Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

崇導神社(2013年5月2日参拝)

2013-05-30 | 神社
蓮華寺の横に鎮座する神社が崇導神社。

神社名から察するにどうやら崇道天皇が祀られているようですね。

日本の歴史上で平将門以上に恐れられたのがこの崇道天皇と言われている。

うーむ、
こういう所は下手に行くと祟られるかもしれん。

ここは鳥居をくぐらずにそのまま帰った方がいいのでは?と自問自答しつつ、
遊びで来たのではなく真剣に参拝すれば大丈夫と思い参拝することに。


そういえば以前、
崇道天皇と言えば奈良の崇道天皇社を参拝してました。

<2012年11月25日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/47501c3b434a65d147cb815ec0cc132f



所在地:京都府京都市左京区上高野西明寺山町34
主祭神:早良親王
社格:村社
創建:貞観年間(859年~877年)



【由緒】
当社は桓武天皇の皇弟早良親王(崇道天皇の謚を追尊)を奉祀する
旧高野村の産土の社でその創建年代は詳かでない。

延暦四年に造長岡京使藤原種継暗殺事件がおこり親王も関係ありとされて
淡路島へ配流の道中大山崎で怨念を残しつつ憤死された。

その後朝廷をはじめ都の内外に不吉な事件と奇妙な異変が続発した。
これらの怪異天災は親王の怨霊が祟りがあると占に出たために鎮魂の行事が盛んに行はれた。

都の鬼門に当ると共に北陸への要衝のこの高野の地に御霊社として親王を祀ることとなった。
御霊信仰の全国的に流行する貞観時代に早良親王のみを祭った例はない。


【崇道天皇】
光仁天皇の皇子早良親王のことで、
母方が下級貴族であったために立太子は望まれておらず、
天平宝字5年(761)に出家して東大寺羂索院や大安寺東院に住み親王禅師と呼ばれていた。
天応元年(781)、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し立太子された。

だが延暦4年(785)、造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座して廃され乙訓寺に幽閉された。
無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、
河内国高瀬橋付近(現・大阪府守口市の高瀬神社付近)で憤死した。

藤原種継暗殺に早良親王が関与していたかどうかは不明である。

その後、桓武天皇の第1皇子である安殿親王(後の平城天皇)の発病や、
桓武天皇妃藤原旅子・藤原乙牟漏・坂上又子の病死、
桓武天皇・早良親王生母の高野新笠の病死、疫病の流行、洪水などが相次ぎ、
それらは早良親王の祟りであるとして幾度か鎮魂の儀式が執り行われた。

延暦19年(800年)、崇道天皇と追称され、大和国に移葬された。
近辺にも親王を祀る寺社が点在しているほか、
京の鬼門に位置する高野村(現:左京区上高野)には、
京都で唯一早良親王のみを祭神とする崇道神社がある。



【一の鳥居】


参道を歩いていると右手にお寺らしき建物が見えた。

他にお寺があるようで、
神社参拝後、このお寺に行こうと歩いたがお寺の入り口が見つからない。

歩き疲れていたし、めんどくさくなって行くのを止めたが、
帰宅してから調べたらネットでこのお寺を紹介するのは禁止しているお寺でした。

今時、ネットで寺の名前さえ晒してはいけないなんて、
何とも珍しいものである。

しかし、
おもしろい。

恐らく住職さんは相当小難しい方なのかな。

どんな方なのか興味が湧いてきたのでいつの日か絶対参拝する。


【二の鳥居】


意外と長い参道です。

奥へ進むと陰な雰囲気が増してくる。


【狛犬】


こちらは実に雄々しい狛犬でした。


【拝殿】



【境内】


写真は明るめに撮っておりますが、
実際はもっと雰囲気が暗いです。

さすが京都の鬼門に祟り静める神が祀られているだけあります。

本当に居心地が悪い。

社務所がありましたが無人でした。

もしこの社務所に常駐してたら鬱になりそうです。(^^;


【伊多太神社】


摂社。


【末社】




末社は鎌倉社・三穂津社・三輪社・足之社・教之社・日吉社の6社となります。


【打たせ瀧】



以上、早々に退散しました。
御朱印の有無は不明です。