去る11月22日と23日の両日は、恒例となった神辺中学校時代
の同級生との旅行を兼ねた同窓会であった。毎年のように続けてきた
ミニ同窓会ではあったが、私が忙しかったこともあって、昨年は開催
できなかった。今年は友人に頼んで幹事になって貰い何人かの仲間の
お世話で開催可能となった。
当然のことながら、それぞれに年を重ね、初参加の人にとっては
竜宮城から帰ってきた浦島太郎状態だったのではなかろうか。私も
初参加だという女性二人から挨拶を受けたが、記憶の消滅とその姿
の変化に、残念ながらすぐには思い出せなかった。お互い様であろう。
中には大きな手術をしたという人も幾人かいて、多くの同級生が
一病息災と言ったところであったろうか。そんなこともありながら
こうして共に旅行することが出来たのは何よりの喜びであった。
一同に会することが出来たものの、それぞれがそれなりの苦労は
重ねてきたようだ。今、やっとそうした煩わしさから解放されて
この場へ集まった人達であった。
行き先は皆生温泉一泊と出雲路の旅であった。第一日目は冬型の
気圧配置が強まり、空は今にも降ってきそうな様子だった。そして
何となく肌寒い一日であった。
蒜山に着いたとき大山は山頂を雪に覆われていて、とてもきれい
だった。昼食弁当を駐車したバスの中で済ませ、一度は行程表から
削除していた「とっとり花回廊」へ行くことになった。行程表から
削除していたのは、連休の人出で途中の道が渋滞することを考えて
のことだった。
しかし、ここまで何ら渋滞もなくスムーズに来ることが出来た。
花回廊では、この季節のことなのか、特別この日が少なかったのか
場内は閑散としていた。
良く整備された場内にはパンジーが花開き、クリスマスの飾りが
至る所に見られ、とてもきれいだった。入口正面のドーム型温室内は
さすがに温かく、冬の気配も寒さも感じることなく熱帯植物が青々と
した葉を繁らせていた。この頃から屋外では小雨が降り始め、いつしか
大山も薄い雲の中に隠れてしまった。
周辺が紅葉や冬景色の中、人目を引く花があった。皇帝ダリアという
大きなダリアであった。この花、最近では良く目にする花である。
周辺の景色が色を失い始めた頃、このダリアだけは異常に草丈も高く
ひときわ人目を引く花であった。
そして、どんな方法で咲かせているのだろうか、いつ来ても咲いて
いるのが各種のユリの花であった。この日も数多くの種類が花開き
強い芳香を放っていた。
次に着いたのが「伯耆古代の丘公園」であった。この公園は各種の
ハスの花で有名なようだが、むろん、この季節に花開いているはずも
なく、他に見るべきものもほとんどなかった。
と言うより公園そのものの規模が非常に小さく、わざわざ立ち寄る
ほどのものではなかったと言った方が良いかも知れない。むしろ公園
横と言おうか前と言おうか、すぐ側にある幾つかの墳丘墓に登った
方が良かったかも知れない。
私達は早々に公園を出て、私からの提案で、この公園からほど近い
「妻木晩田遺跡」の方へ向かった。ここはゴルフ場開発の途中、偶然
に発見された巨大弥生遺跡群であった。
広大な丘陵部に展開する遺跡の大半は弥生時代の集落跡であり
住居跡や方形をした特殊な墓地が多数出土している。あまりにも
広大すぎて、ほんの一部(15%)しか発掘されていないようである。
弥生時代の住民達は、この丘陵部を点々と居住地を変えて移り住んで
いたようで、その時代は非常に長期間に及んでいる。
これからの発掘調査が楽しみな遺跡である。今、ここは国の管理する
遺跡となっていて、見学は無料であり、ボランティアガイドさんが
希望者の時間を聞いて案内をしてくれる。私達もガイドをお願いした
のだが、時間の都合で、ほんの一部分しか見学することが出来なかった。
実は、この下の方に先ほど紹介をした公園や墳丘が見える。恐らくは
稲作が本格化するに連れ、居住地も便利の良い下の方に移っていった
のではないだろうか。
ちなみに、この丘に立つと田畑の向こうには大きく弓なりになった
海岸、弓ヶ浜を見ることが出来る。雄大な眺めである。この丘に住んで
いた人達は朝な夕なこの景色を眺めていたのではないだろうか。
いよいよ皆生温泉到着である。今宵の宿は皆生温泉の端の方にある
簡保の宿であった。かいてもいない汗を流し、いよいよ宴会であった。
そして恒例のようになっている部屋へ帰っての二次会で盛り上がり
夜は次第に更けていった。
翌日は素晴らしいお天気であった。青空が戻ると共に気温も上昇し
コートの必要もないようなお天気になった。私達の同窓会はお天気が
不安定な時期に開催してきたにも関わらず、晴天に恵まれてきた。
今回も一日目こそ肌寒く小雨のぱらつくようなこともあったが
そんなお天気にも関わらず予定外の場所に二カ所も立ち寄ることが
出来た。そして今日は穏やかな小春日和であった。
運転手さんの温かい配慮で、通常の観光バスでは走ることのない
宍道湖の中を突っ走り、更には宍道湖のほとりを延々と走ってくれ
秋の宍道湖や周辺の景色を堪能することが出来た。
どこから飛来して来たのだろう。夥しい水鳥達が宍道湖一帯に広く
群れていた。宍道湖は豊かな湖なのであろう。
二日目は神仏を訪問する旅であった。最初に訪れたのは一畑薬師
である。山頂近くにあるこのお寺は、ご本尊が薬師如来であり、特に
眼病全てに御利益があると言われている。
バスは長い山道を何度もカーブしながら登っていく。そのカーブ毎
に視界が開け、眼下の景色が広がっていく。眼下には陽光に白く輝く
宍道湖が見え、山はきれいに色付き秋盛りの景色である。明るい日射し
と澄んだ空気に木々の紅葉が色鮮やかであった。至福の時である。
今回の参加者の中に近い内に白内障の手術を受けるという人もいて
タイミングの良いお参りだったのではないだろうか。この日の参拝で
急遽、参加者全員の厄払い祈願をして貰おうと言うことになり、団体
だったこともあって予定外の時間にご祈祷をして頂いた。
この頃から予定外の行動もあって行程は少し遅れ気味であった。
その上、鰐淵寺近くまで来たときから車は渋滞をしていた。後で
分かったことだが、上の駐車場が満杯で通行制限をしているようで
あった。
この日、この寺では紅葉狩りの客だけでなく、大護摩法要が行われて
いたので、その関係者も多かったようである。私達はずいぶん手前の
駐車場からお寺までを歩いた。体調のすぐれないものも仲間の中には
いて、とても厳しい行程であったに違いない。
本堂近くなって長い長い石段が続いていた。この石段を登りきった
ところに大きな本堂があった。その本堂の横で山伏達による法要が
行われていた。薪を井桁に組み、燃え上がる火の中に護摩札が投げ
込まれる度に火の粉が高く飛散していた。
時間が切迫していたので大急ぎで山を降り、次の目的地に向かった。
予定していた昼食予約時間を大幅に超えていた。次の訪問地は出雲大社
であった。
大社近くの大きな土産物店の二階が昼食会場であった。遅い昼食が
終わり、この店の女性がガイドさんとなって出雲大社を案内してくれた。
大社の本殿の屋根の葺き替え工事が行われていて、本殿の姿を見ること
が出来なかった。
最近になって出雲大社は巨大な建築物だった事が明らかになった。
その当時の建物に使われていたという巨木を三本束にした柱が発掘
され話題になった。言い伝えられていたことの事実が判明したので
ある。その柱跡と柱の一部が残されている。
ただ、拝殿に手を合わせるだけの見学ではなく、ガイドさんによる
見学は初めてのことであり、出雲大社の歴史や建物の事など詳しく
聞くことが出来、良い見学であった。
私達の旅は、どこかへ立ち寄る度に荷物が増える。ここでも買い物
に余念がなかった。たくさんの手荷物、いや土産を持って帰路に就いた。
帰りは高速道路に入って一部が渋滞をしていた。それでも比較的早く
帰れた方ではないだろうか。
こうして、次回の再会を約束して解散をした。みんな元気で。また
会いましょう。
の同級生との旅行を兼ねた同窓会であった。毎年のように続けてきた
ミニ同窓会ではあったが、私が忙しかったこともあって、昨年は開催
できなかった。今年は友人に頼んで幹事になって貰い何人かの仲間の
お世話で開催可能となった。
当然のことながら、それぞれに年を重ね、初参加の人にとっては
竜宮城から帰ってきた浦島太郎状態だったのではなかろうか。私も
初参加だという女性二人から挨拶を受けたが、記憶の消滅とその姿
の変化に、残念ながらすぐには思い出せなかった。お互い様であろう。
中には大きな手術をしたという人も幾人かいて、多くの同級生が
一病息災と言ったところであったろうか。そんなこともありながら
こうして共に旅行することが出来たのは何よりの喜びであった。
一同に会することが出来たものの、それぞれがそれなりの苦労は
重ねてきたようだ。今、やっとそうした煩わしさから解放されて
この場へ集まった人達であった。
行き先は皆生温泉一泊と出雲路の旅であった。第一日目は冬型の
気圧配置が強まり、空は今にも降ってきそうな様子だった。そして
何となく肌寒い一日であった。
蒜山に着いたとき大山は山頂を雪に覆われていて、とてもきれい
だった。昼食弁当を駐車したバスの中で済ませ、一度は行程表から
削除していた「とっとり花回廊」へ行くことになった。行程表から
削除していたのは、連休の人出で途中の道が渋滞することを考えて
のことだった。
しかし、ここまで何ら渋滞もなくスムーズに来ることが出来た。
花回廊では、この季節のことなのか、特別この日が少なかったのか
場内は閑散としていた。
良く整備された場内にはパンジーが花開き、クリスマスの飾りが
至る所に見られ、とてもきれいだった。入口正面のドーム型温室内は
さすがに温かく、冬の気配も寒さも感じることなく熱帯植物が青々と
した葉を繁らせていた。この頃から屋外では小雨が降り始め、いつしか
大山も薄い雲の中に隠れてしまった。
周辺が紅葉や冬景色の中、人目を引く花があった。皇帝ダリアという
大きなダリアであった。この花、最近では良く目にする花である。
周辺の景色が色を失い始めた頃、このダリアだけは異常に草丈も高く
ひときわ人目を引く花であった。
そして、どんな方法で咲かせているのだろうか、いつ来ても咲いて
いるのが各種のユリの花であった。この日も数多くの種類が花開き
強い芳香を放っていた。
次に着いたのが「伯耆古代の丘公園」であった。この公園は各種の
ハスの花で有名なようだが、むろん、この季節に花開いているはずも
なく、他に見るべきものもほとんどなかった。
と言うより公園そのものの規模が非常に小さく、わざわざ立ち寄る
ほどのものではなかったと言った方が良いかも知れない。むしろ公園
横と言おうか前と言おうか、すぐ側にある幾つかの墳丘墓に登った
方が良かったかも知れない。
私達は早々に公園を出て、私からの提案で、この公園からほど近い
「妻木晩田遺跡」の方へ向かった。ここはゴルフ場開発の途中、偶然
に発見された巨大弥生遺跡群であった。
広大な丘陵部に展開する遺跡の大半は弥生時代の集落跡であり
住居跡や方形をした特殊な墓地が多数出土している。あまりにも
広大すぎて、ほんの一部(15%)しか発掘されていないようである。
弥生時代の住民達は、この丘陵部を点々と居住地を変えて移り住んで
いたようで、その時代は非常に長期間に及んでいる。
これからの発掘調査が楽しみな遺跡である。今、ここは国の管理する
遺跡となっていて、見学は無料であり、ボランティアガイドさんが
希望者の時間を聞いて案内をしてくれる。私達もガイドをお願いした
のだが、時間の都合で、ほんの一部分しか見学することが出来なかった。
実は、この下の方に先ほど紹介をした公園や墳丘が見える。恐らくは
稲作が本格化するに連れ、居住地も便利の良い下の方に移っていった
のではないだろうか。
ちなみに、この丘に立つと田畑の向こうには大きく弓なりになった
海岸、弓ヶ浜を見ることが出来る。雄大な眺めである。この丘に住んで
いた人達は朝な夕なこの景色を眺めていたのではないだろうか。
いよいよ皆生温泉到着である。今宵の宿は皆生温泉の端の方にある
簡保の宿であった。かいてもいない汗を流し、いよいよ宴会であった。
そして恒例のようになっている部屋へ帰っての二次会で盛り上がり
夜は次第に更けていった。
翌日は素晴らしいお天気であった。青空が戻ると共に気温も上昇し
コートの必要もないようなお天気になった。私達の同窓会はお天気が
不安定な時期に開催してきたにも関わらず、晴天に恵まれてきた。
今回も一日目こそ肌寒く小雨のぱらつくようなこともあったが
そんなお天気にも関わらず予定外の場所に二カ所も立ち寄ることが
出来た。そして今日は穏やかな小春日和であった。
運転手さんの温かい配慮で、通常の観光バスでは走ることのない
宍道湖の中を突っ走り、更には宍道湖のほとりを延々と走ってくれ
秋の宍道湖や周辺の景色を堪能することが出来た。
どこから飛来して来たのだろう。夥しい水鳥達が宍道湖一帯に広く
群れていた。宍道湖は豊かな湖なのであろう。
二日目は神仏を訪問する旅であった。最初に訪れたのは一畑薬師
である。山頂近くにあるこのお寺は、ご本尊が薬師如来であり、特に
眼病全てに御利益があると言われている。
バスは長い山道を何度もカーブしながら登っていく。そのカーブ毎
に視界が開け、眼下の景色が広がっていく。眼下には陽光に白く輝く
宍道湖が見え、山はきれいに色付き秋盛りの景色である。明るい日射し
と澄んだ空気に木々の紅葉が色鮮やかであった。至福の時である。
今回の参加者の中に近い内に白内障の手術を受けるという人もいて
タイミングの良いお参りだったのではないだろうか。この日の参拝で
急遽、参加者全員の厄払い祈願をして貰おうと言うことになり、団体
だったこともあって予定外の時間にご祈祷をして頂いた。
この頃から予定外の行動もあって行程は少し遅れ気味であった。
その上、鰐淵寺近くまで来たときから車は渋滞をしていた。後で
分かったことだが、上の駐車場が満杯で通行制限をしているようで
あった。
この日、この寺では紅葉狩りの客だけでなく、大護摩法要が行われて
いたので、その関係者も多かったようである。私達はずいぶん手前の
駐車場からお寺までを歩いた。体調のすぐれないものも仲間の中には
いて、とても厳しい行程であったに違いない。
本堂近くなって長い長い石段が続いていた。この石段を登りきった
ところに大きな本堂があった。その本堂の横で山伏達による法要が
行われていた。薪を井桁に組み、燃え上がる火の中に護摩札が投げ
込まれる度に火の粉が高く飛散していた。
時間が切迫していたので大急ぎで山を降り、次の目的地に向かった。
予定していた昼食予約時間を大幅に超えていた。次の訪問地は出雲大社
であった。
大社近くの大きな土産物店の二階が昼食会場であった。遅い昼食が
終わり、この店の女性がガイドさんとなって出雲大社を案内してくれた。
大社の本殿の屋根の葺き替え工事が行われていて、本殿の姿を見ること
が出来なかった。
最近になって出雲大社は巨大な建築物だった事が明らかになった。
その当時の建物に使われていたという巨木を三本束にした柱が発掘
され話題になった。言い伝えられていたことの事実が判明したので
ある。その柱跡と柱の一部が残されている。
ただ、拝殿に手を合わせるだけの見学ではなく、ガイドさんによる
見学は初めてのことであり、出雲大社の歴史や建物の事など詳しく
聞くことが出来、良い見学であった。
私達の旅は、どこかへ立ち寄る度に荷物が増える。ここでも買い物
に余念がなかった。たくさんの手荷物、いや土産を持って帰路に就いた。
帰りは高速道路に入って一部が渋滞をしていた。それでも比較的早く
帰れた方ではないだろうか。
こうして、次回の再会を約束して解散をした。みんな元気で。また
会いましょう。