陽光の下、のんびりと。
「多摩川の孤独なライオン像」が対岸に(あるはず)。
河川敷の砂利道を歩く。
「東急ゴルフパークたまがわ」。
新しい橋梁の工事中。
「等々力大橋」(仮称)下部工事のようです。
目黒通りが川崎へ「等々力大橋」巨大橋脚が出現中 「橋空白地帯」多摩川に念願の架橋
東京都世田谷区に、多摩川を渡る新たな橋梁「等々力大橋(仮称)」の建設が進んでいます。完成は2025年度の予定です。
この橋が架かるのは、有料道路・第三京浜の約1km東側。目黒通りの延長線となる形です。一般道路としては、二子橋と丸子橋のちょうど中間部分です。両者は5kmも離れているため、ボトルネックとなって慢性的な渋滞ポイントとなっていますが、混雑分散に期待がかかります。
目黒通りが川崎市内に入ったあとは、西下橋交差点から都市計画道路「宮内新横浜線」に接続。そこから子母口まで4車線道路が開通済みです。
名前のとおり最終的には新横浜駅へ直結する計画で、全通すれば都心~新横浜が4車線道路で直結されることとなります。・・・
さて多摩川の現場では、川崎側の橋台と橋脚が2022年夏に完成。東京側の橋脚も、約半分ほどの高さまでコンクリートが打ちあがっています。このあと河道内にもう1本橋脚を立てて、橋桁部分の工事へ移行します。橋の長さは約390m、鋼製の箱桁を主塔からケーブルで支える形式です。 ・・・
(この項、「」HPより)
「等々力」という地名は、川崎市にもあります。
当地は、もともと多摩川の流れが南に屈曲していたところに張り出した、荏原郡等々力村に属する半島状の土地であったが、洪水や多摩川の付け替えが行われた結果、対岸の飛び地となった。宝暦12年(1762年)の小杉村絵図にも、現在の川崎側の等々力の南側を、多摩川の本流から分流して蛇行した流路が「古川」として描かれている。
江戸時代には旧河道の土地をめぐり等々力村と小杉村で争いとなり、宮内村が立ちあって境界が定められ、幕府側でのその裁決の文書には大岡越前守の名も残っている。
明治末期に、多摩川に沿って府県境が引き直され、当地は神奈川県橘樹郡中原村へと編入された。
この付近の今昔。
現在のようす。○が飛び地だったところ。
川崎市側は「等々力陸上競技場」等、大きな運動広場になっています。川崎市中原区等々力。
1880年代のようす。かなり蛇行する流路。
振り返る。
ゴルフ場。
武蔵小杉駅付近の高層マンション群。
「河口(海)まで14K」。
「丸子橋」方向。
対岸(世田谷区)。
今回はここまで。東急・「新丸子駅」に向かいます。途中、
「旧中原街道」。
今年初め、「虎ノ門」から「中原御殿(跡)」(平塚宿)まで歩きました。そのとき、通過したところ。
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