ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

三頭沢右岸尾根は取り付き手前で通行禁止! 奥多摩湖南岸遊歩道も留浦の浮橋の先は通行禁止!

2015年12月22日 | ハイキング/奥多摩

2015/12/17  ネットにも全然情報が載っていませんし、誰も知らないと思いますが、僕が気になっている沢があります。三頭沢です。でも、都民の森あたりから流れ出ている三頭沢のことではありません。それでも、奥多摩好きな人なら三頭山周辺の沢だろうとは思うでしょうけれど、詳しくどこにある沢だと知っている人はまずいないでしょう。
2006年5月14日にこの三頭沢右岸尾根を下降して、出合付近を一瞬眺めたことがあります。日没が迫っていて急いでいたでしょうから、じっくりとは見なかったのですが、それでも「遡行価値がありそうかも」と感じたことだけは記憶しています。
宮内敏雄氏の『奥多摩』にも「想像するほどの水量もないにせよ、玉川と異って武蔵の沢らしく多少の悪場を持つ、三頭山を繞る沢では数馬三頭に亜ぐ興味を呈している」と書かれています。この「数馬三頭」は都民の森を流れる三頭沢のことですね。
ですからもう一度、出合付近だけですけれど、ゆっくり眺めてみよう、沢床への下降方法も確認してみよう、などと思い、今日のこのルートを計画したのです。


▲奥多摩駅発7:38のバスもあるのですが、のんびりの出発が大好きで、その次のバスになってしまいました。小菅方面行は便が少ないのです。金風呂(かなぶろ)で下車します。バス停横には立派なトイレも出来ていて、洗面所からは温かいお湯が出て来ました。11:15ころ。


▲バス停横に小菅川へと降りている道があります。多分この道を行けばいいのでしょう。11:17ころ。


▲ありました。金風呂橋です。11:19ころ。


▲写真中央から左下方へ延びている尾根が三頭沢右岸尾根だと思います。11:20ころ。


▲地形図で見る限り、小さな沢で、水流があるとも思われませんでしたが、けっこう流れています。しかも、滝となって。11:26ころ。


▲その小沢手前に、「立入禁止」の看板が。木の橋も崩れ落ちています。11:27ころ。


▲「立入禁止」等の看板を見ると、そこへ侵入したくなるのが山屋のサガ。当然のごとく無視します。すみません。11:27ころ。


▲崩落した木橋もすぐ右を歩けば大丈夫。11:28ころ。


▲今写真を撮っている地点から10mくらい先まで行きました。山道が完全に消失しています。山の斜面が崩れていました。その先もあまり良い状態でなさそうでしたから引き返すことにしました。20mロープも持っていますから、行って行けないことはないのですが、S子に無理をさせることになりますから、ここで断念。高巻くのも嫌らしそうでしたし、河原はちょうどこの真下辺りから水流が岸を洗っていて、徒渉になるのは確実です。夏ならそうするでしょうけれどね。
計画段階で逆コースを辿ってこちらへ降りることも考えました。でも、帰りのバスがほとんどないので、こちらから登ることにしました。逆コースにしなくてよかったと思いますね。11:37ころ。


▲それで、来た道を引き返すことに。この辺りは昔、民家とか人里とかがあったのでしょう。この石にはかすかに文字が彫られています。お墓でしょうか? 11:41ころ。


▲ずっと手前にもこんな看板があったのですね。気が付きませんでした。まあ、気付いていても進んでいますけどね。11:48ころ。

さあて、計画を変更しなければなりません。金風呂から余沢まで進み、林道を大寺山へ登ることも出来ます。でも、あまり触手が動きません。
では、深山橋まで戻り、奥多摩湖南岸遊歩道を鴨沢まで歩くのはどうでしょう。こちらは登山ではありませんが、鴨沢方面の奥多摩湖南岸遊歩道はまだ歩いたことがありませんし、一度は歩いてみたいと思っていたコースです。


▲深山橋に向かって車道を歩き始めました。前方に標識がありますが、東京都と山梨県の境界です。写真中央の尾根が今日登る予定だった三頭沢右岸尾根。12:05ころ。


▲この付近はもう小菅川とは呼べなくなり、奥多摩湖のバックウォーターです。写真中央の尾根は三頭沢右岸尾根だと思います。12:21ころ。


▲手前に三頭橋、向うに深山橋。写真中央の山は981m標高点。麦山から尾根通しに登ったことがありますけれど、山頂直下はかなりの急登でした。12:39ころ。


▲深山橋たもとのそば屋「陣屋」から奥多摩湖南岸遊歩道がスタート。12:45ころ。


▲すぐに大寺山への登山道が分かれます。タイヤで作られた階段が特徴的。僕たちは右の遊歩道を進みます。12:47ころ。


▲こんな感じ。左下には奥多摩湖。12:50ころ。


▲立派な橋も出て来ます。12:50ころ。


▲太い蔓の木が出て来ました。藤の蔓でしょうか? 12:53ころ。

途中、風の弱い場所で休憩しました。今日は冷たい風が吹いているのです。


▲しっかり整備された遊歩道だと思っていましたが、あらあら! 木の橋が壊れています。右下に降りて渡りましたが、僕はちょっと滑ってしまいました。13:26ころ。


▲幹にも負けない立派な根が張っています。見事ですね。13:35ころ。


▲あれれれ!? 立入禁止の看板が! 13:38ころ。


▲少し先にもこの看板が。さらに先にもあり、柵もありました。ここまでやられると、さすがに侵入するのは気が咎めますね。13:38ころ。


▲で、留浦の浮橋を渡ることにしました。遊歩道を鴨沢まで行けたとしても、この浮橋だけは歩いてみたいと思っていました。今回、初めてこの浮橋を歩きます。13:39ころ。


▲向うの集落が留浦(とずら)。13:42ころ。


▲麦山の浮橋よりも心もち短いでしょうか? 13:43ころ。


▲後を振り返ると、こんな景色。本当はこの右側へずっと歩いて行きたかったのです。13:45ころ。


▲まだ左右には浮体が付いています。水面がこんなに上昇することはないと思うのですけれど。13:46ころ。


▲車道に出て来ました。13:52ころ。


▲13:54発のバスが到着します。乗客は僕たち二人だけでした。13:56ころ。

今日は出発が僕たちにとっても遅かったですし、当然コースも短く計画していました。それが、二度にわたる「通行禁止」との遭遇でさらに短くなってしまいました。こんな日は無理しない方が無難です。とっとと帰ることにしました。
とはいえ、奥多摩駅前の「天益」には今年最後の挨拶をして来たかったのですが、店がまだ閉まっていて、残念! ではと言うことで、実のところお腹もあまり空いていませんし、家へ帰ることにしました。最寄り駅に到着してもまだ居酒屋さんはオープンする時刻ではありません。家へ帰り、S子が簡単に夕食を作って打ち上げ。

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