HARD HEAD

旅行 社寺

世界らん展 日本大賞2013

2013-02-23 11:49:25 | 日記
 2013.02.21 天気が良いので 東京ドームにらん展を見学に行って来ました。







 開催六日目ですが大変混雑してます。



 今年のコンセプトは「都会の真ん中の楽園」です、大きな花時計が迎えてくれました。



 日本大賞です。 プラグミペディウム属 コバチー 「セカンド スマイル」と言う作品。

       最近見つけられた原種で日本では育てるのに大変難しいと説明にありました。











 以上は賞を取りメイーンに飾ってあった作品の一部です。













































  ブルーの珍しいコチョウランです。









  着物にディスプレイ



  沖縄美ら海水族館からも神秘的な水槽が出展されています。













  モンキー、オーキッドと呼ばれる。サル顔の蘭(ドラキュラ属)のコーナーは60分待ちの

       行列でパスしてポスターを撮りました。

       多種多様な蘭に包まれた華やかなひとときを過ごし、帰りにコチョウランを

       記念に購入して帰宅しました。





大分 府内城址

2013-02-10 13:07:33 | 
 築城当時(1597年)は海を背に水に守られた堅城でした。現在城址公園になっていますが、

       西の丸跡には大分文化会館が建ち(H26年度に取り壊し予定)残念で、

       撮影にも文化会館を隠すのに苦労しました。







 大分府内城 日本100名城 主な遺構 宗門櫓、人質櫓、土塀、天守台、堀。

       戦後再建された建物 大手門、廊下橋、西の丸西南隅櫓、東の丸西南隅櫓。



  西の丸櫓



  西の丸櫓、宗門櫓、大手門



  西の丸に架かる土橋より南の堀と櫓。





  冠木門の礎石 西の丸内 廊下橋前にある。












  
  廊下橋 1995年復元 山里丸と西の丸を結ぶ屋根つきの橋。







  人質櫓 1861年再建 



  天守台より見た 北 人質櫓





  同上      東の丸 東北隅櫓





  同上      西 廊下橋



  同上      南 本丸跡





  天守台 竹中重利が建てた四層の層塔型天守は1743年の火災で焼け落ち、以後天守は

      建てられず、野面積の天守台だけが残る。





  東の丸 東南隅櫓





  土塀



  東の丸 西南隅櫓



  大手門より本丸跡を見る、天守台も見える。



  大友宗麟銅像 1593年まで大友氏22代に渡り豊後を支配していた。(本丸跡に立つ)





  大手門 1965年復元 正確には「多聞櫓門」という名称である。



  東の丸 西南隅櫓と東南隅櫓(右端)。




  大手門と宗門櫓



  宗門櫓 1859再建人質櫓と共に江戸時代の建物である。城の外から見ると平櫓に見えるが

      城内からは二重に見える建物で、平地に石垣を積んで築城する際に、櫓の部分に

      櫓台を設けていなかった為、このような地階を付けている。



  西の丸櫓と宗門櫓







  見学後大分駅に向かう中央通り歩道のタイルに描かれた府内城。

岡 城址-2

2013-02-08 17:37:25 | 
 岡城址(禄高約7万3千石) 総役所から近戸門~西の丸、家老屋敷を登城して見ました。



  総役所から眺めた西の丸跡石垣





  最初はさほどでもなかった坂道も七曲り付近は急坂の連続です。



  

  近戸門城壁





  近戸門



  少し進むと右側に家老屋敷跡その先に見える、小高い山が西の丸跡。



  左側は普請方跡



  普請方跡に上り近戸門と西の丸を見る。



  同上より家老(中川民部)屋敷跡と先に西の丸を見る。



  家老屋敷跡から竹田市内を眺める。



  家老(中川民部)屋敷跡(1500石)。礎石で建物の輪郭がわかる。



  西の丸北西隅にある小山より撮る 南に西の丸御殿跡。



  同上              北に家老(中川民部)屋敷跡その先に普請方跡。



  同上              東に賄方跡、家老(中川但見)屋敷跡。



  同上              南西に角櫓跡。



  同上              西に阿蘇の山々。



  西の丸御殿跡 西の丸御殿は1664年に三代藩主の隠居後の住まいとして普請されました。

     西の丸は本丸部分にはない儀礼性や居住性を優先したものでありましたが、

     1771年の大火災からの復旧後は、政務の中心的な役割を持つようになった。 

     (岡城は1185年築城したと伝承され、その後変遷し本丸等曲輪は1596年に完成)    



  西の丸 新屋敷門跡





  大手門を上部より見る。



  石段上が東門跡



  東門跡 西の石垣の上は西の丸御殿跡。



  東門跡より東に大手門、朱印倉跡を見る。



  同上   北東に武具方跡、家老(中川但見)屋敷跡を見る。



  同上   北に賄方跡と武具方跡を見る。



  同上   西に御殿跡を見る。



  御殿跡より大手門を見る。



  家老(中川民部)屋敷跡先の石垣上は普請方跡。



  西の丸北側石垣



  普請方跡(石垣上)右先に家老(中川覚佐衛門)屋敷跡がある。



  家老(中川覚佐衛門)屋敷入口と右は清水谷。







  家老(中川覚佐衛門)復元屋敷跡(1050石)。床面までの間取りが表現されている。



  家老屋敷跡から清水谷の向こうに本丸跡が見える(一段高く木々が見える所)。



  同上             城代屋敷跡、賄方跡、家老屋敷等が見える。



  清水谷を挟んで左に家老屋敷、右に本丸跡。





  賄方跡 記録によると、まず「惣役所」に行き「御賄所」で待たされ、西の丸御殿で

      藩主と対面している。このように、賄方は単なる台所でなく、待機場所と

      して使用されていた。



  家老(中川但見)屋敷跡(1200石)



  朱印倉跡  150分、古に浸り見学後大分市に戻り府内城に向かいました。



  

岡 城址 (別名臥牛城) 1

2013-02-07 13:19:08 | 
 先日 大分県竹田市にある岡城址(国指定史跡)に行って来ました。



  JR 豊後竹田駅からタクシーで約5~6分で着きます。





  総役所跡で300円でチケット購入、チケットは登城手形、案内は巻物と非常に凝っています。



  大野川の支流松葉川と白滝川が合流地点に位置し川岸から切り立った断崖絶壁の海抜

     325mの台地にある、天然の要塞型の城です。天正14年(約400年前)から天正15年に

     島津氏が3万7百名の大軍で3回に及びて攻撃したが、落城しなかった難攻不落の城です

     最初に大手門~本丸まで登城します。





  大手門への登り坂



  大手門の石垣





  大手門跡



  大手門内部側から



  古大手門跡





  左に西の丸、右の本丸に向かう。



  家老中川但見屋敷門跡



  桜馬場を真直ぐ進む。



  左に城代屋敷跡



  籾倉跡





  西中仕切跡(貫木門跡)敵の進撃を阻止する目的で折り曲がって通るように作られている。



  鐘櫓跡 







  西中仕切跡から見た三の丸跡の石垣です。谷からの高さは約70mもあります。

 

  太鼓櫓門跡 太鼓櫓門は、岡城中枢部である本丸、二の丸、三の丸への出入り口です。

              石垣は、城内で最も大きな石材を使用している。





  太鼓櫓門跡を三の丸側と上部から撮る。



  三の丸跡、奥に本丸石垣が見える。



  三の丸にある武具庫跡





  三の丸跡 三の丸は他藩の使者や家臣が藩主と対面する場として使われていた考えられる。



  三の丸にある空井戸 深さ78m、穴の直径、上部3m、下部2m、上部より8mまで石で

       巻下し、底には水はなく平たき石を詰めてあり、北方の石垣の隙間より風が

       通っている。底より高さ1.2mの処に東向きに穴あり観音像らしきもの安置されている



  本丸から見た三の丸跡



  左の石垣は本丸石垣先に三の丸跡が見える。



  三の丸から清水谷越しに家老屋敷を見る。



  二の丸跡 二ノ丸は北の方角に張り出しており、先端部には「御数寄屋」「鍍ノ間」

       「御月見櫓」が設けられていた。東隅には二階建ての「御風呂屋」があった。

       二の丸は、接客の場として使用されていたと考えられる。



  二の丸跡には滝廉太郎の銅像がある。



  二の丸跡から本丸石垣を見る。



  本丸より二の丸跡を見る。右石垣は本丸。



  本丸より二の丸と地獄谷を眺める。







  本丸跡、「御三階櫓跡」(天守閣)は外観は三層に見せかけ、内部は四階の構造でした。

                   真下に白滝川が流れています。



  本丸跡本丸の外周は北西隅に「角櫓」、南西隅に「御三階櫓」南東隅に「御金倉」(現在は

     天満社)が設けられていた。



  天満社と土井晩翠の「荒城の月詩碑」



  御金倉跡



  本丸南側は白滝川からの断崖です。



  本丸西側は清水谷先には阿蘇山に雪が見える。



  本丸より東中仕切を見る。先には御廟所跡、下原門跡がある。