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旅行 社寺

発掘された日本列島 2013

2013-07-26 15:03:13 | 日記
 先日、東京都江戸東京博物館に発掘された日本列島2013展(新発見考古速報)

    を見に行きました。





  展示遺跡



  年表



  旧石器時代





  緑川東遺跡(東京都国立市)縄文時代後期約4000年前  長大な4本の

               石棒に込められた縄文人の祈り。





  上境旭台貝塚(茨城県つくば市)縄文後晩期約3000年前 貝塚から土偶等が

        ザックザクと90点、ミミズク土偶は完全な形で出土。



  白川公園遺跡(愛知県名古屋市) 縄文時代晩期約3000年前 石皿、

    かたい石に刻まれた複雑な縄文人のイメージ(縄文的メビウスの帯か?)



  西川津遺跡(島根県松江市) 弥生時代前期約2200年前 山陰の弥生文化の

        拠点的な環濠集落を発見。



  幅.津留遺跡 (熊本県高森町.南阿蘇村) 弥生時代中期約2000年前

        石から鉄へ 阿蘇の麓から甦った中九州屈指の大集落。



  陸墓の埴輪 仁徳天皇陵古墳(大阪市堺市)古墳時代中期約1600年前。

        馬型埴輪、人物埴輪(女子頭部)。

        女狭穂塚(めさほづか)古墳(宮崎県西都市) 円筒埴輪。





  鳥居松遺跡(静岡県浜松市)古墳~平安時代約1500年~1100年前

        400年続く古代の祭祀。





  下佐野遺跡(富山県高岡市)奈良時代約1300年前 墨書土器 躍動する馬

        多数の人形、祈り。



  史跡 首羅山遺跡(福岡県久山町)平安~室町時代約1000~600年前

        海を渡った石塔に陶磁器、国際色豊かな山林寺院。



  備前陶器窯跡群(岡山県備前市)平安時代~近世約1000~150年前 

        全長54m、巨大な窯で焼かれた茶器、花器、酒器そして陶馬。



  陸墓名



  陸墓の埴輪 宮内庁所蔵の仁徳天皇陵古墳出土の女子頭部(前掲示)など

        13点がはじめて全国を巡回。(箸墓古墳、応神天皇陵古墳など

        計8ヶ所の出土品展示)

  今回は旧石器時代から近世までの32遺跡約510点展示と特集で宮内庁所蔵

   の陸墓の埴輪も出品され、日本の歴史、文化にロマンを感じました。

  東京の展示は7月25日で終了。今後福島県文化センター、松本市立博物館

   高槻市立今城塚古代歴史館、九州国立博物館と巡回していきます。      


金山城 2

2013-07-23 15:30:16 | 
 2013.07.18 大手虎口より登城です。









  大手虎口 石で埋めつくされた大手の通路。両側は脇曲輪(わきくるわ)で、

       その奥に壁のように立ちはだかっているのが土塁石垣。



  左上部が三の丸跡



  大手虎口の門礎石









  段状土塁石垣の内側が掘り下げてある所は改修の変遷を示す遺構を

         そのまま残している。     



  大手虎口北下段曲輪跡









  大手虎口南上段曲輪跡



  同上にある井戸 









  土塁石垣 石敷きの大手通路を進むと正面の石積みの土塁に突き当たり、

       道は左右に分かれて次の虎口へ続く堅固な造りです。



  南曲輪跡





  日ノ池 御台所曲輪の下にある。出土品から祭祀的な場であったと

                  考えられている。







  本城跡





  金山の大ケヤキ 左側の石段は本丸へと続く。







  天主曲輪(本丸)跡



  本丸跡に建つ新田神社



  やまゆりが咲く散策路も良く整備され、案内説明版も大変解りやすく

         参考になりました。本城大手道の発掘調査中の復元も楽しみです。

         



金山城 1

2013-07-22 15:45:56 | 
 2013.07.18 群馬県太田市金山山頂の実城(本丸)を中心にそこから延びる

       尾根を削平して曲輪を造り、堀切.土塁で堅く守った山城です。











  金山城 国指定遺跡 日本100名城 築城年代は1469年、岩松家純による。

            主要城主は岩松氏、由良氏、後北条氏。



  西城跡 駐車場の上尾根にある。



  金山城跡碑 ここから実城(本丸)まで約.6km総石造の巨大な戦国の山城

        があります。





  西矢倉台 西堀切 (堀切の底を石敷きの通路としている)





  西矢倉台 下堀切





  本城西端 西矢倉台よりの眺め。



  西矢倉台通路 



  馬場下通路



  物見台下虎口と土橋



  堀切(岩盤を人工的に削って造った。右側が実城)



  木橋



  木橋より馬場下通路を振り返る。虎口、石敷き通路、土塁石垣。



  竪堀に下りる石段。





  馬場下通路





  馬場通路.石塁 







  物見台とそこからの展望(周囲が良く見渡せるため、敵の動きを見張る)。





  馬場曲輪 (兵が待機していたと思われる曲輪)





  馬場下曲輪と大手口馬場





  大堀切 と月ノ池、左上部は馬場曲輪。



  三の丸下塹壕





  大手道(谷下部)から写す。



  大手虎口(上部)から写す。

  本城大手口、大手道 発掘調査中。





  月ノ池 (城の中心部への入口脇にあり、訪れる者に水の豊富さを見せつける)

       次に大手虎口より入場。

 



足利学校

2013-07-20 20:10:13 | 旅行
 2013.07.18 鑁阿寺に隣接する、日本最古の学校「足利学校」に寄って見ました。



  足利学校全景 駐車場から来る途中の横断歩道橋より望む。



  同上 堀と土塁



  足利学校 国指定史跡 足利学校の創建については、奈良時代の遺制説、

     平安時代の小野篁(たかむら)説、鎌倉時代の足利吉兼説などがありますが

     歴史が明らかになるのは、上杉憲実(室町時代)が、書籍を寄進し、

     庠主(しょうしゅ.学長)制度を設けるなどして学校を再興した頃からです。

     また1549年にはフランシスコ.ザビエルにより「日本国中最も大にして、

     最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され「学徒三千」と言われるほどになる

                        (入場カタログより抜粋)



  足利学校には三つの門があります。まず入徳門。入徳の額は1840年に

     掲げられた。現在の建物は裏門を移築したものといわれている。



  学校門 1668年の創建。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして

      平成へと継承されている。





  杏壇門 1668年創建。明治三十年代に再建。杏壇(孔子が弟子たちを教えた所に

            杏の木が植えられていたことに由来する)。





  孔子廟(大成殿) 1668年建立。中国明時代の聖廟を模したものと伝えられている

           中には小野篁と孔子坐像が祀られている。



  字降松(かなふりまつ) その昔読めない漢字を紙に書いて結んでおくと、

              翌朝ふりがなが付けてあったという伝説がある。



  方丈と南庭園



  南庭園



  方丈 1990年再建。 学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷。



  衆寮(しゅりょう) 学生が勉強したり、生活したりした所。



  庫裡(くり)学校の台所。食堂など日常生活が行われた所。



  庫裡の東側には木小屋(薪木や農具置き場、漬物などの食料を保管)や

         土蔵(書籍以外で大切なものを納めていた蔵)が建っている。



  裏門 学生や一般の人の通用門として使用されていた。



  北庭園を外側から眺める。



  旧遺蹟図書館 足利学校が廃校になった以後、1903年に開設され、書物を

         継承し現在に引き継がれている。現在の建物は1915年建設された。

         右の樹木は楷樹(かいじゅ) 中国孔子の墓所の楷樹の種を

         育て1922年に植えられた物。県文化財。



  宥座之器(ゆうざのき)について 空の時は傾き、水をほどほどに入れると起きて

      きます。また、いっぱいに入れるとひっくり返ります。写真は私が

      八分目ぐらい水を入れた状態です、その後少し入れたらひっくり返りました

   「論語」で有名な孔子は、「満ちて覆らないものはない」と弟子たちに

      教えました。 中庸(ちゅうよう)の教え。



  書院 庠主の書斎。庠主の接客や、学生に個人教授が行われた所。



  北庭園 池と築山からなる築山泉水式庭園。今日は池の清掃中でした。



  方丈より孔子廟を望む。



  方丈より南庭園を望む。



  孔子像



  裏門





  めん割烹 なか川 昼食の天ぬき御膳(2000円)を美味しく頂きました。

       ここは鑁阿寺の近くで生まれた相田みつをゆかりのお店で

       先生がデザインした看板やおてもと、店内にも作品が展示されています。

                 次の金山城に。


足利氏館 .鑁阿寺(ばんなじ)

2013-07-19 21:26:04 | 
 2013.07.18 暑さも大分落ち着いて来たので北関東の栃木県足利市の足利氏館

       (鑁阿寺本堂は今年国宝に指定される見込み)を見学したく

        ドライブに行って来ました。



  征夷大将軍 足利尊氏公銅像







  足利氏館 鑁阿寺はもともと足利氏の館であり、現在でも四方に門を設け寺の

       境内の周りには土塁と堀がめぐっており、鎌倉時代前後の武士の館

       の面影が残されている。国の史跡、日本100名城。







  太鼓橋と仁王門 県重文 太鼓橋は江戸安政年間の再建。



  仁王門 県重文 1564年、足利幕府13代将軍義輝が再建した八脚楼門。





  仁王像



  仁王門より本堂を見る。



  鐘楼 国重文 1196年建立。









  本堂 国宝指定見込 1299年再建、鎌倉時代の代表的な禅宗様寺院建築。

            桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、正面向拝三間、

            軒唐破風付、背面向拝一間、本瓦葺。

            宗派 真言宗大日派、本尊は大日如来。



  本堂屋根棟の家紋 左から五七桐、16菊文紋、足利氏の家紋「丸に二つ引両」。





  東門 県重文 鎌倉時代建立、1432年再修、四脚門。





  四周の堀と土塁。



  不動堂 





  一切経堂 国重文 1407年再建。





  多宝塔 県重文 江戸時代再建、相輪の宝珠には1629年の銘のものが発見された。



  大銀杏 県天然記念物 樹齢約550年、目通り周囲約9m、高さ約30m。





  西門 県重文 鎌倉時代建立、1432年再修、本瓦葺、切妻造り、四脚門。



  御霊屋 県重文 徳川11代将軍家斉の寄進によって再建。



  大酉堂 江戸時代建立。



  大黒堂(校倉) 江戸時代建立。



  蛭子堂 江戸時代建立。



  北門 江戸時代建立、薬医門。



  北門から見た堀。



  堀のカルガモ親子が可愛い。   次に足利学校に向かう。