HARD HEAD

旅行 社寺

膝関節痛

2013-12-31 22:05:40 | 日記
 25日の夜就寝していたら突然左足膝関節が痛くなり、伸ばしても曲げても、左右に

   寝返りを打ち左足の置き場を探しても痛くて、結局一晩寝むれませんでした。

   特別支障があるようなことをした訳ではありません。

   次の日、山登り用のサポーターを付け整形外科に何とか行きレントゲン、診察

   を受けると関節軟骨が減っている、半月板も損傷してるかも知れないとのことで

   お正月も控えているので膝関節に痛み止めの注射をしてもらい、

   28日分の痛み止めの薬を調剤してもらった。今日まで家の仕事もせず

   大人しくしていましたが、明日から新年まだ少し痛いがどの位歩けるか

   浅川に夕方散歩に出掛けました。綺麗な夕焼け富士山と出会え、膝の方も

   ふれあい橋までゆっくりの歩みですが、往復でき一安心した所です。

   今年一年拙いブログ、アクセス有難うございました。よいお年をお迎えください。





  浅川のふれあい橋と富士山

二本松城 2

2013-12-12 17:30:17 | 
 2013.11.29 山城見学後山を下って行く。



  二本松藩士自刃の地(戊辰戦争) この他にも本丸に城代家老の自刃の碑もあります。



  少年隊の丘(新城館跡) 明治100年の1968年に命名。彫刻家橋本高昇氏製作の

         ブロンズレリーフ「二本松少年隊奮戦の図」や顕彰碑などが建つ。



  智恵子抄詩碑 高村光太郎直筆の「樹下の二人」「あどけない話」の一節を伝説の残る

         大小一対の「牛石」に銅板ではめこんである。周辺の円形野外劇場の

         イメージは詩人草野心平の提案。



  土井晩翠歌碑





  安達太良山 一名「乳首山」とも呼ばれ、標高約1700mの山。詩人.彫刻家の高村光太郎が

        「あれが阿多多羅山...」(樹下の二人)と詠み、智恵子のふるさととして知られている。



  洗心滝 (二合田用水) 丹羽光重入府まもなく、城防備を目的に安達太良山麓より

         延々約18Kもの距離を城内各所に引水した。下流で、るり池に注ぐ。



  霞ヶ城の傘マツ 別称「八千代の松」ともいわれるアカマツの巨木で、樹齢300年を越す。



  るり池 光重公時代の造園の姿を今に残す、布袋滝もある小規模な回遊式庭園。





  洗心亭 城跡内に唯一残る江戸期の建造物。



  七ツ滝 霞池に注ぐ。



  洗心亭から眺めた霞池と三の丸(御殿跡ですが菊人形展の後片付の為写真は撮れませんでした)



  三の丸 土塀



  三の丸 見事な「段の松」



  三の丸 虎口



  箕輪門 光重公入府直後、御殿と共に最初に建造した櫓門。





  箕輪門付櫓



  三の丸 高石垣 



  二本松少年隊群像 戊辰戦争激戦地.大壇口戦場の少年隊の奮戦姿と、わが子の出陣服を

      仕立てる母の姿を、名誉市民の彫刻家橋本堅太郎氏がブロンズで制作。



  箕輪門櫓、土塀と石垣



  旧二本松藩 戒石銘碑 国指定重要史蹟 藩士の戒めとするため、五代藩主高寛公が、

             通用門前の自然石に刻ませた4句16文字の銘文。

             徒歩で二本松駅に戻る。



  二本松少年隊士像「霞城の太刀風」銅像のモデルの成田才次郎は大壇口から敗走中、

    敵兵と遭遇し、敵将を突き殺した後、その場で絶命します。この最後の一太刀は

    出陣に際し「一筋に突け」と父から藩の教えを諭されたものだったと云います。





  智恵子像 彫刻「ほんとの空」。

       東北100名城巡り(6城)の旅を終え、あだたらの青い空に別れ、帰途に着く。



 






二本松城

2013-12-12 10:56:08 | 
 2013.11.29 仙台から新幹線で福島へ東北本線に乗換える、この区間を在来線に乗ったのは

       初めてである、車窓からの吾妻小冨士や次に見える安達太良の山々の景色を

       ゆったりと眺めながら二本松に向かう、途中まつかわの駅があった,

       あの松川事件がこんなのどかなところでおきたと初めて知る。

       二本松城にはツアーで10月初めに来ているが通り一遍の見学で

       本丸跡も時間がなく見られず再訪する。

       二本松駅から二本松城に行くのには途中丘陵越えの急坂と中世山城の

       本丸はかなり高い所にあるので行きはタクシーで行き、帰りは歩いて

       見学しながら駅に戻る事にする。(そのため一部写真に前後が生じています)





  本丸跡



  二本松城 国指定史跡 日本百名城 山上に中世山城、山麓に近世城郭が同居する石垣の城







  大手門(坂下門)跡



  案内図



  本丸跡 室町時代は奥州探題職.畠山氏の居城。
    
          
     
      のち会津領時代に蒲生氏、加藤氏、により石垣積で築造。

      1643年丹羽光重が入府、以後220有余年に渡り丹羽氏(十万石)の居城。

      手前の大きく張り出している部分は東櫓台の石垣。



  本丸跡平面図



  本丸枡形虎口と東櫓跡(奥の一段高い石垣)。



  本丸枡形虎口跡(東櫓から見る)。



  同上と本丸跡



  天守台跡(東櫓から見る)。



  天守台跡より眺める安達太良山が綺麗だ。



  西櫓台跡



  本丸跡(西櫓台より見る)。



  本丸跡 天守台(左)、東櫓台(右)(本丸南西より眺める)。



  本丸西面石垣(⑩面石垣)左側には西櫓台が高く積まれている(石垣の内部に旧石垣がある)



  同上石垣内部の旧石垣の説明。



  本丸北面石垣(⑨、⑧、⑨面の石垣)天守台も見える。



  本丸東北面の石垣(⑥面の石垣)手前に見える古石垣は二本松城に築かれた

       最も古い石垣(慶長期)が検出されましたが、風化により復元には再使用できない為、

       近接した所に移築展示してある。



  同上(⑥面石垣)旧石垣



  本丸東面石垣(④、⑤、⑥面の石垣)。





  本丸直下大石垣



  中腹にある日影の井戸を見に下る、南斜面で温かいのかまだ紅葉が残っている。





  日影の井戸 千葉県印西市の「月影の井戸」、神奈川県鎌倉市の「星影の井戸」と

        共に日本の三井戸といわれる。







  搦手門(裏門)跡 寛永初期の門台石垣と門柱礎石の遺構。 

                    次に山を下りながら近世城郭を見学する。








仙台散策

2013-12-11 10:59:44 | 旅行
 2013.11.29 朝の散策は今年の春に仙台に来た時に仙台城等は見学しているので

          仙台メディアテークに行く事にした。



  ホテルの前の広瀬通(イチョウ並木)



  青柳文庫跡地の碑 広瀬通を進み東二番丁通を右折するとすぐ左側にありました。

       青柳文庫は日本最初の公開図書館で、幕末から明治維新まで存続したそうです。



  三越をすぎ定禅寺通(けやき並木)に入ります。



  定禅寺通を進み晩翠通を超えると右側にメディアテークが見えて来ます。















  仙台メディアテーク 伊藤豊雄氏設計 仙台市の複合文化施設 2001年開館 

            チューブと床から成る構造。

      通常のラーメン構造ではできるだけ等間隔に建てられる四角い柱を、スパイラルを描く

      たくさんの細い鉄柱に分解することで「すけすけの柱内部」(チューブ)を作り出し、

      このチューブは床を貫通し、設備系統、エレベーターや階段、屋上からの採光や通風

      など、その内部が見える縦方向のコアとして機能している。(ウィキペディアより)



  見学後晩翠通を南に散策する。





  晩翠草堂 青葉通を左折するとすぐにある。



  青葉通(けやき並木)を駅に向かう。青葉の時の清々しい散策を思い出す。



  仙台駅に到着。 



  福島で乗り継ぎ二本松へ向かう。隣のホームに停まっていた、はやてと連結したこまち。

  



  

  






多賀城跡 2

2013-12-10 15:21:29 | 
 2013.11.28 城中央にある政庁の見学後城内の六月坂地区他各地区を巡り

          国府多賀城駅に向かう事にする。



  多賀城跡案内図



  多賀城神社 政庁北門を出た所に鎮座する。即位前に陸奥の太守を務めた後村上天皇と

             それに仕えた北畠親房、顕家父子らが祀られている。







  六月地区の役所跡



  同上地区にある 多賀神社 近江国(滋賀県)多賀神社の分霊を遷したと伝えられる。



  大畑地区 次からの写真12枚(遺跡)は当地区にあります。



  外郭西門より来た石敷き道路より外郭東門(奥)と役所群の北門(右)を眺める。





  役所群の北門と塀。



  平安時代の石敷道路 外郭西門と結ぶ幅約16mの道路。





  平安時代の外郭東門跡。





  外郭東門跡と築地塀跡





  平安時代の東門北櫓跡





  掘立柱式の建物跡 ここまで大畑地区。









  佐貫地区役所跡



  同上空堀覆屋 屋内では地中に埋まっていた空堀遺構の一部を発掘し直接見せている。





  館前遺蹟 (特別史跡)多賀城跡南東200mの台地上にある。9世紀頃の国司の館跡。



  国府多賀城駅 天気にも恵まれ悠久のロマンに浸った二時間半の散策でした。