ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

好天に誘われ、城山から臼杵山を歩いて来ました 2/2 ――― 臼杵神社参拝後、下山は日没との競争

2015年12月13日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/1  最初の計画ではここ臼杵山から市道山まで行き、ヨメトリ坂を下ることになっていました。でも内心では無理だろうと考えていました。コースタイムと同じ時間で歩いたとしても、下山が軽く日没時刻をオーバーしてしまうからです。
ですから、臼杵山から元郷へ下山する決定は当然のこと。これで日没前に下山できます。


▲我が家のある方角、東方面を望遠で撮ってみました。実はこの写真の中に我が家はもちろん、サマーランドの観覧車や新宿副都心の高層ビル群、そしてスカイツリーも薄ぼんやりと写っているのです。15:09ころ。


▲山頂でしばしのんびり過ごし、下山開始です。15:20ころ。


▲臼杵山へ来るときには巻き道を通りました。元郷への分岐は尾根筋なので、巻き道に入ってはいけません。15:24ころ。


▲臼杵神社です。祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)。古事記、日本書紀にも登場する神様で、もともとは穀物の神様ですが、今では農業や商業など幅広い神様になっています。中央の木の祠よりもその左の石の小さな祠が古いのだそうです。15:25ころ。


▲オイヌサマです。狐っぽいですが、狼のはず。15:25ころ。


▲対の片方のオイヌサマ。前の写真のと合わせて一対のオイヌサマは近年供えたものです。15:26ころ。


▲この阿形のオイヌサマは古いものです。奥多摩や秩父地方に広がる狼信仰の表われ。この地域では狼にまつわる様々な言い伝えが残っているのだそうです。明治時代までは密度濃くオオカミが棲息していた地域なのです。向う側にも吽形のオイヌサマがあるのですが、割れてしまって原型が不明です。15:26ころ。

この狛犬を猫だとする説があるようですが、姿は似ても似つきませんよね。祭られている倉稲魂命は養蚕の神様でもあるようですから、お蚕様に害を及ぼすネズミを退治してくれる猫になぞらえたのかもしれません。
宮内敏雄氏も『奥多摩』の中で「お猫さんで有名な臼杵山だ。(中略)お蚕を養うお百姓が毎年二月初午の日にのぼって守り神たる瀬戸物の猫の像をお借りするのである。お礼には来年二つにして納めるのだ」と書いています。古いオイヌサマは石で造られていますから、瀬戸物の猫ではありません。
吉野梅郷の裏山に琴平神社がありますが、そこも養蚕の神様で猫の像(招き猫でしたが)がたくさん奉納されていました。


▲その琴平神社の奉納された猫の像がこれです。招き猫のようですね。興味ある方は今年9月の山行記録も参考にしてください。
http://blog.goo.ne.jp/1940sachiko/e/0f5b39b112ef796105ed739c30e0c5ed

さ~て、昭文社の地図ではこの臼杵神社(臼杵山北峰)から元郷までのコースタイムが50分です。日没時刻は16:30くらいですから日没前には下山できる計算ですね。

ついでのどうでもいい話ですが、いま臼杵山の山頂とされているのは、先ほどの三角点842.1mのあるピークですが、以前はそこのことは鹿ン丸と呼んだようです。臼杵山は神社のある方のピークだったようですね。


▲陽は西にずいぶん傾いています。山座同定は難しいですね。笹尾根や中央線沿線の山が見えているのだと思うのですが・・・・ 15:28ころ。


▲急な下りが続きます。枯葉が積もっていますから、滑り易いことこの上なしです。S子が尻もちをつきました。15:32ころ。

続いてとある施設が出現しました。
無断撮影禁止、インターネット・SNS・ブログ・出版等への掲載禁止とあちらこちらに「これでもか」と看板を出しまくって、脅しをかけています。少々カチンと来ましたから、載せて書いてやろうかと思ったりもしましたが、大人げないので止めておきます。
でも、国土地理院の二万五千図にテロなどの保安対策も考慮して送電線を載せたくなかったのが、反対にあった結果、従来通り載せることになった例もあります。いろいろな電波関連の施設が上記のような禁止対応はしていないのに、この施設だけやたらに過敏なのはなぜなのでしょう? 理解に苦しみます。
家に帰って、ネットを見てみたら他の人のブログにはたくさん掲載されていました。


▲北側を望むと馬頭刈尾根が見えています。左端が大岳山。つづら岩も見えていますね。15:40ころ。


▲つづら岩のところを望遠で写し、さらにPC上で拡大しました。つづら岩の南面だと思います。15:41ころ。


▲東側を望みました。空はまだ明るいですけれど、山は徐々に暗くなってきています。15:41ころ。


▲枯葉がたくさん積もっていて、その下にあるものが分かりませんから、木の根や転び石を踏んだりして転びやすいのです。僕は一度も転びませんでしたが、S子は幾度か転びました。16:03ころ。


▲太陽が山の端に沈みそうです。臼杵神社からすでに40分くらい経過しています。下山のコースタイムは50分ですから本当は里まであとわずかな距離になっていなければなりません。でも、まだまだです。暗くなっての下山になることはもう覚悟していました。16:11ころ。


▲薄暮の中下り、暗い中わずかに見える道型頼りに下り、とうとう懐中電灯を出して下りました。やっと見覚えのあるこの柵まで降りて来ました。17:13ころ。

元郷のバス停には17:15ころの到着です。コースタイム50分のところ100分かかりました。最初は枯葉が積もって滑り易かったので時間がかかったのだと思います。暗くなってからは時間がかかっても仕方がないでしょうね。それにしても予想外に下山に時間がかかってしまいました。
反省。


▲元郷バス停で16:51のバスには間に合うと思っていました。それが駄目でも、17:07には。結局、それにも間に合わず、17:57のバスに乗ることになりました。次のバスまで長く待たなければなりませんから、ふたつ先のバス停まで歩きました。ここは和田向のバス停です。17:49ころ。


▲毎度の音羽鮨で下山の打ち上げ。そして武蔵五日市駅へ向かいます。駅は綺麗にライトアップされていました。20:19ころ。

駅の店に入って、山へ入る直前、戸倉にあった野崎酒造の日本酒「喜正 純米酒」の一升瓶を買いました。「喜正」は「水が違うな」と感じさせてくれる日本酒です。言葉では表現し辛いですが、飲んでみると明瞭に分かります。
その後です。びっくりしたのは。店から出て、S子がいる方へ行くと、S子が誰か大柄な男性と話しています。僕は一瞬どなただか分かりませんでした。でも、すぐにT石先生だとピンと来ました。S子が右膝の大怪我をした時のリハビリの先生です。優しくてとても親身になってくださる先生でした。T石先生とは不思議なご縁があると言うのか、これまでもいろんな場所で偶然お会いしました。福生でお会いしたのはまだ理解できますが、なんと羽田でもお会いしたのです。ビックリ! この先生とは長いお付き合いになればいいなぁと思います。

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