HARD HEAD

旅行 社寺

妻沼聖天山 1

2013-10-31 21:05:18 | 寺院
 2013.10.28 今日は天気も良いのでドライブで、夏に金山城を見学に行ったとき時間がなく

         寄れなかった妻沼聖天山(国宝)と箕輪城を見学してきました。





  妻沼聖天山 斎藤別当実盛が1179年に開基。宗派 高野山真言宗、

        本尊 歓喜天御正体錫杖頭(秘仏) 国指定重要文化財。



  案内図









  貴惣門 国指定重要文化財 岩国の錦帯橋の架け替えをした長谷川重右衛門が設計、約100年後

      林門左衛門正道の手により1847年起工し1851年に竣工した。

      総門として建てられた雄大規模の八脚門で、妻側に破風を三つ重ねた類例が少ない

      奇抜な形式に特徴がある。総欅造の精微な造りに、多様な技法の彫物で要所を

      飾るなど、江戸末期の造形芸術の粋があり、主要部材に寄進の名を残す等、

      郷民信仰の証を伝える貴重な建造物です。





  仁王像



  境内 七五三のお参りの家族。



  斎藤別当実盛公銅像 熊谷直実や畠山重忠と並ぶ源平合戦の英雄で聖天山を開いたとされる。

      この像は若者に侮られまいと白髪を染めて最後の戦いに望む場面。



  戦前の小学校唱歌になった斎藤実盛。



  健康長寿観音 関東ぼけ封じ33観音の第16番札所の本尊。



  護摩堂



  中門(四脚門) 懸魚の模様等に室町期の特徴を良く残し寛文(1670年)の大火で唯一残り

          聖天山の建造物群の中でも、最古のものと言われる。



  御水屋





  平和の塔



  弁天社



  明王の滝 見えずらいが滝の右側に軍茶利明王の像がある。



  放生池と明王の滝



  鐘楼





  仁王門





  仁王像



  仁王門から見た本殿



  籠堂(右)



  水行堂 中に井戸がある。



  大師堂



  本堂と石舞台







  御本殿 歓喜院聖天堂 国宝 1760年、林兵庫正清.正信親子の手により、25年の歳月をかけ

      現堂が完成した。本殿は奥殿、中殿、拝殿よりなる廟型式の権現造りで

      桃山建築美を伝える。



  荒神社



  天満宮(左)と五社明神



  赤子稲荷社



  ムクロジのタネ 昔これにニワトリの羽根をつけて、羽根つきをした。

  ムクロジの果皮は水の中でこすると泡が出る、昔セッケンの代用として洗濯に利用した。



  境内に咲いて冬桜。






浅草寺

2013-10-27 09:39:11 | 寺院
 2013.10.03 大分前になりますが浅草に用事で出かけ浅草寺に久しぶりに参拝してきました。



  浅草案内図



  雷門 外装改修工事中(11/15迄)でしたので、奉安されている、風神、雷神は見えませんでした。



  境内案内図



  仲見世 相変わらずの人混みです。



  宝蔵門(仁王門) 1964年再建 浅草寺の伽藍のほとんどが戦災で焼失。





  仁王像







  浅草寺本堂 1958年再建 聖観音宗の総本山



  本堂外陣の天井 画は天人の図。



  本堂 本尊 聖観音菩薩(秘仏)



  西境内 案内図 何時もは本堂に参拝し飲食をして帰っていましたが、境内の整備が

          進んでいましたので、今日は境内を回ってお参りしました。



  影向(ようごう)堂 観音さまのお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている仏さま方を

            「影向衆」といい、これらの仏さまをお祀りしている。



  橋本薬師堂 1649年 徳川家光公の再建 。



  六角堂(日限地蔵尊) 1618年建立 都区内では最古の木造建造物。



  淡島堂 旧仮本堂を移築。



  銭塚弁財天(奥)と恵日須大黒天(手前)



  阿弥陀如来像



  銅造宝篋印塔



  五重塔 1973年再建 建物の上に五重塔が建っている塔院造り。地上より53.32m、塔高48.32m



  五重塔と東京スカイツリー



  浅草神社 国指定重要文化財 徳川家光により1649年建立。三社祭が有名です。



  二天門 国指定重要文化財 1649年頃建立。





  同上 増長天(左).持国天(右)



  弁天堂 1983年再建 関東三弁天の一つ。



  鐘楼 徳川綱吉の命により建立。梵鐘は1692年鋳造の名あり。江戸時代の「時の鐘」の一つで

         松尾芭蕉の句「花の曇 鐘は上野か 浅草か」で有名な鐘である。



  二尊仏 1687年造立 観音菩薩(右)と勢至菩薩(左)。



  神谷バー 1880年創業、本館は1921年建築で浅草で最古の鉄筋コンクリート造(耐震工事中)

       登録有形文化財に指定されている。昔電気ブランを飲んだことがあり懐かしい。



  吾妻橋と東京スカイツりー

  

  









 


上野散策 2

2013-10-22 15:47:51 | 寺院
 2013.10.19 芸大での仏頭展を見学後。いつもは上野駅に戻るのですが今日は日暮里駅に

       向かい散策して見ました。



  案内図





  東叡山寛永寺 江戸城の鬼門にあたる方角を守る為にと、寛永二年(1625)三代将軍家光の

     寄進を受け、天海僧正が開基した天台宗の関東総本山。芝増上寺と共に徳川家の

     菩提寺で、幕末までは忍ヶ岡全てが寺域だったが、上野戦争で本堂、根本中堂

     、東叡山三十六坊などことごとくを焼失した。





  寛永寺本堂(根本中堂)今の本堂は1879年に1638年の建造とされる川越の喜多院本堂を移築。



  同上 鐘楼







  徳川綱吉(常憲院霊廟)勅額門 国指定重要文化財 1709年建立。

  歴代将軍御霊廟には4代家綱公、5代綱吉公、8代吉宗公、10代家治公、11代家斉公、13代家定公

    が祀られている。吉宗は1720年御霊屋建立禁止令を出し、以後大規模な霊廟は建築されず、

    寛永寺か増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔か霊牌所が建立された。

    霊廟は門右手の石垣に囲まれた広い敷地内にありますが通常は公開していません。



  徳川十五代将軍綱吉公の墓所 歴代将軍とは合祀出来ず、谷中霊園内に神道型式で埋葬。



  天王寺五重塔跡 礎石





  天王寺五重塔 江戸初期(1644年)に建立されたが、明和九年(1772)の目黒行人坂の大火

         で焼失。のち1791年に再建された五重塔は、近くに住んでいた幸田露伴の名作

         「五重塔」のモデルになったが、1957年の放火心中事件で再び焼失。







  護国山天王寺 鎌倉期の文永年間に開山した日蓮宗感応寺が、江戸幕府の命で天台宗に

         改宗した古刹。江戸三大富くじの一つ、谷中の感応寺として知られていたが

         天保四年(1833)今の寺名となった。







  同上 銅造釈迦如来坐像 いろいろの歴史にふれることが出来、日暮里駅から帰途に着きました。
  


上野散策

2013-10-21 15:07:37 | 日記
2013.10.19 東京芸術大学大学美術館で開催されている国宝「興福寺仏頭展」に行って来ました。



パンフレットより

  銅造仏頭と木造十二神将立像.板彫十二神将像の国宝25点その他多数の重要文化財が奈良

      興福寺創建1300年記念として展示されています。何度か奈良に行ったときには

      国宝館、東金堂で見ていますが、今回はガラス越しでなく、また間近で

      360度のアングルからその魅力を味わい、時間を気にしないで至福の時を過ごしました。

      「仏頭」は白鳳時代(685年)造、国宝。1187年山田寺から移送され東金堂の本尊となる。

      1411年の火災で胴体を失って所在不明になり、500年の時を経て1937年

      再び発見されるなど数奇な運命をたどる。微笑んでいるようで威厳がある

      凛とした表情から「白鳳の貴公子」と呼ばれています。また「仏頭」と同じ白鳳仏として、

      調布の深大寺の重要文化財「銅造釈迦如来倚像」も特別陳列されています。



  美術館2階サロンから上野の森越しの東京スカイツリー。



  上野 東照宮山門



  同上唐門 金箔張り。



  東照宮 国指定重要文化財 現在の社殿は1651年に三代将軍家光が建立、権現造り。

      現在修復工事中、今年12月完成予定、公開後の見学が楽しみです。



  旧寛永寺五重塔 国指定重要文化財 1639年再建。





  医薬祖神 五條天神社 社伝によれば東征のおり大巳貴命と少彦名命を上野忍が岡に祀った

     ものとされ、1928年に現在地に遷座され、また相殿の菅原道真公は1641年に合祀された。

     節分の日の「うけらの神事」で知られている。うけらとは鬼が最も嫌う薬草のこと。

     境内社として縁結びのお穴さまと呼ばれる、花園稲荷神社がある。



  天海僧正毛髪塔 東照宮創建にかかわり、寛永寺を開基した天台宗の僧、

          慈眼大師天海僧正の毛髪が納められている。

          もと三河の武士で家康の顧問を務め、剃髪はしていなかった。



  噴水池 向うに国立博物館が見える。



  野口英世博士像





  国立科学博物館 前庭にある D51の蒸気機関車とシロナガスクジラ。

 



  旧寛永寺本坊表門(黒門) 国指定重要文化財 寛永年間に建立、漆の輝きの荘厳な門。





  寛永寺開山堂(両大師)1644年天海僧正を祀る為に将軍家が堂宇を建立。両大師となったのは

         天海が最も崇拝した平安時代の高僧慈恵大師を合わせて祀ってからです。



  同上 阿弥陀堂



  同上 鐘楼



  因州池田屋敷表門 江戸後期の建築とされる。

           因幡鳥取藩三十二万五千石池田家の江戸上屋敷の表門。

  

  

      

      

日光旅行

2013-10-15 16:10:10 | 旅行
 2013.10.9~10 会社のOB同士3人で温泉と酒宴を目的に旅行して来ました。





  心配していた台風の影響もなく良い天気になり、浅草より東武特急きぬ117号12:30発で出発、

     日光に近くなると黄金色の田んぼ、時々見えるそばの白い花、緑の山々と車窓からの

     景色に癒され都会の喧騒を忘れさせてくれます。



  霧降高原にあるホテルに送迎バスで15:00には到着する。

     このホテルは日本郵政が保有していたのを大江戸温泉物語グループが買収、2007年に

     オープンした施設で、建物はポストモダンの建築家 ロバート.ヴェンチュリーの設計です。





  昨晩は12時近くまでお酒を酌み交わし話が付きませんでしたが、温泉が閉まって仕舞うので

     風呂に向かう露天風呂からの満天の星空に感激する。

     上記の写真は霧降高原に上がる日の出です、下に見える町は日光市街です。



  日光駅 3人は日光には再三来ており、社寺も見学しているので、日光田母沢御用邸記念公園

      だけ見学して帰る事に決定する。







  日光田母沢御用邸記念公園 国指定重要文化財 明治期(1899年)に造営された

        御用邸の中でも最大規模の木造建築で、現存する唯一の建物です。





  御車寄



  中庭



  使用されている飾り金物、畳縁



  襖絵



  御玉突所





  謁見所と次の間



  廊下





  御学問所(梅の間)



  御次の間.御座所



  御次の間.御化粧



  二階より庭園を見る。



  劔璽(けんじ)の間 (二階)皇位の印である、鏡.剣.勾玉の「三種の神器」のうち

            剣と勾玉を奉安する場所。



  御日拝所 (二階) 大正天皇が日課として、この部屋から南方向に位置する

            皇居内宮中三殿に向かって遥拝された部屋。



  襖絵



  中庭に咲いていた大文字草と桔梗



  皇后御座所



  シダレ桜 日光市指定天然記念物 樹齢400年、樹高約15m、幹回り約4m。



  庭園



  三階建部分(紀州徳川家江戸中屋敷を移築)を望む。(三階御展望室は立入禁止)

  大正天皇のご静養のために造営され三代にわたる天皇.皇太子が利用された。

  部屋数は106室(奥向き23室、臣下向きが83室)あり当時の皇室の生活様式がうかがえる。

                            見学後食事をして帰路に着く。