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旅行 社寺

小倉城跡

2018-12-20 10:04:59 | 
 2018.11.24 今日最後の登城は関門海峡を望む梯郭式の小倉城跡です。



  大手門跡前より眺めた天守閣。



  本丸石垣。







      (北九州市小倉北区城内2-1)

  小倉城跡  続日本百名城

     永禄12年(1569)に安芸の毛利氏が現在の小倉城本丸周辺に城を築いたという。

     元亀元年(1570)には大友氏家臣の高橋鑑種が入り、天正15年(1587)には

     豊臣秀吉の家臣毛利(森)勝信が入城して織豊系城郭へと改修した。さらに

     江戸時代初期には細川忠興が大改修を施し、現在の城姿が完成する。

    縄張り  小倉湾へ流れ込む紫川河口付近の自然地形を生かし、板櫃川や砂津川も

       含めて、川の流れを利用した縄張りで、本丸を二の丸が、本丸と二の丸を

       三ノ丸が梯郭式に取り巻いていた。二重三重に水堀を巡らしていた。

       総構の塁線は複雑に屈曲していて、外敵の侵入を阻む

       横矢掛を随所に採り入れている。(続日本百名城 公式ガイドブックより)。



  案内図。



  西ノ口門跡より入城。



  大手門跡 本丸東の表門であり、家老など限られた一部の者だけが通行を許されていた。



  同上  左側の石垣。







  昭和期の復興天守  往時の天守は南蛮造であったが、大きな入母屋破風ほか

      多くの破風をもつ望楼型で再建された。



  八坂神社入口。



  虎ノ門口。



  本丸北側 水堀  右側の現代建築はリバーウオーク北九州。



  小倉城庭園。





  下屋敷庭園。





  どこから眺めても天守は美しい。



  槻(けやき)門跡。 藩主や家老などの登城口。



  同上 櫓門礎石が現存している。



  天守閣 西面  小倉城内は現在整備工事中(3/31迄)で天守へ登城は出来ません。



  着見櫓。





  多門口門跡。



  同上  門外は八坂神社。



  本丸石垣。



  鉄門跡。 





  旧第十二師団司令部の正門跡。

       明治32年(1899)6月から軍医部長を務めた森鴎外もこの門を通って登庁していた。

   九州七県16城の続日本百名城の旅は5日間天気にも恵まれ楽しく終えることが出来ました。





  

中津城跡

2018-12-19 09:55:57 | 
 2018.11.24 黒田氏が着工し、細川氏により完成した。中津城跡に登城して来ました。



  本丸跡。城内には奥平神社他全部で5神社が祀られています。



  天守から河口を望む。





  縄張り図。





    (所在地:大分県中津市二ノ丁本丸)

  中津城跡 県指定史跡 続日本百名城

    縄張りは梯郭式と連郭式を組み合わせ、北を中津川に守られる後ろ堅固の城で、

    河口デルタ地帯を利用し、城下を囲む総構を有していた。

    本丸、二ノ丸、三の丸の曲輪の形状はおおむね三角形を呈し、合計22基の櫓と

    8棟の城門が築かれていた。



  案内図。









  模擬天守  昭和39年(1964)、旧藩主の子孫奥平氏が本丸北東隅に模擬五重天守、

        その南側に復興二重櫓を建てた。石垣上部の色が違う部分が昭和の継ぎ足し。

        周囲の堀は薬研堀です。





  黒田本丸の石垣(右)と細川時代の石垣(左)。





  黒田氏が持ち込んだ古代山城の石(右側)。



  北を流れる中津川。

    今日の登城で大失敗ガ2つあります、一つはスタンプを小倉城の所に押印してしまったこと、

    二つ目は事前の調査が足りず、川沿いの黒田時代の石垣、鉄門跡、水門跡を北から南に

    河川敷公園を通行出来る(通り抜け)か不安と天守閣に登る時間が気になり

    見落したことです。

    (旅行も5日目になると年のせいもあり疲れました)。



  本丸城内に戻る。 同上からの天守閣も立派です。



  天守よりの眺望、 南側本丸跡を眺める。



  同上    二重櫓と薬研堀を見る。





  同上  南西側を見る、水門跡が微かに見えます。



  同上  北側中津川河口と三ノ丸跡を望む。周防灘まで一望できます。



  天守閣展示物  中津城歴代城主一覧。



  同上    旧中津藩主 奥平家。



  同上  双葉山(第三十五代横綱) 当所出身力士。





  扇型の石垣  一部が現存しています。





  三斎池(さんさいいけ)。







  増築された石垣。

    道路の左右にある石垣と堀は続いていました。




  左側の石垣の左先端部をアップしてみました。

    堀に張り出した出隅の石垣は黒田時代の典型的な穴太積み石垣が残っています。

    その先が水門跡です。

  今日最後の小倉城に向かいます。    







 角牟礼(つのむれ)城跡

2018-12-18 10:25:20 | 
 2018.11.24 島津氏も落とせなかった要害角牟礼城跡に登城して来ました。



  角牟礼城跡 久留島陣屋跡から眺める、右上が山城跡。



  同上 本丸跡。



  同上 搦手門跡石垣。





  角牟礼城跡  国指定史跡 続日本百名城

      標高約576mの角埋(つのむれ)山の山頂に伝本丸を置き、南西側の山腹に

      伝二の丸、その下に伝三の丸を配していた。天正14年(1586)からの薩摩の

      島津氏の侵攻に耐え、落城しなかった難攻不落の要害であった。



  縄張り(案内図)



  伝三の丸跡 周囲石垣。

  山麓より伝三の丸跡までタクシー使用で登城、途中林道ではシカに遭遇しました。



  伝三の丸跡 石垣。(石垣というより石塁に近い石塀が取り巻いている)



  同上周囲の林は紅葉の盛りです。



  三ノ丸から搦手口に上がる途中にある竪堀です。何本かありますが今は

     埋もれて浅くなっています。



  つづら折れの登城路を登って行きます。





  二の丸下大石垣の先端部。この右側に長大な石垣が残る(搦手門跡)先まで。



  搦手門前 紅葉が手に取るように覆います。



  搦手門跡。



  搦手門跡石垣  この上は井戸曲輪跡に当たります。のぼりが上がっている。



  井戸曲輪入口。







  二の丸(西曲輪)石垣。穴太積の石垣。



  同上石垣の上  二の丸西曲輪。



  同上  礎石建物跡。  落葉に礎石が埋もれています。







  西門跡(伝大手門の二の門跡?) 南側と西側に外枡形の虎口があり同規模の櫓門と

      思われる礎石が見つかった。



  同上  虎口跡石垣。



  本丸へ向かう。 そこまでの間に何段かの段曲輪が築かれているようだ。

     切岸、竪堀も見受けられる。



  本丸虎口跡。 分かりづらいが、発掘調査から虎口があった形跡が出てきたという。





  伝本丸跡。 標高約576mの山頂。 



  同上  隅櫓跡、と周囲土塁



  同上から眺めた 本丸跡。



  本丸北側には石垣が積まれている。



  本丸よりの眺望  豊前の山々。



  難攻不落の角牟礼城 略年表。

   次の中津城に向かいます。



  

  



  

臼杵城跡

2018-12-17 10:17:59 | 
 2018.11.23 今日最後の臼杵城に登城して来ました。



  臼杵城 正面(古橋口)。



  同上 帯曲輪、大門櫓(左)、畳櫓(右)。



  同上 古橋口と鐙坂。





  臼杵城跡 県指定史跡 続日本百名城

       臼杵川河口の島を利用した、海に浮かぶ天然の要塞であった。島の東を本丸、

       西を二の丸とし、南側には自然地形を利用した船着場を設けて

       万一の際の脱出口とした。



  現在の臼杵城周辺地図。



  臼杵城跡 縄張り図。(臼杵市パンフレットより)





  古橋口と鐙坂 

    大友時代から登城路として使われていた道で、外敵を防ぐため岩を掘り切って

    造った狭い道です。馬の鐙に似ているところから、「鐙坂」と呼ばれました。

    太田氏時代には内堀をまたぐ橋が架けられました。右は亭櫓台跡。



  鐙坂を上る。



  畳櫓  天保年間に再築された櫓で、1階と2階の床面積が同じ「重箱造り」という

      古式の構造をしています。左石垣上は井桜櫓台跡。



  大門櫓  平成12年(模擬復元建物)建築。

     17世紀初頭に場内の通行の利便を高めるために造られたと思われる櫓門。





  帯曲輪。





  二ノ丸跡。



  同上 西北にある会所櫓跡。



  同上  二ノ丸居館庭園跡。 臼杵護国神社境内は、延宝3年(1675)に城主居館が

      移された場所です。現在地上遺構は全く見当たりませんが、

      僅かにその庭園の一部が、残されています。





  国崩し(複製) 大友氏がポルトガルから天正4年(1576)に入手した。

      島津軍撃退に威力を示したといわれる。



  本丸(右)と二の丸(左)を隔てる空堀。手前右側石垣上には武具櫓がありました。



  鉄門枡形石垣跡  本丸入り口となる重要な場所です。





  本丸跡。



  北側空堀 大友時代からのもの、右側奥に天守台石垣が見える。





  天守台跡。





  天守台石垣  大正時代に上半4mほどが壊されてしまいましたが、もともとは7mの

         高さがあった石垣でした。臼杵城内に残る唯一の16世紀の石垣です。



  本丸よりの眺望  臼杵湾すぐそこに見えます。





  卯寅(うとの)口門櫓  寛永年間に再築された櫓で、鉄砲薬櫓とも呼ばれ、火薬庫と

         しても使われていたようです。



  17世紀初めに今橋口が整備され登城路は上ノ門東から空堀に至る区間に短縮されました。

    着見櫓跡、左奥が上ノ門跡。



  二ノ丸居館北石垣。 最大高さ約7mの、現存するもっとも大規模な石垣です。

    今日の宿泊地 別府温泉郷に向かいます。

    





       

佐伯城跡

2018-12-15 20:26:41 | 
 2018.11.23 総石垣で囲んだ連郭式縄張りの山城に登城して来ました。



  佐伯城 三ノ丸櫓門。



  二の丸から見た本丸石垣。



  本丸から見た二ノ丸、本丸と二の丸の間は堀切で橋廊下を掛けている。



  佐伯城 鳥瞰図。





  佐伯城跡 続日本百名城 毛利氏が関ヶ原の戦いの後に築いた山城。

     最高所の本丸の中心部には大きな天守曲輪が置かれ、北と南西にのびる尾根に

     北出丸、二ノ丸、西出丸を連郭式に配置し、総石垣で囲んだ。



  案内図。



  三ノ丸櫓門と山城。





  三ノ丸櫓門 現在の門は天保3年(1832)の改築。県指定有形文化財。



  本丸外曲輪 東側虎口。現在の主要登城口。

     当時は山頂の天守に入るには山を登り、二ノ丸を経由して幅の狭い廊下橋と

     階段を通るのが唯一のルートだった。



  本丸高石垣。 南東面。



  同上    東北面。



  同上    二の丸から見た本丸石垣。





  同上より眺めた、旧城下町、佐伯湾には船舶も見え展望は見事です。



  本丸跡 低い石垣は天守台で当時は三重の天守が建っていた。



  同上から眺めた景色。



  本丸上から見た二ノ丸。



  本丸より見た、二ノ丸から本丸への登城口。



  二の丸跡。同所よりの景色。



  同上より先右に西ノ丸が見える。



  西ノ丸へ向かう。



  西ノ丸二重櫓跡。





  西ノ丸よりの眺めた景色。



  西より西の丸跡を見る。奥は二の丸跡。



  二の丸虎口。



  堀切  本丸と二の丸の間は堀切で遮断され、橋廊下を掛けて連絡していた。

     次の臼杵城跡に向かう。