HARD HEAD

旅行 社寺

藤野やまなみ温泉

2014-08-30 10:14:22 | 日記
 2014.08.28 息子に誘われ二人で藤野にある日帰り温泉に行って来ました。

       息子は以前何度か行っているらしく、混んでいるのを避け

       17:00からは入館料400円(日中は3時間、600円)との事で、

       日野の自宅を16:00過ぎに出て夕方の銭湯に入るような感じです。



  藤野やまなみ温泉 



  案内図 相模原市緑区牧野4225-1 中央自動車道、相模湖ICより8km(車で約15分)





  モダンな建物で築17年とお聞きしましたがリニューアルもされて綺麗です。

        内風呂は2つ、サウナ、水風呂、露天風呂があり、源泉水100%使用で

        加水なし、毎日お湯の入換をしていると表示されている、

        温泉が確かにきれいで、身体に効くと言うか気持ち良い疲れです。





  温泉スタンド 100リットル100円 の面白い物もありました。

  夕方は地元の方々が多く、露天風呂に入っていると来る途中イノシシの親子連れに

  あったとかの話も聞かれ、周りの緑に癒されながらのんびりできました。

  相模原市が建物管理、周辺住民が温泉運営をしているのか、

  料金も安く、穴場の温泉です。


箱根旧街道を歩く

2014-08-25 10:31:04 | 旅行
 2014.08.17 山中城跡見学後、以前から歩いて見たかった箱根旧街道. 今回は

       西旧道を山中城跡から三島宿へ江戸の旅人気分で歩き始めました。



  案内図





  右手に見える売店で食べた寒ざらし団子(上新粉を冬場の寒気にさらして作った、素朴な団子)

          は美味しく腹ごしらえにもなりました。、石畳は箱根旧道です。





  芝切不動地蔵堂に旅の安全を祈って出発。



  箱根旧街道 腰巻地区石畳復元.整備



  三島宿迄8km





  杉林の中,復元された石畳を下る、石が平らでなく歩きにくい

次の一歩をどこに踏むか気を遣う。



  菊池千本槍の碑



  国道1号線に出る 田方平野を眺める。



  富士見平



  同上旧道脇にある 芭蕉碑





  国道を渡り急階段を下り旧道を歩く、路傍のユリが綺麗だ。



  上長坂 日本一の吊橋 箱根西麓三島大吊橋を建設中(H27.12月完成予定)。



  馬.牛頭観世音ほかの石仏達。



  石畳の先には民家が見え始める。



箱根旧街道



  笹原一里塚 三島宿まで5.9km



  こわめし坂を下り始める。



  下長坂(こわめし坂) 旧道の坂道の勾配は平均20%、最大40%の急坂もある。



  箱根旧街道



  三ツ谷新田 こわめし坂下 三島宿まで5.3km。







  松雲寺 





  明治天皇 御腰掛石 富士の霊峰を眺められた、今日は残念ですが雲の中。

  あと三島宿まで約5km残し暑さと足の痛さにバスで帰ることにした。



  愛宕町からの松並木(行きのバスから撮影) この先にある錦田一里塚

           (道両側に残る)は写真に撮ることは出来ませんでした。

      天下の険といわれたこの街道の一部でしたが先人たちの足音と息遣いを

      感じ旧東海道の名残を江戸の旅人気分で歩く事が出来ました。



  




山中城跡 3

2014-08-24 12:53:19 | 
 2014.08.17 山中城 岱崎出丸に向かいます。



  案内図





  宗閑寺と武将の墓 城主松田康長、副将間宮康俊などの墓と隣には豊臣方武将

           一柳直末の墓も三の丸宗閑寺境内にひっそりと苔むしています。







  出丸御馬場跡 土塁で東側と北側を守り、西側は深い空堀につづき、南側は急峻な谷で

         囲まれた岱崎出丸最大の曲輪です。



  同上 土塁上から田方平野を眼下に見渡す事が出来、出丸防衛上の拠点で

         あったものと推定できる。







  出丸御馬場堀 堀内に畝が検出されたことから、西の丸堀と同様畝掘であったと考えられる。





  構築途中の曲輪跡

      曲輪を構築すべく工事を急いだ様子がうかがわれる。しかし、時間的に間に合わず、  

      工事の途中で戦闘に突入したものであろう。





  すり鉢曲輪見張台 三島.沼津方面から韮山城まで手に取るように望見できる。







  同上から眺めた 沼津.三島と一の堀。







  すり鉢曲輪 山中城出丸の最先端を防備する重要な位置にある曲輪である。曲輪への虎口は

        南に造られているが、更に東側に接続して、幅8mの長方形の曲輪が

        つくられており、防備の為の「武者だまり」と推定されている。







  岱崎出丸 地名の岱崎をとり、岱崎城とよばれることもある。天正十七年(1589年)秀吉の

       小田原征伐に備えて、各曲輪の修築と共に、この出丸の増築を始めた。

       この出丸を守ったのは、副将間宮豊前守康俊といわれ、壮絶な戦闘をくりひろげ

       全員が討死したと伝えられている。その墓は三の丸にある宗閑寺に建てられている。







  岱崎出丸 「一の堀」 約150mの間に、17ヵ所の畝を残し、70度前後の傾斜角もって

             たちあがっている。したがって堀底からすり鉢曲輪の土塁までは、

             斜距離18~20m前後の急峻な勾配がつくわけである。







  御馬場北堀 調査中であるが御馬場の西堀と北堀の両者で、出丸の尾根を二分しようと

        する戦略上の意図が察知できる堀である。

    見学して400年前の山城の遺構がそのまま復元され、障子掘.畝堀や土塁が良く残っており、

    尾根を区切る曲輪の造成法等、後北条氏流築城術は目を見張るものがありました。

山中城跡 2

2014-08-23 13:15:01 | 
 2014.08.17 北の丸から本丸へと登城します。



  案内図







  北の丸跡





  北の丸堀





  本丸堀







  本丸北橋 北の丸と本丸を結ぶ架橋、土橋と比べて簡単に破壊でき、曲輪の防御には有利。

       左手小高い場所は天守台跡。





  天守櫓跡 標高586mで山中城第一の高地に位置して、井楼、高櫓が建てられていた。



  同上から眺めた 本丸跡。







  本丸跡 二段の平坦面で築かれ、本丸広間は上段の平坦面、北条丸寄りに建てられていた。

      矢立の杉は写真の右手天守閣に接して植生し、周囲の樹木より一段高く、樹齢約500年。





  諏訪.駒形神社 本丸に守護神として祀られた。大カシ(県指定天然記念物)樹齢約600年と推定。









  本丸掘と櫓台 本丸と二の丸(北条丸)との間の堀と二の丸(北東)の櫓台。

         架橋は本丸西橋。





  兵糧庫跡の柱穴と大きな穴。





  二の丸(北条丸)と北側土塁と堀。



  二の丸虎口と北西側櫓台 以後の写真は天気が良くなり霧も晴れたので西の丸を櫓台より撮る。





  二の丸橋 二の丸と元西櫓との架橋



  元西櫓(手前)と西の丸(奥)





  元西櫓と溜池(右土塁下) 元西櫓この曲輪は西の丸と二の丸の間に位置し、周囲を深い空堀で

               囲まれた640㎡の小曲輪である。

                次は岱崎出丸へ向かう。







山中城跡 1

2014-08-22 11:07:18 | 
 2014.08.17 三島駅から東海道(国道1号線)をバスで約30分箱根峠の中腹にある

               山中城跡を見学して来ました。









  山中城跡 国指定史跡 日本百名城 戦国末期に後北条氏と豊臣秀吉の兵が激戦した城、

                   この城の特徴は石垣のない土造の城です。



  案内図 最初に三の丸堀から西の丸を巡ります。



  三の丸堀 三の丸の曲輪の西側を出丸まで南北に走るこの堀は大切な防御の為の堀です。

       自然の谷を利用して中央に縦の畔を設けて二重掘としている。

       中央の畔(現在通路)を境に、東側の堀は水路として箱井戸、田尻の池からの

       排水を処理し、西側の堀は空堀として活用していた。この堀の長さは約180m、

       最大幅約30m、深さは約8mを測る。





  田尻の池 馬用の飲み水





  箱井戸 山中城将兵の飲料水



  田尻の池(白色)と箱井戸(赤色)に咲く睡蓮





  二の丸虎口と架橋 二の丸への入口は三の丸から箱井戸を越えてこちら側へ渡り、

           長い道を上ってこの正面の大土塁(高さ4.5m)に突き当たり、

           右折して曲輪に入るようになっていた。



  西の丸 3400㎡の広大な面積をもつ曲輪で、山中城の西方防備の拠点である。

      西端の高い見晴台を中心に曲輪の三方を土塁で築き、東側にある溜池には

      連絡用通路(土橋)を排水口として雨水等が集められる仕組みです。



  同上 土塁



  同上 土橋 西の丸へ入るには、土橋を渡って正面の土塁の下を左へ折れ、西の丸

        南辺から延びてくる土塁との間の細い上り坂の通路を通り、さらにこの

        二つの喰違い土塁に挟まれた通路に設けた木戸を通る。

        この土橋は第一の関所であり、また高い方の堀の水を溜めておく

        ための堤防でもある。











  西の丸 南、西、北面を守る障子掘



  西櫓 馬出の攻撃用広場



  同上から見た西の丸(右)と障子堀

      後北条氏の城には、堀の中をを区画するように畝を掘り残す、いわゆる「障子堀」と

      いう独特の堀が掘られている。





  後北条氏の角馬出 防御する時は、西の丸の虎口を中心に、攻撃に出る時には堀の

           外側の広場(西櫓)を起点として、堀の南端の土橋と北端の木橋を

           用いる。この馬出の築造により、攻める機能と守る機能が明らかに

           区分された。







  西櫓堀と西櫓の架橋



  天気が良ければ富士の美しい姿が見え場所です。





  西の丸堀



  帯曲輪 から北の丸へ向かう。