おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「荒川」(「荒川放水路」)。その4。綾瀬水門。「ミヨシ油脂」。東京拘置所。

2021-02-08 20:15:32 | 川歩き

                      京成上野線堀切橋脚。

今回は、「堀切橋」から「岩淵水門」までの川歩き。

2月6日(土)快晴。

サイクリングやジョギング、散歩と行き交う人々多し。河川敷のグランドでは少年野球やサッカー・・・。大賑わいの荒川左岸でした。

対岸の「北千住」駅方向。

「綾瀬川」。この先、上流は荒川から離れて行きます。

 

                               「国土交通省綾瀬排水機場」。

                                     2010年代のようす。「首都高・小菅JCT」付近。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)                                     

 「綾瀬水門」。

「荒川」側。

少年野球が盛ん。

「綾瀬川」の向こうは、「ミヨシ油脂」? 

地元では馴染み深い会社です。今年で100周年を迎えたそうです。もともとは、「ミヨシ石鹸」(墨田区)が母体のようです。京成線からは大きな社名の看板が見えます。

マーガリン・ショートニング・粉末油脂など、製菓・製パン・食品の製造・調理用油脂と、医薬・コスメティック・環境・工業用の高級脂肪酸・グリセリンなどの油脂素材の製造メーカー。
マーガリンに含まれるトランス脂肪酸が健康被害を与える可能性が指摘され、それを低減する製法が開発され、商品化されつつあるようです。
現在、石鹸部門は、「ミヨシ石鹸」として別会社に。我が家では、無添加の石鹸を使っていたことがあります。
 
少し上流にも水門があります。
 
「東京都下水道局 小菅水再生センター」
 
「下水道局」の施設。
 
さらに進みます。
         「首都高6号・三郷線」を右に分け、「首都高中央環状線C2」は荒川沿いに。
 
土手上は、サッカーの応援席。
 
この付近では「首都高が」すぐ脇を走っています。
                          右下に「東京拘置所」。TVで映るのは、右奥? 
 

かつてこの地には小菅監獄(1922年、小菅刑務所と改称)があった。第二次世界大戦後の1945年10月、巣鴨(当時。現在の豊島区東池袋の「サンシャインシティ」と「東池袋中央公園」)にあった東京拘置所の施設が、GHQに接収された。このため一時期、小菅刑務所に東京拘置所が同居する状態となっていた(東京拘置所の職員が小菅刑務所の職員を兼務)。1958年5月にすべての戦犯釈放され、東京拘置所は巣鴨に復元された。

首都圏整備計画の一環として、東京拘置所を巣鴨の地から移転させることが必要になったため、1971年(昭和46年)に小菅刑務所は栃木県那須郡黒羽町(現在の大田原市)の黒羽刑務所に移転し、東京拘置所は再び小菅に移された。

刑事被告人を収容する施設では、日本最大の規模を持つ。
(以上、「Wikipedia」参照)

地元ではかつてのように「小菅刑務所」と呼んでいますが。

土手からは全貌が見えないので。(「Googlマップ」より)

上空から。

北西側の水路は、「元隅田川」の流れ。拘置所と外界を遮る堀のような印象。かつてそこを探索したことがあります。

中央奥に見えるのは、東武線。水路にせりだして遊歩道ができています。かつては、ただの濁った堀割のようでした。その後、水質改善事業が行われ、魚を放流したり、亀などを生息させたりと努力したようです。ずいぶんときれいな水になりました。そのせいでしょうか、「釣り禁止」の立て札がやけに目立つのが気になりました。
右手が拘置所側にある官舎。かつては、刑務所を囲む堀のように思っていましたが。世間とは隔絶した世界。以前は、刑務所の外側に高い壁が二重に設置されていた記憶が。拘置所も近代的な建物に変わってそれもなくなったのでしょうか。

(この記事は8年前のものです。)

少年野球チームが練習中。

拘置所から見えるのは、空だけのようです。


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