HARD HEAD

旅行 社寺

続日本百名城 名胡桃城跡

2019-10-24 10:36:24 | 
 2019.10.19 今日最後の名胡桃城跡に到着、雨が降り始め激しい雨の中、

       写真を撮るのも大変、暗く、ボケてしまった写真も多くあります。

       このように戦国時代この地を激しく争奪しあった、

       戦国武将達に思いを馳せながら登城しました。











  名胡桃城跡  群馬県指定史跡 続日本百名城。 沼田城の攻撃拠点として真田氏が築城。

         段丘上の南北に細長く配置された郭群。



  案内図。



  縄張図。(各資料はみなかみ町教育員会、パンフレットによる)



  名胡桃城跡 イラスト。





  般若郭 発掘調査後埋戻されて、現在は駐車場です。







  丸馬出。





  三郭。 



  同上 内部から丸馬出を見る。



  同上 二郭への木橋。



  同上 木橋上から堀切を見る。 堀切の奥に般若郭が見えます。





  二郭 南側喰違い虎口。





  二郭  南虎口から見る。



  同上  北虎口から見る。



  二郭。







  二郭 北虎口。 



  同上  本郭への木橋と堀切。







  本郭。



  本郭中央に建つ 徳富蘇峰揮毫の「名胡桃城址の碑」 昭和2年建立。

          高さ310cm、幅85cm、安山岩製。



  ささ郭へ。





  ささ郭。



  同上からの眺望  降雨ではっきり見えませんが、右側遠くに沼田城跡が臨め。

           眼下には利根川が流れ、その対岸には明徳寺城があります。



  日本の歴史を動かした名胡桃城事件。



  天正17年(1589) 豊臣秀吉による裁定 「沼田領分割之図」

    群馬県に残る真田氏ゆかりの三名城を無事登城できました。
 





続日本百名城 沼田城跡

2019-10-23 08:33:57 | 
 2019.10.19 岩櫃城跡から次は正覚寺(小松姫の墓)に立ち寄り沼田城跡に向かいます。



  沼田市街地イラスト



  国道145号線(沼田街道)を通り約50分で沼田に到着。利根川の河岸段丘上に

  正覚寺、沼田城跡があります。





  正覚寺 浄土宗 本尊阿弥陀仏 応永13年(1406)上野沼田氏創建。





  沼田城主、真田信之の妻.小松姫(大連院殿)の墓 沼田市指定重要文化財。

     次に沼田城跡に向かいます。











  沼田城跡 続日本百名城 市指定史跡 沼田氏が築き真田氏が支配する。

      利根川、薄根川、片品川の働きで作られた河岸段丘の台地上に造られた平山城。

      水陸の交通の要所、軍事上の重要拠点の為、上杉氏、北条氏、武田氏、後に徳川氏も

      加わった争奪戦が展開された。



  沼田公園 案内図。



  沼田城 ジオラマ。



  三の丸跡。







  本丸堀跡。



  本丸跡。



  本丸跡に建つ英霊殿。 この右奥に五層の天守が建っていた。



  沼田城絵図と沼田城天守。



  本丸跡に建つ 真田信之と小松姫の石像。



  同上  鐘楼  鐘楼は明治31年頃旧沼田町役場に建てられ、時を告げていましたが

          昭和58年に公園に再建された。城鐘は2代藩主真田信吉が1634年に鋳造させて、

          時を告げていましたが、現在はレプリカを用いており、

          実物(建重文)は沼田市歴史資料館に展示している。



  本丸跡より西側を眺める。  利根川の河岸段丘上にある事が分かります。









  西櫓台石垣.石段。



  同上に大きく枝を張るエドヒガンザクラ(御殿桜)。



  御殿桜。



  西櫓台と本丸土塁跡の先に見える鐘楼。





  平八石(首さらし石)。



  本丸北側からの眺め。 谷川岳や武尊山、三峯山、戸神山などの山々を眺めることが

             できます。また約7K先には名胡桃城も見えます。



  本丸土塁跡。かって本丸を巡っていた土塁の跡がわずかに残る。



  天狗堂。





  天狗面の由来。 迦葉山弥勒寺(沼田市)の大天狗面は日本三大天狗面。

      他の2つは高尾山薬王院.鞍馬寺です。



  旧生方家住宅。

    次に今日最後の名胡桃城に登城します。           

 

続日本百名城 岩櫃城跡

2019-10-22 05:55:57 | 
 2019.10.19 上州真田三名城に日帰りバスツアーで登城して来ました。

     岩櫃城跡(真田氏上州の拠点)~正覚寺(小松姫の墓)~沼田城跡~名胡桃城跡です。

     新宿を出発した時は小雨模様で山城の登城を心配していましたが最初の岩櫃城跡に

     到着した時は晴れ間が見られ無事に登城出来ました。



  群馬県に残る真田氏ゆかりの城。



  岩櫃城周辺ガイドマップ。



  岩櫃山 NHK 大河ドラマ「真田丸」の冒頭のシーンに出てきた標高802.6mの岩山で、

      南面は約200mの絶壁です。







  岩櫃城跡  続日本百名城 町指定史跡。山と急斜面に囲まれた天然の要害。

        真田幸隆が苦杯をなめた関東三名城の一つ。



  要害地区略図(縄張図)  岩櫃城は、岩櫃山の中腹当面に築かれており、

     城域の東端は番匠坂、西端は本丸から400mほどの場所とされています。

     本丸や中城などを擁する要害地区は、南面の切沢の谷と山裾の斜面を

     自然の城壁としています。



  同上 ジオラマ。



  岩櫃山平沢登山口観光案内所  スタンプ設置場所、各種パンフレットを受領できます。

     開設:4月~11月末(9:00~16:00)。



  岩櫃城跡周辺コース。



  岩櫃山登山口  三合目。



  尾根通り分岐  左側尾根通りから登城します。



  中城手前の北の竪堀。 南斜面へも続いています。



  中城跡(曲輪)。



  同上  中城跡は広大です。



  中城跡西端の中央竪堀  二ノ丸へとここを上ります。



  同上 中央竪堀は南斜面へも続いています。



  同上 中央竪堀を上部から眺める。さらに二の丸へと昇っています。



  二ノ丸への登城路。



  二の丸跡。



  同上  右本丸との堀切。



  同上 から眺めた景色。



  同上から堀切を渡り本丸へ。



  本丸より眺めた二の丸跡。



  本丸跡の石碑  山城の本丸は山頂にあるのが一般的だが、岩櫃城本丸は中腹にある。



  同上にある 櫓台跡。



  本丸跡。



  同上から眺めた景色、右奥に吾妻川、東吾妻の街が見えます。



  岩櫃城由来記。



  本丸北側桝形虎口。



  本丸跡分岐点  沢通りを下ります。





  木戸跡。 



  沢通り  左斜面側は切岸。



  水曲輪、志摩小屋(曲輪)跡が北斜面にあります。



  本丸下北斜面の切岸。



  北の竪堀  上部中城まで続いています。



  沢通り。



  ハート型土偶 重要文化財  東吾妻町、郷原遺跡出土。

  無事下城し次の沼田城跡に向かいます。









  




濁流をよけて!

2019-10-13 17:41:18 | 自然
 2019.10.13 浅川の台風一過の一コマです。



  程久保川の岸に避難するコサギやカルガモ達。



  同上  コサギとアオサギも仲良く羽休めです。



  浅川の浅瀬にはカワウと岸にはコサギが退避しています。



  浅川の河川敷の普段小公園にも増水しています。





  同上に避難の  蟹さん    早く水辺まで行かないと!。



  同上に避難の  ダボハゼ?  早く逃げないと危険ですよ。

    小さな生き物たちにも試練の台風の様でした。


台風一過

2019-10-13 14:26:01 | 自然
 2019.10.13 台風19号は伊豆半島上陸後小田原付近を通り、町田市付近を通過しました。

       朝からテレビにくぎ付け、浅川の増水をライブカメラで見たり、強風に屋根は大丈夫かと、

       21時過ぎの台風の目の中?、一瞬風がやんだ時は

後は吹き返しの風に耐えればと一安心しました。

       今日家の周りを片付け台風一過、晴天の浅川、多摩川を9:00頃散歩して来ました。



  浅川 0K付近 痕跡から増水時は約今の水面より2M余上を流れていた様です。



  浅川と程久保川の合流地点  程久保川は後約1.5M増水していたら

堤から溢水していたと思われました。



  多摩川 府中四谷橋。



  同上から  多摩川と浅川の合流地点を眺める。



  同上から  多摩川下流を望む、まだ濁流が流れて行きます。



  浅川から見た 富士山。



  浅川 新井橋  遠くの多摩の山々もはっきり見えます。

     全国の14河川で氾濫したと朝のテレビで知り、地球温暖化防止には

     一人一人が小さな事でも良いから取り組まなければと思います。