HARD HEAD

旅行 社寺

早朝散歩 

2012-09-30 16:59:06 | 日記
2012.09.30 昨日は浅川を一番橋まで行き帰ってきましたが、今日は少し

  コースを変えてみました。







 ここまではいつもと同じです、前回より9日経ち気が付かなかった

   土手の各所にヒガンバナが咲いていました。新井橋を渡ります。



 朝日とモノレール





 ふれあい橋 左側に高幡山が見えます。



 浅川スポーツ広場 先に見える森は大木島自然公園です。











 大木島自然公園のヒガンバナ 白いヒガンバナもありました。



 高幡不動尊 参道



 池田屋 土方歳三丼、山南敬助丼、沖田総司丼等多彩です。



 お店のシャッター 近藤勇、土方歳三。



 高幡不動尊(金剛寺) 山門。





 土方歳三の像



 銀モクセイ 境内で甘い香りがして来ました。



 五重塔 



 向島緑地のヒガンバナも綺麗です。





 向島用水親水路  水車は田んぼに水が不要なため少なく回っていません。



 田んぼとモノレール 



 程久保川に出る、 大きなカメと小さなカメ。







 家の近くの小川の畔にも白いヒガンバナが咲いていました。

  ちょっとコースを変えただけですが色々な出会いがありました。

                 (本日の歩数11000歩) 














能登 妙成寺 2

2012-09-27 18:22:34 | 
2012.09.04 妙成寺



 浄行堂 浄行菩薩とは法華経に出現する菩薩で、水が垢や穢れを浄めるが

  如く吾々の煩悩の汚泥を除きます。身の病も心の悩みも除く菩薩です。

  古来この菩薩に水をそそぎ、たわしでこすって願をかけます。



 国歌や古今和歌集に謳われる石灰質角礫岩の さざれ石



 二王門 国指定重要文化財 1625年建立



 開山堂 石川県文化財 1677年建立 歴代供養笠塔婆を安置してある。





 五重塔へ昇る石段のたもとに安置された妙成寺の開祖、日像上人の像。


 
 前田利常の長女 浩妙院殿墓



 前田利常の生母 寿福院殿墓





 丈六堂(釈迦堂) 石川県文化財 1686年建立 桁行五間、梁間四間半

  重層入母屋造りこけら葺き。







 丈六堂 丈六(5m)立像の釈迦牟尼仏、毘沙門天像、持国天像が

  祀られている。





 祖師堂への回廊



 書院 国指定重要文化財 1659年建立









 書院、名勝庭園 石川県文化財 自然の地形を利用して築造された。蓬莱式

  池泉観賞庭園で江戸時代前期の作庭である。庭園越しに優雅な塔が見える



 日時計 西欧中世 スペイン製と書いてある。





 客殿 建立年代 不明



 宝蔵

   妙成寺を見学後和倉温泉に戻り能登島をドライブする。







 能登島大橋(和倉温泉と能登島をつなぐ)全長1050m、1982年開通。





 七尾南湾と能登島


 


 能登島から能登大橋、和倉温泉街を望む。

  能登島大橋を渡ると「入島の車台数の電光掲示板」で本日何台目の

  車か表示される(撮影は出来ず)。レンタカーを返却し楽しかった四日間の

  旅行を無事終え、はくたか21号に乗り帰路に着く。
 

妙成寺(みょうじょうじ) 1

2012-09-26 11:19:37 | 寺院
2012.09.04 日本海に突き出した能登半島の付け根の部分にあたる

   石川県羽咋市に北陸の日蓮宗本山.妙成寺はある。






 妙成寺 1294年日蓮聖人の弟子、日像聖人が一寺を建立したのが起源。

  加賀前田家との縁が深い。熱心な日蓮宗への帰依者だった初代藩主

  前田利家の側室で、三代藩主利常の生母である寿福院の菩提寺にも

  なっている。特に利常は母の為、伽藍の建立に惜しみなく尽力した。

  重要文化財に指定されている、十棟の内九棟の堂塔は
 
  三代から五代までの77年間に造営され、

  伽藍は創建当時の、優美で端正な姿をそのまま伝える。











 仁王門でなく「二王門」と呼ぶ。国指定重要文化財 1625年建立

  単層三間一戸楼門 阿形と吽形の二王尊を多くのニ像とは

  左右反対に配置する。







 鐘楼 国指定重要文化財 1625年建立。純和様を以て造られ、

  袴腰の板囲いは入母屋屋根とよく均整を保っている。









 本堂 国指定重要文化財 1614年建立 利常が前田家御用達の大工

  坂上又三郎親子に造らせた。京都建仁寺流の密教的な雰囲気を持つ。

  屋根は入母屋造り、こけら葺き。本尊は一塔両尊、四天王四菩薩など。



 経堂 国指定重要文化財 1670年建立 前一間通りを吹放しとした

  建築は室町時代を思わせる古式であり、屋根の反りなど美しい。



 五重塔へ昇る石段のたもとに安置された開祖、日像上人の像がある。











 五重塔 国指定重要文化財 1618年建立 総高34.18m、北陸唯一の木造

  五重塔で、江戸時代初期の代表的傑作の一つであり、とち葺きの屋根は

  五重塔としては全国唯一。





 三光堂 国指定重要文化財 1623年建立 屋根棟鬼瓦は石造り

  堂内に三光天(日天.月天.明星天)が安置されており、

  鎮護国家の祈願が行われて来た。



 三十番神堂 国指定重要文化財 1614年建立 桃山時代の技法をよく表し

  洗練された美しさである。内陣に日本の国神三十体を祭詞するので

  三十番神堂と称し、日蓮宗伽藍として重要な堂舎である。



 三十番神堂拝殿 石川県文化財 桁行三間、梁間二間、入母屋造り、

  正背面に軒唐破風付屋根はこけら葺き。







 祖師堂 国指定重要文化財 1624年建立 唐様を基調とし妙成寺建築物中

  出色の貴重なものである。堂内の厨子も重要文化財に指定され、

  宗祖日蓮大菩薩の尊像を安置する。







 書院 国指定重要文化財 1659年建立 前田家の御霊屋を営んで、

   併せて参拝の時の御座所として用いる。江戸時代の建築であるが

   桃山文化の豪快な面を有する。

  (前庭は蓬莱形式で五重塔を背景にしている)



 庫裡 国指定重要文化財 1593年建立 妙成寺最古の建築である。前田家

  外護以前に当庫裡が存在した。当地の大工の手になり地方的特色が濃い。

(参考)





 日蓮宗総本山身延山久遠寺に2008年に復元された五重塔 高さ38.2m

  久遠寺に初めて五重塔が建立されたのは1619年、
 
  当時の加賀藩主前田利常の母寿福院の寄進により建立、

  1824年火災で焼失、その後再建された塔も焼失、

  今回の五重塔は1619年創建の五重塔の復元、

  妙成寺五重塔(1618年建立)と似ていません?。

  






能登 七尾城史資料館.懐古館

2012-09-25 20:14:19 | 
2012.09.04 七尾城跡見学後七尾城史資料館による。







 七尾城史資料館 能登畠山氏と七尾城の歴史、七尾城を築造した畠山家

   ゆかりの品や、城下町遺跡からの出土品などを収蔵、展示され

   戦国時代の武家の生活の一端を知ることが出来る。

   天気が良ければこちらを先に見学後、七尾城跡に行くのがベター。





 懐古館(旧飯田家住宅) 国登録有形文化財 

   旧飯田家住宅は加賀藩の肝煎(庄屋)の住まいとして(1804~1829年)

   頃に建てられた茅葺の家です。





 障子戸を取り払うと大きな広間となる間取りは、能登の民家の典型で、

   冠婚葬祭に役立ちました。あまと呼ばれる茶の間の高天井は、竹を

   並べて煙や湿気を吐き出ます。









 江戸時代の武器や古雅な欄間等に歴史と生活が感じられます。





 杉木立の多い庭園、隠し井戸が木陰に今も水を湛えています。

  見学者は私一人ですが、管理のおじさんの説明は丁寧で面白く二人で
  
  戦国時代の話になると終わりません、あとの予定もあるので途中で

  お別れしてきましたが、楽しいおじさんでした。







 旧橋爪家住宅の茶室  日本最小の茶室





 あゝ七尾城 歌碑

   見学後日本海側羽咋市にある妙成寺に向かう。




 







能登 七尾城跡 2

2012-09-25 11:14:15 | 
2012.09.04 本丸から二の丸へ向かう、降りしきる雨の中一人です。





 温井屋敷跡 上った所が二の丸。







 九尺石 桜馬場の西の曲輪にある(温井屋敷)内枡形虎口の石垣に

     積まれた巨石、長さ2.7mあることから名付けられた。



 二の丸から温井屋敷跡、九尺石を見る。









 二の丸跡



 天気が良ければ七尾湾が眺望できるが残念。





 三の丸 袴腰 寺屋敷等を見学、一周して駐車場に戻る計画でしたが

     雨も止まず、この先は階段等足元も悪いので断念し引き返す。



 桜馬場







 桜馬場より調度丸、塔上を見る。











 桜馬場石垣を下る。



 ルート案内図



 桜馬場石垣と調度丸石塁



 二代畠山義忠公御歌 石碑



 七尾城を後にし、七尾城資料館に向かう。