575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

火落とせばコオロギ聞こゆ釜の傍   結宇

2017年10月15日 | Weblog
茶室を詠んだ句と読みました。
お点前が終わって客も帰り、炉の火を落としました。
しばらく時が経って、日暮れ時でしょうか。
誰もいない茶室へいくと、おや?
コオロギの声か?
耳をすますと、釜のあたりから聞こえてきます。

母は茶が好きで、自宅に炉まできっていました。
最初の頃は熱心で、私にも茶を点ててくれました。
いろいろな趣味を持った母でしたが、最期まで残ったのが茶道。
80歳を越えて最長老になっても通っていました。
家を継いだ弟は私同様、茶には無関心。
炉も消えて、茶道具も処分されたようです。 遅足

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冬瓜を切れば純白綿の部屋   静荷

2017年10月14日 | Weblog
冬瓜を真っ二つに。なかは純白。触れば綿のような感触。
写生の効いた句です。

冬瓜の原産はインド、東南アジアとか。
7月から9月に収穫。夏野菜ですが、秋の季語です。
冬の瓜という名は冬まで日持ちすることから。
私は冬の季語と思っていました。

ほとんどが水分で、低カロリーとダイエットにぴったり。
ビタミンCが豊富ですので、カゼなどの予防にも効果が。
料理の仕方によっては綿も食べられるそうです。

                      遅足

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伊勢湾台風とテレビ ニュース ② 竹中敬一

2017年10月13日 | Weblog
伊勢湾台風が東海地方を襲った昭和34年(1959) 9月26日、その時、テレビは… 。

谷水先輩指揮のもと、CBC会館玄関前のシュロの木が倒れんばかりに揺れ、雨風が
吹き荒ぶ有様をカメラはとらえて、夜9時45分からのニュースで伝えました。
ところが、CBCの社史によりますと、当日の「午後7時すぎ、中部電力が管内の
送電をすべて中止したため、CBCの放送は自家発電に切り替えた。」とあります。
ということは、私たちが必死で伝えた生中継の映像は各家庭には届いていなかった
ということになります。
私たちは徹夜で情報を収集しましたが、情報通信網が切断され、被害の報告は
断片的にしか伝わってきませんでした。

この台風による被害が東海地方にとって、未曾有のものであることがわかってきたのは、
夜明けと共に、愛知県の桑原幹根知事が自衛隊のヘリコプターで名古屋市南部から
木曽川下流域を視察、その惨状をメデイアを通じて伝えたことからのように思います。
視察を終えてすぐ、防災服姿の桑原知事が青ざめた表情でCBCのスタジオにも現れたのを、
今でも思い出します。
桑原知事は「大変なことになっている。」と声を震わせながら、テレビを通じて、
水没している被災地の状況を報告。一刻も早く救助に乗り出さなければならない、と
関係方面の協力を求めました。

私たちはこの時、初めて台風が東海地方に悲惨なツメ跡を残したことを知りました。
それからというもの、5人のスタッフは定時ニュースの放送に追われ、被災した現地へ
取材に行くことはありませんでした。

当時の報道はまだラジオニュースが中心で、各記者クラブはじめ取材先へはラジオの
記者で占められていました。
私たちはラジオニュースの原稿や中日新聞の記事をもとに、映像に合わせてリライトして
放送していました。

被災地からの映像は当初、上空からヘリコプターで撮ったフィルムだけが頼りでした。
カメラマンは交代で名古屋空港を基地にヘリコプターで被災地の惨状を上空から撮影。
撮り終えたフィルムの缶を保護袋に入れて、CBCの屋上に投下していました。
当時、6階建のCBC会館以外、周辺には目ぼしい建物はなく、ヘリコプターの接近も
認められていたのです。
カメラマンはフィルムを投下し終えると、再び、被災地か、給油のため空港へ向かいます。
従って、カメラマンから直接、撮影内容について、くわしく聞くことはできません。

伊勢湾台風の翌日から朝、昼、夜の定時ニュースにキー局のTBSはあらかじめCBCからの
台風関連のニュースを一項目 空けて待っていました。台風が去って二、三日経った
ある日のことが思い出されます。その日は昼ニュースの担当でした。
この日は木曽川下流を撮影するという連絡だけは、あらかじめ入っていました。
このため、その辺りの情報を乏しいながら集め、予定稿を書いて待っていました。
いつもながら、逆算して放送ぎりぎり、CBCの屋上にフィルムが投下されました。
保護袋を開けるのも、もどかしくフィルムの缶に貼られたラベルを見ました。
通常、カメラマンはそのラベルに撮影内容を簡単にメモしてくれています。しかし、
私の目に入ってきたのは、「木曽岬あたり」と書かれているだけでした。
現像したフィルムを映写機に掛けると、木曽川下流の堤防の周りには おびただしい
流木らしきものが …。
カメラが近づくと、流木ではなく、死屍累々(ししるいるい)、ただ合掌するのみ。
慎重に編集し、予定稿を書き換え、やっと全国ネットに間に合いました。

こんな日々を送って、一週間は会社で寝泊まりしていたため、下宿先へは帰らずに
いましたが、久しぶりに帰ってみると、寝起きしていた部屋の雨戸が吹き飛んでいて、
僅かながらの持ち物はすべて水浸しでした。

ラジオよりテレビの映像の方に人々の関心が移っていく丁度、その頃に伊勢湾台風が
襲来しました。色々、偶然が重なりますので、この辺は次回に。

中部日本放送社報(昭和34年10月号)は伊勢湾台風を特集しています。
写真はヘリコプターよりCBC会館屋上へ撮影したフィルムの缶を入れた保護袋を
投下しているシーン。


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いざ、鎌倉!   麗

2017年10月12日 | Weblog
先週、夫の還暦祝いの旅として二人で鎌倉に行って来ました。
要所を押さえるために半日コースのバスツアーに参加し、建長寺、鶴岡八幡宮、鎌倉宮、長谷寺と慌ただしく回り、最後は高徳院の大仏様というコースでした。

源頼朝によって幕府が開かれた鎌倉。街の中心に鶴岡八幡宮があります。至るところに鎌倉武士達の歴史や哀愁を感じることが出来ました。美しい寺社も多く、由比ヶ浜など海にも近くコンパクトながら見所の多い古都でした。

この時期は遠足や修学旅行の子供たちでにぎわっています。子供達がお土産の鳩サブレの黄色い袋を振り回しながらあちこち歩いています。
バスガイドさん曰く「帰る頃には鳩サブレが雀サブレになっている」とか!笑

夕方になると子供達の姿もまばらになり、ゆっくり高徳院の大仏さまを見ながらたたずみました。高さ13.35メートルの阿弥陀如来像。大らかで皆を救ってくれそうな温かさがありました。
オバマ前大統領も腰かけられたというベンチに座り一句作ってみました。

              大仏の右顔が好き秋の空   麗子
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10月句会近づく   遅足

2017年10月11日 | Weblog
今回の題詠は「秋収(あきおさめ)」です。
秋の農作業を終えた人々が集まって収穫を祝う行事のこと。
「秋仕舞(あきじまい)」「田仕舞」などの傍題もあります。
また歳時記によっては「豊年」も傍題としています。

  山繭の糸のつよさよ秋収  黒田杏子

  噛みしめて竹輪にちから秋収  辻桃子

  あらためて座る山々秋収  宮津昭彦

子供の頃に訪れた母の実家。
朝早く起きると、刈入れの終わった田んぼにはうっすらと霧。
昼近くになると神社の杜からお囃子が聞こえてきます。
祭が始まる合図の花火が打ち上げられたような記憶も?
家の中には祖父の笑顔があり、普段と違った少し華やいで。
これが秋収の空気だったのでしょうか?

仏壇のある部屋には若いオジサンの写真が私を見下ろしていました。
日中戦争が激しさを増し泥沼化した頃に出征、すぐに戦死してしまいます。
次男だったオジサンが後継ぎに。
高度経済成長期にはトヨタに働きに行っています。
そのオジサンも今はなく、後継ぎは東京です。
当時は東加茂郡足助町。いまは豊田市。
オバサン一人になった母の実家。今年は、どんな秋収なんでしょう?   
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白萩のこぼれここより下り坂  晴代

2017年10月10日 | Weblog
ようやく峠まで上ってきました。
周囲の景色を楽しむ余裕もありませんでした・・・
一休み。見れば白い萩の花が。
足元にはもう散った花びら。
さあ、ここからは下りです。

一枚の写真を見るようです。
しかも時間の経過も詠み込んでいます。
俳句のお手本のような句です。
                 遅足


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白萩を揺らして時は通り過ぐ  能登

2017年10月09日 | Weblog
萩は古代から詩歌の詠まれてきた秋の花。
清楚な感じと散りやすいはかなさが女性を思わせます。
普通なら「時」は「風」になります。
しかし「時」としたことで句の世界は大きく、かつ深くなりました。
仏陀の説いた無常の世界に通じるものも。

「時」では「もの」が見えないと批判する考えもあります。
この二つを満足させる言葉があれば、もっと良い句になる可能性があります。

先日読んだ「死後の世界」という本に「輪廻の図」というものが。
インドでは古くから、人間は死なず、修羅道や餓鬼道など
6つの世界を輪廻するという考えが信じられてきました。
この輪廻の図には、輪を咥えている鬼のようなものが描かれています。
これは「無常大鬼」=死神だそうです。時間は死神に咥えられている。
死神とは時間のことだとか。
これを当てはめれば白萩を揺らしたのは死神です。

そう読むとコワイ句になりませんか?   遅足

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醤油色鍋に整列鰯かな  すみ

2017年10月08日 | Weblog
イワシやサンマは秋の味覚の代表。
鍋のなかにキレイにならんだ鰯。臭み取りの生姜を添えて。
火が通ってゆくと醤油色に・・・
美味しそうな匂いがキッチンに。

イワシといえば、マイワシ、カタクチイワシ、ウルメイワシ。
鍋のなかのイワシはマイワシでしょうか。
かつては日本国内の漁獲量の40%を締めていた時代も。
干ものなどの加工品から、家畜の飼料にも、肥料などに。
今はかっての10分の1以以下とか。
鮮魚はアメリカ・カルフォルニアなどからの輸入も。

時々、お昼に外食しますが、魚定食の定番はサバ。
ノルウェー産です。
あれほど豊かだった日本近海の漁場も
乱獲の結果、魚影が薄くなってしまいました。遅足
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伊勢湾台風とテレビ 二ユース ①竹中敬一

2017年10月06日 | Weblog
伊勢湾台風が東海地方を襲ってから、今年で58年にもなり、当時を知る人も少なく
なってきています。
その時、放送局はどう対応したのか、おぼろげな記憶をたよりに、その一端を記録
しておきます。
私は当時、25歳。名古屋の中部日本放送(CBC)のテレビニュース課にいました。
入社してまだ二年余り、ラジオニュースからテレビに移ってまだ日も浅く、毎日、
ローカルニュースの一項目を担当し、取材から原稿、フィルムの編集、送出までに
こぎつけるのが精一杯でした。

台風当日のことに入る前に、当時の放送界の状況にちょっと触れておきます。
東海地方でテレビを放送していたのは、NHK、CBC、東海テレビの三局だけでした。
NHK名古屋は昭和29年3月、CBCは昭和31年12月にそれぞれテレビ放送を開始。
東海テレビは昭和33年12月に開局したばかりでした。(因みに、東海テレビは開局前、
報道部員1人が私たちのいるテレビニュース課に研修に来ていました。その後、九州
朝日放送からも同じように系列が異なるのに2名の報道部員がテレビニュースの仕組を
勉強に一か月ほど来ていたのを覚えています。)

さて、台風当日、私は何をしていたのか。CBCの社史「中部日本放送 50年の歩み」
(平成12年刊)の中の昭和34年(1959) 伊勢湾台風の年のページを見ていて、一枚の
小さな写真に目が止まりました。
誰が撮ったのかわかりませんが、「本社玄関、昭和34年9月26日、午後9時半ごろ」
撮影とあります。
広小路通りに面したCBC会館の正面玄関でテレビ中継の準備をするスタッフの姿が
映っていました。
よく見ると、何と私の姿があるのに気がつきました。向かって左から2人目です。

この写真を手掛かりに、当日のことが少しづつ思い出されてきました。
当日は台風接近というので、退社時刻の午後6時を過ぎても全員待機となりました。
私たちは昭和31年に完成したばかりのCBC会館の三階にいました。鉄筋ガラス張りの
建物が時々、ミシミシと音を立て不気味でしたが、突然、東側の窓ガラスがものすごい
音と共に割れ、ラジオニュース課のデスクに置いてあった放送まぎわの原稿や資料が
四方に吹き飛ばされました。
このただならぬ事態に直面し、正面玄関に行ってみると、当時は乗用車も少なかった
のですが、目の前の道路で1台のタクシーが強風に煽られて横転するのを目撃しました。
デスクはこの凄まじい光景を夜9時45分からのニュースに間に合わせょうと、私たちは
その準備をしていた。というのが、先の写真の説明になります。

3人目のカメラの前にいる雨ガッパにハチマキ姿で陣頭指揮をとっているのが谷水通弘
先輩 (故人)です。この人こそテレビ生中継デイレクターの草分けの1人でした。
伊勢湾台風の年の4月、「世紀の中継」 と言われた皇太子ご結婚パレードを民放代表の
1人として、技術スタッフと共に生中継を担当した他、国府宮の裸祭りを初めて生中継、
伊勢湾台風でも被災地からの特別番組を何本も担当しました。もちろん、これらを支えた
技術陣も優秀でした。
当時、テレビニュース課は課長を入れても9人。誇り高い技術スタッフを指揮して、生中継を
担当できるデイレクターは谷水さんら3人だけで、この3人が被災地からの生中継など特別
番組を担当。残る5人が毎日のニュースをこなしました。
5人の中で私が一番、若僧の新米でした。

さて、当時の夜ニュースは無事、放送できたのか、次回、お伝えします。

写真は「中部日本放送~50年のあゆみ~」(平成12年 刊)
1959年(昭和34年)「本社玄関9月26日午後9時半ごろ」と出ています。
向かって左2人目が私。


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江ノ島   麗

2017年10月05日 | Weblog
朝、七里ヶ浜の海岸を散歩しました。江ノ島の隣に富士山が見えました。
早朝の海岸を散歩するというのはなんて贅沢な一時でしょう。

    どこまでも歩けそうな秋の朝   麗

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子の帽子浮きつ沈みつ大花野  等

2017年10月04日 | Weblog
コスモスのお花畑でしょうか。
赤、白、ピンクの色とりどりの花が風に揺れています。
その中を見え隠れに子供の帽子が・・・

上五と下五を入れ替えると

 大花野浮きつ沈みつ子の帽子

読み方はどう変わるのでしょうか?

いずれにせよ、海の上をゆく小舟のように。
また人生の荒波を越えてゆく船のようにも。
「浮きつ沈みつ」という表現が、
微妙なニュアンスを句に与えています。  遅足

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蜩や明日は会へぬと今日を鳴く  亜子

2017年10月03日 | Weblog
蜩。明け方や日暮に澄んだ声でカナカナと鳴くので、かなかなとも。
その声には哀れさがあり、人の心に染みいるようです。
作者が旅の途中で聞いた蜩の声。
もう一度、この地を訪れることはあるのだろうか・・・
俳句にしては饒舌な中七下五の「明日は会へぬと今日を鳴く」
畳みかけるような効果があります。
人生を旅として生きた芭蕉の気持ちが少しわかるような気も。

                     遅足



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手に力入らぬ夫や放屁虫   佐保子

2017年10月02日 | Weblog
諧謔の句でしょうか。
へひりむし。触ると臭いにおいを出す虫のこと。
ミイデラゴミムシ・ホソクビゴミムシ・カメムシなどの俗称。
へこきむし、へっぴりむし、とも言い 秋の季語です。

夫も加齢でしょうか、最近、手の力が弱くなりました。
ペットポトルの栓をあけるのに苦労しています。
妻の方が力持ちになりました。
そんな夫を放屁虫に見立てた、ちょっと哀しく可笑しい句です。
以前にも紹介しましたが、歌人の小島ゆかりさんの歌です。

  朝からの夫の放屁おどろかず秋の窓辺にコーヒーを飲む

夫を一番よく観察しているのは妻ですね。遅足
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八首連作    

2017年10月01日 | Weblog
昨日、心の花名古屋歌会がありました。
栗子京子さんをお迎えしての会。
30人が詠んだ八首連作が競い合いました。
俳句にはない詠み方です。
そのなかの一つ。佐保子の歌、八首を紹介します。

赤きブラウス

 次々と開く扉に吸ひこまれ異界めきたる手術室に入る

 モノトーンの手術着に同じ髪カバー目のみ覗かす人々あまた

 亡き母が十代の我に縫ひくれし赤きブラウス着て手術受く
 
 「目を開けて光みてゐよ」と命ぜられ影なきひかりに眼(まなこ)全開

 水晶体吸ひだす機械の音なるか耳もとに聞くかすか楽の音
 
 授かりし目玉とりだし入れかへる七十五年使ひし目玉
 
 「はいレンズ」の声ありレンズ入れられつ一度二度三度、目の抵抗す
 
 予定時刻違はず部屋に帰り着き夫三十分の昼寝より起く

            

俳句ではこうは詠めませんね。遅足

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