HARD HEAD

旅行 社寺

小机城跡 2

2018-07-25 15:09:41 | 
 2018.07.20 続いてつなぎ郭を二の丸(東郭)へ向かいます。



  横浜市の城跡



  中世の城について。



  小机城想定図(縄張り図)。



  つなぎ郭。





  同上 櫓台  この櫓台は東郭(二の丸)、西郭(本丸)にあるどの櫓台より一番高い場所です。





  二の丸広場(東郭)。



  同上より空堀へ降りる。右上が二の丸。





  空堀の底を歩くと両側の土塁の高さを体感できます。左土塁上二の丸。



  空堀  左二の丸、正面本丸。



  空堀  左櫓台、正面本丸。



  空堀  井楼、本丸への道標。





  空堀  振り返り見る、正面櫓台。



  空堀  振り返り見る、右二の丸の土塁。



  空堀  本丸広場(西郭)へ上る。



  本丸広場(西郭)を北から南の冠木門、土橋を渡り、富士仙元に向かう。



  富士仙元(出城)への道標。



  富士仙元へこの先の急坂を下り一度城外に出る。第三京浜道路のガード潜って出城側に出る。



  ガードを出ると横浜線の城山トンネルが見えます。この上の丘陵が富士仙元(出城)。



  第三京浜道路脇の階段を上ると道標と看板があります。



  同上から眺めた、手前第三京浜道路が横切り、西郭(本丸)遠くに、日産スタジアムが見える。



  同上      手前に西郭(本丸)、奥に日産スタヂアムと右奥に小机駅が見えます。



  同上      西郭(本丸)と富士仙元(出城)は道路で分断されています。



  

  富士仙元 櫓台と見られる台地の上に石碑があります。



  同上アップする。「富士仙元大菩薩」(文久元年(1861)銘)と石碑に彫られています。

    木花咲耶姫神のことで富士講の信者が出城だった位置に奉ったと思われます。





  同上からさらに西に向かうと出城らしき場所、空堀らしき所がありますが

    確かではありません。駅へと引き返します。



  城跡南側、根古谷は現在住宅地となっています。



  帰りはJR線路北側を駅に向かいます。途中の踏切から見た城跡、

  正面低い所に第三京浜道路が通り、右側西郭(本丸)、東郭(二の丸)、

  左側は富士仙元(出城)です。

    迫力満点の巨大空堀や土塁.本丸.二の丸などの主要な遺構が遺され

    暑い中の登城も期待以上でした。















小机城跡 1

2018-07-24 15:54:15 | 
 2018.07.20 近くまで行く所用がありましたので猛暑の中でしたが、

            小机城跡に登城して来ました。



  JR横浜線 小机駅から見た小机城跡。

        駅南口にある城郷小机地区センターにより1階でパンフレットとスタンプをゲット。



  案内図  お城まで徒歩約15分位です。



  県道12号線を西に歩き小机辻を右折するとお寺(金剛寺)が左側に見えます。



  JRの踏切を渡るとすぐに小机城跡左折の案内標識があります。

   小高い緑の丘陵が小机城跡手前の住宅地付近は「根古谷」と呼ばれ

   当時は城の麓にあった城主の館や家臣の屋敷地と思われます。



  城北側の大堀切。



  本丸入り口の冠木門。





  小机城跡 続日本百名城 平山城(丘陵) 鶴見川に突き出た丘陵上の要害で、

    15世紀半ば頃(室町時代)までには築城されていたと考えられます。

    背後の神奈川湊と鶴見川及び鎌倉街道の交差する交通の要衝であり、

    横浜市北部一帯を含む支配拠点でした。

    長尾景春の乱で太田道灌と籠城戦を戦う。



  小机城について



  小机城想定図



  縄張りについて。



  いよいよ登城です。当時の大手道は別のようですが、現在の公園入口です。

    右下辺りが「根古谷」です。



  先に本丸へ向かいます。





  本丸南側 空堀。





  本丸(西郭)

   東郭(二の丸)は初期小机城の本丸であったと思われ、後北条氏の武蔵国進出に伴い、

   東郭から西郭に向かって大規模に改修したものと考えられています。西郭と東郭は

   つなぎの郭を介して結ばれており、行き来できる構造となっています。





  本丸 東側空堀。



  本丸 北側空堀。



  本丸より眺めた北東側大堀切。



  二の丸方向へ向かいます。





  櫓台(南側)





  同上 櫓台からの眺め。空堀で守られ当時は樹木が無く見晴らしは良かったと思います。



  矢倉跡 (北側)



  同上 矢倉跡からの眺め。北大堀切が見える。



  土塁  東郭からつなぎの郭、西郭まで大きく囲うように堀跡が残っています。

      堀の両側に土塁を巡らせた、後北条氏の築城術「二重土塁」の遺構が残されています。

      本丸の防御と敵の攻撃に対抗するために造られ、麓から攻めてくる敵に、

      上から弓や槍で攻撃できるようにしています。





  櫓跡.井楼(せいろう)跡  遠くの敵を見つけるために造られた見張台や武器を

     保管する兵器庫があったと言われています。 (説明はパンフレットより)

        続きはは小机城跡 2にアップします。




 


滝山城 2

2018-07-12 10:43:05 | 
 2018.07.04 二の丸から中の丸、本丸へと続いて登城します。



  左側中の丸、右側二の丸の空堀。



  中の丸南面の土塁。



  中の丸土橋左側崖下には腰曲輪がある。



  ⑩ 中の丸南側の防御(櫓門の推定)



  中の丸枡形虎口。





  ⑪ 中の丸(本丸に次に重要な曲輪)



  国民宿舎跡 ここにスタンプが設置されている(屋外)



  中の丸より北側眺め。 山腹には腰曲輪と呼ばれる平場が多摩川に向かって設けられていた。



  本丸への引橋。





  引橋からの本丸虎口枡形。



  本丸、下段部 井戸跡もあります。



  本丸、下段部広場 北東部に霞神社がある。



  本丸  霞神社。



  本丸下段部より本丸上段部への虎口が左に見えます。



  本丸、上段部 虎口を登り、南より写す。



  本丸、上段部の広場 金毘羅社が祀られている。



  ⑫ 滝集落から本丸への侵入路(搦手口からの侵入路)



  同上 出丸の先端部分には馬出を備え、縦横の堀と共に

         強力な防御態勢を整えていたと思われる。





  ⑬ 本丸下段部南側枡形虎口(小宮曲輪からの城道)

    本丸への主たる出入口は2ヶ所ある。

    1か所は中の丸からの引橋を渡って入る枡形虎口。

    もう1か所は南側に設けられている。





  ⑭ 本丸への木橋(最終的な砦へ導く橋)



  同上  「大堀切」はもっと深かったことが試掘によって確認されている。



  二の丸へ戻り信濃屋敷方面に行く。



  信濃屋敷跡



  かたらいの路



  刑部屋敷跡  要害部を守る家臣屋敷で南側に一段低く通路が設けられている。



  木橋 右側土塁上はカゾノ屋敷跡、左崖下は大池。



  ⑮ 木橋(引き橋)唯一尾根続きのこの場所は、滝山城の弱点であったと考えられる。

    そのため防御は厳重を要した。

    ここが、縄張り場南東方面の一大防御線であったと思われる。

    滝山城は10倍の兵力で侵攻した武田軍を防いだ堅城でした。

      






 
  


滝山城 1 

2018-07-10 11:12:47 | 
 2018.07.04 続日本百名城の滝山城に登城して来ました。



  本丸と中の丸の間の堀切に架かる引橋。



  中の丸からの多摩川と対岸(昭島市拝島付近)の眺め。



  滝山城跡  国指定史跡 続日本百名城(123)



  八王子市の北端、多摩川と秋川の合流点の南側に広がる加住丘陵の多摩川を望む

    標高約160mの丘の上にあります。

    滝山城は戦国時代の中頃、大栄元年(1521)に武蔵国守護代の大石定重が、

    この城の北西約1.5Kmの高月城から移り築城したものと伝えられます。





  案内図

    北は多摩川に侵食された急峻な断崖、南は谷戸が入り組んだ複雑な地形になっています。



  大手口? 滝山城址下バス停から約150mも歩くと天野坂の竹林が両側から迫ります。

      暗く撮影はフラッシュをたきました。



  天野坂  左に小宮曲輪、右に三の丸の間を上ります。



  ① 天野坂から枡形虎口へ。





  ② 小宮曲輪(家臣屋敷)。





  ⑤ コの字形土橋(強力な側面攻撃) 上記写真は右千畳敷、左側の三の丸より撮影する。



  千畳敷曲輪  実際には千畳以上の畳がひけそうな広い郭である。





  ⑦ 弁天池跡





  ⑥ 馬出 (少人数で守れる出入口前の防御設備)

上記写真は二の丸より撮影、

       奥千畳敷、右手前が馬出、左手前は二の丸前の堀切。



  ⑧ 二の丸(集中防御)



  「二の丸」は3つの尾根が集中していて、各々に「馬出(出入口)」を設け、

  「二の丸には敵を絶対入れさせない」という堅固な構えになっています。



  二の丸から見た堀切の奥は行き止まり曲輪。



  二の丸前の堀切。



  行き止まり曲輪(左側)右は土橋、東馬出と続く。



  土橋から見た奥は行き止まり曲輪、撮影は左側東馬出より写す。





  ⑨ 行き止まり曲輪(ふくろのねずみ)。



  二の丸堀切 右側は行き止まり曲輪。



  二の丸堀切の奥は大馬出。



  大馬出先は二の丸堀切。



  二の丸堀切と右馬出。

   以下は 滝山城 2 にアップします。






  


続日本百名城

2018-07-08 11:10:45 | 
 2018.07.04 日本百名城登城を2016.11.23に4年5ヶ月で完全制覇しました。

    高齢ですからそれからは温泉巡りをして来ましたが、何か物足りない。

    2018.04.06続日本百名城スタンプラリーがスタートしました。

    本を購入するとこれまでに登城した城(勿論スタンプなし)が11城ありました。

    もう登れない山城もありますが、元気なうちは200名城目指して挑戦したいと思います。



  続日本百名城 ガイドブック。



  同上  続日本百名城(101~200城)

      緑色マークは2018.07.04までに登城済。

      以下に登城済みお城をリストします。





  109番 米沢城(上杉神社) 2009.10.04登城。





  157番 八幡山城 2011.09.11登城。





  123番 滝山城 2012.06.23登城。





  137番 福井城 2012.09.02登城。





  199番 座喜味城(ざきみじょう) 2013.06.25登城。





  200番 勝連城(かつれんじょう) 2013.06.25登城。





  118番 忍城(おしじょう) 2013.08.03登城。





  141番 郡上八幡城  2013.09.06登城。





  130番 高島城  2014.01.31登城。





  126番 石垣山城  2015.03.30登城。





  131番 村上城  2017.09.04登城。



  123番 滝山城 2018.07.04 続日本百名城に二度目に登城しスタート致しました。