「インド夢枕」の多分第2回だ。
と言うのも、手元には途中からのコピーしか存在していない。
「インド夢枕 第2回」 飛行機 その2は途中からである。
入国審査官はパスポートの写真と本人を鋭い目で確認し、ゆっくりとコンピューターのキーを
一本指で叩き名前を入力する。
「こんな時間にインドに来るするから夜勤しなければならないじゃないか」とでも言いたげに
パスポートに入国スタンプを押し、半分放り投げるかのようにカウンターに突き返し、
「ゴー」(行ってよろしい)と言う。審査を受けている者はなんとなくオドオドしたりして、
パスポートを返してもらうと「タンキュー」(ヒンディー語では「th」の発音は「タ」となる。
だからイギリスのサッチャー元首相はインドではタッチャーだ)と言って頭を下げたりする。
ここを無事通過して、税関検査も無事通過すると後は外に出るだけである。所持品があまり
無さそうだと「早く出ていけ」と云わんばかりに係員が外の方を指さすのでその係員の
サインを貰い外へ出ればよい。可哀想なのはちゃんと税関カウンターを指さされた場合であ
る。しっかりと荷物検査され課税対象品目に課税されることになる。得に電化製品やカメラは
100%から150%の税金が掛かることもあり、インドの知人からお金を払うからと頼まれ
て買って持って行って税関で課税されて、買ったものが倍以上の値段になり、それならば払えな
いと受け取りを拒まれたり、自腹を切り結局プレゼントみたいになってしまったという笑えない
話をよく聞く。
税関を出ると、すぐ外に銀行の両替所がありここでドルをルピーに両替するのだが、
もうこのあたりからタクシーの客引きが集まっていたりして初めての人は驚いてしまう。
しかしここを振り切り懐中物に注意しながらホテルまでのバスかタクシーの予約カウンター
(と言っても机ひとつだけ)で予約する。さもないと雲助運転手に捕まることになる。
ここまでが国際線飛行機の旅である。
国内線の飛行機の旅も面白い。まず何と言っても個人旅行の場合、自分で予約をしなければ
ならない。この予約が半日はかかるのだ。インディアン・エアライン(A.I インド国内
航空とでも言おうか)の予約オフィスに行き、整理券を貰って順番が来るまで待つのだ。
大都市ほど予約カウンターは混雑しており30分から1時間待つのも珍しくない。
つまり飛行機で旅行する人も多いということだ。やっと自分の番が来て、予約している間にも
旅行代理店の人間が脇から口をはさんだり、仕事をしている本人が突然席を外して10分位
席に戻らなかったりする。飛行機の予約業務はコンピューター化されており大都市からの
出発便はその場で予約ができるが、途中からの便はリクエストになることが多い。
このリクエストとは搭乗する町に行って予約し直すこことで、いわばキャンセル待ちと同じで
ある。だから、その町に行ったら、まずしなければならないことはっすぐにA.Iオフィスに
行ってリクエストすることである。すると座席が空いていると予約OKなっていたり
空いていない場合はウェーティングナンバーを知らされる。この番号が10番位だと
まずまず乗れることは間違いない。あとは空港で乗れるかどうか運を天に任せるしかない。
僕はリクエストの時は自分からもその搭乗場所のオフィスに予約再確認の手紙を出しておく
ことにしている。一度これをしておいて大成功したことがあるからだ。ブバネシワルから
ハイデラバドまでがリクエストだったのだが、手紙を出していたおかげなのか、
プリーでバカンスを楽しみ、ブバネシワルに着いてリクエストするとウェーテッィング
ナンバーが3番と4番で再確認済になっていたのだ。(カミさんと一緒なので2人分。筆者注)
リコンファームしないとリストから抹消されることもある。10番以内であるからと言って
安心はできないのだ。割り込み、コネ、袖の下、何でもありの世界だ。
このブバネシワルの時はイタリアの団体が2人乗れなくなりそうになったのだ。
個人客の2人分をリストから抹消すれば団体は全員乗ることができる。
2人組といえば、確実に乗ることのできる番号にジャパニーがいるではないか!
ウェーテイングリストから2人の名前を抹消すれば・・・。
旅行代理店の社員はA.Iの職員とヒソヒソ話。
冗談じゃない!
僕はカウンターの一番前で3番と4番は僕と妻の番号である。
リコンファーム済(再確認済)であると頑張ったのでありました。
結局、積み残しの出たイタリアの団体さんはこの便に乗ることを諦めたのでもっと遅い番号の
人たちも乗ることができたのでした。
実際にボーディングカードを手にするまでは気が抜けないのであります。
ウェーティングナンバーの時は早めに空港に行って乗る気があることを示さなければならない。
誠意を示すのである。
また、北インドを冬に飛行機で旅行する場合はフライトキャンセルや遅れに気を付けなければ
ならない。デリーの冬は日中の気温と夜間の気温の温度差が激しいため早朝から霧が発生し
飛行機が飛ばなかったり、霧が晴れるまで3時間も4時間も待つことがある。
デリーを朝の5時50分に出発するAI407便はアーグラ・カジュラホ経由ベナレス行きの
観光ドル箱路線だ。ベナレスに到着した後、この飛行機は408便に名前を代え、
9時15分発で逆コースをデリーまで戻る。ところがこのデリー発便は冬は霧が晴れるまで
3時間くらい遅れることが普通だ。デリーから飛行機が飛ばないことには機材が少なく
やりくりして運行しているAIのスケジュールに大幅な変更が出る。例えば、デリーから
ネパールのカトマンズ行にも支障をきたす。そこで乗客が少ないときはベナレス行407便の
国内線にネパール行きの乗客を乗せ、ベナレス到着後は407便を国際線252便として
カトマンズ往復をこなし、ベナレスに戻ると408便の国内線に名前を代え運行される。
これでカトマンズに行こうとする乗客とベナレスに行こうとする乗客の、あるいは逆の
コースの乗客のニーズにこたえてメデタシ・メデタシとなる。
だから408便でデリーに飛ぼうとしてもデリーから407便が来ない限り、ベナレスの
空港で日光浴をしているしかない。407便が飛来しても、252便としてカトマンズに
飛ぶので戻って来るまで待つしかないのだ。待っている間に飛行機のフライトスケジュールを
見ながら飛行機のやりくり具合を推理するのも楽しい。そして待っている間にお昼になったら
食事はどうなっているのか係員に訊いてみよう。黙っていると食券を貰い損ねることがある。
カルカッタのダムダム空港だと食事はブッフェ方式でITDC(アショカ・ホテルなどを
経営している国営ホテル・チェーン)の食事だから儲けた気分になる。
ベナレスの空港ではハンバーガー定食。あまりおいしくないがやはり一食得した気分になる
ことは間違いない。
フライトがキャンセルになり別便にも振替不可能になった場合はAI職員にやんわりと
「一体どうしてくれるのだ」と相談してみよう。うまくすると一流ホテルに無料で泊まること
ができるかもしれない。(筆者はまだこの経験がない)
さて、開発途上国だと、ついつい偏見で空の旅は大丈夫かしらと心配する人がいるかもしれない
が、機材が古くてもパイロットは優秀である。時々、飛行機が落ちるのはパイロットのせいでは
なく、機材の整備不良が原因の方が多い。一番危険なパイロットが5年くらい前に退職して
政界入りしたので(ラジブ・ガンディー前首相、おっかさんインデラ・ガンディーの顔で
パイロットになれたとのもっぱらの噂だ。弟のサンジャイ・ガンディーはセスナ機を操縦して
墜落死)、今は安心して乗ることができる。AIのパイロットは空軍のパイロット出身者が
多いので墜落事故を起こしたとしても全員死亡という墜落の仕方をしないから少しは助かる
見込みのある航空会社なのだ。最近はエアバスを導入して新品の飛行機も多くなったが
古いもののなかにはトイレが引戸式になっていて飛行機が傾くたびにガラガラと戸が開き、
これには驚いてしまった経験がある。昔は、どの空港でも町までAIのバス・サービスが
あったのだが、最近はバス・サービスがないところもあるので町までタクシーで行かなければ
ならないこともある。次回からはインドのバスについてです。
※作者注: この文章は1992年当時のもので、文中、インドを開発途上国と表現して
おりますが、現在は「先進国」の仲間入りしている。
緩和規制によってインドの国内航空会社もAI独占からLCCを含む数社が国内路線に
飛んでいる。それに伴い、地方空港の整備も進みきれいなそしてセキュリティーのしっかり
した空港が多くなった。1992年当時のベナレス空港は平屋で芝生があって、飛行機が
来るまで寝転んで日光浴したものだ。
※ラジブ・ガンディー インディラ・ガンディーの長男、母親インデラ・ガンディーの
暗殺された後、インディアン・エアラインのパイロットから政界入り、第9代首相。
1991年5月21日、スリランカ反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」の
メンバーのタミル人の爆弾テロで死亡。
妻はイタリア人のソニア・ガンディー。現在、国民会議派暫定総裁。
息子のラーフル・ガンディー、娘のプリヤンカ・ガンディーも政治家である。
と言うのも、手元には途中からのコピーしか存在していない。
「インド夢枕 第2回」 飛行機 その2は途中からである。
入国審査官はパスポートの写真と本人を鋭い目で確認し、ゆっくりとコンピューターのキーを
一本指で叩き名前を入力する。
「こんな時間にインドに来るするから夜勤しなければならないじゃないか」とでも言いたげに
パスポートに入国スタンプを押し、半分放り投げるかのようにカウンターに突き返し、
「ゴー」(行ってよろしい)と言う。審査を受けている者はなんとなくオドオドしたりして、
パスポートを返してもらうと「タンキュー」(ヒンディー語では「th」の発音は「タ」となる。
だからイギリスのサッチャー元首相はインドではタッチャーだ)と言って頭を下げたりする。
ここを無事通過して、税関検査も無事通過すると後は外に出るだけである。所持品があまり
無さそうだと「早く出ていけ」と云わんばかりに係員が外の方を指さすのでその係員の
サインを貰い外へ出ればよい。可哀想なのはちゃんと税関カウンターを指さされた場合であ
る。しっかりと荷物検査され課税対象品目に課税されることになる。得に電化製品やカメラは
100%から150%の税金が掛かることもあり、インドの知人からお金を払うからと頼まれ
て買って持って行って税関で課税されて、買ったものが倍以上の値段になり、それならば払えな
いと受け取りを拒まれたり、自腹を切り結局プレゼントみたいになってしまったという笑えない
話をよく聞く。
税関を出ると、すぐ外に銀行の両替所がありここでドルをルピーに両替するのだが、
もうこのあたりからタクシーの客引きが集まっていたりして初めての人は驚いてしまう。
しかしここを振り切り懐中物に注意しながらホテルまでのバスかタクシーの予約カウンター
(と言っても机ひとつだけ)で予約する。さもないと雲助運転手に捕まることになる。
ここまでが国際線飛行機の旅である。
国内線の飛行機の旅も面白い。まず何と言っても個人旅行の場合、自分で予約をしなければ
ならない。この予約が半日はかかるのだ。インディアン・エアライン(A.I インド国内
航空とでも言おうか)の予約オフィスに行き、整理券を貰って順番が来るまで待つのだ。
大都市ほど予約カウンターは混雑しており30分から1時間待つのも珍しくない。
つまり飛行機で旅行する人も多いということだ。やっと自分の番が来て、予約している間にも
旅行代理店の人間が脇から口をはさんだり、仕事をしている本人が突然席を外して10分位
席に戻らなかったりする。飛行機の予約業務はコンピューター化されており大都市からの
出発便はその場で予約ができるが、途中からの便はリクエストになることが多い。
このリクエストとは搭乗する町に行って予約し直すこことで、いわばキャンセル待ちと同じで
ある。だから、その町に行ったら、まずしなければならないことはっすぐにA.Iオフィスに
行ってリクエストすることである。すると座席が空いていると予約OKなっていたり
空いていない場合はウェーティングナンバーを知らされる。この番号が10番位だと
まずまず乗れることは間違いない。あとは空港で乗れるかどうか運を天に任せるしかない。
僕はリクエストの時は自分からもその搭乗場所のオフィスに予約再確認の手紙を出しておく
ことにしている。一度これをしておいて大成功したことがあるからだ。ブバネシワルから
ハイデラバドまでがリクエストだったのだが、手紙を出していたおかげなのか、
プリーでバカンスを楽しみ、ブバネシワルに着いてリクエストするとウェーテッィング
ナンバーが3番と4番で再確認済になっていたのだ。(カミさんと一緒なので2人分。筆者注)
リコンファームしないとリストから抹消されることもある。10番以内であるからと言って
安心はできないのだ。割り込み、コネ、袖の下、何でもありの世界だ。
このブバネシワルの時はイタリアの団体が2人乗れなくなりそうになったのだ。
個人客の2人分をリストから抹消すれば団体は全員乗ることができる。
2人組といえば、確実に乗ることのできる番号にジャパニーがいるではないか!
ウェーテイングリストから2人の名前を抹消すれば・・・。
旅行代理店の社員はA.Iの職員とヒソヒソ話。
冗談じゃない!
僕はカウンターの一番前で3番と4番は僕と妻の番号である。
リコンファーム済(再確認済)であると頑張ったのでありました。
結局、積み残しの出たイタリアの団体さんはこの便に乗ることを諦めたのでもっと遅い番号の
人たちも乗ることができたのでした。
実際にボーディングカードを手にするまでは気が抜けないのであります。
ウェーティングナンバーの時は早めに空港に行って乗る気があることを示さなければならない。
誠意を示すのである。
また、北インドを冬に飛行機で旅行する場合はフライトキャンセルや遅れに気を付けなければ
ならない。デリーの冬は日中の気温と夜間の気温の温度差が激しいため早朝から霧が発生し
飛行機が飛ばなかったり、霧が晴れるまで3時間も4時間も待つことがある。
デリーを朝の5時50分に出発するAI407便はアーグラ・カジュラホ経由ベナレス行きの
観光ドル箱路線だ。ベナレスに到着した後、この飛行機は408便に名前を代え、
9時15分発で逆コースをデリーまで戻る。ところがこのデリー発便は冬は霧が晴れるまで
3時間くらい遅れることが普通だ。デリーから飛行機が飛ばないことには機材が少なく
やりくりして運行しているAIのスケジュールに大幅な変更が出る。例えば、デリーから
ネパールのカトマンズ行にも支障をきたす。そこで乗客が少ないときはベナレス行407便の
国内線にネパール行きの乗客を乗せ、ベナレス到着後は407便を国際線252便として
カトマンズ往復をこなし、ベナレスに戻ると408便の国内線に名前を代え運行される。
これでカトマンズに行こうとする乗客とベナレスに行こうとする乗客の、あるいは逆の
コースの乗客のニーズにこたえてメデタシ・メデタシとなる。
だから408便でデリーに飛ぼうとしてもデリーから407便が来ない限り、ベナレスの
空港で日光浴をしているしかない。407便が飛来しても、252便としてカトマンズに
飛ぶので戻って来るまで待つしかないのだ。待っている間に飛行機のフライトスケジュールを
見ながら飛行機のやりくり具合を推理するのも楽しい。そして待っている間にお昼になったら
食事はどうなっているのか係員に訊いてみよう。黙っていると食券を貰い損ねることがある。
カルカッタのダムダム空港だと食事はブッフェ方式でITDC(アショカ・ホテルなどを
経営している国営ホテル・チェーン)の食事だから儲けた気分になる。
ベナレスの空港ではハンバーガー定食。あまりおいしくないがやはり一食得した気分になる
ことは間違いない。
フライトがキャンセルになり別便にも振替不可能になった場合はAI職員にやんわりと
「一体どうしてくれるのだ」と相談してみよう。うまくすると一流ホテルに無料で泊まること
ができるかもしれない。(筆者はまだこの経験がない)
さて、開発途上国だと、ついつい偏見で空の旅は大丈夫かしらと心配する人がいるかもしれない
が、機材が古くてもパイロットは優秀である。時々、飛行機が落ちるのはパイロットのせいでは
なく、機材の整備不良が原因の方が多い。一番危険なパイロットが5年くらい前に退職して
政界入りしたので(ラジブ・ガンディー前首相、おっかさんインデラ・ガンディーの顔で
パイロットになれたとのもっぱらの噂だ。弟のサンジャイ・ガンディーはセスナ機を操縦して
墜落死)、今は安心して乗ることができる。AIのパイロットは空軍のパイロット出身者が
多いので墜落事故を起こしたとしても全員死亡という墜落の仕方をしないから少しは助かる
見込みのある航空会社なのだ。最近はエアバスを導入して新品の飛行機も多くなったが
古いもののなかにはトイレが引戸式になっていて飛行機が傾くたびにガラガラと戸が開き、
これには驚いてしまった経験がある。昔は、どの空港でも町までAIのバス・サービスが
あったのだが、最近はバス・サービスがないところもあるので町までタクシーで行かなければ
ならないこともある。次回からはインドのバスについてです。
※作者注: この文章は1992年当時のもので、文中、インドを開発途上国と表現して
おりますが、現在は「先進国」の仲間入りしている。
緩和規制によってインドの国内航空会社もAI独占からLCCを含む数社が国内路線に
飛んでいる。それに伴い、地方空港の整備も進みきれいなそしてセキュリティーのしっかり
した空港が多くなった。1992年当時のベナレス空港は平屋で芝生があって、飛行機が
来るまで寝転んで日光浴したものだ。
※ラジブ・ガンディー インディラ・ガンディーの長男、母親インデラ・ガンディーの
暗殺された後、インディアン・エアラインのパイロットから政界入り、第9代首相。
1991年5月21日、スリランカ反政府武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」の
メンバーのタミル人の爆弾テロで死亡。
妻はイタリア人のソニア・ガンディー。現在、国民会議派暫定総裁。
息子のラーフル・ガンディー、娘のプリヤンカ・ガンディーも政治家である。