厚な人物往来があったと語っていた。

 朝鮮民族として、かつての侵略者であったことや支配者であったことに
対する違和感はあまりないようである。それともガイドとしての立場から
口に出さなかったのであろうか。

 私達は仁川空港に降り立った。眼下に広がる広大な砂州の一部を埋め立て
て作った空港である。近くにはサムソンの建物などもある。工業地帯として
は最適地であろう。

 しかし、この空港は隣国北朝鮮に限りなく近い。現に哨戒鑑が魚雷攻撃に
あったという海域は、この広大な砂州へと続いている。

 本来、陸にも海にも国境はない。同じ海であり、この海は豊富な魚介類を
産する。特にガザミと呼ばれるカニの宝庫である。その気になれば短時間で
乗り込んでくることのできる近さであり、監視の目を盗んで韓国へ入ろうと
思えば出来るような広大な場所である。

 韓国の首都ソウルはここから近い。従来の主要空港だった金浦空港と
仁川空港は高速鉄道で結ばれている。いずれ、この鉄道は延長されソウル
へも繋がるようである。

 さて、延長20数キロという出来たばかりの空港からの高速道路から一般
の高速道路へ入り一路目的地である慶州を目指した。かつて新羅王朝が
あった場所である。

 ここには先ほど紹介した夥しい数の円墳や、かつての王城跡など古代の
歴史的な遺産がたくさん残されている。それらの多くは世界遺産に指定
されたものである。

 夜は古民家を再生した「瑶石宮」で新羅の宮廷料理を頂いた。食事の間、
屋根を激しく叩くようなにわか雨が降り雷鳴がとどろいていた。ここ韓国
も4月半ばまで気温が上がらず雪の日もあったようだ。

 この急な雨も上空の寒気によるものであろうか。懸念されたにわか雨も
食事が終わる頃には上がり、この日最後の予定である夜の雁鴨池の遺跡
散策へ向かった。

 この遺跡は広大な敷地内に壮麗な建物があったところである。多くは
元寇の役によって失われてしまった。ちなみに元寇は朝鮮半島の豊富な
木材を使って軍船を仕立て日本を攻めた。

 今は主要な建物が再建され、ライトアップされていて美しい。
                      ・・・・その2へ続く
コメント
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