HARD HEAD

旅行 社寺

上野公園散策

2015-01-31 13:27:04 | 日記
 2015.01.30 みちのくの仏像展、観覧後旧岩崎邸庭園に向かって公園を散策しました。



  清水観音堂 月の松 歌川広重 名所江戸百景を復元しています。



  不忍池辯天堂 と蓮池 ビルの右手には時の鐘も見えます。





  辯天堂にお参りして池の端に向かって散策路を歩いていると蓮池に野鳥が一杯います。

  餌つけは禁止されているが与える人がいるので集まって来るらしい。



  不忍池で見られる鳥たち。こんなにたくさんの野鳥が見られとは知らず吃驚です。



  右上より時計回りにキンクロハジロ、マガモ、ユリカモメ、ヒドリガモ。



  右よりオナガガモ、ユリカモメ、ヒドリガモ、オナガガモ。



  ボート池にはユリカゴメより一回り大きな鳥もいました。





  更に吃驚です。すずめが手のひらに乗りエサ(バンくず?)を食べています。 

  こんなに人間を信用していたずらされたりしないかと野鳥が心配になりました終り。




みちのくの仏像展

2015-01-30 16:39:31 | 寺院
 2015.01.29 東京国立博物館に東北6県を代表する仏像が集結、早速見学して来ました。



  上野恩賜公園の噴水 もう直ぐ立春、チューリップの花に春を水も温んで感じました。



  みちのくの仏像 4月5日(日)まで 観覧料1000円(一般)





  「東北の三大薬師」をはじめ、東北地方に伝わる魅力的な仏像です。(パンフレットより)







  現役最後の時期、休みが取れると東北のお寺を巡ったこと京都や奈良のお寺と違って一寺一寺が

  人里離れており一日一寺里道を歩いた事等懐かしく思い出します。

  石寺を訪ねた時は住職さんが不在で本尊のお薬師さんは拝観できず、庫裡に訪ねて行き

  住職の奥様に日にちの書いてない御朱印を頂く等東北の社寺は観光化されていないので

  訪ねる人は私一人の時もありました。今回14寺の東北を代表する仏像に出会えて幸せです。





  横須賀市の曹源寺 十二神将立像 みちのくの仏像を見た後他の展示も見て来ました。





  実習船「かもめ」の返還 東日本大震災で陸前高田市で被災後約2年間太平洋を漂流し

  アメリカ.カリフォルニア洲の海岸で発見された。里帰りした舟が展示されていました。

  約2時間拝観後公園を散策しました。



由比駅~蒲原駅 旧東海道散策

2015-01-15 13:20:20 | 旅行
 2015.01.09 昼食後由比漁港から国道1号線とJR東海道線を渡り旧東海道に戻り

       東へ由比宿を通り蒲原駅まで約3.5km散策しました。



  由比宿 案内図



  豊積神社 「延喜式」に記載されている神社。坂上田村麻呂に由来するお太鼓祭りは、

    正月元旦より三日間、青年らにより太鼓が担ぎ出され、その歌に合わせて練り歩く

    祭典で県無形民俗文化財となっています。当神社の大銀杏(雄木)と

    近くの桃源寺の大銀杏(雌木)はご夫婦とのこと。





  稲葉家 せがい造り 出桁.船木造り、下り懸魚。由比町の街並みに多く見られます。



  由比川に架かる由比川橋 ここが由比宿の西の入口(入上)です。1841年の資料では、

              由比宿の街並みは東西五町半(約600m)となっています。





  由比川と入上地蔵 入上地蔵は由比川で溺れた水難者を祀っています。







  松石山 延命寺 今川家の家来由比城主が桶狭間の合戦で討死、子孫が1579年建立した。



  由比宿おもしろ宿場館



  加宿問屋場跡 幕府の書状や荷物を次の宿場まで届ける飛脚業務、幕府の公用旅行者や

   参勤交代の大名の馬や人足の世話、旅人の宿泊、荷物の運搬手配など宿場の中枢でした。







  明治の郵便局舎(平野氏宅)奥の白い建物。江戸時代の通信機関であった飛脚屋は明治4年、

      郵便制度の創設により由比郵便取扱所、さらに明治8年に由比郵便局となりました。

  脇本陣 温飩(うんどん)屋 手前の建物。

                由比宿には脇本陣を交代で務めた家が三軒ありました。





  由比本陣 通常の本陣とは異なり、街道に家屋を直面させず、石垣と木塀が作られています。

    間口60m、奥行き73m、面積は約4300㎡で敷地内には、物見塔、本陣井戸が残り、現在

    東海道広重美術館、御幸亭、由比宿交流館などが併設される

    由比本陣公園となっています。



  同上石垣に沿った水路は大切な移動のパートナーであった馬の為の「馬の水のみ場」です。





  正雪紺屋 由比正雪の生家と伝えられ、400年続いている紺屋(染物屋)として昔ながらの

       技法による染物を今も続けています。



  飯田八幡宮



  お七里飛脚の役所跡 西国の大名の中には、江戸の屋敷と領国の居城との連絡に

     直属の通信機関(七里飛脚)を持っていました。この役所跡は紀州徳川家の跡です。





  枡形跡(東)宿場の東の入口です。西(宿場内)から撮影。





  同上 東(蒲原側)撮影 左手前が昔の商家(志田氏宅)。





  一里塚跡 と地蔵堂 江戸から39番目。かっては榎が植えられていたそうです。



  東海道道標 由比駅2.8km、蒲原駅1km。



  神沢 左旧東海道、右県道富士由比線。



  蒲原駅に13:20頃到着 旧東海道の宿場町を歩く。旧道には今でも昔の面影を残す家々や

     由緒ある神社仏閣.史跡があり江戸時代を偲ばせてくれた楽しい旅となりました。


  

旧東海道 倉沢(薩埵峠東の入口)~由比宿(西の入口)散策

2015-01-14 15:39:27 | 旅行
 2015.01.09 興津の宿からのんびり歩いて来たので薩埵峠を越えるのに1時間50分かかりました。

       倉沢から由比駅までは約2km昔の街道の雰囲気がそのまま残っています。



  案内図





  望嶽亭藤屋 峠の東口ふもとにあり、室町時代末期にはその名を残しています。

     間の宿として、脇本陣.茶屋として多くの文人墨客で賑わいました。

     明治元年、官軍に追われた山岡鉄舟を望嶽亭の主人が隠し階段から海岸に逃がし、

     船で清水まで送り、清水の次郎長にその身柄を託したそうです。

     その時鉄舟が残していったフランス製のピストルがあるそうです。





  脇本陣 柏屋 明治天皇もここで休まれたとのこと。





  間の宿 本陣跡



  宝積寺 



  鞍佐里神社 「日本武尊が東征の途中、賊の焼き打ちの野火に逢い、自ら鞍下に居して

       神明に念ず、其鞍、敵の火矢によって焼け破れ尽くした。依って鞍去の名あり」

       と伝えられ、鞍去が後に倉沢と変わったとも言われてる。

       神社拝殿の蟇股はこの逸話を彫刻しています。大正14年に薩埵山の

       山の神から現在地に移っています。



  八坂神社 この様に神社やお寺は傾斜の急な山沿いにあります。



  あかり博物館 個人で収集した提灯や油行灯等の日本の灯具1000点以上を展示している。







  小池家は武田氏家臣が移住し、代々寺尾村の名主を務めていた家です。

    「東海道名主の館、小池邸」として保存され、街道を歩く人の休憩所となっている。



  薩埵峠から2.9km来ました。奥は宗像神社、由比駅はも少しです。



  県道に架かる歩道橋を渡り旧道をあと0.2kmで由比駅です。



  由比駅 11時30分到着 由比サクラエビ通りの看板の上には富士山が見える。

      昼食には少し早いので由比漁港の浜のかきあげやに桜エビを食べに行く。





  由比駅から歩いて約10分(0.7km)由比漁港(左)かきあげや(右)奥には薩埵峠が

    見渡せ、磯の匂いがする素敵な所にあります。さくらえびのかきあげソバと

    サクラエビの炊き込みご飯のセット(1000円)を美味しく頂きました。

    営業時間は桜エビ休漁中は「金、土、日、祝」の10:00~15:00です。

  昼食後由比宿~蒲原駅に向かい歩き始める。

     



薩埵峠 ウォーキング

2015-01-13 12:26:38 | 旅行
 2015.01.09 薩埵峠は興津宿と由比宿の間にある全長3kmの峠で、東海道の難所。

    歌川広重の東海道五十三次「由比」にも描かれており、今も往時と同じ

    富士の絶景が見ることができます。興津宿から峠越えをすればいつも

    富士を見て進む事が出来るように計画しました。



  前日興津駅から夜間歩き興津川の河畔に宿をとりました。宿を8時40分旅立ち

    興津川に架かる新興津橋を渡り静清バイバスの橋下を潜り渡り旧道に出て

    JR東海道線の踏切を渡り、東海道薩埵峠中道を登り始めます。



  海岸寺 急な坂の途中左手に断崖にへばりつく様に建っています。江戸時代の初期に

    波除け観音堂が建てられ、本堂の阿弥陀如来(別名波除け如来)を中心に左右

    50体ずつ100体の観世音があります。1636年朝鮮通信使の一行が立ち寄り、

    紫峰が扁額を残しています。



  興津駅から55分、薩埵峠迄33分の所まで登って来ました。回りはミカン畑です。





  お墓の中を通り過ぎると薩埵峠の急坂が始まります。



  林の中の切通しを抜けると海原が目に飛び込んできます、さらに急な階段を上ります。



  坂の途中 梅の花が少しほころんでおり、先には昨日見学した三保松原が見えます。



  薩埵峠(西端)





  同上から眺めた富士山



  同上から西を眺めると三保半島が見える。





  歩き進む道の先にはいつも富士の山がある。







  牛房坂に着く 道標には薩埵峠まで0.5km(10分)、興津駅まで3.7km(70分)とある。





  今では水仙が咲き、ミカンが実るのどかな峠道であるが、

  旧東海道中(なか)道は険しい断崖を削って作った細い山道であった。





  薩埵峠展望台





  薩埵峠(先端) ここで東名高速道路はトンネル(さったトンネル)となっている。

     国道1号線が海蝕崖の下の海岸伝いを走っている。古来は下道として使われてた

     「親知らず子知らず」の難所です。安政の大地震で2m程隆起してからは常時通行

     できる様になりました。現在、JR東海道線のあたりです。





  同上 JR東海道線電車の通過を待ち写す。日本の大動脈、東名高速道、国道1号線、

     JR東海道本線と重要な交通網が集中して通っています。





  薩埵峠(頂上)興津駅より4.2km(80分)、由比駅より3.5km(65分)

  同上より駿河湾と富士山。



  同上 ポンカンと青島みかんの無人販売所どちらも一袋100円と安く美味しかったです。



  同上 「山の神」(鞍去神社)遺蹟跡がある。



  薩埵山合戦場跡 薩埵山は重要な戦略地点のため、たびたび戦場となっています。





  由比の宿に向かって下ります。道の周りはみかん畑やビワ畑がずっと続き富士も見えます。



  よほど温かいのかビワの実がもう膨らんでいます。木の中で音がするので熊かと吃驚すると

        枇杷の摘花作業中の装束の農家の人でした。



  薩埵峠もあと少しで終わりです。休憩し買ったみかんで喉を潤し富士に別れをつげる。





  薩埵峠の東側登り口の間の宿、西倉沢の集落まで急坂を下りる。ここには一里塚跡がある、

      日本橋より40番目の一里塚(約160km)です。 薩埵峠まで1.3km、

      由比駅まで2km、由比宿まで3.6km。

  薩埵峠の道 薩埵峠には4つのルートがありました。

     1 薩埵地蔵道 由比、蒲原の人が東勝院にある地蔵へお参りに行く為の道。

     2 上道    1654年幕府が朝鮮通信使を迎える為に開いた道。

              参勤交代の大名も通りました。(現在は消失)

     3 中道    1682年東海道として整備した道。現在の峠道として歩いている道。

     4 下道    海岸を浪の合間を縫って、岩伝いに通り抜ける難所。

              安政の大地震で2m程隆起してからは常時通行できるようになる。

   次は由比駅に向かいます。