2015.04.22 JR 安土駅でレンタサイクルを借り安土城跡の拝観開始の9:00迄セミナリヨ跡等
散策しながら安土城跡に向かう(散策は前後するが 2 でアップする)。
安土城跡 国指定特別史跡 日本百名城 織田信長の天下統一へ向けての拠点とした居城。
築かれた石垣や大きな礎石を使った天主跡、本丸跡、大手道など近世城郭の先駆け
となった広大な遺構が整備保存されている。
大手道 大手門から山頂に向かう大手道は、両端に側溝があり、幅約6mの石段が180m程
直線的に伸びている。石仏が使われた石段もある。道の両側には家臣たちの
屋敷が階段状に配置されていた。
伝羽柴秀吉邸跡(下段)
伝羽柴秀吉邸跡(上段)
伝前田利家邸跡
見寺仮本堂(伝徳川家康邸跡)工事中で見学出来ず。
大手道を上から眺める。右手前には伝武井夕庵邸跡がある。
大手道(横道、七曲り状部) ここから上は幅も狭くなり曲がりながら登る。
石段に石仏も多く見られる。
大手道(主郭外周路部分)幅も広くなり、上部に黒鉄門が見える。
鉄門跡 二ノ丸下段の虎口。枡形になっており石垣には巨石が使われている。
石積みは場所によって石の大きさや積み方が異なっている。
天主跡周辺の縄張
黒鉄門から二の丸へ(左の石垣は二の丸の石垣)
同上にある 仏足石
二ノ丸
信長公本廟 重臣羽柴秀吉は1583年2月に信長公ゆかりの安土城二の丸跡に遺品を埋葬して
本廟とした。六月二日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行った。
本丸跡 天主から少し下りた所にある本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には
天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。
天主石垣と天主への石段。
天主台礎石群 背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地
(天主の地階部分)今は礎石が1.2mおきに整然と東西10列、南北10列並んでいる。
天主よりの眺望。 見学後山麓に下る。
安土城跡 2に続く。
散策しながら安土城跡に向かう(散策は前後するが 2 でアップする)。
安土城跡 国指定特別史跡 日本百名城 織田信長の天下統一へ向けての拠点とした居城。
築かれた石垣や大きな礎石を使った天主跡、本丸跡、大手道など近世城郭の先駆け
となった広大な遺構が整備保存されている。
大手道 大手門から山頂に向かう大手道は、両端に側溝があり、幅約6mの石段が180m程
直線的に伸びている。石仏が使われた石段もある。道の両側には家臣たちの
屋敷が階段状に配置されていた。
伝羽柴秀吉邸跡(下段)
伝羽柴秀吉邸跡(上段)
伝前田利家邸跡
見寺仮本堂(伝徳川家康邸跡)工事中で見学出来ず。
大手道を上から眺める。右手前には伝武井夕庵邸跡がある。
大手道(横道、七曲り状部) ここから上は幅も狭くなり曲がりながら登る。
石段に石仏も多く見られる。
大手道(主郭外周路部分)幅も広くなり、上部に黒鉄門が見える。
鉄門跡 二ノ丸下段の虎口。枡形になっており石垣には巨石が使われている。
石積みは場所によって石の大きさや積み方が異なっている。
天主跡周辺の縄張
黒鉄門から二の丸へ(左の石垣は二の丸の石垣)
同上にある 仏足石
二ノ丸
信長公本廟 重臣羽柴秀吉は1583年2月に信長公ゆかりの安土城二の丸跡に遺品を埋葬して
本廟とした。六月二日の一周忌には織田一族や家臣を集め、盛大に法要を行った。
本丸跡 天主から少し下りた所にある本丸御殿跡。「信長公記」によればこの建物には
天皇を招き入れる「御幸の間」があったと記載されている。
天主石垣と天主への石段。
天主台礎石群 背丈ほどの高さの石垣に囲まれた東西、南北それぞれ約28mの台地
(天主の地階部分)今は礎石が1.2mおきに整然と東西10列、南北10列並んでいる。
天主よりの眺望。 見学後山麓に下る。
安土城跡 2に続く。