今日は埼玉県の端にある叔父の墓参をすることにした。
今年こそ「お彼岸」に墓参りに行こうと思っていたが、お彼岸の三連休は雨で
翌週の三連休もお天気がイマイチで、挙句の果てが感染経路不明のコロナに感染し
墓参りを果たせずにいたのだ。
天気予報では明日も雨模様なので、曇り空で寒いが今日しかないと
朝、8時29分の電車で出かけた。
新宿には10時に到着したが数年ぶりの新宿なので西武新宿線新宿駅まで行くのに
難儀した。(苦笑)
地下道(プロムナード)の入り口に「西武新宿駅」などと書かれていれば地下道に
入り、「いやいや。道路を横断すれば駅に着くはずだ」と「お上りさん」だ。
「お上りさん」という言葉も古いがね。
「お上りさん」だから歌舞伎町などには目もくれず一直線に西武新宿駅へ。
10時45分発の急行本川越行きで航空公園駅で下車する。
駅中のお店で墓参り用の花を買と叔父が好きだった焼酎の「缶酎ハイ」を買う。
この辺は公園墓地とかなんとか墓地やなんとか霊園が多いらしく、
電車で来る人はこのお店で花を買うようだ。
はじめから花束にしてあって選ぶ手間が省ける。
ワタシの前にも同年配のお父さんがいた。
航空公園からバスで霊園に向かう。
危なく所沢霊園という所で下車しそうになる。
ぞろぞろと所沢霊園で下車した人がいたからだ。
不慣れなため「ここかな?」と思ってついて行きそうになった。
運転手さんに訊くと「終点がその霊園ですから終点で下車してください」と。
終点で下車するとそこには目指す霊園があった。
もう時刻は12時半だ。
熱海から4時間もかかった。
遠いな~~~。
「ここか、ここか」と叔父の墓を見つけ、墓に水を掛け、花を生け、
今日は寒いので霊園の自販機でペットボトルの暖かいお茶と缶酎ハイをお供えした。
「あんた、来るのおそいんじゃないの」と言われているようで
「まあ、まあ、一杯やってよ」と
持参したお線香を焚き、両手を合わせた。
落ち着いたところで、経典を取り出し、「回向文」と「般若心経」を唱えて弔った。
コロナに感染して喉の調子がイマイチなのだが、それがかえって坊さんのお経のように
自分には聴こえ、今日はシブい声でお経をあげられたと満足。(笑)
携帯用鈴があればな~~とも。
携帯用鈴とはお坊さんがお彼岸などで「出前お経」を読むときに持って行く
「リン」のことだ。リンの底に棒が付いていてそこを持ってお経をあげ、
チ~~ンと鳴らすのだ。
以前、これを買おうと思って仏具屋に行ったら、なんと1万円以上もするので諦めた。
叔父の供養もできたし、ここでお供えものの缶チューハイを少し頂き体を温めた。
そうだ、なにか食べるものを買ってくるのだったと思った。
「今度来るときは鮨でも持って来て墓前で一杯やるから」と手を合わせ
手桶やゴミを片づけて霊園を出た。
もう午後1時だ。
バスは午後1時20分に墓地の向いから出る。
見るともなしに周りを見回すと、霊園の宣伝タテカンがそこここに。
埼玉の田舎は霊園に変わりつつあるのだな~~。
人口減少で農地を住宅に代えても住む人はいない。それなら霊園にすれば
今後はどんどん団塊の世代のみなさんがあの世に行くので墓地は埋まる。
これからは霊園ビジネスだよとばかりに霊園が増えているのだと感じる。
「1区画98万円」だってさ!これに墓石代など加えたら2百万くらいするんだろうな。
墓碑銘では「ありがとう」というのが結構あった。
墓参りに来てくれてありがとう、なのかなんなのか、深い意味があるのだろうな~~。
帰りのバスでも途中の霊園から乗って来た人はさっき花やで花を買っていた
御同輩のお父さんだった。
西武新宿駅には午後2時に到着した。
今度は地上をJR新宿駅に向かった。
駅前でみなさん上を向いているのでなんだと思ったら
3Dの猫だった。
あ~~、なんだかテレビの情報番組で観たな~~~。
新宿のどこにも立ち寄らず、熱海に到着したのは午後6時だった。
タクシーでマンションに戻ると、玄関(エントランス)が真っ暗!
えっ!停電!
部屋も停電かと思ったら、エレベーターは動いているし、部屋の電気も点いたので
ホッとした。
風呂に入り、今夜は昨日の残りの芋煮と日本酒で晩酌。
その後、テレビを観て気が付いたら寝ていた。
久々の遠出と墓参りしたので肩の荷がおりて疲れと安堵で爆睡したのだ。
今年こそ「お彼岸」に墓参りに行こうと思っていたが、お彼岸の三連休は雨で
翌週の三連休もお天気がイマイチで、挙句の果てが感染経路不明のコロナに感染し
墓参りを果たせずにいたのだ。
天気予報では明日も雨模様なので、曇り空で寒いが今日しかないと
朝、8時29分の電車で出かけた。
新宿には10時に到着したが数年ぶりの新宿なので西武新宿線新宿駅まで行くのに
難儀した。(苦笑)
地下道(プロムナード)の入り口に「西武新宿駅」などと書かれていれば地下道に
入り、「いやいや。道路を横断すれば駅に着くはずだ」と「お上りさん」だ。
「お上りさん」という言葉も古いがね。
「お上りさん」だから歌舞伎町などには目もくれず一直線に西武新宿駅へ。
10時45分発の急行本川越行きで航空公園駅で下車する。
駅中のお店で墓参り用の花を買と叔父が好きだった焼酎の「缶酎ハイ」を買う。
この辺は公園墓地とかなんとか墓地やなんとか霊園が多いらしく、
電車で来る人はこのお店で花を買うようだ。
はじめから花束にしてあって選ぶ手間が省ける。
ワタシの前にも同年配のお父さんがいた。
航空公園からバスで霊園に向かう。
危なく所沢霊園という所で下車しそうになる。
ぞろぞろと所沢霊園で下車した人がいたからだ。
不慣れなため「ここかな?」と思ってついて行きそうになった。
運転手さんに訊くと「終点がその霊園ですから終点で下車してください」と。
終点で下車するとそこには目指す霊園があった。
もう時刻は12時半だ。
熱海から4時間もかかった。
遠いな~~~。
「ここか、ここか」と叔父の墓を見つけ、墓に水を掛け、花を生け、
今日は寒いので霊園の自販機でペットボトルの暖かいお茶と缶酎ハイをお供えした。
「あんた、来るのおそいんじゃないの」と言われているようで
「まあ、まあ、一杯やってよ」と
持参したお線香を焚き、両手を合わせた。
落ち着いたところで、経典を取り出し、「回向文」と「般若心経」を唱えて弔った。
コロナに感染して喉の調子がイマイチなのだが、それがかえって坊さんのお経のように
自分には聴こえ、今日はシブい声でお経をあげられたと満足。(笑)
携帯用鈴があればな~~とも。
携帯用鈴とはお坊さんがお彼岸などで「出前お経」を読むときに持って行く
「リン」のことだ。リンの底に棒が付いていてそこを持ってお経をあげ、
チ~~ンと鳴らすのだ。
以前、これを買おうと思って仏具屋に行ったら、なんと1万円以上もするので諦めた。
叔父の供養もできたし、ここでお供えものの缶チューハイを少し頂き体を温めた。
そうだ、なにか食べるものを買ってくるのだったと思った。
「今度来るときは鮨でも持って来て墓前で一杯やるから」と手を合わせ
手桶やゴミを片づけて霊園を出た。
もう午後1時だ。
バスは午後1時20分に墓地の向いから出る。
見るともなしに周りを見回すと、霊園の宣伝タテカンがそこここに。
埼玉の田舎は霊園に変わりつつあるのだな~~。
人口減少で農地を住宅に代えても住む人はいない。それなら霊園にすれば
今後はどんどん団塊の世代のみなさんがあの世に行くので墓地は埋まる。
これからは霊園ビジネスだよとばかりに霊園が増えているのだと感じる。
「1区画98万円」だってさ!これに墓石代など加えたら2百万くらいするんだろうな。
墓碑銘では「ありがとう」というのが結構あった。
墓参りに来てくれてありがとう、なのかなんなのか、深い意味があるのだろうな~~。
帰りのバスでも途中の霊園から乗って来た人はさっき花やで花を買っていた
御同輩のお父さんだった。
西武新宿駅には午後2時に到着した。
今度は地上をJR新宿駅に向かった。
駅前でみなさん上を向いているのでなんだと思ったら
3Dの猫だった。
あ~~、なんだかテレビの情報番組で観たな~~~。
新宿のどこにも立ち寄らず、熱海に到着したのは午後6時だった。
タクシーでマンションに戻ると、玄関(エントランス)が真っ暗!
えっ!停電!
部屋も停電かと思ったら、エレベーターは動いているし、部屋の電気も点いたので
ホッとした。
風呂に入り、今夜は昨日の残りの芋煮と日本酒で晩酌。
その後、テレビを観て気が付いたら寝ていた。
久々の遠出と墓参りしたので肩の荷がおりて疲れと安堵で爆睡したのだ。