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広島宇品編 2 ~横川陸軍病院~

2010年06月11日 | 人生航海
それは、台湾や南支方面の何処かに集結するので、南方に向けていつでも移動できる態勢を整えて待機することになるだろうとの噂だった。

私は、宇品の運輸部官舎で当分の間休養する事になっていた。

その間に、健康診察を受けると、蓄膿症と診断された。

そして、三年間も支那に居たので、その慰労を兼ねて入院してゆっくり治すようにと言われた。

そうして、その通りゆっくりと入院する事になった。

だが、入院しても身体は元気なのである。

運輸部の人達からは、「永い間の疲れをしっかりと癒して来る様に」と言われたのである。

当時、戦時中にそんな事もあり、私は、とても嬉しく思ったのであった。

軍隊でも、こんな思いやりもあるものかと・・不思議に思ったぐらいであった。

私にとっては、生まれて初めての入院であり、また大きな病院であることにも驚いた。

初めて軍医の診察も受けて、当分の間様子をみると言う事になったのである。

百島の実家には、入院した事だけ知らせ、心配ないからと手紙を出した。

すると、祖父は、心配ないと言っても、入院と聞いて気になるのは当然で、老いた身で在りながら、病院を訪ねて広島の横川まで来たのである。

入院したと聞いて驚いた様子で、遠い支那の国まで行って働き、親の死に目にも会えず、可哀想な孫が帰って来たのにと・・。

交通の不便な島から、八十歳を過ぎた祖父は独り、船に乗り、汽車に乗り換え、電車に乗り継ぎて、逢いに来てくれたのである。

それだけでも嬉しかった。

当時の八十歳は、現在人の八十歳以上に随分老けていた。