HARD HEAD

旅行 社寺

佐倉城跡 2

2014-01-16 10:38:09 | 
 2014.01.12 続いて佐倉城跡外郭を見学します。



  佐倉城址公園マップ



  佐倉城址



  天守模型(佐倉公園管理センターにある。ここに100名城スタンプも設置されています。)



  田町門前 水堀と土塁 内側には足軽長屋があった。



  田町門 (搦手) ここから愛宕坂を上ると侍屋敷があった。



  椎木曲輪 侍屋敷があった、現在歴博があります、駐車場含めかなり広い範囲です。



  馬出し空堀 城門前に築いて人馬の出入を敵に知られぬようにした土手が馬出しです。

      明治初期に埋められましたが、発掘調査により長辺121m、短辺40mのコの字型で

      深さ5.6mの規模と確認されましたが、復元に当たり深さだけを約3mとしてある。





  椎木門跡 馬出しから城に入る門。



  三の丸跡 米蔵等があった。





  西出丸 本丸の下には堀に飛び出して出丸がつくられた。引橋が架けられている。



  西出丸 門と土塁枡形状態で守っている。





  本丸周囲の水掘 崖中腹では帯曲輪で防御している。



  南出丸 西出丸と二ヶ所に出丸が造られている。



  二の門入口前に建つ 堀田正睦公とタウンゼントハリスの銅像。

     幕末に九代正睦(まさよし)は筆頭老中としてハリスとの日米修好通商条約交渉に

        全力を注ぎ、日本を開国へと導いた。





  三の門跡 侍屋敷と城を区切る門。





  大手門跡 城へ入る門。城に向かって入ると広小路という大通りがあって、

             左右に大きな侍屋敷があった。大手門を出て次に城下町に行く。



  鏑木小路の武家屋敷通り



  佐倉サムライの古径 ひよどり坂 江戸時代とほとんど変わらない竹林に囲まれた古径。



  武家屋敷通り 佐倉に残る武家屋敷の内5棟がこの通り沿いに集まっている。





  旧河原家住宅 (江戸時代の武家屋敷)

       水掘と出丸、天守台と土塁、空堀等、広範囲にわたり良好に縄張りが残り、

       堪能した3時間の見学でした、帰りはJR佐倉駅から帰途に着きました。

       

  




佐倉城 1

2014-01-15 12:20:33 | 
 2014.01.12 佐倉城に行って来ました。



  角馬出 前面の空堀。



  案内図



  下総国佐倉城絵図 松平乗久時代(1661~1678)の絵図。



  佐倉城 内郭 イメージ画 (いずれもパンフレットより)



  佐倉城 日本百名城 市指定史跡 北に広大な印旛沼を控え、鹿島川、高崎川を眼下に見下ろす

      鹿島台地に位置し、周縁には急崖とこれに添った水掘を巡らし、西南域の崖下には

      深い湿地帯が連なる後堅固の城と言われ、天然の要害を巧みに取り入れ

      縄張された近世城郭の一典型で、房総随一の規模を持つ平山城です。





  二の門跡 二の丸への入口の門。



  二の丸跡 御対面所があり、殿様は普段ここに住んでいたと言われている。





  一の門跡 本丸に入る門。



  本丸 土塁 佐倉城は石垣のない土造りの城です。城の防御の為の土手を土塁と呼びます。

     土塁を巧みに配置して城の守りとしています。本丸の土塁の上には土塀がありました。





  本丸 東面の空堀 先に二の丸が見えます。





  銅櫓跡



  天守跡 天守は外から見ると3階建て(内部は4階)が建っていた。



  本丸跡 本丸御殿があった。



  本丸土塁上より高崎川を望む。



  台所門(不明門)跡と土橋



  台所門跡より本丸を見る、正面に天守跡がある。



  角櫓跡





  帯曲輪跡





  空堀





  佐倉城跡出土の礎石

        次は外郭、三の丸を巡ります。







国立歴史民俗博物館 見学

2014-01-13 22:09:01 | 日記
 2014.01.12 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(通称 歴博)を見学して来ました。





  京成佐倉駅で降り佐倉市の観光案内所によりパンフレットを貰い、徒歩約15分で着きました。

        佐倉城址公園の中にあり延面積約3万5千㎡の壮大な規模の博物館です。









  国立歴史民俗博物館 設計は芦原建築設計研究所 開館は1983年、30余年たっていますが、

            地下に建物を沈め周囲の環境にあった素晴らしい建築でした。



  展示は原始から現代までの、6つの展示室があり日本の歴史、文化の大局的な流れが

    時代ごとに堪能でき大変見応えがあります。私は10時頃入館し(昼食少しとりましたが)

    次の佐倉城跡見学の為13時30分退出しました。次回は第一~第三展示室の原始.古代.中世

    近世の歴史をゆっくり見学したいと思います。



  館内にレストランもあります。昼食に食べた古代カレー(800円)。





  外部にある臼杵磨崖仏のレプリカ。

  館内は一部撮影禁止の場所もありますがほとんどが撮影可能です。

   東京から少し遠いですが、城跡の散策も楽しめますからお子様連れにお勧めです。    

    


甲府城 2

2014-01-08 16:40:57 | 
 2014.01.04 甲府城の城内を見学します。



  甲府城 案内図



  稲荷曲輪 東南に富士山が見える。



  数寄屋曲輪 土塀の向こうは稲荷曲輪。



  本丸及び天守台石垣 数寄屋櫓跡より眺める。



  数寄屋櫓跡 別名 巽(たつみ)櫓と呼ばれ、明治時代初期まで建物があった。



  手前鍛冶曲輪より左から天守曲輪、本丸、天守台石垣を見る。



  石切場跡 城内ここから石垣の石を取っていた。



  天守曲輪 南面石垣。



  中の門跡の先に天守曲輪と鉄門が見える。



  二の丸に建つ武徳殿。右 本丸石垣上に建つ謝恩碑塔。



  坂下門跡石垣と虎口。



  鉄門 三間一戸潜戸付渡櫓門 木造二階建、入母屋造、本瓦葺 高さ約9.7M、桁行約12.8M。

     本丸の南側に位置する二階建ての櫓門として、明治初年まで存在していた。



  天守曲輪 左側石垣は本丸。



  本丸より鍛治曲輪を見る。



  本丸鉄門より天守曲輪、中の門跡、坂下門跡を眺める。



  本丸と天守台石垣 (西より見る)



  内松陰門 (本丸より見る)



  銅(あかがね)門跡 門柱の礎石も残っている。(本丸西側)



  本丸 鉄門と本丸櫓跡 (天守台より西南を眺める)



  稲荷曲輪と稲荷櫓 (天守台より北東を眺める)



左より稲荷曲輪、数寄屋曲輪、鍛冶曲輪 (天守台より東側を眺める)



  稲荷櫓 (本丸より見る)



  煙硝蔵跡 稲荷曲輪の北西側に火薬庫があった。



  庄城稲荷跡 天守台東側には鎌倉時代からこの地を守る庄城稲荷があった。



  稲荷曲輪門 稲荷曲輪と鍛治曲輪を結ぶ門。切妻造 本瓦葺きの高麗門。



  同上 内側 石垣は天守台。



  左手前にある樹木は ヤマナシ(山梨) 山地に生える落葉高木。ナシの野生種で果実は小型で

      褐色です(日本、中国 バラ科)山梨県には多いそうですが県名の由来では無い様です。

       天守はなかったが荒割石を用いた野面積の石垣の素晴らしさが目立った城でした。

       山梨県立美術館も見学したかったが膝の具合が心配の為早めに帰途に着いた。



甲府城 1

2014-01-08 09:56:27 | 
 2014.01.04 甲府城に行って来ました。



  再建された稲荷櫓



  甲府城の範囲と現在の市街略図



  案内図





  甲府城 別名舞鶴城 県指定史跡 日本百名城 一条小山の地に天下統一をとげた豊臣秀吉が

     羽柴秀勝や加藤光泰を送り込み築城を開始。関ヶ原合戦後徳川一門の城となり整備される。



 山手門 平屋建ての高麗門 高さ約6M,幅約5M。



  山手渡櫓門 木造二階建て本瓦葺渡櫓門 高さ約11.5M、幅約14M。



  山手御門 甲府城、三門の一つ(北側入口)。後現在は有りませんが大手御門(南側)

                 柳御門(西側)の三ケ所出入口(虎口)があった。


  稲荷曲輪 北側石垣



  稲荷櫓(北面)鬼門の北東にあることから良(うしとら)櫓とも呼ばれた二重櫓。



  稲荷櫓(東面)甲府が勤番制になってからは武具庫として使われていた。



  稲荷曲輪、数寄屋曲輪 東側石垣



  南面 高石垣の素晴らしさが目立つ。手前の遊亀橋は明治時代に架けられたもの。





  南面 堀





  鍛治曲輪門(南西面) 楽屋曲輪と鍛治曲輪を結ぶ門。切妻造で本瓦葺の一間一戸薬医門。





  内松陰門(西面) 二の丸と屋形曲輪の間にある、切妻造で本瓦葺の高麗門。



  舞鶴城公園鳥瞰図



  甲府城模型





  本丸天守台



  稲荷曲輪から眺めた富士山。



  稲荷曲輪                    
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