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ザイルと焚火と焼酎と

ザイルを使う登山にちょっぴり憧れ、山中に泊まると焚火を囲み、下山後は焼酎でほのかに酩酊。いい加減なのんびり登山の日記です

久し振りの縦走 蓬峠~武能岳~茂倉岳~一ノ倉岳~谷川岳

2013年10月05日 | ハイキング/谷川連峰

2013/9/21  僕は縦走も嫌いではありません。沢登りのように常にいちばん引っ込んだ場所を歩くのとは違い、大きな空が広がり、遠くの山並みも遥かに見渡せるのですから。ただ、ピークハンターではありませんし、どの山頂に立ったということよりも風景の移ろいや風や霧が肌をさする感触の方が大切なことだと感じます。登山道脇の小さな花、広大な笹原が陽光を受ける角度で様々な色合いに見えるさま、大きな岩に寝転がった時にひんやりと火照った肉体を冷ましてくれる快適さ、そんなちょっとした記憶の集積が宝ものなのです。
それに縦走のいちばんの嬉しいことは、安心感でしょうか。沢登りや岩登りと違って、普通に歩いていさえすれば、ほぼ予定通りの時間で目的地に到着する。だから、心おきなく景色を楽しんだり、休憩したり出来るのです。

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▲テントの中から東の空を眺めました。ほぼ中央が朝日岳1945.3mです。5:18ころ。

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▲朝食は左ふたつがフリーズドライ、右はレトルトです。左から「山芋と百合根の黒米粥」、「白きくらげと鶏肉の緑豆粥」、「ハンバーグ」でした。時短朝食です。半分以上食べてしまってからの撮影です。6:03ころ。

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▲二人の単独行者はすでに出立していました。僕たちは相変わらず遅い出発です。6:35ころ。

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▲やっと出発。でも僕たちにしては早めの出発なんですよ。済みません。7:25ころ。

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▲少し登って振り返ると、蓬ヒュッテが見えていました。その向こう、写真中央の山が七ッ小屋山1674.7m、左のとんがった山は大源太山で、その後方は巻機山でしょうね。7:34ころ。

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▲これから歩く武能岳、茂倉岳、一ノ倉岳が見えています。7:34ころ。

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▲西に目をやると、残雪期に歩いた山々が並んでいます。タカマタギ1529.2mから日白山1631mは歩きましたが、日白山から平標山1983.7mをいつか歩いて見たいと思っています。ちなみに苗場山2145.3mは残雪期に歩いたことはありません。7:36ころ。

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▲谷川連峰の主稜(谷川岳から西に延びる稜線)方面を眺めました。左から万太郎山1954.1m、エビス大黒ノ頭1888m、仙ノ倉山2026.2m。右端に少し写っている笠の形をした山は平標山です。8:07ころ。

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▲武能岳山頂1759.6mに到着しました。8:25ころ。

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▲写真中央にほぼ同じ高さで並んでいる山が右から茂倉岳1977.9m、一ノ倉岳1974.2mです。ふたつのピークの距離は徒歩で20分ほどしかないのですが、茂倉岳までは2時間以上あるのです。8:39ころ。

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▲後ろを振り返ると、蓬ヒュッテもシシゴヤノ頭も大源太山も七ッ小屋山も巻機山も、目に飛び込んで来ました。8:44ころ。

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▲枯れた花の残骸かもしれませんが、線香花火のようで美しくもありますよね。セリ科の植物だと思います。9:03ころ。

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▲前を行くS子。S子の右に見える岩稜は一ノ倉尾根や堅炭尾根だと思いますが、確信は持てません。9:04ころ。

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▲トリカブトの花が咲き残っていました。9:15ころ。

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▲山の斜面が少し色づき始めていました。9:32ころ。

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▲登山道脇にあった大岩にはこのような模様が。これも地球の営みで生み出されたのでしょうね。9:58ころ。

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▲一ノ倉岳北西面に広がる笹原が不思議な色合いを見せていました。灰色がかった渋い金属光沢のような輝きです。10:14ころ。

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▲遠くにうっすらと尾瀬の山々が見えていました。左から景鶴山2004m、燧ヶ岳2356m、至仏山2228.1m、笠ヶ岳2057.5mです。10:33ころ。

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▲武能岳がだいぶん遠くなりました。茂倉岳山頂ももうすぐです。S子ももうひと踏ん張り! 10:55ころ。

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▲茂倉岳山頂に到着しました。11:00ころ。ここで大休止です。

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▲この山頂から360°の眺望を右回りで撮影しました。この6枚の写真はすべて11:25ころ。
一ノ倉岳の遠方に霞む山は上州武尊山2158.0mでしょう。

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▲続いて右(西)方向へ転じます。手前の谷は万太郎谷の源頭です。S子ともかなり昔二人で遡行しましたし、2004年9月にはH原君、Y根君、S崎君と4人で遡行したことがあります。素晴らしい沢でした。オジカ沢ノ頭の右後方に連なる稜線は俎嵓(まないたぐら)山稜です。H原君とY根君が赤谷越から冬季縦走しています。

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▲この稜線の向こう側には谷川本谷や赤谷川本谷があり、その支流も含めて遡行価値のある沢がたくさんあります。とりわけ、赤谷川本谷には行ってみたいと思っています。

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▲今回、苗場山を眺め続けましたから、久し振りに苗場山へ登ってみたくなりました。

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▲シシゴヤノ頭の左向こう側から昨日登ったのです。

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▲白毛門の後ろには尾瀬の山々が見えます。朝日岳のすぐ後方の平らな山は平ヶ岳ではないでしょうか? さらにその左側には奥利根や越後の深山が広がっています。

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▲谷川岳の双耳峰。左のオキノ耳に突き上げている岩稜は東尾根でしょうか? それとも、滝沢リッジとかなんでしょうか? 無雪期の東尾根には数回訪れたことがあります。11:36ころ。

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▲一ノ倉岳への稜線はなだらかな道。11:37ころ。

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▲昨日は蓬峠以外では草刈りのおじさん一人にしか会いませんでした。今日の縦走路はそんなことはありませんが、茂倉岳からはたくさんの登山者と行き交います。向こうから十人以上の登山者が・・・・ 11:43ころ。

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▲名前までは特定不能ですが、モグラの仲間だと思います。なぜ死んでしまったのでしょう? 11:51ころ。

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▲一ノ倉岳山頂です。大きなドラム缶のような避難小屋があります。以前見た時よりも少し大きく、内部もすごく綺麗になっていました。昭和38年10月に群馬県警が地元や谷川岳と関わりの深い山岳会の協力を得て建設したようです。11:54ころ。

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▲中央の岩稜は東尾根、その手前に見える大きなスラブが滝沢スラブです。11:57ころ。

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▲一ノ倉谷の底を覗いてみました。中央にテールリッジが見えています。南稜や中央稜も見えていますが、南稜に数人のクライマーが見えました。12:45ころ。

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▲次第に谷川岳が近づいて来ます。12:56ころ。

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▲一ノ倉谷の真向かいに白くひと筋の沢が見えます。この白毛門に突き上げている沢の名前は銭入(ぜにいれ)沢。ここから御賽銭を放ると届きそうな錯覚を覚える沢ですから、このような名前が付いたようです。12:59ころ。
この沢も四半世紀昔に遡行したことがあります。ザイルを出しにくいスラブが連続する緊張感ある沢です。詰めでスタンスとして使っていた土の塊がラストの僕の時にとうとう崩れてしまって、僕は背中を下に墜落してしまいました。普通でしたら死ぬところですが、何とすぐ下の、枝を横に張った木の上に、ドスン! 九死に一生を得るとはこのことです。

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▲富士浅間神社の奥の院が祀ってありました。中宮は谷川温泉にあり、江戸時代より以前から信仰されていたようです。谷川岳は谷川富士とも呼ばれ、山頂からは富士山も見えるそうですから、納得! 13:18ころ。

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▲驚きを通り越して呆れ果ててしまいます! 一ノ倉岳を過ぎてからはどんどん登山者も増えて来ていたのですが、オキノ耳の混雑ぶりは異常ですね。山頂からは休憩場所を求めて登山者が溢れ出ていました。僕たちは人込みを避けるように、少しも休まずに通過です。前を歩くS子が他の登山者からは浮いた存在に見えてしまいますね。13:23ころ。

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▲トマノ耳手前からマチガ沢東南稜を登攀している3人パーティーが見えました。写真の中央付近のテラスで登攀終了させて、草付を登山道までトラバース気味に登って来ているようです。念のためにザイルは結んだままのようですね。13:33ころ。
このルートも、以前所属していた山岳会の会山行で登攀したことがあります。これも四半世紀以上昔の話ですが・・・・

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▲トマノ耳山頂です。ここも逃げるように通過しました。13:41ころ。

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▲肩の小屋です。ここで20分ばかり休憩し、飲み水を補給しました。500ccのペットボトルが400円だったと思います。それを2本。この値段には納得、有り難いですね。13:41ころ。
この小屋へも数えきれないほどの登山者が到着し、また出立していました。様々な人たちが来ているようです。今日は最高の登山日和ですからいいのでしょうが、天候が崩れたりすれば危うそうな人たちがいることも、会話の端々から感じられます。谷川岳は危険な山、魔の山なんですけれどね。谷川岳は岩登り事故のイメージが強いですが、記録されている最初の遭難事故は夏の縦走での疲労凍死だったと記憶しています。

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▲計画では西黒尾根を下山する予定だったのですが、最近のS子は下りでダメージを受け易くなっていますし、時間的にも遅くなってしまいそうですから、天神尾根を下降しました。写真はロープウェイ駅です。15:36ころ。

ほぼ標準タイムで降りて来たのですが、本当はもっと早く降りられたはずなのです。というのも、あまりにも登山者が多く、自然渋滞が発生。山では初めての経験でした。登山道は幅広いので、遅い人が前にいても余裕で抜き去って行くだけのスペースはあるのです。でも、同じパーティーだったり、後ろに続く人たちもとりわけ抜き去って前に行きたがるほどの人たちではないようで、自然渋滞の最後尾に追いついた僕のような登山者たちは前方で何が起きているのかまったく分からない訳です。渋滞の先頭は見えませんから、何十人(もしかしたら何百人?)の登山者の列の横を追い抜いて行くのは相当の度胸が要るのですよ。
途中、長い自然渋滞の列が小さく分裂しました。僕の十人ほど前を歩く小母さんが僕の所属する集団の先頭になりました。その小母さんが木の階段の左側をえっちらおっちら歩いている隙にその後続の小父さんが階段から抜き去って行きます。その後ろの人も今がチャンスとばかりに走るように抜き去りました。そして次の人も。僕も小母さんが階段に戻る前に抜き去ろうと急ぎます。ギリギリで抜き去ることができました。でも、S子はアウト!
僕はその前の渋滞グループに追いついたのですが、S子が来ていませんから、そのグループを抜き去って行くことは出来ないのです。そのグループの先頭はでっぷり越えた男の人と女の人。その後ろには子供も2、3人います。
しばらくすると、S子も後方の渋滞グループから脱出して僕のところまで追い付いて来ました。でも、すでにロープウェイ駅のそばです。抜こうが抜くまいが時間的にはさほど差がありません。

天神尾根前半はまだまだグループごとまばらでしたから、遅いグループは道を譲ってくれました。でも、後半になると、遅いグループ同士が結合し、長くなり、なぜ渋滞になっているのか見通せなくなるのですね。車の渋滞と同じで、時々列が止まってしまうのです。山でまでこんなストレスは感じたくありませんよね。まだまだ人間修養が出来ていないと反省する小生でした。

ロープウェイで下に降りると、ちょうどすぐ出発するバスがあり、水上へ。「みなかみ町ふれあい交流館」で温泉に入り、帰路の電車に乗りました。


谷川連峰縦走初日は謙信ゆかりの道

2013年09月29日 | ハイキング/谷川連峰

2013/9/20  もともと21~23日でどこかへ縦走でもと考えていました。でも、22日に所用が入り、20~21日の二日間に短縮、谷川連峰を歩くことにします。谷川連峰の主だったルートは歩いたことがありますから、今回はまだ歩いたことのない“謙信ゆかりの道”。
自宅を4:30ころには出て、八高線で高崎へ、さらに水上、越後湯沢まで鈍行旅です。10:05の南越後観光バスで大源太キャニオン行きに乗り、終点手前の旭原で下車します。確か昔、大源太川の北沢本谷を遡行した際にはタクシーで林道へ入った記憶がありますから、バスは初めてです。

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▲林道はススキの穂が光り、すでに秋です。大源太山のピラミダルな山容が見事です。10:55ころ。

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▲昭文社の地図には丸木橋とありましたが、この日は影も形もありませんでした。仕方なく、靴を脱いで渡渉します。水は9月というのに超・冷たい! 12:00ころ。

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▲まっすぐ沢沿いの道を進むと大源太山です。今日の僕たちは右へ“謙信ゆかりの道”へと進みます。この“謙信ゆかりの道”は昔から使われていた道のようで、越後と関東をつなぐ蓬峠越えの山道です。謙信の名前が付くのは、謙信が関東攻めをした際に物資や兵が通った道でもあるせいで付いた名前でしょう。
21世紀になってから地元の人が新しく整備した登山道のようです。家に残っていた昔の昭文社の地図、1994年発行の地図にはこの登山道は載っていません。2002年発行の地図には載っていますから、この間に整備されたことは確かでしょう。12:13ころ。

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▲途中で水場がありました。冷たくて美味しい水です。12:43ころ。

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▲この山道自体は傾斜も緩くて登り易い道です。尾根は急峻なのですが、ジグザグに幅広く付けられています。13:26ころ。

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▲山ではよく見る花ですね。たくさん咲いていました。家に帰って名前を調べました。多分「サラシナショウマ」だと思います。13:29ころ。

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▲まだらに紅葉している草の葉がありました。何の葉だかは分かりません。13:34ころ。

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▲ダイモンジソウです。山の中でこんな大きなダイモンジソウの花の房に出会うとは思いもよりませんでした。13:37ころ。

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▲もうすぐ山頂です。14:57ころ。

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▲シシゴヤノ頭山頂です。同行のS子。14:59ころ。
名前の由来をS子と一緒に考えてみましたが、おそらくシシゴヤ沢という、この山頂に突き上げている沢があるので、その沢名から山の名は出来たのだと思います。「シシゴヤ沢が突き上げている山」という意味。その「シシゴヤ」はこれまたおそらく、「しし小屋」でしょう。鹿にしろ猪にしろ肉のことを「シシ」と言うそうですが、狩猟用の小屋が「シシゴヤ沢」の出合付近に建っていたのでしょうね。

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▲中央の顕著な岩っぽい山が大源太山1598m。それと重なるようにすぐ左に遠く見える山は柄沢山1900.3m。柄沢山の左に続いているなだらかで大きな山体が巻機山です。15:01ころ。

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▲紅葉はまだでしたが、ナナカマドの実は赤く色づいていました。15:20ころ。

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▲山頂で小休止し、歩き始めました。すると、つい最近刈払われた様子の登山道が続きます。15:24ころ。

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▲少し進むと、刈払い作業中の人がいました。「ご苦労様です」と言葉をかけて追い抜きました。15:28ころ。
雪が積もる前に刈払うんですね。蓬峠に着いて、小屋の人に聞いたのですが、このおじさんは主稜線の登山道に合流する地点までが受け持ちなのだそうです。

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▲刈払いが済んでない登山道はこんな感じです。15:33ころ。

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▲中央のやや低いところが蓬峠、今晩の泊まり場です。15:35ころ。

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▲大源太山も少し見る角度が違ってくると、雰囲気もだいぶん異なって来ます。15:46ころ。

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▲フジアザミが咲いていました。大きな花で、茎も太く、ぶつかるとこちらが押し返されるように感じるほどです。15:55ころ。

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▲中央のピークがシシゴヤノ頭。ところで、写真の中にS子が写っているのですが、見つかりましたか? 16:17ころ。

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▲主稜線へ飛び出しました。ここからの登山道は刈払い済みです。16:33ころ。

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▲写真中央の引っ込んだあたりに蓬峠があります。その先は明日歩く稜線。16:35ころ。

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▲イワイチョウだと思いますが、ネットで見る写真よりも花びらが丸いようですね。16:39ころ。
2013/10/11に訂正します。ウメバチソウが正しいかと。

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▲蓬峠です。16:42ころ。

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▲天場に到着しました。後ろに小屋も見えています。小屋にも数人の登山客がいましたが、天場には単独行者が二人だけテントを張っていました。16:48ころ。

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▲まずは今夜と明朝の水を確保しに行きます。途中、小屋に寄ってテント代のことを聞いたのですが、なんと! 無料! 理由を聞くと、幕営地の所有者が蓬ヒュッテではないのだそうです。町と相談した結果、無料にしたんだとか。いくら土地所有者ではなくとも、維持管理費くらい徴収してもいいのでは? (無料だと、とたんに強気の発言ですね)
さて、水場ですが、写真で見えている沢の場所なんでしょう。そう思って行ったのですが、沢状地形の直前で水が湧き出ていました。17:16ころ。

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▲とてもいい水場です。冷たくて美味しい水。全部で4.2リットルほど汲みました。多めに汲んだつもりでしたが、結局ちょうどでした。17:22ころ。
あまり水のいらない料理でしたが、そうでなければ、ひとりあたり2.5~3リットルは必要ですね。いつも、沢のそばや雪の中での幕営が多いので、あまり気にしていませんでした。

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▲水場から戻って来ました。テントを張ってから水場へ出かけたのですが、ザック等持ち物の整理はS子がやってくれました。17:36ころ。

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▲夕陽が沈みます。いつも谷底にテントを張ることが多いので、新鮮な感動がありますね。上が17:39ころ、下が17:40ころ。

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▲山行の初日はけっこう疲れるものです。ですから、肉体は空腹よりも休息を強く求めるようです。食欲がさほど湧きません。今晩も結局は大豆の煮物と、高野豆腐だけ。19:42ころ。

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▲中秋の名月の翌晩です。三脚もありませんし、シャッターをバルブにも出来ません。朝日岳の山塊から山にかかる雲を突き抜けて上がって来ました。月光で仄かに輝く雲や空、山や笹原を想像して下さい。19:44ころ。


二日続けて焚火が出来ませんでした

2012年10月13日 | ハイキング/谷川連峰

10月の3連休、S子とどこかを歩いて来ようと考えていました。ところが、土曜日に野暮用が朝と晩に2件も入ってしまい、2日間だけの山歩きをあれやこれや考えていたのですが、なかなか妙案が浮かびません。何故かと言えば、どうしても焚火の出来る幕営地を計画に繰り入れたかったからです。
テントが張れる平坦地と水があり、焚火も出来る流木が豊富な場所は沢沿い。しかも、山麓付近です。そこで1泊すると、翌日には山に登って家へ帰らなければなりません。紅葉とも出逢いたいですから、上越や東北がターゲットです。
いろいろ決めあぐねていたのですが、ふっとあることに気付きました。二人とも火曜日に仕事が入っていなかった。もうこれで決まり。火曜日も加えての2泊3日山行、これなら大丈夫です。

2012/10/7  上越線の後閑駅で9時25分発猿ヶ京行きのバスに乗り込みました。数人の乗客が途中から乗り込んでは降りることを繰り返します。終点ひとつ前の関所跡のバス停まで乗っていたのは我々二人だけでした。それが10:08ごろ。そこから赤谷川沿いに続く車道を延々と歩く二人。まあ、毎度のことです。

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▲道端のアザミの花にハナムグリがとまっていました。11:09ころ。

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▲広大な敷地を擁する高原千葉村を過ぎると、富士新田大橋が出て来ます。本当は橋を渡ると、左へと進まなければならなかったのですが、間違えて右へ行ってしまいました。11:53ころ。

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▲日本の里山の田園風景が広がっています。12:01ころ。

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▲お腹も空いて来ていたので(あ、そうです、さっき道端に落ちていた小振りの柿の実を食べたのですが、甘く柔らかくて2個も食べてしまいました)、こんな旗ヒラヒラのお店が出現すると、入らない訳にはいきません。12:03ころ。

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▲S子の頼んだおすすめランチです。手前の3つの鉢は二人で自由に食べていいピクルスやラッキョウです。12:19ころ。

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▲僕の頼んだギリシャランチ「ムサカ」です。12:20ころ。
店の御主人といろいろ話し、道を間違えたこともすぐに分かりました。こんなお店に入れたのですから、間違えて幸運でした。

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▲川古温泉を通り過ぎると、車止めのゲートがあります。このゲートを通過するのは今回で3回目。これまでは2回とも笹穴沢遡行でした。13:24ころ。

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▲赤谷川を渡る橋が現われます。赤谷川橋です。赤谷林道とは別れ、もうここは渋沢林道です。14:41ころ。

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▲大源太山登山口に立つ標識。15:18ころ。
周辺を探し回りましたが、さほど良い天場はありません。それでも何とかそれなりの場所に決め、テントを張りました。平坦な地面であることはもちろんですが、すぐ近くで焚火が出来ることも大切な条件です。

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▲テントを張り、荷物を整理し、沢の流れそばに焚火の場所を設定し、焚き木を集めます。それだけのことをやってから、やっと火を熾し始めました。写真の焚火のレベルまでにはすぐに達したのです。17:12ころ。
でも、それ以上になかなかなりません。この場所は沢の流れの横だとは言え、森の中ですから、川古温泉辺りからポツポツと降り続いていた雨を溜めている木の葉から風が吹くたびにパラパラと水滴が落ちて来ます。しかも悪いことに、止んでいた雨も小雨ではありますが、再び落ちて来ます。
潔く諦めて、テントの中に入りました。残念!

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▲初日の料理はポトフです。大きなウインナーやジャガイモ、ニンジンなどをたっぷりと入れて、S子が作ってくれました。ママカリのつまみも美味しかったです。19:23ころ。

S子はシュラフにシュラフカバーですが、僕はシュラフカバーだけ。それだけでは寒いので、20年以上前に購入したお気に入りのゼロポイント製とノースケープ製のクロロファイバー冬用アンダーウェアを上下とも着ました。どちらも、特にズボン下は強烈に穴だらけです。お気に入りだったので、手放し難く、今はこういう使い方をしているのです。脚の方が少し寒く感じましたが、標高は900mくらいですし、よく寝ることが出来ました。

2012/10/8  日の出は5時40分くらいですから、起床は5時。でも、S子と二人の時は、どうしてもテキパキと出来ません。のんびり、まったりとしたペースになってしまいます。

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▲朝食はラーメン。しかも、一人分だけ。昨晩残しておいたポトフの具などをたっぷりと使います。6:02ころ。

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▲食事中のS子です。左後方に渋沢が流れ、左手前にその支流が流れています。昨日は濡れていた草も今朝はすでに乾いていました。なかなか快適な天場でした。6:04ころ。

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▲S子と二人だとどうしてこんなに時間がかかるのでしょう? もう、7:48です。ここが登山口。

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▲最初の10数分は植林の中の急登でした。森は広葉樹林に変わっています。それでも、ジグザグの急登であることは変わりません。8:04ころ。

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▲ハナイグチだと思います。本当は採集して、今晩のおかずにしたかったのですが、今日は先が長いので我慢しました。9:25ころ。

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▲水場を示す標識です。9:28ころ。
ここまで途中で一回休憩を取って1時間40分かかっています。一般的なコースタイムは1時間20分ですが、歩き初めですし、荷も重いですから、これくらいかかるのは普通でしょうか。

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▲水場への踏み跡の途中にはイグチ(多分ハナイグチ)がた~くさん生えていました。写真のところには10数本も。9:30ころ。

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▲水場です。水量はわずかですが、涸れた笹の葉を樋にして汲めます。ペットボトル1本に汲んで、平標山ノ家まで飲みました。9:32ころ。

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▲一見、南国のフルーツを彷彿とさせるような実ですよね! 家に帰って調べると、どうやらホオノキの実のようです。9:42ころ。

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▲何の実? ついでにこれも家で調べました。おそらくガマズミでしょう。食べても甘酸っぱくて美味しいらしい。果実酒やジャムにも出来るとか。10:01ころ。

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▲白樺でしょうか? 10:11ころ。

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▲ツキヨタケの実に旨そうに見える群落がありました。これがもし猛毒でなければ、最高のキノコかもしれません。噂ではすごく美味だとか。
割ってみると、元の方が黒いのでツキヨタケだと分かります。10:12ころ。

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▲これはダケカンバなのでしょうか? 快晴のスカイブルーをバックにすると、樹々も輝いて見えます。10:19ころ。

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▲今年は残暑が長く続きましたから、山の紅葉はずいぶん遅れているようです。それでも、これくらいの紅葉は現われ始めました。綺麗です。10:23ころ。

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▲青と白が光り輝いています。10:40ころ。

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▲これもガマズミだと思います。10:47ころ。

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▲黄葉も輝いています。10:52ころ。

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▲黒金山山頂(1684m)です。向こうに見えるのが、平標山。10:53ころ。

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▲ここまでは背後の景色くらいしか見えませんでしたけれど、黒金山からは360度の展望です。写真は左から平標山、仙ノ倉岳、エビス大黒ノ頭。10:54ころ。

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▲紅葉や黄葉も少しは多く見られるようになりました。尾根筋に出ましたから、景色の上半分は常に快晴の空です。11:25ころ。

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▲背後のピークが黒金山です。11:39ころ。

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▲大源太山(1764.1m)山頂へ到着したS子です。11:43ころ。

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▲大源太山から下って来ると、三国峠~平標山の尾根に出ます。その尾根の西には苗場山~佐武流山~白砂山の稜線がよく見えるようになります。写真は苗場山。12:22ころ。
苗場山の広い湿原へ飛び出す沢を遡行する夢もあるのです。

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▲笹穴沢の上流部が見えています。12:31ころ。
120mとも言われている美しい大ナメは見えていないようです。2回遡行した経験がありますが、また行ってみたい沢ですね。

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▲イワカガミが咲いていました。夏に咲く花ですが、今年はそれほどに残暑が続いていたということでしょう。10月なのに見事に咲いていました。12:35ころ。

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▲後方の山はさっきの大源太山です。12:42ころ。

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▲平標山ノ家です。13:06ころ。昔の記憶と比べて、とても立派になっている気がします。この山小屋で川古温泉で別れて以来の人に会いました。それも、たくさん、たくさん、た~くさん!

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▲途中の水場で汲んだ水も無くなっていました。ここの湧水は実に美味しい! またペットボトルに汲みました。13:07ころ。

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▲雪の重みでしょうか? ダケカンバの枝があらぬ方向にのたうっているようです。13:29ころ。

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▲確か9年前の10月にH原君、Y根君と笹穴沢に来た時、平標山周辺のこの木の階段や木道に驚かされました。その時は下るだけでしたが、今回は登りです。山では階段の上りほど嫌なものはありません。リズムが一定なので、かかる負荷の部位も同じになるからなのでしょうか、やたら疲れます。平らな場所ばかりを踏み続けると、足の裏も疲れやすいのです。
まあ、植生保護の上では致し方ないのでしょうが、こんな階段は処刑台への13段階段のようなもの。13:33ころ。

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▲平標山(1983.7m)山頂に到着するS子です。14:08ころ。
今日の歩き初めからここまで休憩込みで6時間20分。コースタイムが4時間30分ですから、少し遅めですね。S子にとっては重荷を背負っていますし、のんびりと焦らずに歩いて来ましたから、仕方のないペースでしょう。
ここから急登の平標新道登り口になる渡渉点まではコースタイム2時間25分です。のんびりペースから普通ペースに変更すれば、3時間あれば十分に下れるはずです。日没が5時15分ころですから、それまでには下れると計算していました。

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▲平標新道の尾根が右にカーブしながら急降下しています。すぐ眼下には湿原の池塘が点在しています。14:22ころ。
平標新道のすぐ向こう隣りの山は積雪期に通っていた山々です。中央が日白山、左に延びる稜線の先に東谷山、右遠方へ延びている尾根の手前からが1581mピーク、タカマタギ、棒立山です。

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▲さきほど上から見えていた湿原の池塘群です。下の写真の向こうに見えている山は仙ノ倉山。池塘にはそれぞれの表情があって、とても個性的です。14:33~14:43ころ。
ところで、あんなにびっしりと敷き詰められていた木道や木の階段はこの平標新道にはほとんどありません。この湿原にもわずかあるだけで、大部分は湿原を踏み荒らしながら歩かなければなりません。この湿原にこそ、木道は必要でしょう。

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▲西ゼンの大ナメです。15:20ころ。
この沢へは一度来たことがあるのです。下流でビバークし、翌日遡行のつもりでした。しかし、朝起きると雨。退却した辛い思い出があります。まだ、行ったことがないので行ってみたいですね。

平標山手前からカメラの電池が残り少なくなっていました。予備を持って来ていないので、これ以降あまり写していません。まあ、そんな余裕もなくなっていたのかもしれませんけど。
平標新道は登ったことは何度もあるのですが、下ったのは初めて。下るには嫌な尾根だと、今回つくづく感じました。急降下ですし、滑り易い箇所も多く、とりわけ右方向に万が一滑り落ちると、絶対に止まりようはありません。すごく神経を遣いました。

矢場ノ頭に到着するころまでは何とか日没までの下山は可能だと計算していました。でも、その先からS子の歩みがどんどん遅くなります。急下降で神経を遣うのは確かなのですが、それ以上に今日ここまでの長丁場の疲労が出て来てしまったようです。それでも、急がせることが一番危険ですから、「ゆっくり、ゆっくり、慎重に」と言い聞かせます。
何とか薄暮の頃までに到着すればと思いましたが、それも叶わず、S子はヘッドランプを出します。とはいえ、僕にとってはまだ灯りがなくても見えます。見えるなら、灯りがない方が全体像はよくつかめるので、ないままで歩く方がいい場合もあるのです。

18時ころ、渡渉点の河原へ降り立ちました。河原の石が多くなると、逆に山道の場所が分かりにくくなります。少し迷いましたが、無事に渡渉。道標横にちょうどテント1張り分の砂地を見つけて、テントを張りました。
とうとう、この日も焚火が出来ませんでした。残念。とはいえ、S子も頑張ってよく歩いてくれました。
夕食は僕が作ります。キャベツをたっぷり入れた焼きビーフン。
空にはたくさんの星が出ています。久し振りにはっきりと天の川も見えました。今晩、そして明日の朝は冷えそうです。放射冷却が激しいでしょう。
僕は着こめる服の全部を着て、シュラフカバーに入りました。

2012/10/9  陽が昇ってからゆっくり起きた朝、吐く息は真っ白。こんな夜が幾晩も続けば、紅葉も進むことでしょう。

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▲S子後方の砂地がテントを張ったスペース。この日は土樽駅12:16発の電車に間に合えばいいだけなので、ゆっくりです。8:11ころ。
この写真を撮った直後、カメラは完全に動かなくなりました。最後の一枚、よく撮れたものです。

林道に出るまでの仙ノ倉谷沿いの登山道も緊張しながら歩きました。昨日、日没直前の頃、西ゼン遡行後のパーティーに追い抜かれましたけれど、真っ暗な中、渡渉したり、この山道を歩いたりは結構大変だったと思います。

林道に出たところで、ビックリ! 吊り橋があった所に、立派な橋が架かっていて、その先へも林道が続いています。去年の12月に完成した橋でした。

林道を何か食べられるものがないかと目を光らせながら歩いていると、ありました! ありました! アケビです。まだ青いのはそのままにしておきますけれど、少し紫がかったのは家で食べようと採りました。

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▲それがこのアケビ。栗は初日にとって、焚火で焼いて食べようと思っていたのです。

林道では続いて本当に見事なアケビが見つかりました。大きな3つの実が付いていて、たった今口をぱっくり開けたような初々しい姿。開けた口の奥には黒い粒々の種をくるんだ白くて柔らかそうな塊があります。ほんのりと上品な甘み。如何にも美味しそうで、実際美味しかったので、携帯電話で写真に撮ることも忘れてすぐに食べてしまいました。お見せできなくて残念です。

水上では温泉に入り、駅前の「きむら」でパイクツ麺を食べました。毎度の習慣なんです。
高崎駅では八高線の連絡が悪く、改札を出て、喫茶店に入って待ちました。
S子との二人山旅はいつもこんな調子です。
最後までのんびり………