
京成上野線堀切橋脚。
今回は、「堀切橋」から「岩淵水門」までの川歩き。
2月6日(土)快晴。
サイクリングやジョギング、散歩と行き交う人々多し。河川敷のグランドでは少年野球やサッカー・・・。大賑わいの荒川左岸でした。
対岸の「北千住」駅方向。
「綾瀬川」。この先、上流は荒川から離れて行きます。
「国土交通省綾瀬排水機場」。
2010年代のようす。「首都高・小菅JCT」付近。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
「綾瀬水門」。
「荒川」側。
少年野球が盛ん。
「綾瀬川」の向こうは、「ミヨシ油脂」?
地元では馴染み深い会社です。今年で100周年を迎えたそうです。もともとは、「ミヨシ石鹸」(墨田区)が母体のようです。京成線からは大きな社名の看板が見えます。






かつてこの地には小菅監獄(1922年、小菅刑務所と改称)があった。第二次世界大戦後の1945年10月、巣鴨(当時。現在の豊島区東池袋の「サンシャインシティ」と「東池袋中央公園」)にあった東京拘置所の施設が、GHQに接収された。このため一時期、小菅刑務所に東京拘置所が同居する状態となっていた(東京拘置所の職員が小菅刑務所の職員を兼務)。1958年5月にすべての戦犯が釈放され、東京拘置所は巣鴨に復元された。
首都圏整備計画の一環として、東京拘置所を巣鴨の地から移転させることが必要になったため、1971年(昭和46年)に小菅刑務所は栃木県那須郡黒羽町(現在の大田原市)の黒羽刑務所に移転し、東京拘置所は再び小菅に移された。
- 未決拘禁者(刑事被告人)
- 死刑確定者(死刑囚)
- (基本的に関東地方一帯および中部地方のうち新潟・長野・山梨・静岡の各県で死刑が確定した者(死刑囚)が収監されている。)
- 懲役受刑者(本所執行受刑者及び他刑務所への移送待ちの一時執行受刑者)
- 収容定員 3010名
- 刑事被告人を収容する施設では、日本最大の規模を持つ。
- (以上、「Wikipedia」参照)
地元ではかつてのように「小菅刑務所」と呼んでいますが。
土手からは全貌が見えないので。(「Googlマップ」より)
上空から。
北西側の水路は、「元隅田川」の流れ。拘置所と外界を遮る堀のような印象。かつてそこを探索したことがあります。
中央奥に見えるのは、東武線。水路にせりだして遊歩道ができています。かつては、ただの濁った堀割のようでした。その後、水質改善事業が行われ、魚を放流したり、亀などを生息させたりと努力したようです。ずいぶんときれいな水になりました。そのせいでしょうか、「釣り禁止」の立て札がやけに目立つのが気になりました。
右手が拘置所側にある官舎。かつては、刑務所を囲む堀のように思っていましたが。世間とは隔絶した世界。以前は、刑務所の外側に高い壁が二重に設置されていた記憶が。拘置所も近代的な建物に変わってそれもなくなったのでしょうか。
(この記事は8年前のものです。)
少年野球チームが練習中。
拘置所から見えるのは、空だけのようです。
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