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おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

読書108「裸はいつから恥ずかしくなったか」(中野明)新潮選書

2010-07-04 20:13:01 | 読書無限
 この書の題名を見たとき、とっさに浮かんだのは、2009(平成21)年4月、SMAPのメンバーの一人が、酒に酔って公然わいせつ罪で現行犯逮捕された件。
 この時、彼は、真夜中の公園で全裸になってしまった。通報でかけつけた警官に向かって「裸で何が悪い」と詰め寄った、とか。すぐマスコミに大きく取り上げられ、出演番組やCMの放映中止騒ぎとなり、総務大臣鳩山某からは「最低な人間」とまで罵倒された。逮捕直後は「容疑者」と呼ばれていたほど。
 その後、本人の謝罪会見があり、後日、犯行自体は軽微で、本人の反省と社会的制裁を受けているとし、起訴猶予となった。このことをふと思い出したのです。
 明治維新直前、150年前の下田公衆浴場の絵。有名な混浴を描いたものですが、この情景を目にしたときのペリー達の驚き「この国は羞恥心はないのか」、そこからこの書はひもとかれます。まずこの絵は真実なのか?というところから始まり、大衆の混浴が下田に限ったことなのかそれとも他の土地では・・・。
 実証的に論を進めます。おおらかな混浴が行われた時代を過ぎ、他人に裸体を曝すことへの羞恥心はいつから発生したのか。他人に裸体をさらすことを罪としたのいつからか、それはどうしてか?・・・、実に興味深い話の連続でした。
 江戸末期、しばしば混浴禁止令が出たにもかかわらず、適当に法令の網をくぐってきた日本人の風習。それが、明治新政府の外国人(外国文化・価値観)への配慮からの禁止令。
 銭湯上がりにちょっと衣服を羽織っただけ、中には裸で街中を歩いて家に帰る婦女子、壮年。それを奇異に思わない人々。そして、今、それに驚く現代日本人の感性。こうした裸観の変遷(羞恥心の変遷)に丁寧に迫っています。
 そういえば、戦後、昭和20年代の終わりまで、夏には「行水」など、内風呂のまだなかった家庭では、ごく普通に行われていたような想い出があります。うちの庭(垣根もほとんどないような)で、母親と入った記憶が蘇る、勿論、主に銭湯には行きましたが・・・。
 そのうち、次第に日本人が自分の裸を人目にさらすことを、不道徳ととらえるようになり、犯罪の対象とまでなっていくいきさつ。私的な空間以外では肉体を隠すようになり、そのうち、見せないはずの下着を密かに身を飾る手段にしていく過程。その中で、性的関心の対象としての裸体が商品化されていく。
 そうそう、川端康成の「伊豆の踊子」でも、何の照れもなく、少女が湯船から立ち上がって主人公に手を振る場面なども印象的でしたが、それが映画化されたとき、そのシーンがいつでも話題になったのは、たしかにゆがめられて作られた、性的関心だったのかも知れません。
 温泉での混浴は今でもあります。そういう場に遭遇して、照れてしまうのは男性の側のような気がします。老若男女、裸で温泉にひたることは人間的な開放感でこそあれ、それをかえって性的意識(セックスの対象)でとらえてしまうところに、問題がありそうな・・・。
 かつては、TV番組の中で、少し羽目を外しても黙認された裸映像でも、今は、瞬時にダメ!時には番組打ち切りとなってしまう。女性(特に若い)の裸を性的な対象でしか見ない(見られない、見るようにさせる)文化のゆがみ、このことを厳しく指弾されてしまうのでしょう。
 SMAPの彼、誰にも見せたわけではない裸体をさらしたことが犯罪となっていく、その間の150年の歴史というものを、深く読み取る必要があります、この世の中に生きていく限りに於いては。
 それにしても、男女が性的な関係(意識)もなく、例えば、ゆったりと湯に浸かってくつろぐ、そんな空間は必要な気がしますが。サウナでも温泉でもいいのですが・・・。
 
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