2012.07.28 第30回オリンピック ロンドン大会、開会式を朝5時からテレビに
釘ずけになり見続けました、開会式の演出に目を離せなかったのです。
第18回東京オリンピックをまじかに見たことを思い出し比較してしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d1/27db69d2ecef7caea2d7c18fa386cd7a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/d3/88c9f5ae22bf577824c594d49a3e1e23.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/09/3f63dee1df9f948488f29f3cbf43c427.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/f1/d8efcb06cbe0a175d0fdce3248a093e1.jpg)
東京オリンピック 公式ポスター(江戸東京博物館に展示)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/75/8c0af9f0498605e07f909a425d05d5c0.jpg)
東京オリンピック聖火ランナーのランニングシャツ(江戸東京博物館に展示)
1964.10.10 開会式 晴天の日でした、航空自衛隊のブルーインパルス
(曲芸飛行隊)による抜けるような青い空に五輪の輪(五色)を描いたりも
ありましたが、マスゲーム入場行進等規則正しく整然と行われた印象でした
近年 自由で選手も楽しんでいる様子にオリンピック精神を感じ良い時代に
なってきたと思います。 東京大会の
参加国、地域数93、参加人数5133人(男子4457人、女子683人)
競技種目20競技163種目でした、ロンドン大会はそれぞれ約2倍の数です、
特に女子選手は男子と同数までになっています。
最終聖火ランナーは東京も19才の学生でした、
これからを担う若い人に活躍してもらう発想は大切と思います。
その頃の私は国立屋内総合競技場の建設工事に従事しておりました。
フランスの俳優アランドロンとか作家井上靖が見学に来たりした
丹下健三が設計した特異な建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/26/0f271418b60ab374febf9b820b20ec9b.jpg)
第二体育館 屋根架設前 上部には米軍ワシントンハイツ住宅がまだある
その後解体し選手村となり現在は代々木公園となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/0a/f610dd03ae726d9176beb517d476f3dd.jpg)
第二体育館 上部に当時の国鉄山手線が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1c/0e8aca46840c4319e79267f4eb293e8c.jpg)
第一体育館 と手前に第二体育館
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/d9/2d5e5f6e93ed3c683293441fa0fd6fc2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/1c/0eb43533b54c78e85768791bc6518b5c.jpg)
第二体育館完成 同僚と2人オリンピック期間中、建物管理員として点検待機
巡回して 水泳とバスケットボールは自由に見学できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/11/d0cda37d7fa2fc176277836cc519c3e2.jpg)
屋内総合競技場 建設当時を偲ぶ会 20年後の1984.10.13 屋内プール
電光掲示板前で記念撮影
当時のインフラの整備
新幹線10月1日開通、東京モノレール9月開業、首都高速道路整備
地下鉄、ホテル、都電の廃止、幹線道路の拡幅等 工事を期限までに
造り上げたのは日本人の仕事に対する真摯さがあったからだと思う。
釘ずけになり見続けました、開会式の演出に目を離せなかったのです。
第18回東京オリンピックをまじかに見たことを思い出し比較してしまいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/d1/27db69d2ecef7caea2d7c18fa386cd7a.jpg)
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東京オリンピック 公式ポスター(江戸東京博物館に展示)
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東京オリンピック聖火ランナーのランニングシャツ(江戸東京博物館に展示)
1964.10.10 開会式 晴天の日でした、航空自衛隊のブルーインパルス
(曲芸飛行隊)による抜けるような青い空に五輪の輪(五色)を描いたりも
ありましたが、マスゲーム入場行進等規則正しく整然と行われた印象でした
近年 自由で選手も楽しんでいる様子にオリンピック精神を感じ良い時代に
なってきたと思います。 東京大会の
参加国、地域数93、参加人数5133人(男子4457人、女子683人)
競技種目20競技163種目でした、ロンドン大会はそれぞれ約2倍の数です、
特に女子選手は男子と同数までになっています。
最終聖火ランナーは東京も19才の学生でした、
これからを担う若い人に活躍してもらう発想は大切と思います。
その頃の私は国立屋内総合競技場の建設工事に従事しておりました。
フランスの俳優アランドロンとか作家井上靖が見学に来たりした
丹下健三が設計した特異な建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/26/0f271418b60ab374febf9b820b20ec9b.jpg)
第二体育館 屋根架設前 上部には米軍ワシントンハイツ住宅がまだある
その後解体し選手村となり現在は代々木公園となっています。
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第二体育館 上部に当時の国鉄山手線が見えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/1c/0e8aca46840c4319e79267f4eb293e8c.jpg)
第一体育館 と手前に第二体育館
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第二体育館完成 同僚と2人オリンピック期間中、建物管理員として点検待機
巡回して 水泳とバスケットボールは自由に見学できました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/11/d0cda37d7fa2fc176277836cc519c3e2.jpg)
屋内総合競技場 建設当時を偲ぶ会 20年後の1984.10.13 屋内プール
電光掲示板前で記念撮影
当時のインフラの整備
新幹線10月1日開通、東京モノレール9月開業、首都高速道路整備
地下鉄、ホテル、都電の廃止、幹線道路の拡幅等 工事を期限までに
造り上げたのは日本人の仕事に対する真摯さがあったからだと思う。