2012/7/8 前の週に雨で実行できなかった丹沢のセドの沢右俣へ行って来ました。調べてみると、2003年9月にS子、M島さん、H原君、Y根君等と共に行っています。9年ぶりのセドの沢右俣です。
天気の方は何とか持ちそうな気配ですけれど、電車から見える丹沢の山々は上半部が濃い雲に覆われていました。霧雨程度は覚悟しなくてはいけません。
渋沢駅発8:20の大倉行バスに乗り、何度来ても長~い!戸川林道を歩きます。今日は日差しもなく、空気も比較的ひんやりしているのでまだましですね。
▲水無川本谷の堰堤上で朝食&沢支度。そして遡行スタートです。10:28ころ。
▲水無川本谷のF1です。O橋君は水流左を直登したがっていましたが、僕はしょっぱなからシャワーを浴びたくはありません。「登るんなら確保はするよ」と言ってあげたものの、後続の4人パーティーがザイルを出して準備し始めたこともあって、我々はパス。さらに左の鎖場から登りました。10:40ころ。
▲本谷F1のすぐ上がセドの沢の出合。O橋君は本谷F2に吸い寄せられて行ってしまいましたが、戻って来て、無事セドの沢へ。10:46ころ。
▲セドの沢のF1(以下、“セドの沢の”は省略)。10:47ころ。
▲F2です。気楽に越えて行きます。10:48ころ。
▲二俣です。今日は右俣へ入りますが、左俣も手頃な滝が多く連続する楽しい沢です。10:50ころ。
▲F3です。看板には右俣F1となっていますが、通しナンバーで説明します。
見た目よりもいやらしい登攀です。10:54と10:58ころ。
▲F4です。水流左が容易に登れるようなのですが、この日の僕にはそれが見えませんでした。O橋君は最初そちらへ行こうとしていたのですが、僕のひと言で変更。11:07ころ。
▲F4。右壁のバンド状が簡単に見えたのです。
ところがどっこい、フォロウしてみて分かったのですが、白い看板のあたり、意外とバランスが悪い。O橋君はそのまま滝の落ち口へのトラバースを試みたのですが、ハーケンに信頼を置けず、断念。11:13ころ。看板から右へ上がって、高巻くことにしました。
ここを高巻いている連中もいるようで、残置シュリンゲもあります。でも、前傾している斜面の木登りをしなければなりませんでした。結構、パワフルムーブ!
▲ナンバーがあっていいほどの滝です。F4とF5の間にある無ナンバー滝。11:37ころ。
▲F5は2段15m。写真は下段の滝です。上段の滝上部がチラッと見えています。11:39ころ。
▲F5の上段。11:40ころ。
▲大滝F6の全貌です。2段35mあります。この手前で小休止したので、時刻は12:00ころです。
ルートは幾つかあるようですが、一般的なルートしか登ったことはありません。他のルートはかなり奮闘的ルートなのではと思います。
▲まずはすぐ上のテラスまで登って、1回ピッチを切りました。12:00と12:09ころ。
そのままピッチを切らずに終了点まで登っても構わないのですが、この滝を初めて登攀するO橋君にはルートファインディングが課題です。「登れるルート」ではなく、「一番容易なルート」を選択できなくてはいけません。
一般的ルートはO橋君が立っているテラスから左の壁を登って行きます。
▲テラスからの2~3mはちょっと難しい所。左端を行くと一番楽かとは思いますが。ほとんど真上を向いてこの写真は撮っています。12:21ころ。
▲大滝に着いたころには雨が降っていましたが、登攀途中には止み、薄日も射すようになっていました。大滝登攀終了点からは滝の落ち口へは嫌らしいトラバースをしなければならないので、普通、左を高巻きます。その高巻きは大高巻きとなって、僕たちはちょっと先に行き過ぎ、沢床へ降りるために懸垂下降が必要になってしまいました。
その時の写真がこれです。13:02ころ。薄日が射すことはあっても、霧は消えていませんから、フラッシュに霧の水滴が光ってしまっています。
▲奥の二俣あたりから水はほとんど消え、源頭の様相を呈して来ます。後は稜線へ詰め上げるだけ。13:24ころ。フラッシュをOFFにしたので、こんな感じで写りました。
▲13:33ころ、政次郎尾根の登山道へ出ました。藪漕ぎはありません。
戸沢までの山道はそんなに長く感じませんが、やっぱり戸川林道は長く感じますね。何回歩いても同じ感想。普通のスピードで歩いて、15:55のバスが見えて来たので、やっぱりラスト50mくらいは走ってしまいました。飛び乗った直後に発車!
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渋沢での馴染みのお店は『いろは』です。僕のお師匠さんはアルパインクライマーでしたから、奥多摩や奥秩父のような沢は嫌い。登攀的な滝が連続する丹沢によく連れて行ってもらったものです。そのお師匠さんから続いている『いろは』なんです。
渋沢駅北口が再開発されるまでは『いろは』は南口にありました。バスだって、南口から発着していたんですよ。僕は個人的にはその当時の『いろは』が大好きです。小さな敷地に小さなテーブルがたくさん並び、テーブル周りには小さな椅子が置いてあります。お客さん同士、肩や背中をくっつけあって狭い店の中に大勢のお客さんがひしめいていたものです。しかも、その大部分のお客さんは登山者ときますからね。
ですから、店のお姉さん(と言わないときつく叱られます)とは30年近い顔馴染みになります。お姉さん曰く「みんな、次々に死んで行っちゃって」。このお店には日本の登山史を飾っているクライマーも多く通っていたのでしょう。僕のことも「大きな怪我もなく続けているのは立派よね」と、褒めてくれました。
そして、会(僕が今春まで所属していた)のO原さん、O庭さん、K島さん等の現況を聞かれました。よく覚えて下さっていますよね。
そんな話で盛り上がったので、サービスをしてくれたのでしょうか。薩摩宝山のオンザロックが少し量が多かったような気がします。それを3杯だか4杯だか飲んで、美味しい料理も頂き、いい気分に。
帰りの電車は寝過ごしてしまうこともなく、無事家まで辿り着きました。