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旅行 社寺

熊本駅~鹿児島中央駅 在来線 特急の旅 2

2017-12-21 14:55:11 | 美術館、博物館
 2017.12.01 今日は人吉温泉13:22発(特急いさぶろう3号)~吉松駅で乗換

    13分待ちで15:01発(特急はやとの風)~鹿児島中央駅16:44着の列車旅です。



  いさぶろう号のりば。



  特急「いさぶろう.しんぺい」明治の偉人にちなんだネーミングです。





  アユの駅弁 日本三大急流の球磨川で捕れた鮎は大きさ、味ともに日本一と言われる。



  肥薩線 (人吉~吉松間観光案内)肥薩線は熊本県八代駅から、鹿児島県霧島市隼人町の

    隼人駅迄の距離124.2kmを走る鉄道路線です。明治42年11月に全線開通しました。

    中でも人吉~吉松間は、21のトンネルで山をくり貫き、山肌をジグザグに上り下りする

    スイッチバック、あるいは山をぐるっと一周しながら駆け上がる。ループ方式など、

    当時の蒸気機関車で登れる最大勾配30/1000(1000m走って30m登る)路線です。

    そのため途中の車窓は山あり、谷あり渓谷を見下ろす日本一の動く展望台といわれています。 



  同上 日本一の車窓と観光列車の山登り。

   「日本三大車窓」の絶景とループ.スイッチバックをしながら急勾配を登ります。

   日本三大車窓は長野県の篠ノ井銭「姥捨駅車窓」私も見ましたがスイッチバック方式の駅で

   善光寺平が一面に広がっています。あと一つは根室本線「狩勝峠越え車窓」ですが、

   1966年に廃線になってしまいました。



  いさぶろう号が入線して来ました。隣の番線にはかわせみ.やませみ4号も到着しました。



  いさぶろう3号の先頭車輌。 隣は熊本行きのかわせみ4号。



  いさぶろう号。



  同上 1号車車内。



  同上 2号車車内。





  大畑(おこば)駅(294m)到着、大畑ループ線とスイッチバック。

     大畑ループ線は直径600ありますが、ループ線の中にスイッチバックがある線は、

     全国でもここだけです。急傾斜を登るためにループ線がつくられ、急傾斜地に駅をつくる

     ために、スイッチバックがつくられました。



   同上駅で写真撮影のサービスあり。



  大野第二トンネルを出た風景。 市房山(1721m)、上球磨地方の風景。

    山の向こう側は、五木、五家荘です。



  矢岳駅。 



  同上 標高536.9m、肥薩線の最高地点にある駅です。





  同上 SL展示館とD51-170号型蒸気機関車。





  日本一の車窓  矢岳第一トンネルを抜けると列車は一時停車します。

      正面が霧島連山、右前方の山間に桜島が見えるときもあるそうです。



  真幸駅(380m)。



  同上ホームにある「真せの鐘」。



  同上 この駅でもスイッチバックをします。



  吉松駅に到着(14:48)。



  特急 はやとの風。(15:01発)。



  同上 2号車。



  指宿のたまて箱(先頭車両)



  同上 1号車。



  同上 車内。



  同上 IBUTAMA



  おおすみよこがわ駅。



  かれいがわ駅  沿線の駅はほとんど明治36年1月開業時のままの駅です。



  桜島の勇姿が見えてきました。今日は噴煙は見られません。



  鹿児島中央駅到着。(16:44)。 駅前のビルの間から桜島が見えます。







  駅ビルの居酒屋(朝次郎)で焼酎石蔵.なかむら等イモ焼酎。酒の肴にきびなご、牡蠣、

       豚角煮、サツマイモの天ぷら、串焼きなど地のものを賞味しました。



  90分ほど飲み外に出るとイルミネーションが綺麗、駅前のホテルに向かう。









 

熊本~鹿児島中央 在来線特急の旅 1

2017-12-20 15:24:27 | 旅行
 2017.11.30~12.01 第一日目は熊本駅11:23発、特急「かわせみ やませみ3号」で

     人吉温泉駅13:01着。 人吉市内観光後、人吉温泉に宿泊。

     二日目は人吉駅13:22発、特急「いさぶろう3号」で吉松駅へ

     特急「隼人の風3号」に乗換、鹿児島中央駅に16:44着。

     車窓に広がる大自然のパノラマ、ノスタルジックな車両で鉄路の旅を楽しみました。



  熊本駅 「くまモン駅」



  九州路線図



  特急「かわせみ やませ」 人吉市観光パンフレットより。







  1号車 かわせみ号。







  2号車 やませみ号との2両編成で1日熊本~人吉間を3往復しております。



  1号車車内。







  2号車車内。



  切符。(参考;全席座席指定につき団体旅行に抑えられ、私も一か月前にやっと取れました)



  記念乗車証 裏面にはかわせみ、やませみ、のスタンプが押せます。







  日本三大急流の一つ球磨川と並走し、山間を縫うように走ります。



  球磨川右岸を当初は走っていましたが鉄橋を渡り左岸を走ります。

    普通鉄橋は川に直角に架橋されていますが、

    この鉄橋は山間の狭い場所の為斜めに架かっている、珍しい鉄橋です。



  社内での写真撮影のサービスもあります(運転手の帽子付)



  一勝地駅  一時停車(7分間)、降車可。



  同上駅の入場券  縁起の良い駅「足を地につけ、努力し、まず一勝を」と言われ購入する。



  同上駅前から撮影した、山間の狭い所を流れる球磨川。



  人吉に到着。



  人吉駅。





  早速名物のうなぎ屋に急ぐ。 上村うなぎ屋さんは本日定休、隣のしらいしに飛び込む。

      うな重松(3400円)、注文を受けてから裂き、本格炭火焼、ふっくらと焼き上げる。

      秘伝のタレのうな重は格別の味でした。

  今日は温泉でゆっくりくつろぎ、明日は観光後、鹿児島に向かう。





五木寛之の百時巡礼 第九十八番 人吉別院

2017-12-18 08:49:12 | 美術館、博物館
 2017.11.30 熊本からかわせみ.やませみ号の特急に乗り球磨川に沿って約87.5k

      上り、人吉盆地に着きます。隠れキリシタンは私も知っていましたが、「隠れ念仏」

      は知りませんでした。この地方では、室町時代後半から明治初年まで三百六十年余りの間、

      一向宗(浄土真宗.真宗)の信仰が禁じられた。激しい弾圧の中で、隠れ門徒たちは命がけ

      の念仏を称え、信仰の灯を護り続けたが、多くの殉教者も出た。

      人吉別院は、明治に入って、禁制が解かれた後に建てられました。





  人吉別院 山門と鐘楼。



  山門。







  本堂 明治11年(1878)に完成。

     宗派:浄土真宗本願寺派

     寺号:本願寺人吉別院



  御朱印。



  鐘楼  当初の梵鐘は、当地で鋳造され、

       門徒から大量に寄せられた古鏡やかんざしなどの地金を材とした。



  親鸞聖人の石像、歌碑。



  本堂には、本尊の阿弥陀如来立像と親鸞聖人の「真向(まむき)の御影」が安置されている。



  本尊の阿弥陀如来立像。

   次からは堂内に展示されている、隠れ念仏の遺品。



  まな板仏(本尊の掛け軸を、まな板に似せた蓋付きの薄い木箱の中に収めた)。

  傘仏   (くり抜いた桐材の傘型の容器に親鸞の御影の掛け軸を隠し納めた)



  隠れ念仏時代の阿弥陀如来ご絵像(今から四百余年前)。



  伝助師の遺品。(位牌.遺歯)



  阿弥陀如来立像を納めた隠し木箱。本願寺御影堂寛永瓦。



  人吉別院と殉教地(隠れ念仏の里) 案内図。 離れているので本堂内掲示の写真の一部を紹介します。



  十四人淵  貞享4年(1687)球磨川の支流川辺川の尾曲淵に、真宗の門徒男女14人が

        細紐で互いに体を結び合い入水したと語り継がれています。



  十島仏像仏具焼却跡地  人吉球磨一円の真宗門信徒の家から仏像仏具を没収して

        焼却された地で、現在も当時の焼却灰が残っている。



  与内山の首塚聖地  伝助さんの法弟子秋山和七郎は獄門に処せられ、さらされていた

        伝助さんの首を夜陰に乗じて盗み出し、自宅近くの石地蔵に埋葬した。

   このように、人吉藩の一向宗禁制は転宗を拒んだ隠れ門徒たちの、

         さまざまな殉教悲話を生みました。

         人吉別院は現在信仰の場であるとともに、「隠れ念仏」の

         歴史を後世に伝える場ともなっています。

 (参考) 人吉藩は同じ念仏信仰でも浄土宗や時宗の信仰は認め一向宗だけを禁制とした。

    それは一向宗門徒が本山である京都の本願寺に献金することを止めさせる為であり、

    また、戦国時代に北陸で起こった一向一揆の二の舞を避けたかったためだ。







  第九十九番 富貴寺  平成二十五年一月十五日 参拝。大分県豊後高田市田染路。







  第百番  羅漢寺  平成二十五年一月十五日 参拝。大分県中津市本耶馬渓町跡田。

         と百時巡礼の満願を迎える事が出来ました。

         百の寺々を目に見えない力に守られ無事に回り終えたことに感謝したいと思います。


    





熊本城 復興見学 

2017-12-16 20:00:58 | 
 2017.11.30 熊本城を最後に見学したのは2015.11.17、日本百名城で行った時です。

        2016.04.14と16の2度、地震に見舞われ被害が気になっていました。今回被害状況と

        復興に着手した状況を見たく出掛けました。









  2015.11.17 登城時の立派な熊本城です。

  次からは2017.11.30見学時の熊本城です。







  復興見学ルート

    桜の馬場城彩苑~二の丸広場~加藤神社~北十八間櫓等見学

    最後に市役所14階展望所と巡ります。



  熊本城の地震被害。





  未申櫓 石垣や塀が損壊。





  大小天守と宇土櫓 各所損壊。







  戌亥櫓 石垣が大きく崩落。





  石垣復旧の主な手順。





  北大手櫓門跡 石垣の工事。



  建築部材の回収と保管。



  加藤神社  加藤清正を祀る肥後総鎮守。

        ここからが場内宇土櫓や大小天守が一番近くに見えます。





  宇土櫓  南に続く付櫓が崩壊、その他損壊。









  天守閣  損壊。







  平櫓.不開門(あかずもん) 平櫓は損壊、石垣より前に出てずれている。

         不開門は倒壊。





  北十八間櫓 櫓と土台の石垣が崩落。





  東十八間櫓 櫓と土台の石垣が崩落。



  須戸口門 櫓損壊。



  平御櫓 損壊。 長塀(左に延びる)倒壊。

  これからは市役所14階展望所から撮影。





  特別史跡 熊本城跡  全景。



  天守周り。 本丸御殿他損壊。



  天守をアップ。





  飯田丸五階櫓 テレビでよく(櫓を角石で支えた姿)放映されていた、下部の石垣が崩落。

   一周して重要文化財の櫓等多数倒壊、及び損壊の被害が甚大な事知り

   一日も早い復旧、復元を願わずにはいられません。

    私も昨年熊本城災害復旧支援の寄付をいたしましたが、

    「復興城主」制度として、芳名板のデジタル化や新たな特典などができたので

    皆様も支援していただきたいと思います。
  



 

  

  


熊本 本妙寺

2017-12-15 16:33:45 | 寺院
 2017.11.29 長崎から特急(かもめ)と新鳥栖で新幹線(さくら)に乗換

        熊本に約二時間で到着、駅ビルで昼食後市電で本妙寺前に向かう。

        下車後約10分で仁王門前に到着する。



  本妙寺 仁王門  日蓮宗九州総本山の風格を漂わせる巨大な門。

           昨年の熊本地震で石段他が壊れて通行止めにはびっくり、迂回を余儀なくされる。



  参道  仁王門からまっすぐに延びる長い桜並木の参道の左右には、

            12寺ある塔頭(たっちゅう)が並んでいる。



  本院門。



  本院の庭園 紅葉が綺麗だ。



  本妙寺門  扁額「勅願道場」と東郷元帥書が掲げられている。





  本妙寺大本堂(勅願道場) 宗派:日蓮宗六条門流

               山号:発星山(はっしょうざん)

               加藤清正によって創建された寺。



  御朱印



  山内図



  法皇閣(釈迦堂) 大本堂の向かいに参道を挟んで立つ。釈迦如来像を祀る。



  胸突雁木(むなつきがんぎ) 緩やかな石畳の参道を歩いて行くと、突き当りに、

      灯篭に囲まれた石段が壁の様に立ちはだかる。これが胸突雁木といわれる、

      浄池廟に続く百七十六段の石段です。上り口には石造の獅子が向かい合わせに

      立てられており、文政七年(1824)の銘がある。





  同上 昨年の熊本地震で倒壊した石灯篭。

     石灯籠に挟まれた石段が旧参道の胸突雁木。胸を突くような急で不揃いな

     石段(雁木)であることが、名の由来。





  常夜燈



  浄地廟中門と奥に拝殿。



  浄地廟 拝殿。



  浄池廟 拝殿と本殿。





  浄池廟 本殿 市街を挟んで熊本城と向かい合い、天守と同じ高さにあるという。

         「浄池」とは清正の法名である。



  本妙寺の沿革。



  鐘楼。





  金宦(きんかん)の墓。





  大木土佐守兼能の墓 

      最も信頼された側近の、金宦と兼能のお墓は清正廟の傍らに葬られている。



  栗毛堂。





  論語猿。







  加藤清正公 銅像と石段  中尾山に立つ清正の銅像は、昭和10年(1935)、

    清正の没後325年に制作された。作者は昭和の代表的彫刻家.北村西望。

    銅像は太平洋戦争中に金属供出で撤去されたが、昭和35年(1960)に再建。

    浄池廟から像まで、石段は25段刻みで300段ある。





  展望所からは熊本城が眺望できる。





  六喜廟(加藤家二代目.加藤忠弘公一族の墓所)と脇の田中智学の碑。

      二代目忠広の代に幕府から、取り潰しにとなる加藤家に同上した智学の筆

      による碑文は、加藤忠広の名誉回復など、六喜廟の由来を述べたもの。 

         見学終了後熊本城近くのホテルに宿泊する。