HARD HEAD

旅行 社寺

健康に注意

2012-06-27 14:00:38 | 日記

 一昨日あたりから、体調が少し思わしくないと感じていましたが

 昨日早朝、寝汗をかき体が熱く、風邪の症状かと思いました

 トイレに行こうと立つと目と言うか頭がグルグルまわり気持ちが

 悪い、アリナミンを飲み、又ベッドにつくが吐き気もする

 寝ていても、頭を動かすとめまいがする、今まで経験したことがない

 少し寝ていれば治るかと思いましたが、午前11時を過ぎても

 良くならない、近くの医者に行く、歩くのに下を向き頭を

 動かさないでやっとのことで着く、診断してもらうと

 「急性頭位めまい症」サッカーの沢選手と同じような病気で

 加齢、疲労、ストレスと気候の変動が激しいと起り易く

 三半規管のリンパ液が調節が出来なくなる、薬を飲むと

 一週間程度でよくなると聞き安心して、家に帰り昼食も食べず

 脱水予防に水だけ飲みひたすら寝た、今日は少し良いので

 栄養をつける。以前は毎日晩酌をすれば早く床に就いていたが

 最近は12時ごろまで起きていて睡眠不足、身体の健康を過信

 し過ぎていた、早く飲めるように健康な日常生活を送ろうと

 思いました。



 明日から所用で北海道へ行きますので10日ほどブログ休みます。



 

岩殿城跡 から猿橋散策

2012-06-22 22:35:35 | 
2011.05.06 JR中央線に乗ると車窓にいつも見え、気になっていた

 岩殿城跡を訪れた、大月駅に9時少し前に着く。



 大月駅からの岩殿山 右の少し高い所が本丸及び烽火台

 岩殿山は標高634mで東京スカイツリーと同じ高さです。



 岩殿城跡の看板が見える



 岩殿城跡入口



 登り始め、見上げる岩壁





 揚城戸跡 第二の関門と呼ばれ巨大な自然石を利用して城門を築いた。



 番所跡 雨、露を避けるための建物があり、楊城戸の番兵の詰所であった



 馬屋跡



 南物見台からの大月市内  真下に見下ろす桂川と中央高速は断崖

 絶壁で天然の堀としてこの上ない要害堅固。大月駅も見える。





 岩殿城  16世紀になり武蔵、相模に備える戦略上の拠点として小山田氏

 が1532年本格的な居城とした山城、岩殿山は関東進出を狙う、対北条氏に

 対する、武田勢の第一防御をなしていて、烽火台を完全に整備した武田勢の

 最も特異な築城といえる。相模、武蔵の国境より集められた情報は

 一旦この城に集められ、府中へと送られた。

 

 兵舎跡



 馬場跡  本城内で一番広い面積を有し、馬や兵士の訓練馬とされ

 非常にそなえた。



 倉屋敷跡  武器や弾薬、食糧、燃料のほか生活用品などの保管がされた。



 烽火台





 本丸跡  三ケ所にある物見台を総合した本陣で防衛や進攻の指令を

 発した。 現在テレビ電波の中継用施設がある。



 天気が良ければ美しい富士山が見える。



 空堀 本丸東側の防御の為。空堀から続く下山道を少し下りたが足元が

 悪いので引き返し別の道を下る。



 猿橋へ向かう。



 猿橋側からの岩殿山 高い所が本丸。













 猿橋 日本三奇矯のひとつ。見学後大月駅に13時に着き帰路につく。

駿府城 散策

2012-06-21 13:41:46 | 
2011.09.18 所用で静岡市に昨日泊まり朝少し時間が取れたので

      日本百名城のひとつ駿府城跡を散策した。



 駿府城 巽櫓(たつみやぐら) 1988年復元、二の丸の東南角に設け

 られた、三層二重の隅櫓で、十二支の巽(辰巳)の方角に位置する

 ことから呼ばれている、城の櫓建築でも例の少ないL字型の

 平面をしている。



 鯱(しゃちほこ) これは1969年に二の丸整備工事の際に堀の底から

 発見されたもので、貴重な鯱などが城内に展示されている。



 駿府城 元々駿府には駿河の守護であった今川氏の城館がありました。

 徳川家康(幼名竹千代)も今川義元の人質として数え年8歳から12年の

 長きにわたり駿河で過ごしている。その後時が経ち、家康は1585年

 駿府城の築城を開始し、浜松城から駿府城に本拠地を移した。

 将軍職を秀忠に譲った後の1607年に、家康は再び江戸城から

 駿府城に移っています、この時に駿府城は大改修され、天下普請

 として各地の大名が駆り出された。

 駿府城の家康は「大御所」として実権を握っていましたので、
  
 江戸、駿府の二元政治だったのです。天下人として1616年75才で

 生涯を閉じたのも、駿府城で久能山東照宮に当初祀られました。



 本丸跡に建つ徳川家康の銅像 鷹狩姿。



 銅像の隣に家康お手植えのみかんの木 このみかんの木は静岡地方の

 みかんの起源をたどる貴重なものです。



 天守は現存していないが1610年再建時の天守曲輪は、五層、七階の天守が

 中央に建ち、天守台の石垣天端で約55m×48mという城郭史上

 最大の天守台であった。





 東御門 1996年巽櫓の隣に復元 二の丸の東に位置する主要な出入口

 でした、この門は二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、

 櫓門、南及び西の多門櫓で構成される枡形門です。



 東御門櫓門 1996年復元。





 東御門橋と二ノ丸堀(中堀)


 



 弥次喜多像 静岡市出身である十辺舎一九の「東海道中膝栗毛」を記念して

 建てられている。二ノ丸の南側の堀と石垣が現存する。



 ワサビ漬け発祥の地  碑によるとわさびは370年前始めて安倍川上流で

 栽培され200年前、駿府のわさび商人によって考案され、明治以降の

 交通機関の発達により広まったそうです。



 駿府古地図。





 
 
 

山中城跡 散策

2012-06-19 20:30:25 | 
2011.06.05 東京からマイカーで伊豆の運慶、快慶作、慶派の仏像を見学に

 伊豆韮山の願成就院、函南町の桑原薬師堂、ついでに修善寺により

 帰りがけに山中城跡による、国道1号を三島方面から箱根峠を登って来た

 駐車場に車を止め箱根旧街道を歩いて山中城跡に向かう。









 復元された旧東海道の石畳の道。この旧東海道を敷地内に取り込むような

 縄張りで山中城が建てられていた。





 案内板 旧東海道を南北に挟む形で築城されている。

 日本百名城のひとつ。

 箱根山中、標高約580mの国道脇に残る城跡で、国史跡に指定されている。

 戦国時代末期の1567年ごろ後北条氏によって築城されたもので、豊臣秀吉

 の小田原攻めに備えるため天正年間に大改修が行われた広大な山城です。



 箱井戸 三の丸にあり下にある田尻の池に水を落とすことにより浄化し

 飲料用として使われたと思われる。





 二の丸馬出しにかかる木橋 周囲の深い空堀。





 二の丸 



 本丸と二の丸との間の障子掘。

 この城は畔掘、障子掘を多用した北条流の築城術が素晴らしい。





 三段の曲輪が連続する本丸跡には、兵糧蔵跡の礎石もある。





 本丸の天守櫓跡。





 三の丸跡に建つ宗閑寺境内には山中城の守将松田康長、松田右兵衛太夫、

 間宮康俊、箕輪城主、多米出羽守らの墓と共に豊臣方の武将、

 一柳直末らの墓が並んでいる。

 1590年3月29日に7万余人に達する圧倒的な攻撃力を有する豊臣軍の前に

 城主松田康長以下4千人の北条軍は短期間で壊滅し、落城、

 以後廃城となった。

 今回は運慶仏がメーンでしたのでちょっと寄って一部を駆け足で見たが

 またゆっくり全部を見学したい城跡です。