HARD HEAD

旅行 社寺

徳川家康公 像

2014-09-30 15:44:55 | 旅行
 2014.09.27~28 駿府城と岡崎城に行き家康公の立派な銅像と出会いました。



  竹千代君像(幼少時)静岡北口駅前広場にあります。竹千代は8歳から19歳まで多感な

       少年時代を今川氏の人質として駿河ですごし、武将としての資質がこの頃

       培われ、後の名将 徳川家康の出発点となっています。





  徳川家康公像 平成19年度に家康公駿府城入城400年を記念して、竹千代君像と共に

       北口駅前広場に設置された。家康公にとって駿河(静岡市)は少年期、

       「五ヵ国時代」といわれた壮年期、「大御所時代」の老年期と生涯で三度、

       最長約25年を過ごした地です。





  家康公銅像 駿府城本丸跡には、大御所時代の家康公像が立っている。

        左手に鷹を携えた堂々たる姿には、天下人としての威厳と風格

        を感じます。(昭和48年建立)





  岡崎城 徳川家康公像(昭和40年建立)



  同上  馬上の松平元康公像(徳川家康公生誕450年記念像、平成4年製作)

      浜松城は後日訪れたいと思っています。  

富士山

2014-09-30 10:58:18 | 旅行
 2014.09.27 東京駅7:26発(こだま635号)新幹線で静岡へ向かいました。

       今日は天気も良く富士山を期待どうり眺められました。



  三島駅停車中車内より富士山を撮影(8:22)。



  三島~新富士駅走行中車内より(8:32)





  富士川鉄橋通過中車内より(8:42)、鉄橋の鉄骨が写ってしまいました。



  駿府城 坤(ひつじさる)櫓まえ富士見芝生広場から撮影。



  同上 徳川家康公も毎日素晴らしい富士山を眺めて楽しまれていたと思います。



  静岡県庁別館21階展望ロビーより駿府城の先に富士山が見えます。



  同上 (毎月第3土曜日と次の日曜日は休館日です)




恵比寿から渋谷散策

2014-09-25 14:42:12 | 日記
 2014.09.24 恵比寿の病院に行き血液検査の結果、節酒のおかげか肝臓は良くなったが

       中性脂肪と悪玉コレストロール値が高く、このままでは動脈硬化を起こすと

       医者に脅かされる。この夏はあまり運動もしないでいた結果と反省し、

       渋谷まで散策しながら帰宅することにしました。







  恵比須ガーデンプレイスの横を通り広尾に出ました、霊泉院の板碑を見学。



  祥雲寺 臨済宗大徳寺派 本尊 釈迦如来 豊臣秀吉の天下統一に貢献した福岡藩主

      黒田長政は、京都柴野大徳寺の龍岳和尚に深く帰依していたので、1623年に

      長政が没すると、嫡子忠之は龍岳を開山として、赤坂溜池の自邸内に龍谷山興雲寺を

      建立しました。1666年には麻布台に移り、瑞泉山祥雲寺と改め、1668年の
 
      江戸大火により現在地に移りました。黒田長政の墓があります。(渋谷区 H.P)









  黒田長政の墓 屋根付であるお墓の高さは5メートル以上あります。

         墓石の法名が彫られている部分は金粉がかけられています。

        (長政の墓は崇福寺(博多)の黒田家の墓所にもありますが非公開のようです。)



  同上 上部から眺めた墓所



  大名墓地群 福岡藩分家秋月藩黒田家など諸大名の墓地群もあります。



  岡本玄冶の墓(東京都指定史跡)も祥雲寺にあります。





  金王八幡宮 1092年渋谷氏の祖、河崎基家により鎮祭され、基家の子重家が鎌倉街道沿いの

     要所であるこの地に館を構えて居城として以来、渋谷氏の氏神として尊崇されました。



  同上境内







  同上 拝殿





  金王丸御影堂



  渋谷城 砦の石





  金王桜 長州緋桜とみられ、一重と八重が一枝に混在して咲く珍しい桜として、江戸時代には

               郊外三銘木のひとつと数えられていました。





  東横線渋谷駅は地下鉄と直通になり地上の駅は解体が進みH31年完成予定で駅周辺の

         再開発が進んでいます。(渋谷川も下水道化するようです。)



  忠犬ハチ公 全国交通安全週間のたすきをかけ頑張っていました。





  

    

百草 散策

2014-09-21 11:10:43 | 日記
 2014.09.19 今日は百草の里山を散策する。松連寺坂の急坂を上り百草園の隣に

       百草八幡神社がある。



  百草八幡神社 祭神 誉田別宮(応神天皇) 創建の年代は詳しくは判っていません。

    社宝の石造狛犬に天平の文字があるので古い社であると推測されています。

    1062年源頼義が奥州征伐の折、この地をよぎられ再建されたと言われています。

    建久3年(1192)には、源頼朝が武運長久を祈願した太刀一振の奉納がありました。

                        (日野市観光協会 H.P より)



  山犬型の狛犬(複製) 台座には天平寶字(てんぴょうほうじ)日本の元号の一つ。

             奈良時代で757年~765年までの期間をさす。



  洋画家 小島善太郎「百草画荘」(日野市立小島善太郎記念館)

      開館日 土、日、祝日の午前10時~午後4時  観覧料 300円。







  百草観音堂 武相48観音の第九番札所 百草八幡神社の前の通り(昔の鎌倉街道)を下がって行くと、

      右側の小高い丘の上に倉沢の観音堂が見える。昭和59年に改築される前は、古びた

      藁屋根、土蔵造りの珍しいお堂で、元の松連寺の宝蔵であったと言われており、

      百草の倉沢の観音堂と言って親しまれてきた。



  同上手水鉢 百草観音堂がいつごろからこの地にあったかは、はっきりしないが、境内の

        手水鉢には宝永五年(1708年)の銘と小林正義 銘 寄進と刻名がある。



  同上 地蔵石仏像



  同上 スタジィの古木。



  倉沢の田んぼでは稲刈りの準備にいそがしい(案山子も活躍しています)。



  遊歩道にある馬の彫刻。



  里山には自然が残っており癒されます。



  野猿街道から少し入った所にある馬頭観世音、八景山松連寺道と刻まれている。

      隣にある庚申塔は江戸時代の正徳年間(1715年頃)造られたものです。





  落川遺跡 東京都指定史蹟





  落川村制札(高札)場跡 



  落川 神明神社 祭神 天照大神、大國主命 1797年創建。 END






浅川散歩

2014-09-19 11:00:16 | 日記
 2014.09.18 やっと天気が安定してきたので、昨日から中断していた散歩を始めました。



  柘榴の実 今年は当り年(豊作)?



  浅川の土手に出ました。半袖のTーシャツでは風が冷たく感じます。

  ヒガンバナの先にはお正月用の葉牡丹が早くも植えられ、その先には黄色のじゅうたん

  稲穂に季節の移り変わりを感じます。





  ハスの種子 初めて見ました。夏を惜しんでか、たった一輪の花ですが

                明日の朝には咲くことでしょう。



  浅川 ふれあい橋の先の富士山は今の季節は見えません。



  石明神社 祭神 猿田彦大神 1597年に社殿を改築した棟札が最古のものであり、

       その後にわたって行われたそれぞれの社殿改築の棟札があります。

       古くは堰大明神又は石明社または石大明神と言われていましたが、

       近代いたって石明神社と改称された。神社のある場所は浅川本流脇に

       あり、たびたび洪水に見舞われています。このため、石の神ではなく

       もともとは、堰の明神であろうという説もあります。

                     (日野市観光協会 H.P より) 







  大木島自然公園の彼岸花 今年は例年より開花が早く秋の訪れが早く感じられます。



  浅川スポーツ公園の秋桜



  秋空に飛行機雲とふれあいばし



  じゅんとく小の田んぼ たわわにこおべを垂れています。 (夕方の散歩おわり)