ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

硫黄島4日目 ――― 硫黄岳に大接近して来ました(下山後は・・・・)

2017年12月18日 | 島旅

2017/3/28  硫黄島で必ず訪ねてみたかったのは東温泉と硫黄岳です。今日、硫黄岳に登ることが出来ました。山頂までは登ることは出来ませんでしたけれど、噴煙を間近で眺めることが出来て感動しました。


▲硫黄岳からの帰り道、舗装道路上にジョウビタキがいました。何やらつついています。食べるものでもあったのでしょうか。12:03ころ。


冒険ランドいおうじまにも寄りました。往きとは反対側の西側の入り口からです。小さなツリーハウス(でも、樹に架かっているわけではありません。キャンプ場のロッジみたいなウッディハウスです)にそれぞれ付いている外のテーブルで昼食をとりました。12:39ころ。


▲幾つかある炊事棟の中はこんな感じです。12:40ころ。


▲シャワー棟は閉まっていましたから中は分かりません。12:45ころ。


▲トイレは使えました。12:46ころ。


▲これはテントでしょう。フレームだけはそのままなんですね。12:48ころ。


▲冒険ランドいおうじまともこれでさよならですね。また来たいと思いました。12:50ころ。


▲「硫黄大権現宮」と書かれています。13:07ころ。


▲お宮の松の木にクジャクが止まっていました。13:08ころ。


▲これが神社本殿なのですが、その横の説明看板にはこの硫黄大権現宮が熊野神社と呼ばれている由来が記されていました。13:10ころ。

以下、その説明の詳略を。
1177年の鹿ヶ谷事件で硫黄島に流された成経、康頼、俊寛のうち、成経と康頼ふたりは帰洛を一心に祈り、紀州熊野三所権現をここに勧請して祭った。後に安徳天皇が居住されてからは三種の神器が祭られるようになる。島津氏の崇敬も受け、修理の費用も島津家が持っていたと言う。


▲港のそばに着くと、ちょうどフェリーが到着したところでした。13:22ころ。


▲テントに戻って来ました。13:32ころ。


▲さあ、これからテントの撤収! 拾ってきた板やジャンベスクールの裏から借りてきたブロックなどをもとあった場所に返しておかなければなりません。14:31ころ。


▲テントのそばにジョウビタキが来ました。15:03ころ。


▲ジョウビタキが近くにいる中、テントの撤収終了! 15:17ころ。


▲すぐ目の前の枝にジョウビタキが止まりました。15:18ころ。


▲天場から今晩泊まる民宿へ移動です。15:22ころ。

明日には黒島へ移動しますから、実質、今日が硫黄島最後の日です。行きたかったところへ行け、期待以上のものに出会った硫黄島の旅でした。

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