ザイルパートナーだったS子とは谷川岳一ノ倉沢、北岳バットレス、穂高岳滝谷、剱岳八ッ峰やチンネなどのルートを登攀しました。S子が愛鷹山の積雪期縦走で脛骨骨折し、2度にわたる手術とトータル9ヶ月間の入院の末、S子の岩登り本番は不可能になりました。
僕は人間の繋がりを大切に手繰り寄せながら、若くて素晴らしい山仲間を神様からの贈り物のように与えられ続けました。そんな若者たちの中で、H原君、Y根君、S﨑君、H田君、O橋君たちと岩登り本番のザイルを組みました。でも、若者たちの人生は変化が激しいものです。結婚をして危険な登山からは遠ざかり、仕事が超多忙で時間すら無くなり、転勤で遠くに行ってしまいます。
僕の岩登り本番は9年前のO橋君との穂高岳滝谷ドーム中央稜が最後になってしまいました。
ところがここに来て、YYDの中にもクライミングレベルの向上が見られるようになりました。なかでもK野さんは僕なんかを超えて行っています。K野さんに岩登りの楽しさ感動を味わってもらいたいと思い、今回の山行を計画したのです。
もちろん僕自身のためでもあります。前の週の日陰名栗沢で、ある程度の長い距離を歩く自信も少しは持つことが出来ました。高齢者の僕にとっては大いなるチャレンジになりますけれど、そんなチャレンジングな精神も復活させたいと思っています。
2022年6月25日(土) 美濃戸~赤岳鉱泉
▲11:55。S﨑君が車を出してくれました。美濃戸からスタートです。前方には阿弥陀岳が聳えていました。(撮影:K野)
▲12:38。堰堤広場です。山小屋の車はここまで入ります。車で運んだ物資を小屋に置いておくんだと思います。そして、ここからは人力で運ぶのでしょう。
▲13:19。柳川北沢沿いの登山道を進みます。何度も橋を渡りました。
▲14:00。赤岳鉱泉に到着しました。写真上部中央に見える岩峰が大同心です。その右下に小同心も見えています。大同心の右、ほぼ同じ高さに見えているのが横岳。
▲15:38。テントはS﨑君が持って来てくれました。ここの天場のテント代は一人2000円、高いですね。
▲16:58。風もほとんど収まっていたので、小屋の外のテーブルで夕食を食べることにしました。
▲17:29。これはS﨑君の作って来たネパール風チキンカリー。今回は主食は各自持ち、おかずは一品を3人分作って来ることにしました。
▲17:29。僕はスペシャルダルスープ。この量の5倍ほど作って、それを冷凍して持って来ました。手前味噌ですが、なかなかの出来だったと思います。後ろの「信州」はここの山小屋で購入した赤ワインです。僕もS﨑君もネパール料理だったので赤ワインが最適です。持って来るのは重いので、山小屋で買うことにしました。
それ以外のおかずは皆、K野さんが用意してくれたものでした。彼は月曜日が納期の仕事があって、前日まで仕事に追いまくられていました。自分で料理する時間は取れなかったのです。
何時に寝たのか忘れました。8時過ぎくらいだったでしょうか。僕は夜中に一度トイレに行きました。それからはあまり寝付けませんでしたね。暖かい夜でした。
2022年6月26日(日) 小同心クラック
▲5:06。テントの外が白みかけて来ると、自然に目が覚めました。周りのテントの人たちも起き始めて、声がするようになったからかもしれません。朝食は作らずに各自持ちの行動食扱いです。早い出発が必要な際は、僕はだいたいこの方針です。
3人なのでダブルザイルが2本必要です。僕とS﨑君が持って来ました。僕のザイルはK野さんに持ってもらうことにしました。僕はいまいち自分自身の体力に確信を持てません。疲労等で迷惑をかけてもいけませんから、僕のザイルはK野さんに持ってもらいました。そんな心配しなくても済むように、山体力を復活させたいものです。
▲5:17。赤岳鉱泉を硫黄岳方向へ進むと、最初に出会う沢には大同心沢との標識があります。通せんぼをしているロープをくぐり、登山道と言えるほどの立派な踏み跡を辿ります。この写真は沢沿いから離れて、右岸の大同心稜に乗る箇所だと思います。
▲5:32。針葉樹林(かな?)の急登を登り続けます。
▲5:53。小さくて黄色のスミレがたくさん咲いていました。スミレの名前は難しくて同定できません。
▲6:04。大同心と相対するようになりました。6月下旬なのに、桜の花が満開です。ここで休憩、朝食にしました。樹林から出ると、風が強かったのですが、ここはハイマツの影で風が遮られていたのです。
▲6:47。朝食を済ませ、岩装備を整えて、さあ! 出発です。
10年前にO橋君と来た時は、大同心基部から小同心基部まで10数分かかっていました。僕は2回(大同心ルンゼを登った時も数えると3回か)、S﨑君は1回ここを歩いたことがあるわけですが、本当に人の記憶なんていい加減なものですね。
上の写真で先頭を歩いているK野さんは、大同心右端の草付きとの境い目に登って行ったのですが、僕が声を掛けて、「そっちじゃないよ。もう少し下じゃないかな」と呼び止めたんです。
▲6:59。この辺りには踏み跡が数多くあります。みんな迷ってるんでしょうね。僕が先頭になって探しますが、行けなくなって何度も引き返します。小同心へは左側が山側になるのですが、この写真は右が山側でしょ。間違いだったので、元に引き返しているところです。
▲7:08。歩き回った末に、やっと気付いて、K野さんが最初に選んだ大同心岩場と草付きの境い目に戻りました。ここに来ると、僕もあやふやだった記憶の中に、ここの風景が蘇って来ました。そう、ここです! 僕ですね。(撮影:K野)
▲7:13。大同心からの正しいルートは分かりましたけれど、そこから先、小同心基部までも迷いました。これも過去の記憶が曖昧なこともありますが、このころになると完全に小同心がガスで見えなくなってしまったからでもあります。行きつ戻りつ、上過ぎたり、下過ぎることはありませんでしたが、迷っています。上の写真もあまりいい感じではないですよね。おそらく戻ったんでしょうね。僕です。(撮影:K野)
▲7:27。ここでも高く行き過ぎて、下の良さそうな踏み跡まで下りることにしました。S﨑君がすぐにザイルを出してセットしてくれます。僕は眼が良くないので、あまり踏み跡の様子は見えません。
▲7:32。S﨑君が先頭で懸垂下降します。
▲7:34。僕も続いて懸垂下降。(撮影:K野)
▲7:49。S﨑君とK野さんが(二人とも年は近くて40代なんですが、S﨑君とは彼が20代前半からの付き合いですから、~君づけで呼ぶ習慣になってしまっているんです)S﨑君のスマホの地形図を見ながら、「行き過ぎてるね」と相談しているところだと思います。小同心クラックのスタート地点を通り過ぎてしまったようなんです。ここでも記憶が曖昧で、僕は「スタート地点はもっと広い場所だった」と思って「ここじゃない」と判断したんです。
▲8:18。僕が思ったほどではなくても、それなりに広い小同心クラック登攀のスタート地点。ちょっと休憩後、登攀開始しました。
1時間以上、さ迷いました。風も強いし、ガスっていて今後の天候も心配です。僕とS﨑君は「このまま戻って、大同心ルンゼを登ってもいいや」と感じていました。K野さんに「どうしようか?」と聞くと、「行きましょう」と、力強い返事。それで即決です。行くぞ!
まあ、K野さんが「行く」と言ってくれて、内心は僕もホッとしましたね。K野さんの強い意志が僕たち3人を結束させてくれました。
3人パーティーなので、リードするのは1人です。僕はともかくとして、S﨑君にはリードもしたい気持ちもあったかと思います。でも、この3人の中では体力でも登攀力でもK野さんが優れています。疑問の余地なく、K野さんがリードすることには決まっていました。それに、彼は岩登りの本番は初めてですから、リードすることでたくさん学び経験することが多いと思います。
▲8:19。今回はトップ(K野さん)の確保はS﨑君にお願いしました。つづら岩でもこの二人はザイルを組みましたからね。信頼関係は出来ていると思います。僕はもっぱら撮影担当です。あと、大きな声でのコールも担当。この日は強風の日だったので、声が届きにくかったんです。
▲8:31。2番目に登るのはS﨑君です。もうちょっと登ると、ガスの中に溶け込んでしまって、僕の眼では人を判別できなくなってしまいます。
▲8:47。1ピッチ目の終了点。
▲8:53。僕の左足が写っていますね。ぼんやりとですが、スタート地点の広場も見えています。
▲8:54。2ピッチ目の登攀をスタートするK野さん。
▲9:11。1ピッチ目終了点のすぐ右の岩場。手が届く距離です。ガスってなければ、赤岳とかも見えるはずなんでしょうけれどね。
▲9:24。S﨑君が2ピッチ目を登り始めました。けっこう垂直に立ってるんですが、ホールドやスタンスは豊富で、難しくてもグレードは4級ほどです。風が強いので、ザックの紐類がなびいていますね。
▲9:30。2ピッチ目終了点から登って来るS﨑君を写しています。白いヘルメットと赤いザックが見えますか? (撮影:K野)
2ピッチ目の終了点に僕も登って来たのですが、そこで掴んだ岩が泥壁にくっついただけの浮石でした。すぐに外れて落ちました。太めの大根くらいのサイズでした。掴んでいたので、そっと足元に置きましたが、セルフビレイを取ってしばらくすると、その浮石の上にあった幾つかの岩がごそっと落ちて来ました。僕の右足太ももや膝に乗っかるような感じで掠めて落ちて行きました。大きなのは太めの大根2、3本分くらいの大きさだったので、その瞬間は「やったかな!?」と思いました。酷い打撲傷、裂傷、最悪は骨折の可能性もほんの一瞬ですが、頭をよぎりました。でも、痛みはありませんし、動かして見ても何ともありません。ホッとしました。二人もびっくりしていました。
▲10:02。3ピッチ目を登攀中のK野さんを確保するS﨑君。ここでの会話はもっぱら寒さに関することばかり。僕は念のために、ビバークで夜を過ごさないといけなくなった場合のことを考えて、ユニクロのウルトラライトダウンを持って来ていたのですが、それを着ているだけです。他はTシャツと半袖のラグビージャージ。「ズボン下も穿いてくればよかったね」(持って来ていませんけど)とか、「雨具のズボンも穿いとくんだった」とかの会話ばかりでした。両脚が震えはじめ、両手の指も痺れ始めていました。
▲10:02。そんな悪劣な環境の中、心慰めてくれるのは岩場で咲く小さな可憐な花たちでした。
▲10:14。K野さんはこの写真の左端の岩をちょっと難しそうに登って行きました。それを見て、S﨑君は写真中央部を登りました。「登り易いよ」と言うので、僕もS﨑君と同じルートで。写真では岩に腰掛けていますが、僕もやっぱり腰掛けました。それが自然なムーブなんでしょうね。
▲10:19。この花はイワウメでしょうか?
▲10:19。2ピッチ目の終了点はこんな感じで残置のシュリンゲがあります。2、3本のシュリンゲをひと捻りした上で環付カラビナをセットしました。
▲10:20。ハクサンイチゲかな?
▲10:28。3ピッチ目の終了点にいる二人が見えました。もっと上、完全に小同心の頭に出ていると思っていましたが、ほんの僅か残していました。ですから、二人と合流後は、僕が2、3m登って、小同心の頭に出て、さらにその先へザイルを伸ばしました。途中の岩にボルトが打ってありましたが、その先に行ったので、ハイマツの枝で確保しました。
▲10:29。綺麗な青ですね! 太陽が出ていれば、もっと輝いてるはずなんですが。オヤマノエンドウ。
▲10:38。左奥に見えるのが小同心の頭。ザイルで確保はしていますが、通常はコンテで歩く場所です。S﨑君が来ました。
▲10:43。K野さんです。
▲10:45。小同心の頭から横岳直下の岩場までは狭くて細長いお花畑になっていました。このウルップソウも横岳縦走路ではあまり見かけませんが、ここではたくさん咲いています。人が多く歩くだけで減ってしまうのでしょうか? それとも悪い人がいるのでしょうか?
▲11:09。横岳直下の岩場です。3級程度ですが、念のためにザイル使用します。ここもK野さんがリード。写真ではS﨑君がフォロウ中です。
▲11:09。ウルップソウ。
▲11:11。ハクサンイチゲ?
▲11:23。ザイルを束ねているS﨑君。笑顔です。
▲11:23。K野さんも笑顔がこぼれます。
▲11:23。終了点は横岳山頂。他の登山者も多くいました。さっきまでの強風が嘘のようにここは風の影響を受けないようです。静かです。
▲11:24。ホッとした安心感が漂います。
▲11:25。握手を交わし、成功を称えあいました。
▲11:52。登山道沿いに咲いていた花。ミヤマシオガマかな?
▲11:53。梯子。
▲11:56。僕とS﨑君は後ろ向きで降りたのに、K野さんは前向きに歩いて下りて来ます。
▲12:01。この花はキバナシャクナゲ?
▲12:19。硫黄岳山荘です。この付近は風を遮るものがないので、僕たちは強風に晒されっ放しです。僕は一度、風にバランスを崩して手を付いてしまいました。
▲12:37。硫黄岳までは幾つかのケルンがあります。ホワイトアウトの時は助かりますよね。このケルンは何故傾いているんでしょうか?
▲12:40。ガスの中から二人の姿が浮かび上がって来ます。
▲12:41。硫黄岳2760m山頂です。
▲13:59。赤岳鉱泉到着です。下山中、周囲のガスが消えると、風も吹かなくなりました。稜線のガスの中だけが寒くて強風も吹いているのですね。
▲14:42。テントも撤収して、これから下山です。
▲14:45。大同心と小同心が少し見えています。テント代は高いですけれど、水も豊富で、トイレも綺麗で、自炊できるテーブルもあって、お酒も買える素敵な天場でした。1000円で入浴も出来るそうですよ。
▲15:27。堰堤広場の手前、堰堤の脇です。ここからは林道歩きです。
▲16:12。美濃戸に到着です。右は赤岳山荘。
▲16:14。駐車場に着きました!
予定時刻よりも遅くなったせいもありますが、K野さんが翌日が納入日なのであまり遅い帰宅は避けなければなりません。赤岳山荘で肉うどん(K野さんは肉そば)を食べて、お風呂にも入らずに帰ることにしました。
帰路、高速を走っていると、大月から先で激しい渋滞になっているとの情報がありました。二人が検討した結果、大月駅で電車に乗ることになり、そこで3人は別れました。K野さんはすぐに発車する特急で帰ることにし、僕は普通電車で帰ります。S﨑君は混んでいる下道は避けて、山中の道路でのんびりと帰るそうです。
こうして僕の9年ぶりの岩登り本番は無事終了しました。まだまだ山体力復活途上ですけれど、特に問題もなくこなせたことはほんの少しだけですが、自分への自信にもなります。ただ、岩登り本番としてはいちばん易しいレベルですけれど、実践後に僕を襲った疲労感は最大級でした。月曜日と火曜日は何もする気にもなれず、食欲も衰えていました。水曜日からやっと3食きちんと食べられるようになり、家事もこなせるようになりました。
翌週の土曜日に小さな沢へ行きましたが、急登では脹脛にすぐ乳酸が蓄積されるような感じでした。今も身体から疲労感が抜け切れていません。